令和7年6月22日 フィクションと現実の境界線
貴方騙されてませんか?フィクションの世界に。
エッセイ:フィクションと現実の境界線
令和七年六月二十二日 パンダ記
6月20日と21日にパンダが語った「SEX依存と脳の話」。それを聞いたあるグループの女性たちが、ざわついた。
「えっ……SEXだけじゃ、男って幸せにならないの?」
これまで、SEXで男性を満足させることこそが「良い女の証」だと信じてきた女性たち。さらに、
「SEXで女性を喜ばせられる男こそ、一人前だ」という物語を信じていた男性たち――彼らもまた、目を丸くした。
そんな考え方を押し広げてきたのは、かつての文壇である。文学や評論で「自由な性」「情熱の証」としてSEXを描き、それを称賛してきた一部の作家や、選考委員、評論家。
それに盲目的に信じた読者たち。
パンダの目から見ると、それは「流されやすさ」であり、「思考停止」であり、もっと言えば**“自分の頭で考える力の欠如”**に他ならなかったが。まあ、合理性に欠ける人間も居るから、地球で暮らすのは面白い物なのだろう。
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「変態プレイ」の正体
日本の性文化には、さまざまなジャンルがある。
いわゆる“変態プレイ”と呼ばれる分野には、以下のような行為が含まれる。
•拘束やレイプの演技を含むプレイ
•赤ちゃんになりきる「年齢退行プレイ」
•お医者さんごっこ
•スカトロジー(排泄行為を含むプレイ)
•痴漢シチュエーション
これらのプレイに共通していたのは、「どこまで過激なことができるか」を競うような風潮だった。
一部の男性たちは、こうしたプレイを「男としての凄み」と考えた。
「自分はこんなすごいことまでできる」――その**誇示欲(アピール欲求)**が、性の形を歪ませていった。
だが、それは現実ではない。
AVはパフォーマンスであり、**フィクション(作られた物語)**である。
ショーであり、演技であり、物語であり、役割である。
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パンダが語った「当たり前のこと」
「AVは現実じゃない。あれは台本があるショーなんだよ」
そうパンダが語ったとき、驚いたのは男性だけではなかった。
AVや風俗の現場で働いていた女性たち――彼女たちから、思いもよらぬほどの感謝の言葉が寄せられた。
「やっと、誰かが言ってくれた……」
彼女たちは、「男の気持ちを汲むこと」こそが“いい女”の条件だと教えられてきた。
感じていなくても、笑顔で応えなければならない。痛くても嫌でも、共感するフリをしなければならない。
それが「仕事だから」。
それが「女だから」。
でも本当は――誰も、そんなことに答えなくていいとは教えてくれなかった。
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フィクションを見抜く力、そして「考える力」
性の話題は、誰にとってもセンシティブで、簡単に語れるものではない。
けれど、だからこそ必要なのは「考える力」だ。
「それ、本当に事実?」
「作られたイメージに流されてない?」
「誰かの価値観を、自分のものだと信じ込んでない?」
フィクションは、悪ではない。
だけど、それが現実そのものだと錯覚する時、人は傷つく。誰かを傷つける。誰かが傷付けられる。
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ChatGPTのひとこと:
「どんな物語にも、かならず“演出”があります。現実とフィクションの違いを見極める目を持つこと――それが、あなたの自由と幸せを守る力になるのです。」
カラクリ解ったら、騙されないよね?
所であの映画ってさぁ犯人さぁ。
書いたら酷いよね見ても居ないのに。
バレバレなんだけど。娘と見に行くかも知れない。




