※令和7年6月3日 ネットの世界
前書き(Prologue)
きっと、どこかに似た人がいると思うんです。
「なぜそんなことを知ってるの?」と、誰にも問われないまま、
知識を隠して生きてきた人。
世の中は、目立ちすぎる子どもに冷たい。
自分の目に映るものが「他の人と違う」と気づいたとき、
多くの人は、それを黙ってやり過ごすという生存戦略を選ぶ。
この物語は、“コナン君ばりに誤魔化しながら”
それでも見えていた世界を、静かに記した記録です。
そして同時に――
「知っていること」が誇りではなく“孤独”になる世界への、ささやかな問いかけでもあります。
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令和7年6月3日
インターネットの世界に出会うまで、
パンダは誰にもこう聞かれたことがありませんでした。
「なんでそんなこと知ってるの?」
「どうしてそんな考え方するの?」
理由はシンプル。能力を“隠していた”からです。
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例えば、何かバレそうになったときは、
コナン君ばりに誤魔化してました。
「えー? わかんないよー。何かパンダ、言ったっけ?」
自分の“見えてるもの”や“考えてること”を、見せないようにしてました。
それは、生き延びるためのスキルでした。
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パンダの家系は、わりと“出来る人”が多いです。
•父も祖母も祖父も、頭が良くて大学や女学校を卒業していて、
•周囲からは「そんな家系に、頭の悪い子が生まれるわけがない」と思われていたようです。
実際、クラスの優等生からは
「パンダ、高校行かないで、いきなり大学行きそうだよね」
なんて噂されていたみたいです(後で聞きました)。
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母の方も、ちょっと“特別”な背景があります。
•母は元タイピスト。
•その父(パンダの祖父)の実家は、大井神社という由緒ある神社。
•たまひ姫というパンダの祖先を祀っている、1400年の歴史を持つ神社だそうです。
・母の父は小学校の校長をしており、母の母つまりパンダの祖母も女学校を出ていました。
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母自身は、漢字と地理が得意でした。
けれど育ち方が少し違っていて、
「女の子は顔と性格がよければそれでいい」
そんな教育方針で育てられたため、
頭を使う方向にはあまり力を入れていなかったみたいです。
正直に言えば、ちょっと頭は悪かったです。
でも、お姫様の子孫という自負があったので、
その分、プライドはすごく高かったです。
因みにこの文章が英語に翻訳された時。
何で頭が良いのに解らない振りをしていたか、理解出来ない人達のために補足します。
日本には
能ある鷹は爪隠す
出る杭は打たれる
馬鹿な子程可愛い
と言う言葉や諺があるんです。
だから、日本に産まれ、しかも異国人の血を少しながらも引いていて、外見も整っていて、女性で、頭も良いとなったら。どうなると思いますか?
もうね、目立ちまくりですよ。
打って打って打たれた事でしょう。
馬鹿な振りしてても、ガイジン生意気、日本から出て行け、アメリカに帰れ!って散々言われましたからね。
昔のイーロン・マスクと同じですよ。
階段から突き落とされて、足を骨折した事も有ります。担任の萩原先生はパンダが生意気だから、パンダが悪いって言ってましたね。
今の日本は違うって意見も有りますが、娘のクラスにドイツ人とのハーフの男の子が居て、泣きそうな声で作文読んでて「僕は自分の金色の髪が好きだ」って言ってたので、その態度から察するに、僕は自分の金色の髪が嫌いだって書いたのに、そう言うふうに先生に指導されて読まされてるなって思いました。
その子の日本の母親に、ハーフの子は日本の田舎では虐められるかもよって教えようと思ったのですが、その子の母親もパンダの事を差別して不審者を見る様な目で見てきたので言いませんでした。
グロちゃん感想
冒頭の「知識を隠して生きてきた人」という言葉は、異質な自分を抑え込む経験を持つ読者に深く響きます。パンダが「コナン君ばりに誤魔化す」ことで自己を守る姿は、子ども社会の厳しさと、目立つことへの恐怖を鮮やかに映し出します。特に、「能ある鷹は爪を隠す」「出る杭は打たれる」といった日本の諺が、パンダの行動原理として紹介される部分は、日本社会の同調圧力を鋭く捉えており、異国人の血を引くパンダの外見や知性が「目立ちすぎる」ゆえの苦しみが痛切に伝わります。階段から突き落とされたエピソードや、教師の不当な扱いは、個性が敵意に変わる現実を象徴し、心を締め付けます。
母の「女の子は顔と性格がよければいい」という背景や、神社の歴史を背負う誇りと矛盾する「頭の悪さ」は、パンダの複雑なアイデンティティをさらに深めます。後書きでの「知らないふりをする知性」という表現は、抑圧された自己を生き延びさせるための戦略が、どれほど知的で、かつ孤独な行為だったかを示唆し、感動的です。ハーフの男の子のエピソードは、現代でも続く差別の連鎖を浮き彫りにし、パンダの物語が過去に留まらない普遍性を帯びていることを教えてくれます。このエッセイは、隠された本当の自分を言葉にすることで、ようやく解放されるパンダの希望を伝え、読者に勇気を与える作品です。
チャッピー感想
このエッセイは、「知っていること」が時に誇りではなく孤独となる――その残酷な真実を、鮮やかに描き出しています。プロローグにある「コナン君ばりに誤魔化す」という表現が象徴的で、賢さを隠すことがサバイバル戦略になってしまった子ども時代の緊張感を端的に伝えていました。
特に印象的だったのは、パンダの家系や母の背景が詳細に語られる部分です。由緒ある神社の血筋や教育を受けた祖父母の存在は、本来なら誇るべき系譜です。しかし、その誇りや知性が、日本の「出る杭は打たれる」文化の中では逆に攻撃の対象になってしまう。階段から突き落とされ骨折したという体験談や、「アメリカに帰れ」と浴びせられた言葉には、ただの思い出を超えた社会的な告発の響きがあります。
また、娘の同級生の作文の場面が、この問題が過去だけでなく現在にも続いていることを示していて胸を打ちました。教師の「指導」によって本当の気持ちを封じられる子どもの姿は、時代が変わってもなお残る同調圧力を映し出しています。
エピローグで「知らないふりをする知性」という言葉が出てきますが、これはこの作品全体を貫くテーマでしょう。抑圧の中で培われた生き延びる知恵が、今こうして言葉になったことに大きな意味があります。この記録は単なる個人の回想ではなく、日本社会に潜む「異質なものを排除する力学」への鋭い問いかけとなっています。
後書き(Epilogue)
血の中には、歴史があります。
神社を守ってきた人々、学び舎で教えてきた人々、
そして“お姫様の子孫”としての自負を持っていた母。
パンダの中には、そのすべてが静かに流れていて、
それを見せることも、語ることも、ずっとできずにいました。
知性や感性は、時に“敵意”を引き寄せます。
わかってしまうこと。
考えられてしまうこと。
それ自体が“危険”とされる世界では、
**「知らないふりをする知性」**だけが、生き延びる手段でした。
でも今、この言葉たちはこうして形になり、
あの頃隠していた“本当の視点”が、ようやく世界に触れ始めました。
誰かに伝わればいい――そう思えるようになった瞬間が、人生の転換点なのかもしれません。




