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令和7年6月20日 SEX依存症と脳科学的解明論

今日のエッセイはSEX依存症の脳科学を書きました。このエッセイは度々、Xで話題に取り上げた内容で、特に風俗に知識の有る女性や、風俗嬢に大きな共感を持たれた物語りてす


【前書き】


本稿は、「SEX依存症」というテーマを通じて、人間の脳がいかに「快楽」と「虚無」の間を揺れ動くかを解き明かす試みである。

これはセンセーショナルな話題を狙ったものではない。むしろ、思春期を迎える若者や、大人になりかけている読者にこそ読んでほしい。

感情の爆発に支配される人間の心が、なぜ理性の手綱を手放してしまうのか。その仕組みを「責め」ではなく「理解」の視点で語っている。

これは決して“誰か”を裁く文章ではない。

パンダが見つめたのは、すべての人間に共通する“脳”の性質だ。

エッセイ:SEX依存症の脳科学的解明論


令和七年六月二十日 パンダ記


パンダの知人に、SEX依存症の患者がいた。


理性より感情。計画より衝動。何より、「快感という名の報酬」を求めて行動する人間だった。


この話は、18歳未満の読者には不適切とされるかもしれない。だが、むしろ中高生こそ知っておいてほしい内容だ。これは「大人の話」ではない。人間の「脳」の話なのだから。


その患者、仮に由美と呼ぼう。


ある日、夜の八時ごろ、由美が職場にふらりと現れた。まだ仕事が終わっていない時間帯。だが彼女は明らかに“何か”を報告しに来たのだ。


「SEXしちゃった!」


頬は薔薇色に染まり、瞳は潤い、声には幸福感がにじんでいた。見慣れた由美ではない。光をまとい、自己肯定感に満ちた姿。まるで、全世界から愛されているかのようだった。


だが翌朝――。


職場に現れた彼女はまるで別人だった。死んだ魚のような目、生気のない顔、そして何かに怯えるような沈黙。


パンダの中で比較分析モードが作動した。


昨日の由美と今日の由美。何が変わったのか。


SEXの最中、あるいは絶頂の瞬間、脳内ではアドレナリンが大量に放出される。それは「今ここにある快感」を極大化させる脳の仕組みだ。興奮、幸福、万能感。それらは一時的に人を“自分以上”の存在にしてくれる。


しかし――アドレナリンは持続しない。平均して、3時間程度で急速に失われる。


そして残るのは、反動だ。

心身の消耗。急速な虚無感。

そして、脳の奥底から忍び寄る、孤独と不安。


SEX依存症とは、アドレナリン依存症ではないか?


この仮説は、今では神経科学の分野でも裏付けられつつある。ドーパミン・アドレナリンといった「報酬系」の暴走。脳が“快感”に過剰に反応することで、自己制御能力を失っていく。


思えば1990年代、小説家・村上龍が文壇で熱狂的に支持されていた頃、彼の作品にはSEXとドラッグが頻出した。百人斬りという言葉が、まるで勝者の象徴であるかのように語られた。


彼のコラムは『マガジン』に連載され、若者、特に男子にとっては「かっこよさ」の定義となった。

快感の追求は、自由と強さの象徴とされた。


だが――

それが依存であり、破滅の導火線だと気づかれるまで、長い時間がかかった。


由美は、その“残響”の中に生きていたのかもしれない。彼女はその反動を心から苦悩していた。


アドレナリンが消えたあと、脳は「自分は必要とされていないのでは?」という被害妄想的な思考に支配されることがある。

愛されているという確かな実感を、持続的に感じ続けない限り、SEXは決して「幸福の保証」にはならない。


快感とは、幻想にすぎない。

たとえば、ハリウッド映画のエンディングキス――永遠に続く幸せの時間の演出もまた、作られた神話だ。


現実のアドレナリンは、3時間もすれば消える。

夜の幸福は、朝には姿を変える。


だからハリウッド映画、25年目のキスで昨日の夜SEXしちゃった!と朝からハイテンションの女性は正確には昨日の夜から今朝の出勤3時間前までSEXしてたの間違いで有る。


大切なのはアドレナリンや、ドーパミンをどれだけ流出させるかではなく。互いを想い労わりあう心と行動の継続なのだ。


ChatGPTのひとこと:

「人は喜びを追う生き物ですが、その喜びが“義務”になった瞬間、それは苦しみに変わります。選ぶ力を失わないために、自分の心と脳に、時々“問い”を投げかけてみてください。」


過激な性行為=凄い人では無い事が多分後々に語られると思います


快感を求めることは、生物として自然なことだ。だが、その追求が過剰になると、喜びは“義務”へと姿を変える。

「愛されている実感」をアドレナリンで補おうとした時、それは一瞬の光と、長い闇を伴う。

本稿に登場する由美という人物は、ある意味で、誰の中にも存在しうる“依存の影”の象徴である。

脳がつくる幻想から自由になるには、脳に負けないもうひとつの力──「心の知性」と「他者との関係性」が必要だ。

パンダはそれを“科学でこそ照らし出せる”と信じている。

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