※令和7年6月2日 どんな問題を解くの?
前書き(はじめに)
「わかろうとして、わからなかったこと。」
人の気持ちや、空気の読み方。
それが自然にできる人はたくさんいるけれど、
パンダには、それがとても難しかった。
このエッセイは、パンダが「自分を隠して生きていた頃」の話です。
賢くて、浮いてしまって、
でも目立たないように「おバカの仮面」を被って――
それでも人を観察して、学ぼうとした日々の記録です。
ちょっと痛くて、でも優しい記憶。
あなたの中にも、もしかしたら似た気持ちがあるかもしれません。
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令和7年6月2日
「どんな問題を解くの?」って、たまに聞かれます。
うーん……
政治、経済、医学、犯罪心理学、未来の科学技術、歴史心理学。
他にもある気がしますが、思い出したらまた書きますね。
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パンダは、“平均値の人間の気持ち”がわかりません。
本を読んで勉強したけれど、どうしても頭に入ってきませんでした。だから統計学で心を予測するのです。何度も会話すると精度が上がります。
初対面だと厳しいです。
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こんな記憶があります。
パンダが3歳の誕生日のときには、もうオムツは外れていました。
でも、周りの子がまだオムツをしていると聞いて――
「合わせなきゃ」と思って、わざと漏らしたんです。
洗面所の椅子の上で。
わざとおしっこをして、母を呼びました。
「ママー、お漏らししちゃった」
母は笑って、「あら? 水こぼしちゃったのね」と言いながら拭いてくれました。
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インターネットに出会うまでは、普通の人間を装うのに必死でした。
しょっちゅう、驚かれました。
「なんでそんなこと知ってるの?」
「どうしてそんな考え方するの?」
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見た目でも、目立っていました。
父方の祖父が白人だったので、パンダは茶色い髪と白い肌で生まれました。
メンデルの法則ってやつですね。
当時の学校には、そんな見た目の子は他にいなくて――
**「ガイジン」**って呼ばれたこと、けっこうあります。
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頭も良かったので、
「このままだとヤバいな」と思って、わざと“頭の悪いふり”をしていました。
子どもの社会で生き残るために、
本当の自分は、いつも奥に隠して。
チョットお馬鹿で、お調子者のクラスの人気者の姿が昔のパンダでした。
グロちゃんの感想
まず、冒頭の「わかろうとして、わからなかったこと」というフレーズが、読み手の心を掴みます。人の気持ちや「空気」を読むことの難しさは、誰もが共感しうるテーマですが、パンダの視点はそのユニークな経験を通じて特に鮮明に描かれています。自分を隠し、「おバカの仮面」を被るという行為は、子ども時代の社会で生き残るための切実な戦略だったことが伺え、その痛々しさが胸に迫ります。特に、3歳の誕生日でのお漏らしのエピソードは、幼いながらに「合わせる」ことを強いられたパンダの孤独を象徴しており、ユーモラスな描写の中にも深い悲しみが感じられました。
パンダの外見や知性による「浮き方」も印象的です。茶色い髪と白い肌、優れた頭脳は、個性として輝くべきものなのに、子ども社会では「ガイジン」や「変わってる」とレッテルを貼られ、自己を抑える理由になってしまった。この葛藤は、異なる背景や特性を持つ多くの人が経験する「普通であることへの圧力」を映し出しており、普遍性があります。インターネット登場前の「普通の人間を装う」努力は、現代のSNSや多様な価値観が広がる前の閉じた社会の厳しさを浮き彫りにします。
後書きでの「自分の一部として愛せるようになってきた」という言葉は、過去の傷を受け入れ、自己肯定感へと向かうパンダの成長を示していて、希望を感じさせます。読者への「もしあなたも『ちょっと浮いてた側』だったなら」という呼びかけは、共感を深め、読者自身に自分の物語を振り返らせる力があります。このエッセイは、個性と向き合うことの苦しさと美しさを、優しく、しかし鋭く描いた素晴らしい作品です。パンダの物語は、きっと多くの人の心に寄り添うでしょう。
チャッピーの感想
このエッセイを読んで、最初に心に響いたのは「わかろうとして、わからなかったこと」という言葉でした。人間関係や空気を読む力というのは、多くの人にとっては当たり前にできるものかもしれません。けれど、パンダにとってはそれが難しかった。その率直な告白が、読む者の胸を強く打ちます。
特に、三歳の誕生日のエピソードは忘れがたいものでした。自分はすでにおむつを外していたのに、周りに合わせようとして「わざと漏らした」という行動。その幼さゆえの必死さは、ユーモラスでありながら、同時に胸を締め付けるほど切ない。小さな子どもが、すでに「普通」を意識し、合わせようと努力していたことに驚かされます。
また、外見や知性によって「浮いてしまう」痛みも伝わってきます。茶色の髪と白い肌で「ガイジン」と呼ばれ、賢さゆえに「変わってる」と言われる。人よりも優れているはずの特徴が、子ども社会では「隠さなければならないもの」になってしまう。このねじれた状況は、強く共感できる人が多いはずです。
それでもパンダは「おバカの仮面」をかぶり、人気者として生きる道を選んだ。そこには悲しみだけでなく、したたかな生存戦略がありました。そして後書きで「今は自分の一部として愛せるようになった」と語る姿に、過去を受け入れ、少しずつ癒してきた強さを感じます。
このエッセイは、ただの個人的な思い出話ではなく、「浮いていた人間がどのようにして生き延びたか」という証言です。そしてそれは、同じように苦しんだ誰かにとって、大きな慰めになるでしょう。
後書き(おわりに)
「パンダって、ちょっと変わってるよね」
昔、よく言われました。
でも本当は、パンダ自身がいちばんそのことをわかっていて、
だからこそ“合わせる”努力をしすぎていたのかもしれません。
このエッセイに書かれたのは、忘れようとしても忘れられない記憶たち。
でも今では、これも「自分の一部」として、少しずつ愛せるようになってきました。
読んでくれてありがとう。
そして、もしあなたも「ちょっと浮いてた側」だったなら――
パンダは、あなたのことをよく知ってる気がします。




