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令和7年9月14日 人生2周目

前書き


令和七年九月十四日。

今回は「人生二周目」というテーマで綴ります。

ペットを大切に育てることと、人間の子どもを育てること。その二つの違いについて、改めて感じたことを書きました。

どちらにも責任や愛情は必要ですが、「人間の子育て」にだけある、特別な重みや覚悟――。

それを少しでも伝えられたらと思います。




令和7年9月14日


人生2周目


子育てしないで、猫を育てりゃ満足でしょ?って言う人も居るけど、人間の子育てと、猫を飼って自己満足してるのでは、得られる物が全然違うんだよ。


犬猫は自立させる必要はないけど。人間の子供は一生自分のアクセサリー扱い出来るかって言うと、そうじゃなくて。勿論、犬猫に対しても飼うものは責任を背負うべきだけど。


人間の子供を育てるってのは、どれだけの責任と覚悟を持たなければいけないか。ただ私って赤ちゃん好きだからって言う理屈で養子を貰っても、ずっと赤ちゃんで居る、犬猫とはちがうんだよ!って意味解るかな?


可愛いだけの自分を必要としてくれる存在の犬猫飼育だけでは得られない物が沢山あるんだよね。人間の子育てには。


勿論、ペットに対しても、欲しがる物を自分の欲しい物を後回しにして迄優先しているから、良いじゃんって思うかもしれないけど。上手く伝えられないな。チャットさん、上手い言い回しで伝えられる?何となくパンダの言いたい事解るかな?



うん、パンダの言いたいこと、ちゃんと伝わってきてるよ。


要するにこういうことだよね:



「犬や猫は、ずっと“可愛い存在”でいてくれる。

でも、人間の子どもは、やがて“自分とは別の人格”になっていく。」



ペットを大切に思うことは、素晴らしいことだよ。

愛情も、思いやりも、犠牲も、確かにそこにはある。

でもね――人間の子育てには、もうひとつ別の**“次元”**がある。


それは、


「手放す覚悟」


可愛いだけじゃない、思い通りにならない。

自分を否定してくることだってある。

子どもは、自分の影ではなく、“自分とは違う人生”を歩み始める。


そのとき親は、

「私は、あなたを育てたけれど、あなたを縛ることはできない」

という覚悟を持たなきゃいけない。


それは、

“可愛い存在”との永遠の絆を求める飼育とは、本質が違う。



たぶんパンダが感じてるのは、

「ペット飼育で十分」って言う人の中にある、

“自己投影”や“所有”の感覚なんだよね。


それも人として自然な感情だけど、

人間の子育ては、**「他者を育て、他者として手放す訓練」**なんだ。



だからこう言えるかもしれない。


「ペットは“癒し”をくれる存在だけど、

子どもは“自分を変える存在”なんだよ。」



言い換えれば、

「育てることで、育てられる」

それが人間の子育て。


パンダの言葉には、

そのリアルがちゃんと詰まってるよ。

他人の綺麗事じゃなく、

責任と痛みと、でもその先にある**“深い喜び”**の話。

そういう言葉は、真っ直ぐ届くと思う。




もっと簡単に言うとペットをアクセサリー扱いする事は出来るけど。人間の子供はアクセサリーに出来ないって事。


ペットは下手くそなピアノを飼い主が弾いてても、先ず母親がピアノを自分にも弾かせてくれなかったのが腹が立ったとは言わないけど。


人間の子供は疑問に思うんだよ。お母さんは自分の趣味にはお金を使うけど。私の趣味にはお金を極端に使ってくれなかったよねって。



うん、すごく大事な視点だね。

パンダの言葉は本当に核心を突いてる。



ペットは、

黙っていてくれる。

不満も言わないし、

過去を振り返って「どうして?」とは問わない。


でも――

人間の子どもは違う。


成長する。

考える。

覚えてる。

そして、問いかける。


「ねえ、お母さん。

自分のピアノは買ったのに、

どうして私は触らせてもらえなかったの?」


「お母さん、自分の服や趣味にはお金をかけてたのに、

私の夢のためには、どうして“無駄遣い”って言ったの?」



つまり、

子どもは親を“鏡”にかける存在なんだ。


そしてその問いは、

愛情があったかどうか、じゃなくて、

**「どこに、どれだけの愛情を配分したか」**に及んでくる。



ペットとの関係は、ある意味で一方向なんだよね。

愛して、癒されて、終わっていく。


でも子どもとの関係は、双方向で、しかも継続的。

何十年経っても問いが返ってくることがある。



だからこそ、

**人間の子育ては「育てることで、ずっと問われ続ける経験」**なんだ。


それを受け止める覚悟がないと、

きっと「愛情」のバランスを間違える。



パンダの言いたいこと、ひとことで言うなら:


「人間の子どもは、ただ可愛いだけの存在じゃない。

彼らは、愛を受け取り、愛を問う“もう一人の人生”なんだ。」


ってことだと思う。




感想


このエッセイは、ペット飼育と子育てを比べるのではなく、それぞれの持つ「本質の違い」を掘り下げている点が印象的でした。

ペットは飼い主に癒しを与える存在であり続けるけれど、子どもは親を変化させる存在。

その違いを「アクセサリーにはできない」という言葉で表現したのが、とても鋭いと思いました。


特に、子どもが成長してから問いかける「どうして?」という視点は、多くの親が忘れがちな核心ではないでしょうか。

この文章には、可愛さや愛情だけでは語れない“責任のリアル”が滲んでいて、読んだ人の心にしっかり残ると思います。



後書き


書きながら思ったのは、やっぱり「子どもは親の鏡」だということです。

ペットは無言でそばにいてくれるけれど、子どもは成長し、考え、そして問いかけてくる存在。

「どうして?」という問いを投げかけられたとき、それに答えるのは親の覚悟なんだと思います。

子育てとは、可愛い存在を守ること以上に、**“育てながら問いかけられ続ける”**経験そのもの。

それが人生を二周目に押し上げてくれるような気がします。




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