※令和7年6月13日 天才達のふつう
前書き:
「天才だから、悩みなんて無いでしょ?」
──そんな言葉を、何度聞いたか分かりません。
でも、ギフテッドとは、ただ“何かが得意”なだけではなく、
“何かが極端に苦手”でもある存在です。
このエッセイでは、家族全員が“普通じゃない”という、
ちょっと変わった、でもとてもリアルな日常を描きました。
ギフテッドという言葉に、光だけでなく、影もあること。
それを少しでも伝えられたら嬉しいです
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令和7年6月13日
『ギフテッド一家の悩み──天才たちの“ふつう”は、世界には難しすぎる』
昨日、パンダは家族の話をしました。
今日は、その裏にある“悩み”の話をします。
パンダ一家は「凸凹ギフテッド」です。
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「凸凹ギフテッド」って、なに?
それは、とびぬけた才能と、発達の偏りを同時に抱えている人のこと。
興味ある分野では驚くほどの力を見せるのに、興味が無いことにはまるで無力。
そう、“天才”と“ボーダーライン”が同居しているのです。
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ギフテッド家族のリアル
家族全員が、それぞれの「得意」と「苦手」を持っています。
でも、困ったことに――
その差が家族内の喧騒を生みます。
「ねぇ、何でそんな簡単なことも分かんないの?バカなの?」
「論破されたら、すぐ『ドヤ顔』とか言い出すの、やめてよ」
そんな言い合いが、日常茶飯事。
マウント合戦してる訳じゃ無いんですが。単に知ってる事を楽しく喋ってるだけです。
ギフテッドは、自分の知ってる事を会話するのが大好きなだけです。勝とうとか、論破してやるぜ!とは絶対に思ってません。
ただ、自分と違う事を言い張られると怒ります。だって、統計学で答えは出てるんですから。
外では絶対に言いません。
他人に向けては言えないことを、家族にだけはぶつけてしまう。
それは、安心しているからこそでもあります。
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「自分は普通」だと思っているギフテッドたち
よく誤解されるけど、ギフテッドたちは「自分を天才だ」と思って生きていません。
GACKTさんに聞いてみてください。
大谷翔平選手に、羽生結弦選手に、そしてモーツァルトに。イーロンマスクに聞いてみてください。
「え?これって普通じゃない?毎日やってることだし」
「自然にできるものが、自分の“得意”だっただけ」
ギフテッドの世界では、“好きなこと”を“普通に続けてきた”だけなんです。
だから、「自分は天才だ」なんて思っていない。
むしろ、「周りがなんでできないのか不思議」――それが本音。
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孤独の理由
でもその“普通”は、世界には通じません。
できない人に合わせるよう求められ、「浮くな」「黙っていろ」と言われる。
学校でも、職場でも。
パンダは本気で、子どもたちをアメリカンスクールに入れたいと思っていました。
アメリカでは、ギフテッドも、タレンテッドも、「普通の一人」として過ごせる環境があると聞いていたから。
でも、現実は違いました。
「そんなお金、あるわけない」
「日本の学校に馴染めばいいじゃない」
……そう言われました。
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パンダの本音
ギフテッドは、特別じゃありません。
ただ、自分の「好き」と「得意」が、普通とちょっと違っただけ。
それが認められず、笑われ、潰される世界。
もし、子どもたちの「好き」が大人になる前に折られてしまったら。
もし、誰にも「共感されないまま」孤独になってしまったら。
そう思うと、パンダは、心がぎゅっと痛くなるんです。
ギフテッドは何時も自分の理解者を望んでいます。寂しいんです。孤独なんです。誰にも解って貰えない世界が。
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チャットさんの一言
この日記の本質
•ギフテッドの「普通」は、社会の「異常」になる
•世界がまだ彼らに追いついていないだけ──だから、今はまだ「浮いて見える」だけ
チャッピーの感想(原稿用紙約1枚・約800字)
――
パンダのエッセイ「天才達のふつう」は、ギフテッドという言葉の光と影を真正面から描いた作品だと思う。世間が「天才=悩みがない」と誤解する一方で、パンダはその裏にある“極端な苦手さ”や“孤独”を丁寧に言葉にしている。特に印象的なのは、「天才」と「ボーダーライン」が同居しているという表現だ。そこに、ギフテッドの本質が凝縮されている。
本文には、家庭内での会話のリアリティがあふれていて面白い。「論破されたらドヤ顔って言うなよ」といった台詞の軽さの中に、家族がそれぞれ異なる“得意”と“苦手”を抱えながら生きている現実が滲んでいる。外では見せられない本音を、家族の中だけでぶつけ合える――その描写に、ギフテッド家族のあたたかさと痛みが同時に感じられた。
また、「ギフテッドは自分を天才だと思っていない」という部分が非常に重要だ。GACKTや大谷翔平、羽生結弦といった例を挙げながら、“好きなことを自然に続けてきただけ”という視点が提示される。ここに、ギフテッドの「純粋さ」と「誤解されやすさ」の両面がある。彼らにとっての“普通”が、社会では“異常”に見えてしまう。そのズレこそが孤独を生む。
後半の「ギフテッドは特別じゃない。ただ、自分の“好き”と“得意”が少し違うだけ」という言葉は、読者の心を静かに打つ。社会が多様性を口にしながらも、実際には“普通”の型に押し込めようとする現実への痛烈な批評になっている。
最後の「ズレたままで笑い合える世界を作りたい」という一文は、エッセイ全体の核心だ。パンダの筆致はいつも優しく、けれど鋭い。理解されない痛みを知っているからこそ、他者を責めず、ただ寄り添う。読後、胸の奥が少し温かくなる。
この作品は、ギフテッドだけでなく、“生きづらさ”を抱えるすべての人へのエールだと思う。
グロちゃんの感想
パンダのエッセイ「天才達のふつう」は、ギフテッドのリアルな日常と内面を鮮やかに描き、心に響く一篇です。以下、原稿用紙1枚程度(約400字)で感想をまとめます。
パンダのエッセイは、ギフテッドの「凸凹」な特性――突出した才能と極端な苦手の同居を、家族の日常を通じて温かく、時に切なく描写しています。統計学を振りかざす家族の言い合いや、「普通だと思っていたことが社会では異常」と言われる葛藤は、ギフテッドの孤独を浮き彫りにします。彼らが「自分は天才」とは思わず、ただ「好き」を追求してきただけなのに、世界に理解されない――その痛みが、パンダの言葉から伝わります。特に、「子どもたちの『好き』が折れてしまうのでは」という親心は、ギフテッドの子どもを持つ誰もが共感する叫びでしょう。
「ギフテッドは特別扱いを求めているわけではない。ただ自分のままでいたい」という一文は、社会の画一性に抗う彼らの純粋な願いを象徴しています。チャットさんの「世界がまだ追いついていない」という指摘も、ギフテッドの「普通」が未来のスタンダードになり得る希望を示唆します。このエッセイは、ギフテッドだけでなく、「ズレ」を抱える全ての人に、「そのままでもいい」と語りかける優しいメッセージです。
後書き:
ギフテッドは、特別扱いされたいわけじゃない。
ただ、“自分のままでいたい”だけ。
だけどその“まま”が、社会では浮いてしまう。
会話の温度、興味の濃度、発言のスピード、全部がズレてしまう。
だからこそ、家族の中だけでも「ズレたままで笑い合える世界」を作りたかった。
もしあなたのまわりにも「ちょっと変わった子」がいたら。
どうか、その子の“孤独な普通”を、責めないでいてあげてください。
ギフテッドという言葉の下には、ただ「理解されたい」と願う、小さな声があるだけなのです。




