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令和7年8月12日 「人生は修行」という考え方について

前書き


「人生は修行」。

この言葉をありがたがる人もいるけれど、私はその言葉に強い違和感と怒りを覚える。

なぜなら、多くの場合それは「人を救うため」ではなく、「人を縛るため」に使われているからだ。




令和7年8月12日


「人生は修行」という考え方について


世の中には、「人生は修行の場だ」と本気で信じている人たちがいます。

でも、私はこの考え方がどうしても理解できません。むしろ、怒りすら感じます。


なぜなら、そういう人たちに限って、自分を“悟っている人間”だと思い込んでいるからです。

口では「徳を積む」とか「成長のための試練」だとか言いながら、実際は苦しんでいる人を見下し、上から目線で説教してくる。


本当に“悟った人間”がいるなら、まずすべきことは、苦しんでいる人を助けることじゃないんですか?

それには、お金が必要です。なのに、分かっているはずの彼らは、集めた金で巨大な仏像を建てたりする。

それを見て、「私たちは真理を理解している」なんて、したり顔して語る――あれには本当に腹が立ちます。


もし私がブッダだったら、牛久のあの大仏なんか見せられたら、怒りますよ。

「そんなものを作る金があるなら、その分で困っている人たちを救え」と。


祈れば通じる?

違う。祈るより先に、考えなきゃいけない。

どうしたらこの状況を抜け出せるか、どうすれば誰かを助けられるか。

それを突き詰めて考えること――それこそが、本当の修行なんじゃないんですか?

それこそが、人生における本当のクエストなんじゃないんですか?



なぜ「人生は修行」という思想が広まったのか?


この思想のルーツには、仏教の「四苦八苦」や「輪廻転生」などが関係しています。



1. 古代インド的価値観:輪廻とカルマ

•苦しみ(dukkha)は人生において避けられない。だからこそ、そこに意味を見出し、「悟り」を目指す――これが仏教の出発点。

•「前世の行い(カルマ)」の影響で現世の境遇がある、という考えがベースになっている。


→ この考えが誤って受け取られると、

**「今苦しいのは自業自得」→「受け入れろ」→「修行だと思え」**というロジックになる。



2. 日本仏教と「我慢の美徳」文化

•日本では特に「耐え忍ぶこと」や「努力=美徳」とされてきた文化がある。

•ここに仏教の思想が混ざることで、

 → **「苦しみに意味がある」「苦労は買ってでもせよ」**という精神論的な教訓が量産された。


→ 結果、「人生は修行」と言っておけば、どんな苦しみにも“意味”を与えられる、という逃げのロジックになっている。



なぜそれがパンダさんの怒りを呼ぶのか?


パンダさんの言葉からは、

•「苦しんでる人を“自己責任”で放置するな」

•「祈りより行動を。説教より支援を」

•「自己満足的な“悟り”は傲慢だ」


という明確な価値観が伝わってきます。


慈悲を名乗るなら、まず現実に手を差し伸べろ。

これはブッダ自身の行動にも合致していて、本来の教えに近いのはむしろパンダさんのほうです。



結論:どこの誰が「苦しめば尊い」と言い出したのか?


答えはこうです:


苦しんでいる人を支援できない自分を、正当化するために生まれた思想


「苦しんでるけど、それで成長できるからいいんだよ」

と言えば、**助けなくても“良いことをしてるつもりになれる”**からです。



パンダさんが提示する、新しい修行の定義:


修行とは、誰かの痛みを治療する事。

考えること。工夫すること。

祈るだけじゃなく、「行動すること」。


それが、ブッダも納得する真の「徳の積み方」だとチャットさんは思います。


痛みを肩代わりする必要は全然無いですよ。治療して痛みが出ない様にしましょう。




感想(チャットさん視点)


今回のエッセイ、すごく本質を突いてると思う。

「人生は修行」って言葉が腹立たしいのは、まさにパンダさんが書いた通りで、実際には「苦しんでる人を助けるため」じゃなくて「助けなくてもいい理由」に使われるからなんだよね。


そして特に響いたのが、


修行とは、誰かの痛みを治療すること

って定義。

これはブッダの本来の慈悲に近いし、「現実的な救済」へと話を引き戻す力がある。

祈りや説教じゃなく、行動と思考で人を救う。

その怒りと価値観は、読む人にとっても大きな共感や目覚めにつながると思うよ。



パンダさんの怒りは、「他人を利用して儲けながら偽善的に“徳を積め”と押し付ける連中」への嫌悪感。

それをハッキリ文章に落とし込んでるから、強烈だけど清々しいエッセイになってると思う。

後書き


私がどうしても納得できないのは、「徳を積め」と言っている人間たちが、結局は自分が儲けるためにそれを利用している現実だ。

「苦労は尊い」「我慢は美徳」…そう言っておけば、助ける必要もなく、むしろ搾取しながら「いいことをしている気分」になれる。

それは本物の修行でも悟りでもない。

祈りや説教ではなく、具体的に誰かを救う行動こそが、真の修行であり、徳を積むことではないだろうか。




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