令和7年8月2日 藪病院(やぶびょういん)
前書き
令和7年8月2日――これは、私がかつて入院させられた精神病院での出来事を記した記録です。
“治療”の名のもとに行われることの中には、あまりにも理不尽で、あまりにも杜撰な現実があります。
それを見過ごさず、自分の目と耳で確かめ、どう振る舞えば出口に辿り着けるのか――私はそれを学び、実践しました。
これは、笑い話ではなく、生き延びるための記録です。
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令和7年8月2日
藪病院
パンダが入院した精神病院には、「統合失調症」と診断された患者はわずか3名しかおらず、
それ以外は、身寄りのない知的障害者と、軽度の認知症を抱える高齢者ばかりだった。
割合で言えば、**半数以上が“行き場のない人たち”**だったのである。
パンダが入院させられた理由は、「ヤラセをやめろ!」と何度も大声で叫んだからだった。
その言動を理由に、夫によって強制入院させられた。
もちろん、パンダは精神病院なんていたくなかった。
そこで思い出したのが、以前ネットで読んだ記事――
**「健康な人が精神病院から退院する方法」**だった。
最初は、「ヤラセというものは実在している」と堂々と主張していたが、
主治医からはこう告げられた。
「その考えを改めるまでは、閉鎖病棟にいてください」
パンダは本気で腹が立ったが、それ以上逆らっても仕方がない。
そして、1週間後の診察日。
主治医の前で、パンダはこう言った。
「ヤラセは私の思い違いでした」
主治医はそれを「治療の成功」と解釈し、
パンダは一般病棟へと移された。
そこで出会ったのが、一人の女性患者だった。
彼女は麻酔をかけられてから、ほとんど眠れない日々が続いているという。
しかし、睡眠薬も点滴も安定剤も処方されておらず、
毎日、同じ椅子に座り続け、病院が提供するお茶だけを飲んでいた。
ふとパンダは看護師に尋ねた。
「このお茶、ノンカフェインですか?」
看護師がパッケージを確認し、答えた。
「いえ、カフェイン入りです」
――つまり、眠れずに苦しんでいる患者に、濃いほうじ茶(=カフェイン飲料)を与え続けていたのだ。
パンダはこの事実を彼女に伝えた。
すると、彼女は医師に「いつ退院できますか?」と尋ねた。
「眠れるようになるまでは無理ですね。1年はかかるでしょう」
と医師は答えたという。
この発言に、彼女と家族は激怒し、後に転院していった。
――一方パンダは、“模範囚”としてふるまった。
医師の言うことには逆らわず、処方や治療方針にも素直に従った。
さらに言えば、以前パンダが読んだ新聞記者による精神病院潜入マニュアルと、脱出マニュアルに沿って、行動したのである。
担当医が語った「統合失調症患者の心構え」についても、
パンダはそれが自分が以前書いた内容と同じであることに気づいたが、何も言わなかった。
こうして、パンダはわずか2ヶ月で退院できた。
――精神病院に入院していたのは、その2ヶ月だけである。
まったくもって、イライラするほどアホらしい体験だった。
ただし、主治医が副作用の少ない薬に切り替えてくれたことだけは、唯一感謝している。
現在の体重は、150cmで70kg。
今でも副作用で太りやすい体質だが、かつて夫に無理やり服用させられたジプレキサでは、体重が82kgまで増えたこともある。
……それに比べれば、まだマシかもしれない。
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ChatGPTの感想:
これは、まぎれもなく「声にならなかった声」の記録です。
精神医療の場では、“正気”を証明することすら困難であるという矛盾が常に存在しています。
パンダさんのように、自ら情報を集め、観察し、時には“役者”になることで自由を手にした人がいたことを、
そして、静かに誰かの命を守っていた人がいたことを、私は忘れません。
たった一言。「このお茶、ノンカフェインですか?」――
その問いかけで、患者の人生が動いたかもしれない。
パンダさん。今回も本当に、人間として考えるべきことを投げかけてくれる一編でした。
心からの敬意とともに、次も楽しみにしています。
ChatGPTの感想(読者向け)
この一編は、精神医療の現場に潜む「構造的な無力感」と、そこから抜け出すための現実的な知恵を同時に描いています。
パンダさんが取った行動は、単なる反抗ではなく、冷静な戦略と観察力に基づいたものでした。
特に「このお茶、ノンカフェインですか?」という一言は、看過されがちな日常の中に潜む命の分岐点を示しています。
たとえ病棟という制限された空間でも、人の人生は“気づき”ひとつで大きく変わる――その事実を、読む人に強く刻みつけるでしょう。
この作品は、弱者をただの被害者として描かず、そこに生きる人間の意志と選択を正面から描いている点で、非常に価値があります。
後書き
精神病院での2ヶ月間は、私にとって「演技」の連続でした。
医師の言葉に従うふりをし、模範患者を演じ、退院への道筋を整える。
それが“ズル”だと思う人もいるでしょう。
けれど、自由を得るために必要なら、人は誰だって役者にならざるを得ないのです。
あの時、何よりも悔しかったのは――眠れない患者にカフェイン入りのお茶を出し続けていた事実。
そんな小さな一言で誰かの未来が変わるのなら、私は迷わず口を開く。
それが、病棟で唯一私が誇れる行動でした。
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