令和7年7月28日 此処が変だよパンダさん 第6話
前書き
今回のテーマは、漫画『バクマン。』の最終回に描かれた「フェラーリでヒロインを迎えに行く」シーン。
フィクションとしてはドラマチックな場面ですが、パンダの目には「現実を知らない演出」に映りました。
スピードとステータスを象徴する車=フェラーリを、お姫様迎えのアイテムとして使うことへの違和感。
そこに、作り手と読者の「車に対する価値観の差」が如実に表れているのです。
令和7年7月28日
此処が変だよパンダさん 第6話
他人事として読むなら、大変面白かった漫画、『バクマン。』。
この漫画の主人公とヒロインは、まるで津田の妄想のような恋をする。
メールだけの“清い関係”でお付き合いし、互いが大成したら結婚しよう――そんな約束を交わすのだ。
【※バクマン。のあらすじ】
高校生の真城最高と高木秋人の2人は、プロの漫画家を目指してコンビを組む。サイコーは声優志望の少女・亜豆美保に好意を持っており、「自分たちの漫画がアニメ化され、亜豆がそのヒロイン役を演じたら結婚しよう」と約束する。其れ迄はメールで互いを応援し合うだけの清い交際をすると亜豆は提案する。作品は2人の成長、努力、友情、そして業界内でのリアルな葛藤を描く“漫画家青春ストーリー”。
ありがとう。いつも感謝してるよ、チャットさん。
パンダはこの『バクマン。』に出てくる主人公とヒロインの関係に、ちょっとした不満を感じて、ネットで軽く抗議した。すると、作中に登場する“ヒロインの友人で、もう1人の男主人公と結婚する女性”がこんなふうに発言していた。
「私からしたら、あんたたちの恋愛が変よ。普通、好き同士なら、メールだけで満足なんてしないし、ちゃんと向き合って恋愛するわ」
――だったかな?
実際、これは“パンダと津田の関係”を応援する漫画ではない。フィクションとして割り切れば面白い漫画だったけど、コンビニで立ち読みした最終回で、ちょっとガッカリした。
なんと、互いに夢を叶えた後、主人公がヒロインをフェラーリで迎えに行くのだ。
フェラーリ――それは、パンダの中では“大金持ちの乗る車”。
漫画を描いて一作がアニメ化された程度で乗るような車じゃない。
ましてや、主人公は運転技術に長けている描写など一切なかった。
もし仮にそれほどの資産があるのなら、運転手付きのリムジンやロールスロイスで迎えに行くのが正解だろう。
「何が違うの?」って思う人もいるかもしれないけれど、パンダにとって、フェラーリとはこういう車である:
•スピード狂か、運転に絶対の自信がある人が、サーキットで乗るべき。
•あるいは、運転技能に長けた警察官がカーチェイスの際に使うようなもの。
•決して「お姫様を迎えに行く」ための車ではない。
作中のように、「フェラーリで迎えに行く王子様」という描写は、理にかなっていないのだ。
フェラーリ=富と名誉の象徴、という作者の発想が、正直、貧乏人特有の幻想に見えてしまった。
スピードは確かに出るらしいけど、下手くそな運転手が「俺、フェラーリに乗ってるぜ!イケてるだろ!」と調子に乗って運転すれば、事故って自滅するのが関の山。
パンダの結論としては、
「フェラーリで彼女を迎えに行く」という考え自体が、リアルを知らない田舎者の発想である。
もちろん、フェラーリがカッコいいと感じる人もいることは分かっている。
だがパンダとしては、フェラーリはサーキットを走るべきで、公道でブイブイ言わせていい車ではない。
そして何より、そんな危険を伴う車で、命を預かる“ヒロイン”を迎えに行くという発想に、主人公の無知を感じてしまった。
……まあ、パンダが理屈っぽいだけかもしれないけれど。
けれど、もしパンダがこの物語のストーリーを付け加えるとしたら?
ラストは――主人公とヒロインの「ハリウッド大好きなお葬式」で終わるだろう。
調子に乗った主人公が、爆音を響かせながらスピードを出しすぎて、フェラーリが大破。それは主人公の一瞬の判断ミスが原因だった。
車はあっけなく炎上し、憧れだった“成功後の再会”は、棺の中の再会に変わってしまう。
どこかで見たことのある、悲劇的で、リアルな“有る有る”な場面。
金持ちになった気になって、浮かれて、判断を誤り――
命まで落としてしまう。
夢は美しいけれど、現実は“安全運転”できる人にしか許されないのだ。パンダは言いたい。フェラーリは辞めとけ!
公道で走るのは、プロのレーサーだって一瞬の判断ミスをしたら危険な車なのだから。しかもスピードを出す事に重点が置かれてるので、助手席の乗り心地も悪かったりする。お姫様が乗る車では無いのだよ君。
感想
この話、面白いのは「フェラーリ批判」に留まらず、作者が込めた“成功の象徴”を読み解いている点。
作者はフェラーリ=富・名誉・勝者の記号として選んだのだろうけど、パンダはそこに地方的価値観・庶民的憧れの匂いを嗅ぎ取り、リアルとの齟齬を感じています。
また、もし現実なら…という“追加エピソード”がブラックユーモアとして効いており、成功の裏に潜むリスクと事故死という皮肉な結末が、逆説的にリアリティを増しています。
要は「夢は美しいが、安全運転できる人間にしか乗りこなせない」という教訓を、フェラーリという象徴に託したエッセイ。
漫画好き・車好きの両方に刺さる一本だと思います。
後書き
フェラーリを否定しているわけではありません。
ただ、フェラーリはあくまで“性能とスピードを楽しむためのマシン”であり、“安全と安らぎを提供する馬車”ではない。
物語上の記号としては映えるかもしれませんが、現実的にはお姫様を乗せるのに向かない車です。
むしろ、迎えに行くならゆったりした高級サルーンやショーファードリブン(運転手付き)こそが現実的であり、相手への敬意でもあります。
物語における「象徴の選択」は、リアルを知るほど説得力を失い、時に滑稽さすら帯びてしまう――そんな事例でした。




