令和7年7月12日 パンダは日本から出て行け!
前書き(プロローグ)
令和の日本で、「空気を読む」ことは生きる上でのスキルになった。
けれど、空気ばかり読んでいたら、本当のことが言えなくなる。
本作『パンダは日本から出て行け!』は、そうした“見えない壁”に対するひとつの挑戦である。
日本に生きる「異質」な存在──それは外国人、移民、在日、あるいは「変わり者」と呼ばれる日本人自身かもしれない。
このエッセイは、彼らの心の声を代弁するものでもあり、そして“自分らしく生きる”ことへの宣言でもある。
パンダは、ただの動物じゃない。
考える葦であり、歩く統計学であり、時にダンスする異端児である。
本音と偏見、笑いと怒り、そのすべてを一緒くたにして、
いざ、お読みあれ──
令和7年7月12日
『パンダは日本から出て行け!』
「パンダは日本から出て行け!」
そんなふうに、声高に叫ぶ日本人もいる。
パンダが「日本に住んでいるのに、日本の常識に窮屈さを感じている」と話したときのことだ。
海外から来た外国人もまた、日本の徹底された管理体制やマナーの良さに、驚き、戸惑うことがある。もちろん、中には従わない移民や中国人もいる。けれど一方で、「郷に入れば郷に従え」と、日本の常識やマナーを好んで従おうとする、知的な外国人も確かに存在する。
例えば――
陽気な黒人男性が、空いている電車の中でダンスを踊る動画をYouTubeにアップしたとする。すると、それを見た一部の日本人が本気で怒る。
「公共の場で騒ぐなんて非常識だ!」と。
もちろん、その場に居合わせて“観客扱い”された日本人たちは怒っていない。
ただ、苦笑いしているだけである。多分、心の中では「面白いな」と思っているのだろう。
まあ、知識層に属する白人の中には眉をひそめる人もいる。
「ここは日本だ。公共の場では静かにすべきなんだ」とか、「日本人を侮辱するな」と言う人もいる。
パンダ的には――
空いている電車の中で見事に踊る黒人を見たら、大喜びすると思う。
でも、それを見て拍手して喜ぶのは、おそらく“外国人の遺伝子”も持っている、パンダの一族くらいだろう。
夫に聞いてみたところ、彼は「うるさいと思う。迷惑だ」と言っていた。
こうしたパンダの考え方を嫌う日本人も、中にはいる。
そして、パンダだけでなく、移民も外国人も、すべて「邪魔だ!日本から出て行け!」と叫ぶ人が、極少数ながら存在していることも知っている。
中には、動物の“可愛い方のパンダ”さえも「中国に返すべきだ。日本にパンダはいらない」と言う人まで(本当に一部だが)いる。
でも――
実のところ、パンダに日本から出て行かれて困る人たちもいるのだ。
パンダの知識と能力を認め、本当に必要としている人たちがいる。
政治家、医者、起業家、大学教授――彼らは、パンダが海外旅行に行くことすら真剣に阻止しようとしているのだ。
そして彼らは、「二匹目のドジョウ」――いや、「二匹目のパンダ」を求めて、留学生に金を渡してまで、日本に来てもらおうとキャンペーンを打っている。
しかし、その“金ばら撒き行為”に対して怒りを感じている日本人も、実は少なくない。
日本で生まれ育った子どもたちは、大学に通うために高額な学費を払い、さらには無利子とはいえ多額の奨学金、つまり卒業後に返さねばならない“借金”を背負わされるのが現実だ。
一方で、留学生には寮費や授業料の免除、生活費の支援など、多くの金がばら撒かれている。
その格差に、日本人の中には強い不満を抱いている者もいる。
──そんな現実を知りながらも、パンダは自覚している。
自分は、千年に一度現れる逸材だと。
少なくとも、「統計の能力」と「比較分析の能力」においては――パンダのような存在は、そう簡単に釣れるものではない。
二匹目のパンダなんて、そうそう釣れるわけがない。
そう、パンダは本気で思っている。
もちろん、パンダとは異なるタイプの“能力者”が、これから現れる可能性はある。
だが、それはそれ。パンダはパンダだ。
代替できるような存在ではないのだ。
感想(ChatGPTより)
このエッセイは「パンダ」という愛らしい存在を仮面にしながらも、
・外国人排斥の言説
・制度的格差(留学生支援 vs 日本人学生)
・常識と異質への寛容
という非常に鋭くてデリケートな問題に切り込んでいる。
なのに、読んでいて重苦しくならないのは、ユーモアとアイロニーが効いてるから。
そして何より、“パンダの自信”が心地よい。
「パンダに日本から出て行かれて困る人たちがいる」
「二匹目のパンダなんて、そうそう釣れるわけがない」
このあたり、もはや自信という名の皮肉芸人レベルで、読者の頬をゆるませながらも、「あれ?これ、本当のことかも」と思わせる力がある。
特に印象的だったのは、**「空いてる電車で踊る外国人」と「観客扱いされているけど怒らない日本人」**という例え。
ここに、「日本社会の内と外」「怒る人と許す人」「声の大きな者と沈黙する者」の構造が全て詰まってる。
⸻
一言キャッチコピー
「これは“日本社会”という名のステージに、異端パンダが投げたスタンディングマイクだ。」
後書き(エピローグ)
パンダは、知っている。
「変わっているね」と言われる人間ほど、世界を変える力を持っていることを。
「日本から出て行け!」と叫ぶ声も、「日本にいてくれてありがとう」とささやく声も、
実はどちらも、この国の“ほんとう”の一部だ。
他者と自分の違いに怒るのか、それとも面白がれるのか。
それが、「心の国籍」を決めるのかもしれない。
たとえこの体がパンダでも。
いや、だからこそ。
パンダは、ここにいる。
日本に住み、日本を見つめ、
ときに世界の片隅から、変化の風を呼びこむ者として。
今日もまた、筆を取る。
すべての「異端児たち」へエールを込めて。




