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つまり、とマイケルは前に座るルーク・ジョン・クラークは青筋を隠そうともせずに、手元にある煙草をとんとんと灰皿にたたきつけた。「結局捕り物は失敗し、傷ついた"奴"の商品を《保護》したわけか。クソかよ」口が悪いが、恰好だけ見れば真っ当な――むしろ映画スター並みの美貌の男だった。身長も高く、軍隊上がりであるから胸板も厚い。黒い組織特有の無地のスーツですら、彼が着れば晴れ着の様に華やかだった。胸元に差し込まれたハンカチーフの白が際立つし、ワイシャツすら糊が効いて襟もとがパリッとしている。金のない幹部連中よりもよっぽど身だしなみを整え、さらにはルックスまで良い。
「ルーク、マイケルは貴方の様のなんでもできるわけではないのよ? まだ子供なんだから」ルークの隣に座る美女が諫めた。シンディ・キャナル・ハムが、手元に持っているカクテルをスーッと喉に流し込んだ。ネオンが似合いそうな派手な白いドレスには一切の汚れがなく、さらに皺もない。肌着の様なセクシーな装いではあったが、左手側に薄手のベージュ色のコートが置かれている事から、この店に入ってくるまではあまり目立たなかったのだろう、という事は予想がついた。マイケルのことをみると、ちろりと唇の端に小さく舌を這わせた。いたずら子っぽく小さくマイケルにウィンクを送ったが、当の本人は目を三角にして乾いた目を二人に向けていた。「僕は、君たちみたいな何か信念めいたものはもってないって。ただのガキに本気になるとか大人気ないってもんだよねぇ!」語尾を強くして口をへの字にまげてマイケルは不快感をあらわにした。「そもそも、今回の失態ってなに? あぁん? どっかの使えないボディーガードまがいの請負人がヘマして、バッジオに迷惑をかけたんだろう? その尻ぬぐいを、しかもそれが発覚してから一週間たって、頭から大目玉食らって動いたんじゃないか。どっちがクズかよくかわるよなぁ?!」
マイケルは相手が一流のマフィアだとは理解している。しかし、この場において、最大の戦力が自分であるという事は理解していた。大声を上げてもある程度は防いでくれる個室である事が、さらにマイケルの不満を吐露するのには助けになっていた。発砲音でも響いても、外の大勢の客には聞こえないものだろうという事は、経験則から分かっていた。45口径のM1917であっても、相手の脳漿をまき散らす作業をしたところで、カフェの客たちは顔色一つ変えなかった事を覚えていた。であるから、木製のテーブルをひっくり返し一歩踏み出し、ルークの喉笛に刃物を突き立てる程度、造作でもない事だったし、直ぐに問題になるとは思えなかった。
問題になるのは、有能な連絡役を失った組織がマイケルに対して制裁を行う事だけだった。危惧するのは、孤児院の子供たちや、メアリーに被害が及ぶという点だけだろう。思考の中からトラビスが消えていたのは、「あいつなら死なないだろう」という信頼が存在はしていたからだった。「まぁまぁ」とシンディはマイケルを宥めた。「実際に何があったのかは組も理解してるわ。当然相手があの忌々しい化物だっていうこともねぇ。……だからって、利益と面子を天秤にかければ、大きく信用が損なわれて利益が失われる、っていうのはいくら坊やでも分かるわよねぇ?」「ちっ」と忌々しげにしたうちをして、マイケルは浮かそうとしていた腰を下ろした。どかり、と座るとすぐに足を汲んで、腕を組んだ。「最も大きな問題は、あの化物を逃がしちゃったことじゃないかしら? どうして、そんなことになっちゃったわけ?」シンディは信じられない様に目を丸くして尋ねた。マイケルは重い溜息をついた。「倒せる、倒せない、っていうのはこの際横においても、キーガンはただの《羽付き》とは訳が違うよ。核をつぶせば基本的には再生しなくなって死滅する、っていうのがいつものやつらだけどね。キーガンについては、計三回、核を壊したんだよ」ルークはきょとんとして、目を真ん丸にした。口にくわえていた火をつける前の煙草がぽとりと落ちる。「おいおいおい。一体に、二個も三個も核があるっていうのも不思議なんだが、それ以上?」「あぁ」マイケルはそっぽを向いて頷いた。
ルークはテーブルの上におちた煙草を拾いなおすと、口にくわえてマッチを擦って火をつけた。刺激臭がマイケルに向かって吐き出されて、不快そうに彼は手で白い煙を払った。「それは可能なのか?」ルークは目を細めてマイケルに尋ねた。その真意には、おそらく抗争における兵の増強も見越しての事だとマイケルは見透かしていた。「考えている事は無駄だよ。あのさー、そんなこと簡単にできたら、おかしなミュータントが街にあふれてるって。体の中に二個も、三個も心臓を付けてごらんよ。体が爆発するか、酷い機能不全に陥るから」「そうなの?」とシンディが首を傾げた。彼女はほとんど化物に会わない人種だから、当然だな、とマイケルは肯定的にとらえると、「そりゃそうさ。教会で言うところの神託を受けるっていうのと同義だけどね。自我が確立されてから『寄生』されるんだから、全部が後付けなんだよ。元々1個でいい物を二個も三個も体に取り入れれば、過剰な状態は肉体をただ滅ぼすだけってね」ほら、とマイケルはルークを指さした。「煙草を吸うのが、口一個だろ? それが口が塞がっているのに鼻でも耳でも吸ってみなよ。最初は気持ちいかもしれないけど、そこまでいくとただの過剰になって、苦痛にかわるだろうね」
シンディがルークをみてぷぷっと頬を膨らまして笑った。「たしかに、そういうのはくるしいわよねぇ。そうすると、二個も三個もあるっていうのは異常っていう事はわかるわ。でも、なんでキーガンはそれで平気なの?」「知らないよ、」マイケルは肩をすくめて無知を提示。知ったかぶりをする物でもないから、「知ってたら教えてほしいね。殺し方の参考になる」とにやりと笑って見せた。
実際、とルークが灰皿に短くなった煙草を押し付けてマイケルに尋ねた。「少年がわざわざ殺しに行ったっていうのに、あいつの状況はどうだったんだ? 苦痛で喚き散らすとか、そういったのはなかったわけか?」「君が思っている様な、かすかな希望でもあればね、死ぬまで切り刻むだけだったんだけどさ」悔しそうにマイケルは舌打ちをした。マイケルはテーブルに置かれた冷え切ったコーヒーを一口飲むと、苦さのあまりに顔をしかめてミルクとドバドバと入れた。「喉から胸、腰骨にいたるまできっちり見える様に腹を裂いたんだ。普通はその時点でショック死で絶命するし、意識ある《羽付き》はじたばたと苦しみ藻掻くところさ。両手足を切り落として、巨大化した奴の胃袋から、溶解されはじめていたエヴァンジェリンを回収して、トラビスが下がったところで時間にして二分。カミラの顔と癒着しつつある核を確認してそれを切り取って三分半。そのタイミングでやつは活動を再開したよ」
ルークがうめき声を上げた。「大口径で撃ったところで肉片をばらまく程度で化物を止めれないわけか」マイケルは首肯し、まろやかになったコーヒーを啜りながら、小さい皿に盛られた酒の肴にシンディが頼んだナッツを二個つまみ上げると口の中に放りこんだ。「手懐けもできないし、注意もしようがない。手足を溶接して鉄骨にでも縛り付ければ動かないだろうけど、手足を自分で落とせばまた生えてくるんじゃないの?」「デビルフィッシュか?」「むしろシェルプリングでしょ」マイケルはぽりぽりと噛みしめる音を響かせながら、難しそうな顔をしているルークを見た。金の事になればこいつほどキレるものはいない、と頭目の一人に言われる程だったから、きっとどの様にリスク管理をするか、どういう兵器を調達するか、その資金元はどうするか、などと思案している事は予想ついた。
「ま、僕はどうでもいいけど、責任を押し付けて面子を保ちたいっていうなら、下っ端の僕のせいにしておけば? 捜索が遅くなって申し訳ありません。っていって腕の一本でも納品しようか?」マイケルの挑発的な物言いに、シンディは頬を膨らませた。「こら、そういう事は冗談でもダメよ。私たち"外れた"大人の中には本気にする人もいるのよ?」マイケルは失笑を漏らした。押し殺した笑い声はシンディを馬鹿にしている、事を十分に表すものだったが、彼女は気を悪くした様子も無かった。「そうやって、一人前を気取る子は嫌いじゃないわ。プライドが強く、自信に満ちてる。……その目はいいわぁ。でも、気を付けなさい。貴方が今は味方である事を良く理解しているけれど、こちらの世界は一瞬でも気を抜けば、」シンディは指で銃の印をつくると、こめかみに当てて親指をおとした。「死ぬわ」