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 マイケルの姿が描かれた肖像画には、ライターオイルがかけられ真っ黒に焦げていた。

 肖像画が置かれているのは庭の小屋の前だ。今では人の手がほとんど入らず、風化していると言われても遜色ない。実際に庭師が居なくなってからたかだか3年程度であるから、ここまで庭園も、小屋もボロボロになるというのは可笑しな話だ。

 しかし、かつては財を溜め込んだフォスター家である。多くの悪漢は訃報を知るや否やすぐさまに家の中を荒しまくった。

 門の装飾、玄関のドアノブ、燭台に使われていた貴金属。部屋の全ては荒され、ベッドの縁に入れられた真鍮の装飾すら『金』と見間違われて持っていかれた。銀食器は荒されて、陶器の食器のほとんどを散逸した。

 窓枠に使われていた蝶のネジ式の鍵が取り外され、ビスと支柱だけ残っている様は悲哀を誘う。だというのに、ガラスの窓はハンマーでたたき割られて、憂さ晴らしをさせられた様にすら見える。

 名画を集める趣味は無かったから、多くの額縁に収めていた絵は、家族の写真代わりの記念用の物が大半。マイケルから見て伯父や伯母の物から祖父母、父、母、そしてサニーの姿を描いた物まであった。

 どれも丁寧な装丁がされていたが、絵には誰も興味を示さず、額縁だけ盗まれていた。

「結局、何方にとってもただの金目当ての犯行、というものなのでしょうね。叔母様。マイケルの姿をとうとう始末なさって、満足なさいましたか?」

 メアリーの言葉にローラは嫌な顔をした。すぐさま文句を言いたそうに、地面を見つめていた視線を上げた。ついでにスクッと屈んでいた視線から立ち上がった。動きやすそうなハンティング用の装いは、手に持っている剣スコップの姿によく似あっていた。

「叔母様が、その様に土いじりをされている所を見たのは初めてかと思います。――」

「その通りよ。汚いものだとは思っていたものね」

 口をへの字に曲げてローラはキッと小娘を睨んだ。しかし、メアリーは余裕の表情で鋭い視線のローラを往なしていた。年齢差がいかほどあろうとも、この場に居るのはそれぞれ理解している『女』だった。

 メアリーの後ろには誰も居ない。

 対してローラの後ろにも誰もいない。

 だが、メアリーはふとローラの後ろを気にした様に視線を向けた。小屋の方には何もの無い。蔦が伸びきり扉の手すら見えなくなった建物の残骸だけだ。

「あの人なら、もうここには居ないわ。とうに旅にでてまた新しい女を手に入れるのよ。――結局私もただの道化っていう事ね」

 自嘲するローラに、メアリーは失笑を漏らした。小馬鹿にされた事でローラが再びムッとした表情を浮かべた。

「失礼。ワタシは別にアナタの事なんてどうでもいいので、さっさとあの男を出してもらえますか? 今言った言葉が真実ではない事くらい、周囲を見張っている警察から聞いておりますので」

 自慢げな少女にローラは舌打ち。剣スコップを地面にぐさりと差し込んで、一度大きく伸びをした。そのまま右手にスコップを引き上げると、小屋の方へと進む。

 蔦がはびこっているが、扉の周りだけ綺麗にされていることがよく見れば解る。わざわざ、迷彩色の様に蔦を”貼り付けて”いるらしく、黒ずんだ釘で四方を扉に打ち込んだ跡があった。その上、扉の開閉部分にはしっかりと溝の様に草木が入り込んで折り込みされた様な隙間ができていた。

「見てもいけれど、弁明も何もないわ」

「そうでしょうね。ワタシが気づいた事のとおりであれば、既に彼は『居ない』のですから」

「……」分かった様に語るメアリーにローラは瞬き一つして驚いてみせた。しかし声にも表情にも出したのはその一瞬だけで、それ以外は先ほどの通り憎たらしい相手を見る様に蔑んだ視線を向けていた。

 ドアノブに手を掛けると、ギィっと油の刺さっていない音がした。ゆっくりと開く先にあるのはメアリーの記憶にある通り、『彼女が襲われた時と同じ作業小屋の姿』だった。

 棚も昔通りだったり、古びたガスランプもそのままだ。

「酷い臭いですね……」メアリーの呻きに頷く様にローラはゆっくり頭を上下する。「それは同意。これがあの人の最終的な姿なのよ」

 遺体、そう思う物も多くいる。きっとここまでの会話を林の中から聞いているルークや、彼らの手下にしてもればそうだ、と思う。

「つまり、”扉”を開けるのを失敗したのよ。其処に残るのはなに?」

 ローラの問いかけにメアリーは目を細めてガスランプの明かりで揺れる影で覆われた部屋の中を覗き込んだ。

 メアリーは想像していたのだろう、一切表情を変えず横たわる物体を見た。

 身長180センチ程度の遺体。すでに腐敗は始まり、白い蠢く物体が何度も何度も肉を食べている。遺体の大半は食いつくされて黒ずんだ骨がかなり見えている。一見するだけでかなりの時間が経っている事が分かった。

 地面い広がっていたであろう血や体液の残骸が、すでに乾ききっているから、気持ち悪さは半減している、とメアリーは思えた。

「肉の体と分離した魂。結局、残されたのはハエの集る肉片のみということですか」

「それでは減点。貴方も”見た”のでしょう? だから分からなければならい、という訳では無いけれど、理解できるはずとおもっていたけれど」

「――見た事をそのままに全て理解できる人間なんていうものはいないわ」強い否定の言葉をローラにぶつけ、彼女は胸の中に手を抱いた。

 右手と左手の中には一つの物がある。かつてマイケルが黒い鍵を抱いた様に、メアリーの手の中にも鍵がある。

 ただし、ネッドがマイケルに渡したはずの赤い鍵だ。

「もう、他人の目を盗まないのか? “キーガン・アントニー・ブルー”」

 林の中から一人出てきた。ルークの傍に控えていた男であり、頭まですっぽりとかぶる黄色のレインコートは珍しい。特に雨の降っていない中で異様な姿は目を引くものだ。

 子供、とも大人、とも判別のつかない身長。男であるという事は、声質から分かるが、手には黒い手袋、靴は軍隊で使われる様な編み上げブーツとなれば姿全体を想像する事は難しい。

「貴方、だれ?」

 怪訝な問いに、フードの男は喉を鳴らした。しかし、答えはなく、メアリーの横までやってくる。小屋の中を覗いて一言呻いた。

「あぁ、酷い臭いだ。死後2か月は経過。たしかに、――リチャードが人前に出なくなってその程度か。燃やした絵と共に埋葬でもするつもりだった?」

「リチャード、と呼ぶのが正しいのかは結局のところ、犯人に聞くしかないと思いますよ。アナタが会った時には”彼”がキーガンだったのですから」

 そうだな、とフードの男は頷く。

 いらっとした表情で二人の会話を聞くローラは、「何が言いたいわけ?」と突っかかった。

「おやおやおや、”その程度の処分で”全部が終わったとか思っている様であれば、随分と僕たちの事を馬鹿にしている、という物だよ」

「あなた、ルークね? 普段使っている姿と随分背格好が違うから分からなかったけど、そんな自信家の貴方が、”人前”に顔を見せるなんてね」

「顔を見せる――というのはまだしていないけど? まったく、答えを急ぐ低能には辟易するというものだよ。何度忠告をしたというのか。『関わらなければ、殺しはしない』とさ」

「はっ」ローラは笑った。心の底から可笑しそうに、口元に手をあてて。

「馬鹿にしちゃいけないわ。サルヴァトーレ・マランツァーノの庇護がなければただのギャングの端くれじゃない。そんな小物が”私と彼女”の会話に入ろうというのが間違い」

 男は頭を下げて、顔を隠しながら何度も喉を鳴らした。可笑しいらしく肩が揺れているのが見て取れる。

「何が可笑しいわけ?」スコップを地面に刺し直して、ローラは尋ねた。

「可笑しい、というのは君だ。ローラ・セント・フォスターいや、キーガン・アントニー・ブルー。それとも、こういった方がいい? ジョンソン・マーチン?」

「男の名前を列挙して何? キーガンという男もジョンソンという男ももう死んでいるのでしょう?」

「とぼけるのは得策ではないよ。ジョージ・フォン・フォスター。男の姿に固執する君ではないだろ? その入れ物は随分と気に入っているようじゃないか。せめてエヴァンジェリンにも同様の慈悲をあたえてあげればよかったものを」

「……」初めて沈黙を返したローラにフードの男は言う。

「確かに、僕の姿が『この様な小男』では釣り合わないからさ、ルークという存在は彼に演じさせていた、と君は言うのだろう。

 確かに、男の名前を列挙しても全て死んでいるのだから、自分ではない、とそういったところで理解はされるだろう。

 確かに、姿を変えれる化け物、《キーガン》という存在を隠れ蓑にすれば、ローラ・セント・フォスターは不幸な女で終わっただろう。

 明日になれば大西洋を渡る船が出る。その時間までに君はある程度の処分を済ましてトンずらをしよう、そう考えたとしても仕方ない」

 フードの男は一歩メアリーの前に出た。

「関わらなければ、僕も関わる気は無かった。すべての罪を頭目に押し付ける事も、なければ、の話しだけどね」

 ローラは笑わない。表情はフードの男を観察している。何をするのか、何を言いたいのか、一挙手一投足を見ている。

「叔母様。アナタの事は良く分かっています。当時の記憶もワタシは良く残っていますもの。ですから、――今のアナタの事は『当時と違う』では済まない乖離があるのです」

 メアリーは「いいですか、」と続ける。「叔母様の事で一番印象的なのは、他人の事を嫌っているという姿です。自分の事を第一に考え、他人の事は二の次。息子よりも自分の方が優先であり、それ以上に男からの愛情に飢えていたのです。――言いにくいですが、ワタシが襲われたスコッティ・カール・ダンピアーにワタシを襲う様に唆したのも分かっております。

 たしか、」メアリーがショルダーバッグから手紙を取り出す。大きさにして彼女の掌サイズである小さい物。真っ白な小さい封筒に封蝋には『印』が無かった。

「ええ、ここに書かれているとおり、ワタシを襲う事で、スコッティの欲望が満たせる、という事を綺麗におだてておいでですわ。犯行方法も、綺麗に当時ワタシに行われた通りの内容で。

 マイケルの時も同じですわ。彼の頭頂部に振り下ろされたハンマーはリチャードが振り下ろしているんですもの。サニーを殺したのはヴァネッサでしょうが、一人を解体するのは力仕事の似合う男に任せるのがアナタのやり方。

 些細な証拠などどうでもいいのですが、その様な『他人を使う』程のアナタが、自分から穴を掘り、汚れながらにしてリチャードの埋葬をする、何て言うのは『アナタらしくない』というものではありません?」

「だから? で? 私が変わったら可笑しい? 何度も、目の前で人が死に、もうたくさん!」

 取り乱した様にローラは髪を掻きむしった。

「その姿すら演技だというのが何とも素晴らしい。まだ本当の自分を知られたくはないのか?」

 フードの男は嘲笑する。

「なぁ、それでも”他人の目を盗み続ける”のか?」

「叔母様。いえ、アナタが誰でもいいのですが――そろそろ仮面を脱いでいただけませんこと?」

 メアリーも笑う。

 二人に笑われて、それでもローラは表情を崩さなかった。

 風が流れる。カサカサと乱雑に伸びきった木々の枝を揺らし、夏らしい風を運んでいた。

 近くは海である。遠方と言われるほどでもないから、多少の潮の香がする。

「貴方だれ?」

 フードの男に、ローラは尋ねる。

 男は肩を竦めた。「まさか」とでも言いたそうに両手を皿にして、「分かっていなかったのか?」と笑いを含んだ声で答えた。

 フードを上げる。手袋のされた細い右手はゆっくりとフードの下から、赤い髪の毛を露わにさせた。

 顔の姿は少し大人びている。先日まで子供の姿をしていた少年とは少し年齢が違う。

 ティーンである事は違い無いが、一見すればハイスクールの生徒に見えるほど大人びている。

 鋭い視線、筋肉質な体は、ローラの知っているマイケルとさぞ違う事だろう。

「――っ」絶句している。ローラの表情を見て男は笑った。

「マイケル、という名前はいつからか死んでいる。マイケル、と思われた少年は、残念ながら死んでしまった。僕、という存在を隠すために、何度も、何度も教育し、常に僕と同じ様に行動をしていた、『僕』の半身ではあったけれどね」

「……」

「答え合わせがしたいんだろう? でもさ、僕は決着をつけたいんだ。僕の『女』に手を出して、僕の『友達』を殺した。その罪はあるんだ」

「……どうして、死んだはずで……」まさか、とマイケルは歯を見せて笑った。

「それが、どの時点の事を言っているのか、――とぼけているつもりなら、性質が悪い。拉致し、殺そうとリチャードを嗾けた事を言っているのならノーだし、この間の倉庫街での出来事を言っているのならノー。結局ノーでしかないね。

 僕が、マイケル、という人間を表に出すときに、サニーの魂を使わせてもらった。彼女は僕の代わりに僕を演じてくれたよ。全て、僕が表に出なくていい様に」

 マイケルは頭部を示した。少し髪の毛をめくって見せると、頭にハンマーで陥没した様な痕があった。

「普通はこれが致命傷で死んでいると思うね。でも、リチャードのやり方は違った。脳挫傷にならず、僕に脳震盪を起させた。頭蓋骨は陥没したから出血はあったようだけど、脳に損傷は無かったようだ。悪いが、彼もその時はまだ優しかったんだ。多少、あちらの側には足をつっこんだようだけどね……。

 君が手を下させるために仕込んでいた”糸”に抗っていたらしいね。ヴァネッサ程彼は吹っ飛んじゃいなかったという事さ。そのあとは……もう完全にあちら側にトリップしていた様だけどさ」

 理解できないようで、目を細めるローラに対して、マイケルの傍に一歩メアリーが歩み出た。

「結局のところ叔父様にはマイケルを殺す事なんてできなかったのです。死んだ、と判断したのは誰か、と思い出そうとしても、記憶の”ない”アナタには酷な事でしょう。――あの時傍にいたクリスです、と事実を伝え、それを思い出せるので?」

 頷きながら、マイケルは左手を広げた。手の中にあるのは黒い鍵。「当時、」マイケルは言いながら手を顔面近くまで上げ、鍵をローラに対して見せた。

「この鍵を渡したのがサニーだと思っていた。当然僕も『あちら』を見た中で、そうだと思っていたよ。どこかの異星人が作り出した宇宙とも心の奥ともつかないどこかで、音とも音楽とも振動とも区別つかない様な物で僕の脳に直接語り掛けてきたから」

 次に、メアリーが右手を上げて手の中から鍵を見せた。赤い鍵にはタグが付いている。針金が編まれ、タコの足の様に絡みついているタグには、”evidence”の文字がある。

「これが、ネッドを介してマイケル、というよりはサニーにもたらされた物です。中身については検査済。実証はしませんが、この黒鍵と同等のこの世界にとっての”異物”である事は確かの様です」

 メアリーの言葉にマイケルは続ける。「鍵というものは扉を開くために存在する。君はその鍵を渡し、扉の向こう側に人を誘う誘導役だ。だから、当時父の姿でそれを託し、『覇権争い』をするための駒を集めようとしているという事だろう」

 ローラは応えない。しかし疑問があった様だ。口にしようとして、止めた。

 マイケルが人差し指で口元に手を当て、待つように指示をした。

「軍と共謀関係にあったのは分かっている。政府の方には全くの報告もなくね。こっちの筋では、悪いが君よりも手数が多い。マフィアっていうのはその手の奴と『仲良く』しなきゃならないからな。

 いつの時代か、というのは正直分かっていない。先住民との確執が未だに深いアラスカの地に、わざわざ陸軍の研究所なんてこしらえるのが間違っている。軍だったらせめて海軍にするべきだ。

 あの最近五月蝿い日本という国に睨むを効かせるためには必要だろう、と思われてしかるべきだが、陸軍というのは妖しさ満点。

 結局金の動きについても、君の嫌いなジョン・エドガー・フーヴァー先生がしっかりと洗ってくれたよ。内部の可笑しな動きはこの時期相当邪魔だから。

 お陰で、分かった事が二つ」

 メアリーが鍵を仕舞い、一つの磁気テープを取り出す。

「叔母様、というよりはジョンソン・マーチンという人が、アラスカの研究所に出入りした時の記録。”2分21秒”の段階で『あぁ、あいつらについては神への供物の他ならない。その命の結晶こそが、輝くトラペゾヘドロンを作り出す原石となる』

 次に、結晶化された核について次の様に発言があります。『トラペゾヘドロンにより、あちら側に扉を開いたのだ。ナイアルラトホテップの再臨には必要な事だ』」

 マイケルは肩を竦める。

「すなわち、そうなんだろう? あの神の、原石を人の体に埋め込み、神の偽物を召喚し、人、と人とは違う物を作り出し悦に入る。

 結局君は、ナイアルラトホテップは呼べたのか?」

「いいえ、」とメアリーは手で制す。「語る必要などありはしないでしょう。エヴァンジェリンさんの体に食い込まれていたかなりの量の核を押収。人体を蝕む様に作られたトラペゾヘドロンの核は、生命維持装置と同等と考えられました。

 しかし、エヴァンジェリンさんは母体となり、子羊たちを生み出す存在。そう簡単に死ぬ体ではない様ですね。一つや二つの核の排除を行っただけでは、完全に力も何もかも失えなかった……」

「結局、盟友により『彼岸』へと連れて行ってもらった。地球に置いておくには危険だから」

 ふと、ローラは口をはさんだ。

「あの犬は、猟犬?」

「ティンダロスの猟犬、と言われる物か、とサニーを指しているのであれば、違う、と言おう。あれはただの僕の眷属だ。まさか――ナイアルラトホテップを信仰する君が、角におびえるとは思えないが?」

 相手の表情を窺うマイケル。彼の表情は『子供』の姿に慣れていた相手には意外に思えて仕方のない事だろう。

 マイケルの瞳に映るものは虚構だ。眼前の世界すら、既に死後の世界と同等で、生の実感など微塵もない。戦場帰りのルークであればすぐに理解する事だろうが、マイケルの傍にいるメアリーには未だ理解は出来ないと思われる。

 しかし前に居る女はどうか、と言われればきっと理解は出来たのだろう。マイケルの冷めた視線の意味と、薄い笑みの理由を。ローラという自らの腹を痛めて産んだ子であるから。

 だが、今眼前にいるのはローラではない。

「現在観測されている核――もとい、トラペゾヘドロンの数はもう天文学的数だ。麻薬と同等で教会の内部に大分蔓延っている。

 だけれども、案外と使い勝手が良くないらしいな。確かに触媒として神の降臨に使えるのだろう? 眷属として君が他者に乗り移るのと同じ様に、起因する供物として。

 結局精神体である君は、集合する意識をヤドリギにして時々止まる程度にしかできなって事だろう。ナイアルラトホテップの様に、混沌には慣れない」

「今、」メアリーは自らの手を示す。「核を処分する方法は外科的手法しかありません。キーガンの細胞を確認し、特異的な性質を持っているトラペゾヘドロンについて出来るだけ情報開示をいただきたいとは思います」

 メアリーは鍵を仕舞い、代わりに虹色に輝く石を取り出した。核と言われるだけあり、そこに生命力を感じる様な石だ。無機質の固形物であるにもかかわらず、微かな脈動すら感じさせる物体にメアリーは嫌そうな視線を向けた。

「この核は、周囲を喰い成長をする性質があるようです。ですので、切除しただけで本当に全部取り除けたのか不明な点があります。トカゲの尻尾切りと同じで、体内に残されてしまっては叶いません。

 結局現状では、薬剤、手術、その他の手法で簡単に侵食を予防する事が出来ません」


 ローラは息を吸った。

 新鮮とは言えない空気だろうが、周囲に対して観念した、という印象を与える様に、肩を上下させた。右手で地面に刺したスコップの柄を撫でていた。

 猫や犬とは違い、無機物に対する愛情などは認知されていないから、ただ思いを馳せている、という風にマイケルは感じた。

 しかし、ローラは目を細めスコップを眺めている。

 マイケルも些細な情報を逃すまいと、彼女に合わせてスコップを観察する。長さにして一メートルと少し程度。持ち手は金属製で、柄は木製。使い込んでいるらしく持ち手の塗装は少し剥げているが、赤色である事は確認できる。スコップの先については鉄製らしく、錆止めの塗りがされている。黒色に染められているが、良く観察すれば、血の様な塊が付いている事に気づいた。

 大きさにして親指の爪程度の大きさ。粒としては小さく、元々黒い色であるから、濃い染みが付いている程度にしか感じられない。

 それ以外は何の変哲もない、スコップに感じられた。

 ローラは視線を遠くにしたまま、口を開いた。

「自分が一体なにであるか、貴方は自分できちんと理解できているかしら?」

 問の答えは分からずとも、その真意はなんとなくマイケルは分かった。”ローラ”という存在は何らかの折に完全に消えてしまっているのだと。

「私が一体何であるか、という事はこの世界が一体何であるか、という事と同義なのよ。前のスイッチが切られ、新しい自分のスイッチが入る。貴方たちの言う、核がスイッチの先にある『心』の在処」

 スコップからローラは手を放した。

 自らの洋服の前に手を掛ける。マイケルはメアリーの前に立ちふさがる様に一歩踏み出て、ローラとの線を切った。それに合わせてメアリーは一歩下がった。

 マイケルが臨戦態勢をとった事を感じ取ったらしく、林の中にいるルークたちが一斉に出てきた。

「私、という中に、一体幾つの”私”がい居るのか、既に理解が出来ないの。貴方も――キーガンという人形を見たでしょう? 何度となくトラペゾヘドロン同士で『蟲毒』の様に強い本体を残そうと、全身を喰いつくす。

 彼の肉体は結局肥大化したトラペゾヘドロンとなり、一つの媒体でしかなくなったのよ。

 私もいずれそうなる。そうした時に意識は手放され、次の私にスイッチが入る。

 全て、」

 ローラが前をはだけさせる。

 煽情的な行為ではあるが、本来隆起した乳房があるべき場所に肉の体はない。すでに、別の物体へと置き換わっている。

 白い肌があった場所に蔓延るのは凝固した血の様な赤黒い皮膚。しかし、それらは蛇のウロコの様の様にぬらぬらとしていた。

 同時に、今でも彼女の呼吸に合わせ微かに脈動をする。外に膨れ上がり、内へと入る。

「虚に戻る。混沌の供物にするために」

「なるほど、君もすでに、”人”ではない事が理解できた」

 マイケルは腰のホルスターから愛銃を取り出した。

 スミスアンドウェッソン M10リボルバー。イギリス軍で正式採用された.38レギュラー弾を利用する38 S&Wの刻印が銃身に刻まれている。取り回しいのいい銃であり、生産数はすでに2万丁を超えていた。

 弾倉には6発が入っている。

 狙いを定め、一呼吸する間もなく、マイケルはトリガーを引いた。

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