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キーガン・アントニオ・ブルーの周りには"食べ残し"の残骸が積み上がっていた。広い床には砂の様なざらついた敷料がきれいにトンボで慣らされたように敷かれていた。その上にある残骸の気味の悪さを増長し、鼻につく腐敗臭が嘔吐感を刺激していた。酸味のある臭いは淀んだ空気の中で醸成されたビネガーよりも強烈で、同時に苦味と苦悩を内包した鼻腔の中にへばりつく様な臭いであった。キーガンは大男の姿のまま、テーブルの上に山積みになっている生肉の塊にナイフを丁寧に沿わせながら、肉を処理していた。
端々に転がる脂身の量からみると、巨大な豚の様ではあったが、微細な剛毛を蓄えた外皮をみると、イノシシの様ではあった。ハエの集る残骸に向かって、新たに切り出した皮を投げ飛ばし、虫たちに新たな餌を与えた。もわっと膨れ上がる黒い物体は雲の様に広がると再び残骸へと群がっていった。「いい食べっぷりよのぅ」と満足気に虫たちを一度みた後、再度肉の解体に取り掛かった。全部で200キロ程はある肉の塊をナイフ一本で捌いていく様は屠畜者であったが、彼らがつけるような白い大きなエプロンや、きれいで大きな作業台は存在しない。
本来、藁が敷かれているこの施設にしても、鶏が買われている一般的なもので、鉄柵で囲われた腰程度の高さの長い金網を押さえる資材が、本来の役目をせず金網の代わりに肉塊や皮や骨などの物体を余す事なくぶら下げているいる様は、地獄の様相を呈していた。子供たちが絵を描く様な鶏を追いやるための合板には、何度も滴り落ち固形になるって剥離し、丸い縁だけ残った奇妙なまだら藻の様が瞳の様にいくつもついていた。気持ちの悪い雰囲気をこれでもかとつぎ込み、昔話に出てくる魔女の住処の様な乱雑さで置かれる尊厳なき残骸は、元の形状を推測する事も困難だった。
材料費を少なくするために模索された背後の運動場と直結しただだっ広い空間を創出していた。キーガンの広げる残骸や机にしたって、あまりにも空間からみれば狭い状況ではあった。天井からつるされたいくつもの電球は、薄暗い室内をオレンジ色の光で満たしていた。外はもう夜であり、闇の中に閉ざされている。誰も彼もが寄り付かないこの養鶏場に、キーガンは鼻歌交じりいに作業する。
彼の姿を見る者は大きな梁からぶら下げられたエヴァンジェリンだった。意識が朦朧としているのか、薄くしか開けられていない瞳と血の気の少ない真っ白な肌は、遠目から見れば死している様にすら見えた。美しい長い髪には泥だか血だかわからない黒い汚れが飛び散っていた。足のギブスはしたままであったが、靴は脱げていて裸足だった。あちこちに擦過痕が見え、赤い筋が見えた。痛みを想起させるものではあるが、意識を失わせるような重大な外傷らしいものは見当たらなかった。キーガンは薬品で意識を奪っている事に満足気に頷いた。
これから起こる事を想像し興奮の真っただ中にいたキーガンは、解体中の肉をずるりと一切れ口に放り込んだ。血の味を濃厚に感じさせる固い筋は、強靭なキーガンの顎を使って丁寧に咀嚼された。口の端から血の混じった唾液がつーっと垂れる。まったく気にした様子なく、キーガンは再び肉の解体を行った。できあがったブロック状の肉を床に乱雑に並べられた錆の浮いたバケツに突っ込んでいった。
キーガンが狙いを定め、壁に向かって拳を放つ。足に溜めた力、誇示する様に解き放たれた翼の推力を持って、尋常ならざる力の奔流は螺旋の力を伴って壁を紙屑の様に破砕した。古い作りの建物ではあるが、単純に壁を壊せるほど軟ではない。特に隔離病棟として使う事も想定され、コンクリートでがちがちに固められたものであるから、たかが腕の力を使っても傷もつかない。3キロはありそうなツルハシを力いっぱい向けて、何度となく叩いてようやく破壊される程度だ。
「――!」驚嘆と恐怖に入り混じった息を飲む音を聞いた。キーガンの視線は三人の影を見つけた。「ふん、小僧はぴんぴんしておるのぅ」残念そうに悪態をつくと、瞬時に臨戦態勢を取ったマイケルが、嫌そうな顔を向けていた。「お前、つけられたな!」非難を向ける先には、キーガンも見た事のある姿だ。「ワシに、命乞いをした臆病者じゃないか」せせら笑う。マイケルは粉じんが徐々に収まるなか、入口付近にいる二人から、そろり、と距離を取った。キーガンの目的がなんであれ、二人を巻き込まない様にという配慮を感じられた。
キーガンはマイケルに対して苦笑を浮かべた。「小僧、ここでやり合うのは不利だと理解しているだろう?」しかし、マイケルは即座に動いた。地面に散らばったガラス片を器用に蹴り上げて、掴みとると一拍のタイミングを置く事なく、キーガンへ投擲。鋭い風切り音がしたが、キーガンは顔色を変えずにハエでも追いやるような素振りで右手を振るった。手の甲に当たったガラスは、飴の様に粉砕され、地面に落ちる。きらきらと陽の光を浴びて反射する破片が落ちる最中、「不利とかどうでもいい。君はここに居るべきじゃない、ってだけ」マイケルは距離を詰めた。「武器を持たずにどうする?」挑発するキガーンに飛び込みざまに腕を伸ばし殴りかかった。
当たった。しかし、あまりにも軽い。「あの時より、だいぶ"消えて"おるのぅ。――詳しくは分からなんだが、」マイケルの顔に驚嘆の色が浮かんだ。すぐさま身を翻すマイケルに対し、キーガンは両手をつかってマイケルの腕を掴んだ。するりと左手は抜けたが、右手でゼリーの様な柔らかな感触を手に感じながら抑え込んだ。マイケルのがら空きの頭上から翼を無慈悲に打ち付ける。ただの打撃であるはずの羽の動きは、鋭利な刃物を振り下ろす達人の様な鋭い軌跡を描いた。確かな感触をキーガンは感じた。「この間も、手ではつかめないというところではあったが……こいつでは普通に叩けるのぅ」
手に力を籠めると、四散するマイケルの腕。破壊され、手先と腕が分離した。しかし、血が飛び出る事はない。「トカゲの様に切ったりできる、という訳でもないのだろう?」声を上げぬ、マイケルに対してキーガンは興味を失った様に、あっけにとられた二人を確認した。「ここまでよく案内をしてくれたものよ。のう、ネッド?」ひっ、と顔をゆがめてネッドは頼りない脚で後ずさる。「さすがは逃げる事に関しては天下一品。褒めておるのだ。ワシがたかが”人”相手に全力を出しても、食えなかったというのは久しい事よ」「まさか、それだけのために――」狼狽えるネッドに違う、と横に首を振り、キーガンはゆっくりエヴァンジェリンに詰め寄った。
距離にして5歩分。マイケルは力なく立ち上がると、背を向けたキーガンに迫った。疾風のように鋭いマイケルの動きは、キーガンにとってはただのそよ風程度でしかない。翼を振るえば、押し殺した嗚咽音を響かせて窓枠に激突した。「前の方がもう少し、骨があったが、見込み違いというものか……。まぁよい。今はあ奴の言葉の方が優先よな」二度目のマイケルの突進を翼で捌く。地面からすくい投げるような翼の動きは、目で追う事などできない神速。天井に激突するマイケルは苦悶の呼気を漏らしてすぐさま床に伏せた。
呆然としたエヴァンジェリンの欠損した左手を掴む。「ひっ!」小さい悲鳴を上げて、エヴァンジェリンは身を翻した。その拍子で足がもつれ、右手に持っていた杖を落とした。うるさい音が響く。廊下の先には何事かと恐怖の色にとらわれた白衣の職員や、貫頭衣を着込んだ病人までいる。キーガンは全く気にしてた様子はなく、ぐいっとエヴァンジェリンを引っ張りよせた。「や、や!」恐怖のあまりノーとすら正確に言葉が出せず、側にいるネッドに助けを求めるように腕を伸ばした。「無駄である。その男が助ける、なんてことはありはせん。生き残る事だけが得意の臆病者だからの」ひきつった音を漏らしながら身をよじるエヴァンジェリンの顔を除き込むと、視線を切るように右腕でキーガンの顔をひっかこうとしていた。
嬉しそうにキーガンは下卑た笑みを漏らした。「ぐふふ、いいのぅ。活きがいい獲物はそのままが心地良い、というものだが、」しかし直ぐに口をへの字に曲げて残念がった。「あ奴も、もう少し融通がきけばのう。ただの《羽付き》に執着する様では……。それともアラスカ送りにするのに意味があるというのか……勿体無い。勿体無い」ぎりりと手に力を籠めると、痛みでエヴァンジェリンの目じりに涙が溜まった。
三度目のマイケルの突進はただの駄々っ子の様なものだった。「力の差は歴然である。理解せずに無謀に突き進むは、愚の骨頂であろう。――どうした? あの時の様にあの力は使わぬと?」「……」打ち下ろされた翼の斬撃にマイケルの胴体と腰が分離した。「ひっ!」エヴァンジェリンは悲鳴を上げた。ちらりと視線を向けると、マイケルの体から血が出ていないことを確認し、キーガンは悲しそうに床に転がるマイケルの姿を見下ろした。
「それが代償というものか。痛みを持ち、存在が薄れる。使えば使うほど、そちら側に対価を払う。ワシらとは違う別物だのぅ。……憑き物とでもいうのか、あるいは、幽霊の類か、なんとも弱き者よ」嘲笑する事はない。キーガンもよく分かっているのだ、そちら側に至る理由を。キーガンとて力を手に入れたというのが天啓として手に入ったわけではない。教会の様に覚醒させるために"食事に"混ぜ物をするなどという事もない。「血だの肉だのを嫌い、聖餅やぶどう酒などと濁している奴らの所業に比べ、ワシらのやっている事などただの幼稚なものよの。小僧。心せよ? その先にあるのは初めから死しかないぞ」
蠢くマイケルは、徐々に色が薄れガラスの様に透き通っていった。「悲しきものよのぅ」葬送の視線を向けて、キーガンは目を細めた。
霧散。
血も、肉も、マイケルという存在は消え去り、ただの塵芥となって壁の残骸に消えた。「これで終わりだの。こいつはもらっておくぞネッド」キーガンは嫌がり目じりに涙を浮かべるエヴァンジェリンを見ると、大きな顎を開いた。巨大な口は、蛇の様に喉の大きさに拡張される。しかし、本来食道の大きさはそれ程大きくはない。ゴムの様に伸縮するキーガンのそれは、一つの生命体の様にキーガンの意思で拡張し、暗き穴を生成した。エヴァンジェリンは初めて見る光景に恐怖していた。怖がり、震え、言葉が干上がった。わめきたてる事はできず、自分を飲み込もうとする化物に、「あ……」とだけ呼気を漏らし、自分の死を想像した。
「へぇ、そうやって飲み込むんだ?」声は反響する様に、攻撃は波紋の様に、キーガンの足元から突如発生した。「タダのタフマンに付き合う気はないんだけど、」12の斬撃は左右6の連撃をもってキーガンの足、腹、背に至り、エヴァンジェリンを確保する両腕を切り落とした。「返してもらう。彼女は君のものじゃぁないね」発生する黒い煙を見て、ネッドが息を飲む。すぐさまに黒い塊はエヴァンジェリンを抱きかかえると、ネッドに押し付けた。
黒い影は形を作る。マイケル・キーソン・フォスターの姿を生み出して、同時に笑い声を響かせた。「あははは! 君さ、あの時から思っていたけど、お頭が悪いね。ちょいと考えれば人があんなふうに溶けるとは思わないよ」くすくすと、嘲笑する様は子供で、キーガンの事なんてただの羽虫の様にしか思っていない。エヴァンジェリンもネッドも目を白黒させて現れたマイケルを見るだけしかできず、声をかける事すらできないで棒立ちしていた。
マイケルは右手を掲げ、黒い鍵を差し込んだ。「前回は殺しきれなかったよ。単純に君を切り刻むだけでは意味がないんだ。だから、」マイケルの前に凝縮された闇が生成された。漆黒の闇は、水たまりの様に床から這い出てくる。ぞる、ぞるとあふれ出る液体状の闇が形を犬の形を作る。犬というのは大型で、狼というには毛は短い。洗練されたフォルムが大型犬であると皆が認識するよりも早く、「サニー、食え」マイケルの強い命令だけが静寂を破った。
「結局さ、」マイケルの眼前でキーガンは手を、足を、腹を、首を、背をいたるところを切り刻まれながら犬が咀嚼してく。首を振り引きちぎり、肉となったものを一飲みで腹に収める。膨れるはずの腹に変化は訪れず、"何処か"へ持っていかれているというのは分かった。「僕にとっては命は金と同等で、それを使役するというのは対価が必要さ。君の推測はあながち間違っていないから、さすがだと褒めてあげるよ。――でも、化物に賞賛なんて無意味だろう? 君はこれから食い千切られた最後の核を砕かれた時、どういう事を考えるんだろうね」
マイケルは手近な木製の丸椅子をもってくると、座面に雪の様に降り積もっている壁の残骸をぱっぱと払いのけると、腰を下ろし足を組んだ。一つ、二つと、キーガンの核は犬によって破壊されていく。喉を裂かれているため、キーガンはうめき声すら出す事はない。飛び散る血肉は白い壁いをピンク色に変えて行く。バラの様な深い色でもなく、なんとも新鮮さをかんじさせる色か。裂かれた腕が独自の意思を持って犬に迫るが、振れる前に見えざる力で紐の様に細分化された。「生への執着はあるのは分かる。恐怖を感じ、其れから逃れるために君はいくつもの"核"を求めてるんだろ? 二個も体内にあれば、ふつうは頭が割れるほどだっていうのに、何個ある? すでに8個はばらしたけど?」
嗜虐的な笑みを浮かべマイケルは顎を組んだ足を台座にして伸ばした左手に載せた。目を細め、いつこの男がこと切れるかを"値踏み"している。エヴァンジェリンやネッドはうすら寒い恐怖心を覚えた事だろう。たかがティーンの少年が人をミンチにして笑みを浮かべる様を見れば当然だ。止める事など叶わぬ圧倒的暴力は、数分のうちに集結した。肉塊もあと大きな核を一つ残すのみだ。胸部を割かれ内臓らしいものはすべて犬の口に入り込み、肋骨と背骨の間に普通の人間には見た事のない塊が見えた。「それが本体か」マイケルが立ち上がった。最後の命令を犬に下そうと手を振り下ろした。
「旦那さ、少し甘いよね」声に反応して犬とマイケルが霞の様に姿をくらましネッドとエヴァンジェリンの前に現れた。レザーマスクの男は、キーガンの肉体を手に、左手に鋭い錐の様な獲物を持っていた。丸刈りの金髪は狂犬の様に鋭い彼の存在感を戦士の様にまとめていた。真っ黒な姿は影の様で急にあらわれた存在にマイケルは注意が向けられていた。ぐるる、と喉を鳴らす様に犬は爪をたてて呻いた。
マイケルの背後から衝撃が走った。殺気は一ミリもなく、機械装置じみた無慈悲さをもってマイケルは吹き飛ばされた。「!?」空中で身をひねり、存在を確認すると真っ赤な瞳をした高い身長の男がエヴァンジェリンの腕を取っていた。ネッドは一瞬で組み伏せられ、痛みによるうめき声をだしていた。綺麗な受け身をとってマイケルは立ち上がる。ガラス片の飛び散った床に足を滑らせながら、すぐさま地を蹴ってエヴァンジェリンの方へ戻った。「お、お、おそい、って」馬鹿にしたような単語ではあったが、言葉は冷静に。
高身長の男はネッドの後頭部にナイフを突き立てようとした。マイケルは即座に"爪"を伸ばして切り裂いた。「へ、へぇ。そ、そ、そんなこともできる、んだ」感心した様に、刃がかけたナイフを突進するマイケルに投擲。舌打ち一つで、マイケルはナイフをはたき落とした。ネッドがその隙をついて、背の上に膝をおいていた男をはねのけた。「ひー」っという裏返った悲鳴は、ネッドが痛みに耐えている為だろう。うるさいのでマイケルは無視して、態勢を崩したエヴァンジェリンの腕をつかむ細い男の腕を一閃。
凶刃が届く間際、爪は停止した。「え?」マイケルの素っ頓狂な声は再び吹き飛ばされた風の圧によって微かに部屋に残った。「アリソン、手を抜くな。旦那をここまでいたぶれる奴だ」油断ない言葉はキーガンの側にいた男だ。視線をちらりと向けると、キーガンと男の姿が幻の様に消えるところだった。「……ちっ」逃がした事と、エヴァンジェリンが未だ人質になっている事に悪態をつきたい気持ちを押さえて、マイケルは眼前の男、アリソンに集中した。
アリソンの前で何かが蠢くのが分かった。空気の揺らぎの様な熱を帯びない"それ"によってマイケルが払われたという事が分かった。《羽付き》か、と漏らしたのはネッドだろう。寄りかかった壁はボロボロであったが、彼の事は気にしなくていい様に思えた。包帯だらけであるから、思う様に体が動かせないというのに、本能に従いアリソンから明確に距離を取っていた。強い生命力であると同時に、マイケルの邪魔にならない事を確認すると、一足飛びにマイケルはアリソンへ迫った。
「な、な、なんど、やっても、お、お、おなじ」風圧だ、とマイケルは感じた。翼によって凝縮された風の球体がマイケルに向かって打ち出されている。それが見えない、という事を認識して、マイケルは風に吹き飛ばされながら叫んだ。「お前! 《不可視》(インビジブル)か!」稀有な存在である《羽付き》の中でもかなり特異な存在であることを理解し、マイケルはある種竦んだといえる。「稀だっつーだけで、ビビってんのな。かかかっ!」どこからともなく嘲笑する男の声が響いた。
まだ、この空間にキーガンとそれを担いだマスクの男がいるのか、と思うと、怒りもこみ上げてきた。「あーもう、――糞、」マイケルは押さえきれなくなって全部投げ出したくなった。エヴァンジェリンがそんなマイケルの姿にどこか絶望じみた視線を向けている。頭を掻きむしり、両手を挙げた。その行動の意味をエヴァンジェリンも知っている。「打つ手なし、悪い」マイケルはひらひらと手を振り、さっさと下がれとアリソンに顎でくいっと出口をさした。
背を向け、悠然と歩きだすアリソンに、マイケルはがっくりと肩を落とした。「なぜ?」エヴァンジェリンの瞳が最後まで疑問を項垂れるマイケルに刺さっていた。
沈黙。壊れた窓から入り込む風だけが虚しくマイケルの体を揺さぶった。遠くで、誰かが嘲笑する様な声が聞こえた。マスクの男の顔がちらついて、少しイラっとした。
ネッドがずるずると煙っぽい病室の中に入って、マイケルが座していた椅子に腰を下ろした。部屋の中央にたたずむマイケルに尋ねた。疑問があるから、というよりは彼の興味である事は推測ついた。「なんで逃がした?」当然の質問にマイケルは辺りに完全に気配がないことを"爪"で空間を割いて確認した。舞い上がっていた煙がシンっと切れた。
マイケルは笑っている。笑い声は上げないが、誰にも見られない様に顔を伏せながら、震えることもせず、笑っていた。




