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 苦しさと、痛みがトラビスの胸の中にはあった。時間を過ぎる事に重く蔓延る苦悩は、目の前に存在する琥珀色の液体で洗い流す事もできなかった。いつも通りのスーツ姿で、対面に座るルークと会していると、ただのマフィアの幹部に見えなくもなかった。「今回の件は、僕の方でも話は聞いている。6人もつかまっているからな、新たな"足"を探すのも一苦労っていうものさ」「……、私としてはこんなことは二度は御免です」ルークは端正な顔に意地悪い笑みを浮かべてトラビスの目を覗き込んだ。「アンタさ、自分がまともな存在だって思ってるわけ? 僕に言わせれば、同じ穴の貉だよ。ただの駒は『粛清』のための道具にしか過ぎない」

 ぐうの音も出ず、トラビスは視線を外した。自分の立場くらい嫌というほど分かっていた。神父でありながら、マフィアとつるむ意味すら良く理解していた。「それに、」ルークは追い打ちをかけた。「アンタのところの子供たちが人質に取られるよりは全然ましなんじゃない? どっか"ホッと"してる自分が居るのすらわかってるってところだろう」「……だから、苦しいですよ」悲痛な表情でトラビスは酒を一口含んだ。芳醇な香りも深い味わいもない、ただの粗雑な酒ではあったが、喉の焼ける感触が生を実感させトラビスに少しの落ち着きを取り戻させた。「君にも同じ様菜経験が?」ルークはトラビスとは違い、コーヒーの入ったカップをソーサーごともって口の側まで運び、一口すすった。一拍おいたが、さも当然という表情でトラビスに頷いた。「この仕事をしてれば誰でも必ず同じ事は思うだろう。特に激動の時代だ。5年前から特に顕著だからさ。親が人質に取られずによかった、とか、彼女が狙われなくてよかった、とかそんな事はしょっちゅう。今は幹部候補として調整も行うそこそこ上の位置だけど、もう少し前はただの平さ。拳銃片手に命のやり取りをする最前線に"毎日"いたよ」

 ルークはカフスを外して、左腕を見せた。酷い銃痕がのこっていた。ナイフで刺されたのか、手のひらにはうっすらと縫った痕も見える。「こんなのはざらさ。だてに戦場上がりってわけじゃないさ。ヨーロッパの戦禍の渦中にに行って帰ってきたら、今度はマフィア相手の鉄火場を歩くってわけ。僕は生粋のゴミだっていうことを何度認識したってやめられやしないさ」けらけらとルークは笑った。彼の身上がどうであっても、トラビスには関係なかった。今の沈んだ気持ちを少しでも解消できる何かが欲しいとすがっていた。しかし、その希望は目の前の男には無いと直感した。「殺し、殺される事は僕にとってはどうでもいいんだ。家族や彼女が殺されたところで、結局僕が求めているものは単純なものだよ。アンタには理解できるような話じゃない。――いや、アンタは分かるのかな。かつて異端狩りでかなりの数ヤッたんだろ?」

 にやにやとしたルークの口元にムカついて、手に持っていたグラスを思いっきり投げ飛ばしたいと思った。ついでにポットの中に入っている熱いコーヒーを頭の上からかけてやればすっきりするかもしれないとも思ったが、むしゃくしゃした気持ちを制御して、ぐっと堪えた。「ほら、すぐアンタは我慢するな。マイケルの様に本気の殺意を向ける事もない。まぁいいや。アンタをからかっても時間が過ぎるだけだ」時計を気にしながらルークはカップを下ろした。首を回すと側に控えていた部下がすぐさまルークの側にやってきて封筒をトラビスに手渡した。

 「実際、」ルークは再びコーヒーを空になったカップに注ぐと、上品に持ち上げてコーヒーの香りを楽しみながら、目を細めた。「少年が巻き添えになったのはこっちにも非はある。相手がだれか気になるところだろうし、事情くらいは説明をしてやる」トラビスは渡された角二の封筒の中から、数枚の写真を取り出した。「リチャード? ……と、こっちは誰だ?」一つは、いけ好かない金髪の男。どうみてもリチャードである事は知っていた。裏世界に居れば"邪魔者"として呼ばれる彼を知らない者はいない。ハエの様に金のあるところに現れる禿鷹だ。「そいつは、何を隠そう、"キーガン"の野郎さ」「違う!」トラビスは声を荒げた。写真に写っているのは一人のアラビア風の青年。少し潮で焼けたような肌や、すっとした頬、堀の深い目に長いまつげ。贅肉らしい贅肉を削ぎ落した正しくアラビアンナイトといえる黒髪の彼は、トラビスの知る醜悪なキーガンの姿とはかけ離れていた。

 ルークは横に首を振った。「違う、違う、そう、誰も彼も、それをキーガンなんて認知しない。でもそうじゃない。キーガンは《個》であり《群》なんだ。次をみろ」ルークに催促されて、トラビスはもう一つの写真を見る。次に映っているのは美女とリチャードだ。「連絡員?」違う、とルークは愉快そうに言った。「話聞いてたか? こいつも、"キーガン"なんだ」「……」理解できずトラビスは沈黙した。「今、アンタの頭の中で三つのことを考えている。どれが正しいかわからなくて、沈黙してるんだろう? 僕も最初はそうだった」いいか、ルークはカップを下ろし、ゆっくりとした動作で指を立てた。「一つ、"キーガン"というのは団体名称であり其れに係る存在の総称だ。だからキーガンは固有名詞たりえず、関わりのある者をキーガンという。だから未だにつかまっていない。――二つ。キーガンは個体であり、変装の達人である。以前、アンタたちがバラそうとしたのは一つの姿であった。最後、キーガンはいる、がどれも"偽物"であり、裏で糸を引く存在がキーガンである」

 さて、とルークは三本の指をたててトラビスに嬉しそうに問いかけた。「どれだと思う? これはギャンブルと同じで、一つの確立は33%に見えて実は10対0対0なんだ。ゲームマスターが有利の何とも酷いギャンブルさ」けらけらとルークは笑いながらコーヒーを啜った。トラビスはくるりと首を回しながら天井を見渡して思案した。すぐに考えがまとまり、静かに息を吐いた。「……。つまり、四つめ、キーガンは"姿を変えられる"?」トラビスの回答を聞いて、つまらなそうにルークは口を尖らした。「アンタさ、ユーモアの欠片もないな。というか、《知ってた》のか?」

 違う、とトラビスは強く否定をした。彼の記憶の中にキーガンの記録は一つだけ、あの醜悪な肉塊の大男だけだった。しかし、こうまでルークが自信ありげに言うのだ。どうせ他人のことを貶めたくてうずうずしているテキサス坊やの事だ、どこにも回答を用意しないと推測する事は容易だった。この男は他人が思い通りに動くことを好む。だから、今のトラビスの様に罠にはまってくれない時には如実に不機嫌になるのは知っていた。しかし、トラビスも付き合いの長さから、対処の方法は知っていた。

 「知らないさ。でも、頭のいい君の事だ私の様な凡人が考えるような答えは最初から用意しないと踏んだのさ」相手を褒める事で彼の自尊心をくすぐってやれば、すぐに機嫌は平静を取り戻した。「ふん――、まぁいいさ。確かにその通りではあるからね。この事に気づいたのは、二つの統一性があったからだ」ほら、とルークは自分の耳のあたりを右指の人差し指で指した。「その写真でもよく見てみると良いが、耳の形状、特に特徴的なその入れ墨は同じなんだ。最初同じ部隊などが好んで使う――一種の統一的なシンボルなのかともおもったけどね。位置、形状、色、同じにするというのは難しい。それから、」今度は首を指した。「この部分に特徴的な傷がある。それも儀式的に組織が行う可能性はなくはないが、肉が欠損するようなものというのはないだろうと思う。で、一番の決定的な証拠はこれだ」ルークはスーツの内ポケットから一枚の写真を取り出した。「こうも、写真がバンバンでてくると、技術の進歩はすごいと思うよ。ついこの間まで長時間の露光が必要だったのに」トラビスが呆れて言うと、ルークは首肯した。「技術の進歩はそれだけすさまじいという事さ。僕もついこの間までまともに電話なんて使った事がなかったのにね。……それはさておき、その写真を見て何を思う?」映っているのは二人の男性。一人はリチャード、一人はキーガンと思われる青年。ふと考え込んで前に見た写真をパラパラとめくると、なんとなく違和感を感じた。すぐさまハッとなって顔を上げた。「全部同じ仕草だ」そうだ、とルークは頷く。

 「質量をいくら変更できても、本人の癖は変わらない。それはその本人の物であり、姿をいくら変えても本質は変えられないという事さ。鼻の頭を、しかもそんなパフェに乗っかったチェリーを拾う様に丁寧な手つきでやるやつはいないね」くすくすとルークは笑う。「うまく隠れてるのは確かだね。ただ、演技慣れはしてないのさ。そういう本当の諜報を生業としている奴らとは違うという事さ」しかし、とトラビスは感心した。この様に姿を完全に、変更できるというものが、いかに強力なものなのか理解していた。特に、彼がシリアルキラーである事は間違いないのだから、街の中に溶け込むこの能力は間違いなく完璧な技能といえた。

 トラビスは最後の写真を見た。三人の姿が映り、一人はリチャード。もう一人はキーガンと思われる男性。最後の一人はトラビスにも見覚えのある女性だった。「……これは?」トラビスは写真を裏返してルークに示す。あぁ、とねっとりとルークは笑みを浮かべた。「良く知ってるだろう? あの少年の仇の姿だ。とても素晴らしいじゃないか、5年の歳月を経ての再会というのだから」ルークは、本当に可笑しそうに笑った。心の底からの愉快がある事が分かったが、トラビスには嫌で仕方なかった。ただの相手ではない。マイケルをいたぶり、マイケルの口から父親の財産のありかを吐かせようとした元凶だ。リチャードとのつながりは分かっていたが、まさかキーガンとまで繋がるとは。

 トラビスの絶望的な表情を見てもルークは眉一つ動かさなかった。嬉しそうに張り付いた笑みを維持したままだ。「ヴァネッサ・ラティマー・リー。そいつの事は誰も彼もよく知っているよ。僕たちも迷惑している相手だし、警察も目を付けているやつだ。そいつがおしゃべり坊やの片腕だったというのは意外だけどね。少年を3日程いたぶったそうじゃないか。良く持ったと思うし、名誉勲章でも送ってやろう、あぁ、でも少年はそんなものいらないなぁ。新しい銃と弾丸でも送ってやるか? アンタが助けに入るまで、きっちりとそいつの教育を受けたんだ。その痛みは絶するものがあるよなぁ。父親の遺体を切り刻み、目の前で愛犬が殺され、愛犬の子供すら殺された。爪を一本ずつはがされ、足の小指には三度錐で刺したような穴があったなぁ。熱した鉄だったんだろう、瞬時に灼け、沸騰する肉片の感触を嫌でも思い知ったことだろう」

 ルークは笑みを消していた。彼も理解するのだ、マイケルの苦痛を。自分がどうであったとしても平等にそいつのことを嫌っているという事はトラビスも知っていた。ヴァネッサは手当たり次第に拷問にかける相手だ。渡り鳥ともいわれ、抗争相手の組織に居た事もある。金で動き、自分の快楽を追求するためだけに動く。ルークの手下も何人もやられているのだ。「足の健を切り、逃げられない様にしたうえで、頭には万力を付ける。両手は紐かあるいは手錠で縛り、徐々に力を加え頭蓋骨が拉げ、脳みそがぶちまけられるまでゆっくりと死を刻むんだ。背中に針のついたローラーを転がし、その上からどろどろになったチョコレートをながすんだ。そいつを背中で固まるのをまってから、血と汗でコーティングされたそいつを目の前で咀嚼する。肉片を削ぎ、フランス料理の様にフランベしたら、削いだ相手の口に押し込んで自ら嚥下させる。拷問というよりは、いたぶる事を楽しむ嗜虐的な奴だ」

 「《拷問姫》とはよくいったものだとおもいますけどね」トラビスは口をへの字に曲げた。「でも、この事は彼には言えない。言えば、必ず何もかもを投げ捨てて突っ込んでいくでしょう、自分の復讐のために」ルークは口笛を吹いた。「少年が《拷問姫》を処分してくれるのなら話が早い」違う、とトラビスは首を振る。そんな単純な事にならない事は分かっている。「マイケルがヴァネッサにたどり着けば、必ずミス・メアリーの死に近づく事でしょう。彼がヴァネッサの言葉に一瞬でも耳を傾けてしまえば、全てを投げ捨て――、彼女を助けるためだけにリチャードに与するとも容易に想像ができます。もう、彼の心のセーフティーが壊れていますよ……。その時には、君の首すら簡単に飛ばす道具になり果てますよ」私すらもね、とトラビスは目を伏せた。

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