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「アニーおばさん、聞いてる?」フォスター孤児院の出身で、今やニューヨーク市警の巡査になっているティム・K・マロニーは、孤児院の職員のアニー・ニール・フォックスに声をかけた。ティムは巡回と称してよく孤児院に顔をだし、少ない給料の中から食料品やら衣料品などを買っては届けてくれていた。今日も相棒と共に"巡回"に来ていた。「何のことかい?」アニーは忙しそうに夕食の仕込みをしながら尋ねた。「メアリーお嬢さんが拉致られたらしいよ」
パリン、とアニーが手に持っていた塩の入った壺を落として割った。慌てて壁においてあった箒をティムが取ってきて、「なにやってんのさ。あぁーあ、買いなおしじゃないか」「そんな大事な事を言う方がおかしいんだよ!」あわてて、アニーはティムに詰め寄った。「一体なにがあったっていうんだい?」
ティムは落ちつた様子で、散らばった塩を箒で掃き集め始めた。「昨日の夜らしいんだけど、7番街の通りで大きな騒ぎがあってね。総勢30人近い奴らの抗争があったんだって」ティムはため息をついた。確実にいる事が予想されるマイケルのことを何処まで話せばいいかと一瞬考えたが、すぐさま、どうにでもなれと投げやりな気になって全部話す事にした。「マイケルはそれに巻き込まれたらしくてね。全身に銃弾くらって今ベッドの上だよ。すげぇ状況でさ、暴動でもあったのかっていうくらいで、車は壊れるは信号は壊れるは、辺り構わず銃弾の跡はあるは。ショーウィンドウは破壊されてたし、マンホールの蓋も吹き飛んでたよ。おれが行ったときには10人近い人が倒れてたからね」アニーはぞっとした様子で、顔を青くしてぱくぱくと口を開いたり閉じたりしていた。「……昨日の夜はメアリーお嬢さんと外に出ている予定じゃないかい……。二人だけだと危ないからトラビス神父がついて……。神父はどうなんだい?!」慌てふためいて、エプロンの裾を鍋の取っ手にひっかけて鍋から汁物が少し吹きこぼれた。あわあわと、鍋を治しながら、火を弱火にした。「トラビス神父は大丈夫。当時ちょっと離れた場所にいたらしくてね、何の怪我もないよ。ただ……問題はマイケルだね」「マイケル!」アニーは声を張り上げた。
ティムはアニーに同情した。アニーは子供を先の大戦で亡くしていた。イギリスからの移民である彼女は、仕事のあてがないまま夫と2人で傷心の末、ヨーロッパよりも安全なアメリカへと海を渡ったのだ。トラビスとは移住当初からの付き合いで、フォスター孤児院の創設者であるジョージとの親交もあった。とはい、未だに十年に満たない移住生活であるから、出会った人の数も多くはないだろう。その中で、紆余曲折な人生をを経ているマイケルやトラビスについては、親戚の様に思っている節はあった。今でも孤児院の子供たちのことを我が子の様に見るのだから、年齢の低いマイケルは顕著にその傾向はあった。
「彼の容体は良くないよ。二、三言葉を交わしたけど、メアリーを守るの精一杯で、彼自身全身針の巣だったからね」真っ青のアニーは泡でも吹きかねないほどであったが、「大丈夫、」とティムは続ける。「意識はあったし、医者も大けがだけど命に問題はないってね」ほっと、とりあえず息をついたアニーであったが、「それでメアリーお嬢さんはどうなったんだい?」と心配した。表情は優れず、微かに肩が震えていた。
ティムは「心配しないで、」と微笑んだ。「うちの市警は全米一さ。それに関係者は多く捕まっているからね、すぐに戻ってくる。特に富豪の娘ともなれば、色がつきすぎてる。心配になるのは分かるけど、相手もプロだ。金にならない"事"はやらないさ」「むしろ、マフィアの方が多少、うちは信頼おけるよ。あんたら警察ののんびりした捜査よりましさ」アニーはとげのある言葉であったが、ティムを非難する気はなかったのか、直ぐに謝罪した。「いや、悪いね。どうも、あんたを前にしてそんなことを言っても仕方ないのにさ」「分かるよ」ティムは靜に同意した。
ティムとて、警察を万能の正義者だとは思っていない。いないよりましとしか思っていないし、犯罪を根絶できる存在とも言えるわけが無かった。金で買収される同僚を何人も知っていたし、自分から小金欲しさに内部情報をリークする奴も結構いた。ティムがそういった警察の腐敗を監査部に垂れ込んだところで、何にもならないのも知っていた。内部に自浄作用は期待できないし、外に話をしても変わらない事も分かっていた。かつてない程のスキャンダルを伴った物であれば別だろうが。
「おう、ティムが顔を出してるなんて珍しいなぁ」野太いのんびりした声に二人が振り向くと、ずんぐりむっくりしたハロルド・ジャック・スワンクが大きな袋を二つ肩にのせてやってきた。「アニー、小麦、おいてくよぅ」「ちょっとちょっと、ハロルド聞いてよ、」アニーはすぐさまハロルドに詰め寄った。「マイケルが大けがをして、メアリーお嬢さんが攫われたって!」「んん~? よぅくわからねぇけど、何があったんだぃ?」小麦の袋をぼふっ、ぼふっと壁際に降ろしながら、ハロルドはティムに首を傾げた。
「マランツァーノにリチャードの旦那がかみついたんだ。その抗争に二人が巻き込まれてね」「おぉーぅ。それは大変だぁ。――でも、ジョー・マッセリアの残党じゃなくて、小物じゃない? ……あ、フォスターと関係があるからかい?」ハロルドはのんびりとした口調ではあたが、鋭い指摘をした。アニーはきょとんとしていたが、ティムは、うっと言葉に詰まった。「……よくしってるじゃないか」ハロルドは得意そうにうんうん、と頷いた。「そりゃぁ、おいらの仕事は畑仕事だぁ。お腹が減ればいろいろ入用になるっていうものさぁ。彼らだって、パンは食べるし、畑の一部でホップを作れとも言うっていうのも普通だもの」
ティムは納得した。輸送コストの低く、安く近くで農業を行っている男というのはそれだけで重要なものだ。きっと小麦に紛らして”何か”を運んだりもしているだろう事は分かったが、ハロルドに向かってそのことは指摘できなかった。悪い仕事などと誰が決めるというのか。仮に、人を殺していたとしても、今目の前のハロルドを咎める事は職務上行う事はできたが、心理的には「普通の事」だと貧しい生活をしてきたティムには思えて仕方ない。
「フォスター家の遺産を狙って、息子のマイケルにすら手をかけたのは有名な話だからなぁ。ローラは悪女の仲間入りさ、マイケルが母親だって思いたくないっていうのも分かる気はするね。非公式の事だけど、ローラとリチャードは共謀していた、っていうのはマフィアの間じゃ当たり前の事だし。マイケルがそれを知らないとは思えないしね」ティムの言葉にアニーは重い溜息をついた。「そうなのかい……。離婚したとは聞いていたけど、あぁ、なんてかわいそうな子なんだい」「今や、孤児院の門番さ。ワンブロックくらいある巨大な邸宅に住んでいたのも今や昔で、神の信徒の一人といえば聞こえはいいけど、実際はマフィアの手先ではね……」ティム漏らしたボヤキにアニーは鋭い視線を向けた。「だったらなんだいって言うんだい!」
「危ない仕事だからなぁ。こういうことは、マイケルさんもよおぉくわかってたんだよぅ。メアリーさんを近づけない様にしていたのも、そういうことだぁ」ハロルドはしんみりと腕を組んで唸った。ハロルドも長い間孤児院に出入りし、時間があるときは手伝いをしてくれるから、二人のことをよく知っている様だった。「メアリーお嬢さんを近づけない様にってなにかしってるの旦那」ティムは気になって突っ込んでみた。ハロルドはさも当然の様に鼻の下を人差し指で擦ると、「普通、あんだけ迫られたら、ちゃんと向き合うだぁ。好き、も嫌い、も言わないでいるのは、嫌いって切り捨てる気持ちがないのに、"そうできない"っていう表れだよぅ。だというのに、事ある毎にマイケルさんは時間をずらすんだぁ。やれ、仕事だ、やれ、教会だ、ってねぇ」アニーもうんうん、と頷いた。「この間のイースターがそうだったよぅ。マイケルさんは宿舎の修繕をしているのに、メアリーさんが来た時には、ぱっと切り上げて『頭に呼ばれた』って出て行ったんだぁ。メアリーさんの顔を見たいから待ってたのに、実際には一言だけで行っちゃうんだよぉ」
「あいつは、恋する乙女かー」ティムは飽きれて笑った。「そんな年ごろよ。可愛いかぎりじゃないのさ」アニーはしんみりと、「だから、マイケルさんはふりきれないんだなぁ」ハロルドはおっとりと、それぞれマイケルを評価した。「実際、メアリーお嬢さんは今頃丁重にリチャードに扱われているだろうね。かつて、何度も行った事もある、今や入れない、『フォスターの邸宅』でさ」




