僕の好きな人/私の好きな人
『お別れ会』に参加した理由は、特にない。強いて言うなら、最後だし友達と遊ぶくらいはいいかな、とか、誘われたんだし行くか、とかいった程度だ。そして、向かった集合場所で藍乃を──三森さんを見かけて、僕は少し驚いた。
そもそもが合格発表の後にやっているものだから、大学に落ちてしまった人は予備校だとかそういう手続きなどで忙しいこと、誘ったところで来るメンタルがないだろうことから誘われていなくて、更に来ない人もいる。10人いない程度の規模になるだろうということだったし、三森さんが大学に受かっていたとして、クラスメイトとの交流も少なかったから、きっと来ないだろうと思っていたのだ。
そんな彼女がクラス委員の子と普通に話しているのを見て、少し違和感を覚えたけれど、すぐに気にしなくなった。僕はもう三森さんに藍乃のことを求めていないし、だから彼女に対して意識を向けることは殆ど無くなっていた。知らない間に仲良くなったのだろう。人間関係なんていくらでも変わるものだと痛感したのだから、この程度気にもならなかった。
結局、男子は男子で、女子は女子で遊んで、晩御飯を食べて。その間一度として三森さんと話すことは無かった。自覚していることでもあるが、僕は三森さんと話すとき、常に彼女に『藍乃』を探してしまう。だから、わざと彼女を避けた。忘れたくて忘れられなくて、今が詰まらないと感じる全ての要因。そんな彼女と話すのが、きっと怖かったのだ。
「ねぇ、志波君。ちょっといいかな?話したいことがあるんだ」
だから、みんなが別れを惜しみつつも、今後の大学生活を頑張ろうとお互いを激励している最後の時間に、彼女が声を掛けてきたとき、僕はかなり驚いた。そして、少し冷静に考えて、彼女の根っこの性格そのものが変わったわけではないことを思い出し、もしかしたら謝罪でもするのかな、だとしたら心底どうでもいいんだけど、とそんなことを思いながら、こう返す。
「うん、いいよ。どうしたの?三森さん」
***
「うん、いいよ。どうしたの?三森さん」
一日中、どうにも声を掛けるタイミングがなくて、結局解散ギリギリになってしまったけど、どうにか声を掛けられた。やっと会えた冬弥くんは、相変わらず私が好きな冬弥くんのままだったけれど、彼が私に向ける視線は、私が知っている中で最も昔のものと変わらなかった。つまりは、他人を見る目だ。
でも、それは当たり前だから。私はここでひるんではダメなのだ。今の彼は、私が思い出したことを知らない。あらかじめ伝えるという手もあったけど、それは私が彼にぶつけたひどい言葉を有耶無耶にしてしまう気がして、出来なかった。
私が伝えたいことは、三つ。一つは、彼への謝罪。一つは、記憶を取り戻したということ。一つは、彼を好きだということ。でも、周りに人が居るところでは言いにくくて。
「ごめん、やっぱり解散した後にでもいいかな?」
「あぁ、うん。いいよ」
別れ話自体を切り出したのは冬弥くんだけど、そのきっかけを作ったのは間違いなく私だから、怖かった。こんな時まで勇気が出ない自分に、結局彼が告白してくるまで直接気持ちを伝えることができなかった一年の間の自分を重ねてしまう。結局何も変わっていないのだ。けれど、だからこそ、変わっていないことを彼に示すことこそが大切なんだと自分に言い聞かせて、その時を待つ。
みんな、各々の手段で家路につく。そして、私と冬弥くんだけが残った。
「それで、話って?」
ご飯を食べた店の壁に寄りかかって、こちらを見ないままに彼が言う。私はそんな彼を見ながら、話を始めた。
「まずは、ごめんなさい。私、志波君にひどいこと言っちゃったから、謝らないとと思って」
「ああ、そのこと。それならいいよ。別に気にしてない」
「そっか。でも、やっぱりちゃんと謝らせて。ごめんなさい。私にあんなに時間を使ってくれてたのに、私、本当にひどいこと言ってた。」
「……うん。そうだね。でも、もういいんだよ」
一瞬ちらりとこちらを見た彼は、すぐに視線を夜の空に戻し、そう返す。そうだ。彼にとってはきっと終わったことで、どうでもいいことなのだろう。けれど、私にとってはこれが始まりで、最大の障害だったのだ。自己満足ではあるけれど、彼が気にしてないと言ってくれたことにほっとしながら、次の言葉を紡ぐ。
「ありがとう……それでね。さっきのが大切じゃないわけじゃないんだけど、大切さで言ったら、ここからが本番なんだ」
きっと、もう私をどうでもいいと思っているだろう彼の視線は、こちらには向かわない。けれど、眉がピクリと動いたのを見逃さなかった。よかった、聞いてくれてはいる。
「あのね、私、全部、ぜーんぶ、思い出したよ。冬弥くん」
その言葉を口にした瞬間、彼が驚きに満ちた表情でこちらを向く。
「それって──」
「冬弥くん、私、今でも冬弥くんのことが好きです。忘れて、いろいろしてくれたのに、ひどいこと言って。私、最低だけど。でも、それでも、思い出したら、やっぱり冬弥くんのことが好きだった……!」
彼が──冬弥くんが言葉を発する前に、私の気持ちを口にする。伝える。思えば、私は態度に表していたことはあったけど、彼に直接好きだと伝えるのは初めてな気がする。寒い冬だというのに、顔が熱くなる。どうしてか、涙まで出てきてしまっていた。それでも、私は言葉を続ける。
「もしよかったら、私とまた、付き合ってくれませんか?」
万感の思いを込めて、私はそう言った。
***
「あのね、私、全部、ぜーんぶ、思い出したよ。冬弥くん」
どうでもいいな。そう思って、他のことに向いていたはずの意識が、一瞬にして彼女だけに集中する。驚きのままに声を出そうとして、彼女の続く声に遮られる。
「それって──」
「冬弥くん、私、今でも冬弥くんのことが好きです。忘れて、いろいろしてくれたのに、ひどいこと言って。私、最低だけど。でも、それでも、思い出したら、やっぱり冬弥くんのことが好きだった……!」
彼女が涙を流す。ああ、違和感の正体はこれだったのか?彼女の、三森さんの、藍乃の瞳には、僕の覚えている色が宿っていた。
「もしよかったら、私とまた、付き合ってくれませんか?」
今まで、彼女からぶつけられたことのないような感情。好きという気持ちが、言葉になって、真実味を帯びて、僕に襲い掛かる。弾かれたように彼女に向き直った僕の体は、気付けば彼女を抱きしめていた。
「よかった。本当によかった。思い出してくれて、まだ僕のことが好きでいてくれて。──僕が、まだ君のことが好きで、本当に良かった」
僕の頬を、何かが伝う。
「えっと、OK、でいいのかな……?」
恐る恐るというように言う彼女を抱く手を放し、肩に手を置いて、まっすぐに瞳を見て。
「もちろん、喜んで」
長い長い日々を思い出しながら、藍乃にそう告げた。
胸に飛び込んで泣く藍乃を抱きながら、二度と離さないと、そう心に誓った。
***
「もちろん、喜んで」
そう言って私の顔を覗き込む彼の頬は涙に濡れていて、そしてその目は、しっかりと、はっきりと、私を捉えていた。安心とうれしさと。こみあげて来るものが、涙では表現しきれなくなって。私は冬弥くんの胸に飛び込んで、声をあげて泣いた。
***
好きな人が居る。そう言えることは、本当に幸せだ。住んでいる場所が遠いから、会うことは少なくなってしまったけれど、心が通じ合わなかった、あの長い長い時間と比べれば、そのわずかな時間など、少しも苦しいとは感じなかった。
きっとこれから、二人の気持ちがすれ違うことは二度と無いだろうと、今はそう思う。