おねえさんになりたいので、魔王を襲撃しました
ムラムラして書いた。
オチとかない。
月のない夜。
剣戟と怒号と爆発音と……戦いで発するすべての音を引き連れた“勇者”ケルマ・ライエニは、魔王城の中心で大扉を開け放った。
「――これは何事か」
「神妙にしろクソ魔王! 今日がお前の年貢の納め時だ!」
謁見の間、玉座に座した魔王バハルダールは片眉を跳ね上げた。
怪訝な表情でわずかに傾けた頭の両脇には大きな巻角。二対の猛禽の翼と蜥蜴のような長い尾に、獣の脚……伝え聞いたとおりの姿だ。
銀色に輝く鎧に身を包み、自身の身長よりも長く大きな戦斧を両手に構えて、ケルマは言い放つ。
「私はお前を倒して普通の女の子になるんだ! 覚悟しろ!」
「我を倒して? 普通の女の子? 意味がわからぬ」
「うるさい! お前さえ亡き者にすれば、私は、私は――」
* * *
“勇者”の加護と共に生まれて十八年。
成長がだんだんと遅くなり、完全に止まったと目されてから五年。
今日も国境を侵す魔物をぶち倒しながら、ケルマはほとほと嫌気がさしていた。
なんでこんなつるぺたのまま歳だけ取っていくのか、と。
おまけに、だからといって長寿でも不死でもなんでもない。
過去の“勇者”の加護持ちを調べても、成長しないくせに寿命は普通、などという実績ばかりなのだ。
それならそれで、せめて十六くらいの女子盛りで止まるのならまだしも、こんな子供のままなんて――いい加減泣きそうである。
“勇者”ケルマは考えた。
“魔王”――つまり魔国の王をぶち殺せばいい。
そもそも、文献からも明らかなのだ。過去の“勇者”たちだって“魔王”を倒した後に軒並み全員が結婚して幸せ生活を送っている。
つまり、ケルマが歳を取らないのは「勇者たるもの、魔王を倒して世界に安寧を齎せ。しからずんば幸せを与えん」という天の意志なのだ。
そう、端的に言って、すべての元凶は“魔王”である。
嵐が続くのも、耕作地が荒れるのも、作物の出来が悪いのも、家畜に疫病が流行るのも、ケルマが子供のままなのも、全部――全部全部“魔王”のせい。
そうに決まっている。
よし、ならば戦争だ。
ひとりで魔王城にカチコミかけて、魔王を殺ってしまおう。そうすれば、“勇者”の加護だって消えて、普通の女の子になれるはず。
世界だって平和になるはず。
* * *
「私の幸せのために死ね魔王!」
大上段から振り下ろされた斧を片手に携えた長杖で受け止めながら、バハルダールは困惑を隠せなかった。
魔族と人間の間で戦争があったのは、もう二百年は前の話だ。
それだって、魔力を持った単なる獣に過ぎない魔獣やら、魔族のならず者やらがたまたま人間を襲ったことによる誤解が発端だった。
現在、しっかりと協定を結んだ二国は、それなりの信用を築いてそれなりにうまくやってきたはずだ。
「なぜ友好国の勇者が我を襲撃するのだ!」
「それが宿命だからだ!」
宿命?
さらなる困惑がバハルダールを襲う。
宿命だと言い訳しつつ隣国の王を暗殺し、二国の均衡と平和を脅かそうというのか、この人間は――いや、自称勇者は。
長く重い戦斧を軽々と振り回しながら、ケルマはなおも言い募る。
「お前を殺らなきゃ私は乙女になれないし結婚だって幸せだって遠いままだしだから私の幸せのために今ここで死ね魔王!」
――そもそも、人間が持って生まれる加護とやらは、別に神から与えられたものでもなんでもない……というのが、魔王の理解だし魔国の常識でもあった。
人間自身の持って生まれた魔力がどう発露するかの違いにすぎないものを、人間が、彼ら自身の信仰に従って、神からの授かりものと解釈しているだけなのだ。
それに、魔族に比べて人間はたいして大きな魔力を持っていない。
ゆえに、人間の言う加護とは大抵の場合、ちょっと身体が頑丈だったりちょっと力が強かったりちょっと器用だったりちょっと他人からモテたりちょっと物覚えが良かったり――と、地味な効果を現すものでしかない。
ところが、魔族にも魔力無しという例外がいるように、人間にもとんでもない魔力を持って生まれる例外がいる。
そういう人間は、だいたい“勇者”だの“聖女”だのと、その魔力がどういう方向に発現するかによって呼び分けられている。
――つまり、目の前の娘は、その魔族並みの魔力が暴力的なパワーを強化する方向に発露したがゆえに、“勇者”の加護持ちとされたのだろう。
魔王にとって、ものすごく迷惑なことに。
「要するに、貴様は、己の“加護”とやらが我を倒すために天から与えられたものだと、そう言いたいのだな!」
「そう! だから! 私の幸せのために死ね魔王!」
「そして貴様は、身体の強化ばかりにかまけて頭の強化は怠ったクチだな!」
うっ、と言葉に詰まったケルマの力が緩んだ。
バハルダールはその隙を突いてケルマを突き飛ばし、距離を取る。
「かつての戦争以降、我が魔国と貴様の国は協定を結び、共存の道を歩んでいる。そこは理解しているのか」
「うっ……」
「うっ、ではない。いわば我ら魔族と人間は現在のところ同盟関係にあり、お互いを友人と見做し不可侵の関係にある。
なのに、なぜ貴様は我を――この魔国と魔族を統べる王を襲う」
「だ、だって……」
「しかも、城の裏手の崖を登り、いきなりこの本館へ押し込んで、だ。それは“勇者”たる者の手口なのか?」
ケルマはうぐぐと黙り込む。
指摘は至極もっともで、返す言葉もない。
だが――
「すっ、すべて仕方のないことだ!」
「何が仕方ない! 貴様は再び戦争を起こしたいのか!」
「そんなの魔王さえプチっとやれば戦争なんかにならないから大丈夫!」
プチっとキレたのは魔王バハルダールの血管のほうだった。
バハルダールは無言で杖を振り上げ、そして振り下ろす。
たったそれだけで勇者ケルマの身体を風が切り刻み、稲妻が撃つ。
「な、な、いきなりとはひきょ――」
「卑怯などとはどの口が言うか」
さらに頭上から空気が重くのし掛かり、ケルマの身体を床へと縫い付ける。みし、と軋む音がして、ケルマの周囲の床に亀裂が走る。
「腐ってもさすが“勇者”を自称するだけはある。なかなかに頑丈だ」
フン、と鼻を鳴らして睥睨するバハルダールを、ケルマがもがきながら見上げた。
「くそ、離せ! 堂々と勝負しろ魔王!」
「だからどの口が“堂々”などとほざいているのだ」
指で押さえつけられた甲虫のように、ケルマは手足をバタつかせて暴れ続ける。
この状態のケルマの首を飛ばすのは簡単だろう。バハルダールがちょっと指を動かして空気に断裂を作ればいいだけだ。
たいした労力じゃない。
だが、その後――仮にも人間から“勇者”と呼ばれる存在を殺してしまった、その事後処理が問題だ。
「襲われたから返り討ちにしました」という連絡だけで済むなら、戦争なんて起こらないのである。
「――我を襲撃した“勇者”とやらは貴様で三人目だが……己の幸せを掲げてきたのは貴様が初めてだ。いったい何なのだ。人間は退化したとでも言うのか」
どうしたものかと思案するバハルダールの目前で、バタバタバタバタとひたすらに暴れていたケルマがだんだんおとなしくなっていく。
ようやくこの状況を理解し観念したのかと、バハルダールはほっと息を吐いた。
「うう……」
そのうち、ケルマの口から嗚咽のような声が漏れ始めた。
さすがの脳筋バカも、己がしでかしてしまったことの大きさを理解したらしい。
バハルダールはもう一度大きな溜息を吐いて、「“勇者”よ」と呼び掛けた。
「貴様の“加護”とやらは、貴様の身の内から出たものだ。我を弑したところで無くなるものではない」
「だって……うぅ……」
「何を考えてそのような結論に達したかは知らぬが、少々短絡的に過ぎたな」
ケルマは泣いた。
今までになく泣きながら考えた。
いったい何をどこで間違えてしまったのか。かつて、“勇者”の加護を持って生まれ、“勇者”と称された者たちは、たしかに魔王を倒して結婚して幸せに……幸せ……
「あ」
「ん?」
ケルマは気づいた。
バハルダールを襲ったのはケルマが三人目だと、他ならぬバハルダール自身が言ったじゃないか。
ならばバハルダールは“勇者”がふつうの女の子になって結婚するための鍵を持っているに間違いない。絶対に間違いない。
つまりバハルダールから勇者であるケルマがつるぺたのちバインバインに成長する方法を聞き出せばいい。
「魔王――」
「なんだ」
突然泣き止んだケルマを、バハルダールは胡乱げな表情で見下ろした。
「教えろ」
「何の話だ」
殺気を感じたバハルダールは、ケルマに対する圧を強化する。
鉛のように重い空気の塊が、ケルマをさらに押し潰し――
「教えろ魔王! 私が成長するための秘密を!」
パン、と破裂するような音を立てて、ケルマが跳ねるように立ち上がった。
「なっ、貴様――」
「秘密があるんだろう! 勇者の私がちゃんと成長してバインバインになってモテモテのおねえさんになれるような秘密が!」
「そんなものあるか――やめろ! 何をする気だ貴様!」
まるで野の獣のようにケルマが飛び掛かる――が、顔を引き攣らせたバハルダールは、虫が何かのようにベシッと平手で叩き落とした。
「うう……」
地面にうずくまったケルマは、そのまま動かなくなった。
じっと伺っていると、そのうちふるふると背を震わせはじめて――さすがのバハルダールも、つい、声を掛けたくなるような哀れさが滲み出る。
「私だって……私だって、いつかお風呂と夕食と私の三択を夫に迫ったり、大人の格闘技を夜中じゅう堪能したり、そんなかわいいお嫁さんになりたいんだ。
なのに、誰も私なんて相手にしてくれない……」
が、漏れ出る声は呪詛でも唱えるような、地を這うような低いものだった。
「いいなと思った男子が飴くれるんだ。私に棒付きの飴ちゃんくれながら、もっと食べて大きくなったらなとか言うんだ――その絶望感がわかるか、魔王。
おねえさんになるのもお嫁さんになるのも、私には過ぎた夢だというのか?
私は、こんなようじょのまま一生を終えなきゃいけないような、重大な罪を犯したとでも言うのか?」
「それは……」
今度はバハルダールが口籠る。
だが、そんなこと言われても、バハルダールだって困る。
かつて魔王を襲撃した“勇者”たちのことを必死に思い出しながら、何と答えるべきかを必死に考えて……
「――魔力の放出が足りないから、か」
「え?」
ふと思いついたことがぽろりと口からこぼれ出た。
「なるほど、だから奴らは我の部下と戦った後、すんなりと引いていったのか」
「え、もしかして、おねえさんになる方法があるとか?」
期待に満ちた表情のケルマが顔を上げた。
先ほどとは打って変わって、キラキラと目を輝かせている。
「それは知らぬ。
だが、貴様の前に現れた“勇者”どもは、皆、我の部下と死闘を繰り広げた挙句、なぜかスッキリとした顔で帰ったきり、二度とここへは現れなかった。
部下が疲労困憊する以上の被害らしい被害はなかったため、貴様の国元へ厳重な抗議をするだけで手打ちとしたが……」
「つまり、魔王城で道場破りすればおねえさんになれる!?」
「だからそれは知らぬ!
しかし貴様が成長できないというのは、貴様が“勇者”と呼ばれるほどの強い魔力を溜め込み過ぎ――あ、待て、どこへ行く貴様!」
「魔王城の入り口から順番に決闘してくる!」
バハルダールの静止も虚しく、ケルマは一瞬で走り去った。破られた窓と、片手を上げたまま唖然とするバハルダールだけが、その後に残される。
魔王バハルダールに実力行使の隙も見せずこの場を去るとは、さすが「勇者」と呼ばれる者か……だがしかし。
ハッと我に返ったバハルダールは、慌てて伝令用の魔具を手に取った。
「魔王城の総員に告ぐ!
魔王城は現在“勇者”を名乗る人間より無差別攻撃に晒されている!
敵は“勇者”のみ、見境のない狂犬と思い、発見次第ただちに取り押さえよ!
戦えぬ者はただちに下城しろ!」
後に、「新月の勇者事変」「勇者の無差別果たし合い」と呼ばれることになる勇者の魔王城破りは、その日から十日ほど続いたらしい。
その後、ケルマがバインバインのお嫁さんになって夫に究極の三択を迫ったかどうか定かではない。