幕開け
何ともない日常だった。県内でも真ん中位の偏差値の真ん中位の成績で1年間の高校生活を続けて、後輩を持つ身になった2年生。他人と比べて運動が出来る訳でも無く、勉強もそこそこ。
どこにでもいるような量産型の男子高校生が、片手で足りる位の友人と熱の無い青春を送って居る。
本当に何でもない様な、夏の終わりの放課後の事だったんだ。
「おーい。誠二今日の放課後、カードゲームしようぜ。」
「あれ、お前今日他校との練習試合があるって言ってなかったっけ。」
放課後のホームルームが終わって帰宅の準備を進めている俺に話しかけてきたのは小学生からの腐れ縁の|白井 晃。リーダー気質で運動も勉強も上位に食い込む幼馴染だ。近所の戸建てに住んでいるので登校も下校も同じ道を通る友達で、なんというか、不思議な奴だ。
「あー、それな。昨日橋から川に飛び込んだんだが、その時に足首を捻ってな。大事を見て休めってコーチに言われたのよ。」
晃の脚に視界を下げても怪我をしている様には見えない。つまりはその程度の怪我と言う事だろう。
「飛び込んだって・・・総合公園の?」
「いや、北大橋の所。」
「無傷で動画撮ってたら勇者だったな。それで怪我してちゃ阿保としか言えないが。」
総合公園の池に浮く蓮の花を見る為に掛かる歩道橋で在れば水面との乖離は少ない。あの池の深さは知らないが水面から歩道橋まで数十センチも無いだろうが、この馬鹿が飛び降りたのは県道を兼ねた巨大な大橋で、町内の輸送を担う為にトラックが行き来している頑強なものだ。
確か、目測で少なくとも学校の3階位の高さはあった筈。考えるまでも無く危険な距離だし、俺だったら死を覚悟する高さだ。軽い怪我だけで済んだのは不幸中の幸いと言うものだろう。
「阿保だなんて失礼な。大橋から飛び降りても足を挫くだけで済むって解ったじゃないか。」
「少し考えれば判るだろ常識的に考えて。」
俺が呆れながらため息を吐くと晃は少しおどけた様に肩を竦めて言った。
「一理ある。が、経験を伴ってこその知識だよ。俺は頭でっかちの学者じゃねーの。何事も実戦よ?」
「それで、試合に出れなくなってカードゲームかよ。」
俺は自分の机と前の生徒の机を向かい合わせでくっつけてカードをシャッフルする。晃も口を尖らせながら自分の鞄からカードのデッキを取り出してシャッフルし始めた。
「別っつにー。好きでサッカーやってるわけじゃないしー。」
「あれ、お前小学生からサッカーやってなかったか。なのに好きじゃねーの?」
「出来るからやってるだけ。奨学金とか内申点獲りの為に仕方なくよ?正直、球蹴って何が楽しいかかと。猫じゃないんだからさ。」
「流石に草。」
口ではそう言いながらも俺は晃の言葉に何となく、同調していた。何も起こらない平凡な毎日。同じ時間に起きて、同じ事をする判を押したような生活に自分の中の理性が叫んでいる。もっと、楽しい何かがある筈だと本能が叫んでいる。
手慰み程度のカードゲームを数回戦、中学生時代からやっているゲームなだけに戦術に淀みは無い。相手がこう動いたら、こうやって対処する。カードゲームも回数を重ねれば唯の作業で、単なる暇つぶしでしかない。俺だって大人みたいに冷めてるわけじゃない。自分の内に宿る、熱い情熱をぶつけるに足る。そんな何かが欲しかった。
俺達以外に数グループしかいない様な、夕日の差し込む教室に遠くから部活をして居る生徒たちの声がする。ゲームの最中、俺が軽く目を閉じると晃は「屋上に行こうか」と言ってカードを仕舞って鞄を担いだ。
この高校の屋上へ向かう扉には施錠がされている。高校生と言っても先生から見れば当然、子供なのだ。フェンスを乗り越えて地上へダイブする生徒が居るかもしれない。だからこそ、通常の施錠に加えて鎖と南京錠でぐるぐる巻きにされたドアノブが俺達には鬱陶しかった。
俺達は階段の踊り場の上にある換気のための小窓をくぐって壁のヘリを伝って屋上へ向かった。小窓は校庭の反対側にあり、見下ろしてもゴミの集積所があるだけで人通りは少ない。校庭から部活中の奴らに見られる筈も無く、高校に入って7回目の屋上には難なく辿り着いた。
フェンス越しに夕焼けに映える校庭と部活に励む生徒を見下ろし、何となく呟いた。
「やっぱり、屋上は良いな。」
「人がゴミの様だ。」
ゴミの様。晃の放ったその言葉に何となく、心が傷付いた。自分の青春を捧げる事が出来る部活に入って全力を尽くして試合に臨む。この学校にはそういう生徒もいる筈なのに、自分はどうだろうか。
何もせず、ただ、時間を浪費して、溢れ出る情熱の行き場を探しながらもこうやって、何も出来ないでいる。
「なあ、晃。」
「うん?」
「お前は自分の人生で何をする予定なの?」
「え、なに。センチメンタル入った感じ?」
晃はおどけて言うが、俺にとっては大切な質問だと思った。サッカーを球蹴りと蔑みながらも部活ではエース級の実力で、学力だって俺よりも遥かに高いが、俺よりも馬鹿な行動を多くやっている。
「かも。正直、人生の中で何をすればいいのかが解らない。やりたい事が在る訳でも無いし」
俺にとって晃は不思議な幼馴染だった。少し考えただけでも怪我をするという事は解る筈なのに平気で危険な事に飛び込む。今回だって、サッカーに必要な足を怪我した。奨学金の為にやっているなら、尚更、怪我する前提で当たり前の事を証明する為に飛び降りなんてしない。リスクに対してリターンが無さすぎる。
だからこそ、他の誰でも無く晃に質問した。自分のから回る熱を何処にこそ向けるべきかを。
「うーん。俺は、やりたいことをやるって決めてるからなぁ。誠二は視点を変えてみるべきだと思うぜ。」
「視点?」
「俺が小学生の頃さ、家族で遊園地に行ったのよ。俺とねーちゃんは帰りの車で疲れて寝る位はしゃいでたんだけど、親父は詰まらなさそうにしててさ。母さんも『子守り』してるって感じでさ、笑顔なんだけど楽しんでないみたいな。」
俺にも子供時代、親との感情の違いを自覚する事は度々あった。川で見つけた綺麗な石を母親に捨てられた事が脳裏に過ぎる。
「教室でオタクグループがアニメの話してるだろ?女子グループはドラマの話してるけどオタクグループを指さして貶してる。同じテレビ放送なのにさ。遠目で見たら差異なんて無いんだよ。全員テレビの前で座って画面見てるんだから。だから結局の所『楽しもうとする気概』が必要なのかなって。自分がやってることを楽しもうとしてれば楽しくなって来るみたいな。」
「楽しもうと努力すればいい、って事?」
「まあ、端的に言えば。詰まらないって言いながら何もしないのは『そりゃそうだろ』とは思う。何もしてないんだから。何かをすれば結果が出て来るんだよ。良い結果か悪い結果かは知らんけど、それを楽しめば良いんじゃね?」
俺は少し考えて、オレンジ掛かった空を見つめる。今までは平凡が良いと思っていた。兎に角失敗しない事に重点を置いていた。普通に過ごせば普通の人生が手に入ると思っていた。
しかし、俺にとって平凡な日々は余りにも退屈だった。ぬるま湯の中で藻掻く様な毎日に嫌気が差したから。だから、非凡を欲してしまったんだ。
オレンジ色の太陽が紫がかって沈んで行く。相談に乗ってくれた晃にジュースでも奢ってやろうと考えてあと少しで沈む太陽に背を向けた時に、ギシリ。と世界が歪んだ気がした。
「あれれ、なんでニンゲンが此処に居るの?ずっとニンゲンの匂いはしなかったのに。」
「えっ?」
声がした方向に振り返ると、金色の長髪に巫女服姿で幼さなく、未熟な雰囲気の狐娘が其処に居た。屋上には誰も居なかった筈なのに・・・。
「うーん・・・。困っちゃったなぁ。ココアは見つかっちゃいけないのに・・・。どうしよっかなぁー。」
くねくねと身体を揺らし、唇に指を咥えて奇妙な少女はブツブツと呟く。頭上に生えている狐耳がゆらゆらと揺れており、先端が白色の尻尾が狐耳に連動していた。一瞬だ。一瞬目を離した隙に物音を立てずに現れた。つまり、俺の認知の外から近付いて攻撃する事が出来るって訳だ。
現実の光景とも取れぬ非常事態に指先まで冷たくなった俺は、震えた声で彼女に話しかける。
「おぉお、お嬢さん。」
「うん、なぁに?」
俺が話しかけると彼女は考えるのを辞めたのか俺に少しだけ近付いて上目遣いでこちらを見上げる。スカイブルーの両眼には猫の様な縦筋の瞳孔。その狩人らしい瞳に恐怖を覚えつつも続けた。
「お、俺たちはお嬢さんを見つけた事を誰にも言わないから君も誰にも言わないでおいてくれないかな?お嬢さんも・・・見つかっちゃいけないんだろ?俺達が誰にも言わなかったらセーフじゃろ?」
最期は、噛んだ。しかし、俺は正気では無かった。この非常事態を如何にかして潜り抜け、言いようも無い恐怖感を払拭したかったのだ。
「うーん。でもね、まおーさまが見つかっちゃいけないって。ヒミツの任務なの。」
「!?」
なんで、秘密の任務の存在を俺達に伝えた!?コイツ・・・。俺達に何らかの機密をばらして、それを理由に殺すつもりかっ・・・!。
「じゃ、じゃあさ、君も俺達もこの事は秘密にしなくちゃな?秘密の任務なんだろ?だって、秘密なんだから。秘密にしなくちゃ・・・。な?」
俺の頭には秘密と言う単語が渦巻き、脳内でゲシュタルト崩壊を起こしていた。自分でも話している意味が解らん。しかし、何とかしてこの危機を脱っしなければ明日が無い可能性すらある。
肉食獣特有の獰猛さが判る見た目をした人型。もし、人間と同等の知能を有した獣で在ったら・・・?
知能はその容量で決定されるのだ。俺は嫌な予感が拭えない。
「んー?そうなのかなぁ。」
彼女は首を傾げて考え込んだ。
隙が出来たっ!このまま押し通す!
「それはそうさ、お嬢さん!秘密の事なんだから、俺達は誰にも言わないし、君も、誰にも言わない。これで秘密だろ?それとも、お嬢さんは秘密を誰かに話すのかな?」
「ううん、ヒミツだから誰にも言わないよっ!」
彼女は口を両手で抑え目を閉じた。強引だったが、何とか説得が通じたのだ!勝ったッ!
「じゃあ、この事は秘密だね。俺たちは帰るけど君も早く帰った方が良い。夜は暗いから危ないよ。」
「大丈夫だよっ。ココアは夜でもきちんと視えるから。」
夜目が利くのは夜行性の肉食獣の特徴じゃないか!
肉食獣には獲物の巣を特定してから襲う物も居るという、普段では使えない雑学が俺に更なる恐怖を与える。
「そ、そうか。それでも、気を付けて。油断大敵って良く言うだろ?」
「はーい。解りましたっ!・・・お兄ちゃん。お名前は何ていうの?」
「パッ。」
変な悲鳴が出た。
「ぱ?」
「パンデモニウム田中だ。」
本名は当然教えない。思わずカードゲームのモンスターの名前に何処にでもある苗字を使ってしまったが大丈夫だろうか・・・。
彼女は目を一瞬、見開いて俺に笑顔を向けた。動物間に於いて笑顔とは即ち威嚇である。
「そっかー、変な名前。ココアはねー。ココアだよ!覚えてね。」
「ああ、ココア・・・さん。」
敬称を付けるか迷ったが、人語を話している時点で繊細なコミュニケーションを取る事が出来る種族である事は確定している。
俺はココアが目上であると謙った。社会性をもつ生き物は上下関係を作りたがる。虫にも魚にも馬にも人間にも、虐めがあるのだ。動物社会に於いて上下関係を決定付ける闘争の一つと言えるだろう。
「ココアって呼んで?みんなそう呼ぶから。」
「ああ、わかったよココア。じゃあ俺たちは帰るから。」
「わかった。じゃあねっ!ばいばい。」
ココアが手を振り瞬間、霞の様に消えた。俺は狐にでも化かされていたのだろうかと言う不安感と、恐怖からの解放感に尻餅をついた。
「晃、早く帰ろう。」
俺は夏の暑さとは別の汗が、夏の夜風で冷えていく。少し冷たくなった身体を感じながら晃に声を掛けた。
晃は何も言わずに頷き、俺たちは屋上を後にした。