表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

ホラー小説集

駅広告の偶像

作者: 大浜 英彰

 西日本学園大学文学部2回生の私こと小林千種(おばやしちぐさ)は、ホームに滑り込んできた各停電車を一目見て、深い後悔の念に襲われた。

『うわぁ、混んでる!一次会で帰ればラッシュに遭わなかったのかな…無理を言って、彩良さららの下宿に泊めて貰えば良かったかも…』

 大学で所属するテニス部の飲み会で生中を何杯もお代わりし、飲み足りないからと二次会まで行った自分が恨めしい。

 しかし、この時間帯では電車の残りは少ないし、バスに乗る都合もある。

 自宅の最寄り駅まで立ち通しになるのは覚悟の上で、私は女性専用車両に乗り込んだの。


 学祭のミスコンにノミネートされる程のルックスじゃないにしても、私だって成人式を迎えて間もない女子大生。

 飲み過ぎて結構酔ってはいても、痴漢を避けるために女性専用車両に乗り込む分別は残っていたんだ。

 でも、私と同じ考えを持つ女子学生やOLさんが多かったのか、専用車両は輪をかけた混雑具合だった。

「すみません、お邪魔します!」

 どうにか体を捻じ込んだものの、座席はおろか吊革や手摺りに至るまで先客に占拠されており、自分の足で踏ん張るしか、体重を支える手段がなかったの。

『あーあ、早く着かないかなぁ…』

 初々しいOLさんの背中に自分の胸を押し当てるような体勢になった私は、軽く溜め息をついたんだ。


 だけど、溜め息ばかりついていても仕方ない。

 もうじきこの沿線はカーブに差し掛かり、車体が結構揺れるんだから。

「カーブに差し掛かりますので、手摺りや吊革をしっかりとお持ち下さい。」

 そら来た!

 車掌さんのアナウンスは正論だけど、手摺りも吊革も先客がいて、新参者の私が掴まる余地なんてないんだよね。

 かと言って、OLさんの華奢な背中に体重を預ける訳にはいかないし…

「キャッ…!」

 苦し紛れに手を伸ばし、何とかバランスを取る私。

 お陰で転倒は免れたんだけど、「ビリッ!」と何かが破れるような音が聞こえたんだよね。

「ふう、やれやれ…」

 急行と連絡する次の停車駅で乗客がガサッと降りてくれたため、ようやく私は人心地がつけたんだ。

 さっきのOLさんも降りちゃったみたいだね。

 それにしても、あの「ビリッ!」って音は一体何だろう…

「あ、ああ…」

 正直言って、見なければ良かった。

 バランスを取るために私が左手で掴み、心ならずも破いてしまった物は、春の周遊乗車切符を告知する中吊り広告だったんだ。

 始末の悪い事に、周遊切符のイメージガールに抜擢された、栂美木多(とがみきた)46の西原(にしはら)サクラの顔写真が、無惨にも引き裂かれてしまっていたの。

 美しく整えられた右眉から、柔らかそうなピンク色の左頬へとザックリと。

 在りし日の笑顔が愛らしいだけに、余計に惨たらしかったね。

「ご、ごめんなさい…」

 この場にいない西原サクラと栂美木多46の関係者へか、或いは中吊り広告を管理する電鉄会社へか。

 伝える相手を想定していない謝罪の言葉に、返事なんて来るはずがないと思っていた。

 だけど…


-許さないよ。

 氷のように冷たい拒絶の返事が、私の頭の中に直接響いてきたんだ。

『はっ…!』

 射抜くような鋭い視線と一緒にね。

『だ…誰なの?』

 とっさに車内を見渡してみる。

 私と同年代の女子大生達に、それより数歳か一回り年上なOLさん達。

 車内に残った女性客は、寝てたりスマホで暇潰しをしていたりと、私にはお構いなしだった。

『気のせい?さっきのあれは…』

 何気なく顔を上げた時、目が合ってしまった。

-痛かったよ、どうしてくれるの?

 ザックリと引き裂かれた、西原サクラの中吊り広告と。

-なんで目を逸らすの?貴女がやったんだよ!

 そう咎められている気がして、思わず視線がそっちに向かってしまう。


 居たたまれなくなって別の車両に移動しても、問題は解決しなかった。

 西原サクラの中吊り広告は、その車両にも複数枚掲示されていたからだ。

 無傷な中吊り広告の中で笑う西原サクラが、私を見つめている。

 憎悪のこもった視線で。

-逃げてきたの?

-私達の仲間を傷つけといて?

-なんて厚かましいの?

 そんな呪詛の言葉が、次々と私の頭の中に響いてくる。

「違う…違うの!わざとじゃなかったのよ…」

 小刻みに頭を振りながら、ブツブツと小声で弁明を続ける私。

 その姿に只ならぬ気配を察した乗客達が、身を引いていく。

 多少肩がぶつかったり、足を踏んでしまったけれど、咎める声は上がらない。

 乗客達は私を、異常者を見る目で盗み見ていた。


 やがて、自宅の最寄り駅への到着を告げる車掌のアナウンスを耳にした私は、シルバーシートの最奥部で顔を上げた。

 ここなら車両の端だから、西原サクラの中吊り広告とも目を合わせなくて済む。

 そう思って、ここでガタガタと震えていたんだ。

 耳を塞ぎ、頭を抱えて小さく丸まった姿勢から、ゆっくりと立ち上がる。

 立ち上がった瞬間、車内の乗客が一斉に私から目を逸らせた。

 異常者と関わり合いたくないというのも、無理もなかった。

 私だって、中吊り広告からの異様な視線から逃れたいのだから。

 とにかく、さっきの電車から離れよう。

 家に帰ってグッスリ寝て、新しい朝を迎えれば、この悪夢ともお別れ出来る。

 そんな淡い期待を抱きながらエスカレーターを上がりきった私の視界に、恐ろしい物が飛び込んできたの。

-逃げられるとでも、思っていたの?

 駅ナカ広告のスペースに、西原サクラのポスターが貼られている。

 それも、何枚も。

「あ…ああ…アハハハハハハ…!」

 人目もはばからずに虚ろな笑い声を上げる私の中で、何かが壊れていった…


 私の名前が新聞各紙の一面を飾ったのは、それから数日後の事だったらしい。

「本物の西原サクラを殺せば、中吊り広告は回収され、呪詛の声も聞こえなくなる。」

 そう考えた私は、出刃包丁を持って栂美木多46のコンサート会場に乱入するも、警備員数名を傷付けただけで、あっさり逮捕されたみたいだ。

 取調室での刑事さんとのやり取りや、留置場に収監された新入りの被疑者から聞いた情報を継ぎ接ぎすると、そうなるらしい。

 要するに、私はアイドル殺害未遂事件の現行犯になってしまったんだ。

 しかし精神鑑定の結果、私は責任能力の無い心神喪失状態と認定され、私の身柄は精神科の閉鎖病棟に移される事になったの。

 正直に言って、今の環境は私にとって実に快適だ。

 拘束衣で手足は動かせないけど、定期的な投薬のお陰で、西原サクラの呪詛の声は、今では少しも聞こえない。

 壁や床が柔らかい素材で出来た白い部屋は、テレビもなければ新聞もないし、同居人だって存在しないから、栂美木多46や西原サクラの姿を見る事も歌を聞く事は勿論、その情報を耳にする事だってないんだ。

 私を診断してくれた精神科医の先生が「社会復帰の見込み無し」とカルテに書いてくれたお陰で、私には年金が下りる事になったらしい。

 要するに、私の人生は安泰だって事。

 もう勉強も就職活動も、婚活だってしなくて良いみたい。

 だけど、おかしいね。

 時々無性に、涙が出て来るんだよ…

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 話の流れは凄く好きです。小さな罪悪感がずっと抜け無いトゲのように自分を苦しめる事、ありますね。それが全てを狂わすのは正しくホラーだと思います。 [気になる点] もうちょっと長い文章で読みた…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ