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いつもの場所で

作者: ポルシチ


「いつもそこにいるな」


 俺がそう話しかけると、彼女は長い髪を揺らしながら驚いた様子でこちらを振り返った。どうやら俺が図書室に入ってきたことにも気づかなかったらしい。


 この高校の図書室は入り口のドアの立て付けが悪いのか、それとも単純に古いからなのかはわからないが、開閉するたびにきしんだ音をたてる。それほど気になる大きさでもないが、図書室という空間には似つかわしくないのは間違いない。そのため、図書室にいる人はその音から誰かが入ってきたことに気付く。その音にすら気づかないほど彼女は読書に集中していたのだろう。


 さらに、彼女の座る席が一番奥まったところというのも関係しているかもしれない。この学校の図書室は決して狭いわけではないのだが、彼女の席は図書室の入り口から一番奥まったところになる。彼女からすれば、その位置が一番落ち着くのだろう。


 それにしても、今日の図書室はいつも以上に静かだ。この時間の図書室は主に司書の先生と一人の生徒くらいにしか使われていない。しかし、いつもカウンターで蔵書管理をしているその先生も、先ほど校内放送で職員室に呼ばれたため今は不在である。


 その静寂の住民からすれば、突然の来訪者ーつまり俺のことだがーが現れれば、当然驚きもするだろう。そんな簡単なことに気付かなかった自分に、苦笑してしまう。


「悪いな長谷。別に驚かせるつもりじゃなかったんだ」


 俺の目の前であたふたとしている長谷は、人見知りというか、あまり人との付き合いが得意ではない。こうしたイレギュラーなことが起これば、当然慌てる。目の前の彼女は、特に乱れてもない服装を整えながらも、その目線はずっと足元を向いていた。


「あ、えっと、大丈夫。ただ、本に集中してたから、ちょっとびっくりしちゃって」


「邪魔しちゃったか?」


 教室での雰囲気からも察してはいたが、やはりいきなり声をかけるのはやめておくべきだったか。だが、先生のいない今がいいタイミングだと思った。やはり、図書室で私語は目立つ。それに、今の会話を人に聞かれるのは憚られた。


「そんなことないよ!」


 ただ、おおげさなほど首と手を振ってそう答えてくれる長谷の姿を見ると、悪い気がしてならない。


「えっと、中林君、その、何か用だったんじゃ……?」


 少し落ち着きを取り戻した長谷が、不思議そうに、かつ、少し警戒しながら聞いてくる。そこに、俺と彼女の関係性が表れている。


 長谷との関係は、特に用がなければ話すことはないくらいの関係だ。同じクラスだし、挨拶くらいはするが、これといって仲がいいわけでもない。だからこそ、こうして図書室で会うことも、ましてや会話することは何かしらの目的がなければ起こらない。


 ただ、いつも長谷が放課後に図書室にいることは知っていた。しかも、いつも決まった席にいることも。


 この図書室は、入り口から入ってすぐ左手に受付カウンターがある。そして、カウンターを左手にしてそのまま真正面に進み、本棚の合間を縫って進むと自習スペースが広がっている。自習スペースとはいっても長机の数は多いわけでもないし、わざわざ放課後に図書室に来る生徒もほとんどいないのであまり使われていない。中間や期末試験が近づくとちらほらと使用されているようだが、窓際にあるこの長机たちは、日当たりがいいという罠がある。この罠にまんまとはまり、つい寝てしまう奴が後を絶たない。


 その長机たちに向かって右手側一番奥、つまり、図書室の入り口から一番遠くのテーブルの席が長谷の定位置だ。しかも、試験前とか関係なく、おそらく図書室が開いている日はいつもいるように見える。別に俺は図書室によく来るわけではない。ただ、俺が図書室に来るときはいつも、長谷はこの席に座って本を読んでいる。


「いつも何読んでるのか気になったからよ」


 長谷がいつも読んでいる本が気になっていたのは、別に嘘ではない。ただそれは、長谷の気になるところのうちの一つでしかないというだけだ。それに、今日声をかけたのは何か特段用があったわけでもない。いや、声を書けようとは前から思っていた。ただ、読んでいる本が気になっていたわけではない。


「あ、これは、えっと」


 表紙を見せながら丁寧に教えてくれるが、別に変な本を読んでいるわけではなかったし、最初からそれはわかっていた。ただ、これが無難な会話のネタになりそうだと思ったからそう話しかけただけだ。


「推理小説か。おもしろいか?」


「この本は、ちょっと微妙かな」

 

 本好きの長谷にしては意外な反応だった。いつも真剣に本を読んでいるから、きっとお気に入りのシリーズか作家のものを楽しく読んでいるのだろうと勝手に思っていたが、どうやら違うようだ。


 どの程度から読書家というかは知らないが、俺からすれば彼女は立派な読書家だった。彼女の傍らには常に本があり、また、その本の入れ替わりも週に一回は必ずという具合だ。単純に計算すると、年間で50冊弱は読んでいることになる。今時の高校生からすれば、驚異的な読書量だろう。


「おもしろくなくて読み続けはするんだな」


 長谷のお目にかなわなかったその本は、しおりの位置からして中盤くらいまで読み進められている。


「もしかしたら、最後におもしろくなるかな、なんて思って」


 そう言いながら恥ずかしそうに笑う長谷を見て、彼女らしいなという感想を抱区と同時に、もっと彼女について知りたいと思う自分がいる。


「おもしろくなるといいな」


 どことなく恥ずかしく感じ、それを誤魔化すように何とか言葉を絞り出す。だが、なかなか落ち着かない俺は、持っていた本を机に置くと意味もなく表紙のずれを揃える。


「中林君」


「ん?」


「中林君は、その、本は好きなの?」


 俺が本を持って来たことと、話の流れ的にそう考えて話題を振ってくれたのかもしれない。もしかすると、俺が毎週図書館に来ているのにも気づいているかもしれないと思うのは、意識し過ぎだろうか。ただ、こうした細かいところに目が行くというと悪く聞こえるかもしれないが、彼女の観察眼は実際優れていると俺は思っている。


 彼女は人との関りはないが、人のことはよく見ていると思う。いつも彼女は、相手の機嫌を見ながら会話をしているように感じる。別に変に低姿勢ということではないし、おべっかばかり言うというわけでもない。ただ、相手の感情を察する力が人よりも高いように見える。


 ただ、困ったことに今の俺にその力が発揮されるのは避けたい。しかし、ここで馬鹿正直に本は好きではないと言うのは悪手だろう。というよりか、好きじゃないといったときに長谷ががっかりする姿が見えるだけに、それはできない。


「まあ、嫌いではないな」


 俺が苦し紛れに嘘ではないが曖昧な回答をすると、それを前向きに取らえてくれたのか、長谷は警戒を解いてくれたようだ。今度は、嬉しそうにしている。


「そっか。たまに中林君を図書室で見かけるから、そうなのかなって思って」


「ああ、これは、なんというか」


 まさか本当に俺の姿に気づいてたとは思はなかっただけに、嬉しさが込みあげてくる。と同時に、先ほどの俺の発言にも気づいていたのではないかと、少し心配になった。やはり、変に見栄を張るべきではないものだ。

 

 それでも何とかここは冷静を装い、この後の会話をどう進めるべきが考える。ただ、本を買うのがめんどうだしお金がもったいないから図書室でただ借りして済ませていただけだった、なんて正直に言っても別に変ではないのだが、なぜか長谷に良く思われようと背伸びしてしまう。


「俺は、なんていうか、自分の好きな本がわからないからさ」


 たが、そうした無理した関係はきっと長続きしないだろう。それに、長谷に対しても失礼だと思い、自分の直な気持ちを―少し脚色してしまったがー伝えた。


「図書室でいい本ないか探しているというか」


「中林君は」


 真面目な声音の長谷に、これはもしかして失望されてしまったかと俺は焦って別の言葉を探す。


「中林君は、慎重に本を選んでから買うタイプなんだね」


「……あ、うん、そうかもしれない」


 だが、まったく別の方向に話が向かい、俺は何も考えずそう答えてしまった。長谷は真面目で根がいいやつだ。だからこそ、そのままの意味で受け取ってくれたようだ。ただ、長谷が相手の感情を人より察する力が高いというのは、修正が必要かもしれない。


「そうだ、せっかくだしおすすめの本とか教えてくれよ」


 これをきっかけに、本を好きになるのも悪くない。それに、本当に本好きになれば、長谷に対する先ほどの後ろめたさも消えるかもしれない。そんな俺のろくでもない考えに長谷は気付かず、純粋に本好きとして相談に乗ってくれた。


「好きなジャンルとかはあるのかな?」


「んー、ジャンルというよりかは、読みやすいのがいいな。ほら、歴史とか国語で扱われるようなのじゃないやつ」


 過去に一度、ものは試しでそういった本を手にしたことがある。題名は忘れたが、言い回しが難しく、内容も理解がしづらいということで、図書室で借りてすぐに返したことを覚えている。その時の司書の先生も、苦笑してた気がする。他にも俺と同じような生徒がいたのかもしれない。


 俺の好みとしては、冒険ものやおとぎ話のようなものの方が合っているようで、そうした話ならすんなりと読めている。それでも当然というか、物語に興味が出ないとどうしても内容が入ってこない。特に、話の主体があちらこちら移り変わるような内容が苦手である。もちろん、推理小説のすべてがそうであるというわけではないだろうが、俺が最初に読んでしまった本がそういった内容だったので、いつのまにか敬遠するようになっていた。


「なるほど……ちょっと待ってね」


 それから長谷は、俺のわがままな要望に合いそうな本を真剣に考えて、図書室にある本のなかからいくつか紹介してくれた。


「このあたりなら、中林君もおもしろいと思うかもだけど、違ったらごめんね」


 本を紹介しているときの勢いとは打って変わって、今はいつもの長谷、どこか自信のなさそうな長谷に戻っていた。そうして彼女が差し出してくれたのは、何と推理小説であった。


「これなら、中林君も楽しめるかなって思ったんだけど……。」


「いや、せっかくだからチャレンジしてみるよ。それに、俺の無茶ぶりに答えてくれただけでもありがたい。ありがと」


  尻すぼみになる彼女の言葉に、俺はまるで彼女が消えていくように感じてしまい、つい食い気味にそう言ってしまった。それでも、長谷が嬉しそうに笑っていたからそれで良かったのかもしれない。


 ふと、気が付けば時間もよい頃合いだった。窓からは夕日に照らされ、遠くの山がまるで燃えているかのようである。しだいに秋も深まり、暗くなる時間も早くなってきている。


 俺たちはいつの間にか戻っていた司書の先生に挨拶をしてそのまま図書室を出ると、他愛もないことを話しながら正門に向かった。


「なあ、長谷」


 もうすぐ正門につく直前というところで、俺は意を決して長谷に切り出す。


「俺一人だともしかしたらこの本を読み切れないかもしれないからさ・・・」


 突然立ち止まった俺の方を、長谷が不思議そうな顔をしつつ振り返る。


「その、今度読み終えたら感想とか、他におすすめの本とかの話ししにいってもいいか?」


 俺の言葉を聞いた長谷は、その大きな瞳をさらに丸くしていた。おそらく、今日だけのことだと思ったのかもしれない。だが俺からすれば、これはまだはじめの一歩である。


 そういえば、いつからだっただろうか。長谷のことが気になりはじめたきっかけは。いつも教室で本を読んでいるのは前から知っていた。あんまり人と付き合うのが得意じゃないことも知っていた。


 きっかけが何だったかは、まったく思い出せない。


「ぜ、ぜんぜん大丈夫だよ!」


 だけど、夕日に染まる校舎を背景に長谷が見せたその笑顔を、俺はきっと忘れないだろう。


 お互いにまだ遠慮というか、緊張感はある。だが、少なくとも今日の出来事は「これから」を作ってくれたと思う。


 今回の新しい発見は、長谷が人付き合いが苦手だがからっきしだめというわけではないことだ。共通の話題か何かがあれば、普通に話せる。


 じゃあ、なぜ長谷はいつも一人なのだろうか。


 俺はまた少し、彼女のことが気になっていた。


 たが、焦る必要はない。


 また、いつもの場所に行けば彼女と会えるのだから。


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