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詩使い

作者: 若葉茂

 青空広場から(うた)使いがバベルへ詩を届ける途中に、言葉の降る泉がある。

 言葉は空の園生(そのふ)から泉の上にはらはらと落ちてゆく。

 花圃の花の上やオラフの鼻の上に降るような、そこだけに降る言葉である。

 水は凸面をなして盛り上がり、落ち散らばった言葉を四方へ押し流している。

 年旧りた言葉、生まれたての言葉、美しい言葉が泉の周りを縁取っている。


ーーー おはよ、植物大博士。お元気ですか?

 ーーー


ーーー 顔なしさん、銀席(シルバーシート)を独占していると、湯婆婆(ゆばーば)に叱られますよ ーーー


 ・・・・・・どの言葉も一様に優しい。


 秋の午後である。

 泉を護る木々の梢には、豊潤な秋の兆しがあらわれている。

 万国の旗をはためかすような風の通る道を、広場から数人の人が登ってくる。

 冗談をいって、くすぐったそうに笑いながら近づいて来る。

 仔犬がじゃれあうような声である。

 女生徒に違いない。演劇部に違いない。

「早くいらっしゃいよ」

「端役じゃね。主役でいくわ」

 先を争う少女のお揃いのものが時めいて来る。

 濃紺のブレザーは時を駆けている。

 臙脂のリボンは襟元で標本箱の蝶のように時を止めている。

 茶色の革靴はこつこつと勤勉に時を刻んでいる。

 子熊のキーホルダーはくすんだ青色のバックに弾んで、時を待っている。

 時は来た・・・・・・。

「わたしが一番ね」

「負けるが勝ちよ」

 決着がついて、泉のそばに寄る。七人である。

 年は中二くらいに見える。宙に浮ける年頃である。軽やかに飛び、朗らかに歌い、素直に書く。

 この七つの星を結ぶのは何の星座か。劇団こぐま座であろう。

 少女の一人が墓場まで持っていくつもりだった、持ち出しの死語を泉の真ん中に投げた。

 凸面をなして盛り上がり、言葉を四方に押し流す泉に投げた。

 死語は独楽のように二三度くるくるとまわり、涌き出る泉の力を受け流すように、しずしずと沈んでいった。

「沈んでしまうのね。どうなるかと思って楽しみにしていたのに」

「沈むに決まっているわ。死語だもの」 

「沈んでしまうのが前から分かっていた?」

「分かっていたわ」

「本当?」

「本当よ」

 指先を使って十字を切る。

「早く朗読しましょうよ」

「そうそう、朗読をしに来たのだったわ」

「忘れていたの?」

「忘れてた」

 テトテト、きつねりすを呼ぶように内ポケットから手帖を取り出した。

 友愛の光が七本の手から流れる。 

 みな友人帖である。学舎(まなびや)の手帖である。

 手帖はどれも三字の漢字がある。

 それは普連土の三字、あまねく大地の土地に連なる、である。

 丘の字体で書いてある。ゲッセマネかゴルゴタか、いや、ペンドルである。

 かわるがわる泉に向かって詩を朗読する。

 潤みを帯びた口元を震わせて詠むのである。

 遠くさまよう友を想う詩である。

ーーー

 黄昏がカーテンをおろし、星のピンでとめるとき

 心にとめよ、なれに友ありと

 いかばかり道はるけくとも

ーーー

 木立のところどころでカナカナという声がする。日暮が想いに同調するのである。

 木立が夕闇に包まれる頃には、硯に向って飛んでゆくであろう。

 この時一人孤独に風に吹かれてきて、七人の背後に立つ少女がある。

 第八の使徒である。

 背は七人の少女より高い。

 年は高二くらいであろう。お利口になれる年頃である。自分を見つめ、微分を解き、美文を紡ぐ。

 ブルーモーメントの私服を着ている。

 菊のような顔立ちから、土蛍の光のような青い目が覗いている。

 蜜蜂が音なうさまを見るように、普連土を覗いている。

 唇は渇いている。

 第八の使徒はどこからともなく手帖を出した。

 自然の手帖である。

 七人の少女は詠んでしまった。

 言霊は泉の面に友達の輪を作った。

 凸面をなして盛り上げたようになっている泉の面を波立たせた。

 第八の使徒は、濃紺のブレザーの袖と袖の間をとおって、泉の前に進み寄る。

 七人の少女はこの時初めて、普連土が未だ届かない土地にある者を知る。

 そしてその透明な黄土色の手に持っている自然の手帖を見た。

 一期一会である。

 日暮がカナカナと鳴いている。

 継ぎ穂の間を日暮の声がしみ入っている。

 一人の少女がようやく訊いた。

「あなたも詠むの」

 声は好奇心に少しの期待を帯びていた。

 第八の使徒は黙って頷いた。

 もう一人の少女が訊いた。

「不思議な手帖ね、ちょっと見せてくださらない?」

 声は好奇心に少しの希望を帯びていた。

 第八の使徒は黙って手帖を差し出した。

 自然の手帖は、手のひらから手のひらへ、結んで開いて、七人を童歌でつなぎ第八の使徒に返された。

「季節の色ね」

「秋色だわ」

「かえるの手のようね」

「楓だわ」

「陽を追いかけて、ひまわりね」

「お辞儀草はおじぎをするわね」

「どんな言葉を預かっているのかしら」

 初めて第八の使徒の今まで結んでいた唇が開かれた。

 厳粛な、低い声である。

 七人の少女は、星屑が海に流れ落ちて、海星に出会ったような驚きをもって顔を見合った。

 母音の多い滑らかに(まろ)び出るような仏蘭西語でこういったからである。

 豊かさを支える季節にあって、わたくしの言葉は貧しいけれど、それでもわたくしはわたくしの言葉で詠みあげます、と。 

 第八の使徒は、純潔の突端に立っている。

 五感が自然に対して原始反射をしているようである。

 初めて天と地が別れあったときのような哀しみを背に、去年のおたまじゃくしが蛙になって、肺で大きく深呼吸するように、第八の使徒は朗読した。

〈〈〈

 風と、あまかぜ、が、わらおう。




 風が、泣けば、あまかぜ、が、怒ろう




 風と、あまかぜ、が、きゃらきゃらと。






 ちいさな、あめだまが、こぼれおちて、




 あめつぶのような星空が空に向かっておちていく




 あそこが、ほしのすみかなら




 あそこには、すきまがあるのかしら




 あそこにもし、こぼれおちたものがとどまっているのなら




 今、ここにあるものは、いったい、なになのかしら






 ぽろぽろぽろぽろ、あまつぶたちが




 ほしのまたたきに、あめだまを落とそう




 風とあまかぜ、が、ふるえて




 くしゃみをしている




 空に落ちようとして

〉〉〉

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