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   国吉轍・3


「いやいやいや! え!? マジで!?」

「マジだ」

 白衣を脱いで身支度をする俺の腕を慧一が引っ張る。

 店内を茅野さんに一時任せて、スタッフルームは騒然としていた。騒いでいるのは、主に慧一だが。

「身バレするのあんなに嫌がってたじゃんか!」

 客に姿を見せない俺の信条と異なっている。慧一が言いたいのは、それだ。

 そうだ。いくらデリバリーで、つくっている姿を晒さないとはいえ、絶対にしたくないことではあった。

 だが。

「鷲谷は俺のことを秘密にできる、俺も鷲谷の情報を持つわけだからな」

 単なる配達員ではなく、フルーツサンドをつくっている本人だとわかったとしても、芸能人がそれを表に出す可能性は低い。俺が鷲谷麟の情報を誰かに売るリスクがある。お互いに信頼できないからこそ、信用できることもある。

「それに、直接言いたいことがある」

 自分で出向くと決めたのは、思いつきではあった。今回のことで、鷲谷麟というのがどんな人間か、小さな興味もわいた。

 喜びも怒りも戸惑いも、様々な感情が胸を締めつける。どんな言葉になるかわからないが、それを伝えたい。

 濱くんが両手を組み、泣きそうな顔で俺を拝んでいる。

「早く……早く帰ってきて、轍さん!」

「濱くん、ほんの一時間程度だ」

 スタジオは車で二十分ほどの距離にあった。一時間もあれば往復できる。

 それでも! と、濱くんは今まで見たことないほど必死にすがった。

 俺は自分のレシピを整理して、濱くんに教えている。最初のレシピから少しずつ変化したこともあるし、自分の中だけで決めている事柄もある。これからは、きっと俺だけで完結してはいけない。他の人も、濱くんも同じようにつくれるようにならないと。

 まだ濱くんが不安だということはよくわかっていた。俺は親指を立てて車へ向かった。


 大きな通りを南に下り、区を跨いで進むと住宅街の中に広いビルが建っている。そこが目的のスタジオで、外側からはそれとわからなかった。

 近くの駐車場に車を停めて差し入れのフルーツサンドを抱えて進むと、入り口に眼鏡の女性が立っていた。慧一が言っていた島宮という人間だろう。

「わっ、日々果の方ですか?」

 島宮さんは俺の姿に驚いたが、手にした日々果の袋を見て会釈した。慧一かそれに近い人間が来ると思ったのだろう。

 やはり俺みたいな大男がフルーツサンドを届けにきたのは間違っていたのだろうか。何度もなぞってきた傷にまた触れる。

「はい。ご注文ありがとうございます」

 怖がらせないように少しだけ高めの声で丁寧に挨拶すると、島宮さんの目がわずかに細まる。

 どうぞ、と警備員の詰めるスタジオの入り口に案内してくれた。

 忙しそうに走るスタッフらしき人間を横目に、島宮さんに先導されて狭い廊下を歩いていく。

 やがて一つの扉の前で止まると、島宮さんはノックをしてから躊躇なくドアを開けた。

「麟、日々果の方いらっしゃったよ」

 準備できていないのは俺の方だった。

 差し入れ用にと依頼されたから、まずはテレビで見たようなテーブルに並べるのだとばかり考えていた。

 いきなり鷲谷麟と対面するとは。しかし、後に退くこともできない。緊張したまま開けられたドアの向こうを覗くと、鷲谷はあぐらをかいて畳の上に座っていた。

「わっ」

 テレビやネットで見たつぶらな瞳が、仰天してまるく見開かれる。

 それも一瞬で、すぐに鷲谷は人懐こい笑顔に変わった。すぐに立って頭を下げる。

「こんにちは! 鷲谷麟と言います」

 それでも、声は硬質で緊張が見受けられた。

 身長は慧一と同じくらいか。顎が細くてつやのある肌、あどけなくて一直線なイメージを持つ清潔そうな青年だ。クラスにいるスポーツが得意なイケメンという風で、幅広い層に受け入れられそうだと納得する。

「日々果の国吉です」

 ゆっくりと礼をすると、鷲谷は俺の手の中の袋に興味津々だった。

「あ、差し入れ分いただきますね」

 島宮さんが両手を差し出すので、俺は依頼を受けた差し入れ用のフルーツサンドを渡す。量も多いし、俺が並べるのだとばかり思っていた。島宮さんは小さく頭を下げて、控室を後にする。

「あ、これは鷲谷さんの分です」

 残された小さな紙袋を、俺は鷲谷に掲げる。追加で注文を受けた分だ。

 鷲谷は細い体をバネのように跳ねさせた。

「やったー! すみません、わざわざつくって届けていただいて」

 悪いと思っているのだろうが、そうは見えないのは、目の前のフルーツサンドに瞳が輝いているからか。

 それは一人の職人として嬉しくあったが、同時に苛立ちをおぼえることでもあった。

「いえ」

 声に怒気がわずかに滲む。いかん、と感情を抑え込もうとすると、今度は眉間に皺が寄ってしまう。

 鷲谷は敏感に察知し、俯いた。

「ええと、いきなりSNSにあげちゃって、ビックリされましたよね。ごめんなさい」

 自覚していたのか、と俺は内心驚きながらも、眉を下げる鷲谷に首を振った。

「いえ、とてもたくさんのお客様にお越しいただいたので」

 切り貼りした事実を告げる。俺は慧一より外面はよくないが、これくらいならできた。

 鷲谷が嬉しそうに口端を持ち上げる。恥ずかしそうにはにかむ姿に、腹の奥から怒りがこみ上げた。

「でも、それでどうなるか、鷲谷さんは考えませんでしたか」

 口から出た言葉は、俺が持つ真の気持ちだった。

 発した瞬間、鷲谷の丸い目がさらに丸くなるのを見て、わずかに後悔した。誰かに怒りをぶつけることは、自分も傷つく。

 それでも、これは言わなくてはならない問いだった。

 鷲谷は笑みを消し、瞬きをして俺の顔を見た。

 鷲谷が咎められることかは、最後まで俺はわからないだろう。だが、鷲谷が発端であることは変わらない。

 やがて、鷲谷の肩が小さく落ちる。

「……ごめんなさい。あなたの大切なものを、おれ、傷つけちゃった、んですね、きっと」

 鷲谷の呟きに、俺の気持ちの理由がわかった。

 そうだ、傷つけられたんだろう。

 日々果を、慧一を。

 俺が顔を出したくないからと店内の撮影を注意して回り、店を見張るファンを諫め、店内の平穏を慧一はずっと保ってきた。日々果のブランドを守りながら慎重に言葉を選び、タイミングをはかり、いつもの客に配慮して。それがどれだけの苦労で、どれだけのエネルギーを要することなのか、俺は決して知ることができないだろう。

 ずっと、そうして慧一は日々果を表から裏から守っている。隈ができること、体型や肌が崩れることを気にする人間が、黙々と労力を割いてきたんだ。

 その努力を踏みつけ、もしくはその上であぐらをかくのであれば、俺は誰からの注文も受けない。芸能人であろうと、総理大臣であろうと、外国の皇族であろうと、誰でもだ。

「……とても感謝しています。鷲谷さんがフルーツサンドを好きだと言ってくれたのは、とても嬉しかった。それは偽りのない真実です。ありがとう」

 俺は頭を深く下げる。

 俺のつくったフルーツサンドが美味しいと投稿をあげてくれたことは、正直この上ない喜びだった。鷲谷のファンが、理由はどうあれフルーツサンドを頬張って笑顔になってくれたことも。

 あまりに唐突で驚いたが、その言葉は、表情は、勲章のように胸に輝いている。

 言いたいことは言った。

 頭を上げてもう一度小さく会釈すると、俺は控室を出るため踵を返す。ずるいことだが、鷲谷の顔を正面から見る勇気が俺にはなかった。

 突然、後ろから腕を掴まれる。

 俺は振り返って、後悔した。

 鷲谷が悲しそうに眉を歪めている。薄い色の唇が噛みしめられ、俺の腕を掴む手が小さくふるえていた。

「……もうSNSにあげないから」

 喉の奥に何か溜まったような不明瞭な声が、俺にしがみつく。

「買いに行っていいですか?」

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