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02

   城慧一・1


 なんか、人の波が、おかしい。

 通常とは異なる来客のペースに、オレは気持ち悪さを感じていた。

 オープンから見知らぬ顔ぶれが押し寄せ、昼にはそれが増える。一時を過ぎておやつ時まで少しだけ落ち着くはずの波は引かず、むしろ夕方に向けて増え続けていた。

 鷲谷麟の投稿を見て来た客は雰囲気でわかる。興奮の仕方が、一般的な客と違うからだ。愛おしそうに店内を眺めて、イートインで食べて、勝手に追体験をしている。

 正直、それは仕方ない。オレだって好きなバンドが投稿していた道をツーリングしたらテンションが上がる。そこに老若男女の壁はない。

「麟もこれ食べたんだぁ」

「もう~かわいい~!」

 イートインスペースから甲高い話し声が聞こえた。

 確かに可愛かったよ! くそ! なんだ、あのアイドルが小さい口で食べてる風の写真!

 どうしてイライラしてるって、自分の知らないところで『日々果』を投稿されたからだ。もっと事前に相談されていたら、報告されていたら、オレはこんなに狼狽せずに済んだ。

 売れる時も売れない時も、予測していたことと予測できなかったことの割合は大体等しい。全てが想定範囲内でおさまらないことも知っている。鷲谷の呟きはまさしく青天の霹靂で、その対応にずっと追われていることが面白くなかった。そう感じるのは、鷲谷の身勝手さだ。本人は無自覚で、オレがそう思っているだけだとしても。

 三時から四時にかけて客足はピークを迎える。鷲谷目当ての客が加わり、一度追加したフルーツサンドが品切れになった。少し早めにつくり始めろと内線で伝えていたが、四人では圧倒的に人手が足りなかった。

「すみません、現在一時売り切れになっております」

 轍と濱は調理場に引きこもってずっと製造を続けている。完成した分は小出しに店へ補充していたが、大量に買う客もいた。この波が明日も続くようなら、個数制限をした方がいいかもしれない。

「いつ頃売りますか?」

「待ってたらまた売りますか?」

 横柄ではないが粘り強く待つ客の注文を茅野ちゃんに任せて、オレは内線を入れた。

「そっち大丈夫か?」

 低く地を這うような声が子機から聞こえる。

「……なんとか。若干濱くんが死にそうだ」

 濱は表も裏もできるスーパーマンなので、死なれては困る人材だ。轍の製造アシスタントをできるのは濱だけで、日々果に就職する気はないかと少しずつ交渉している最中だった。

「よし、今日は夕飯好きなもの奢ってやるって言っといて」

 今から閉店後の酒を楽しみにするしかない忙しさだ。

「……寿司がいいそうだ」

「ちっ、駅前の若松寿司なら!」

 内線を切ると、茅野ちゃんが予約待ちの伝票をオレに渡しながら囁く。

「私、ウニが食べたいです」

 茅野ちゃんは大学生だが空いている日は丸一日入ってくれる。大学で食品マーケティングを専攻しているらしく、アルバイトのうちに色々なことを経験したいからとチラシやキャンペーンについても積極的に参加してくれていた。

「うんうん、一緒行こうな。水分摂ってきていいよ。ちょっと長めでいいから」

 昼前に軽食をとらせてからちゃんとした休憩を入れることができず、オレは茅野ちゃんに裏に行くよう告げた。

 客捌きのことを考えて動いていたら、誰かが倒れるまで休憩できないだろう。現にオレも朝から何も口にしていない。

「なんか一口でつまめるもの買ってきます―」

 ふらふらと茅野ちゃんはスタッフオンリーの扉をくぐった。おそらく近所のコンビニで何か買ってきてくれるんだろう。

 茅野ちゃんが就職と卒業を決めた時は、オレも轍も我が娘のように泣くんだろうなあ、と思った。年取っちまった。


 一言でいうと、ものすごく売れた。

 閉店前にはほとんどのサンドが品切れもしくは品薄状態になり、常連さんに申し訳ないと頭を下げたほどだ。

 明日どれだけの客足が見込めるか読めない部分があったが、材料も追加で発注をかけて、ずっと続いていた緊張が緩む。

 閉店して掃除を終えると、オレたちは駅前にある回らないが安い寿司屋・若松寿司のテーブルに突っ伏した。

 各々のドリンクを手に、オレは自分のビールジョッキを掲げる。

「お疲れー!」

 ガチンとグラスをぶつけ、バイキングかという勢いでアルコールを喉に流し込む。

 平日はビールを飲まない轍も、グラスを頼んでいた。疲れで背中が丸まり、普段より小さく映る。

「正直、今までで一番ハードでした」

「ごめんな、ちゃんと休憩取ってあげられなくて」

 オレと轍とバイト二人のシフトは現在の最大人数のシフトで、それでゴールデンウィークや夏休み、秋の行楽シーズンを乗り越えてきた。四人で足りないとなると、バイト自体を募集しないと追いつかなくなる。

「わー、いただきまーす!」

 茅野ちゃんはウニの軍艦巻きを幸せそうに食べていた。濱はマグロを頼んでいる。

 轍はビールを飲みながら、空いた皿を見つめていた。

 ああ、疲れてるな、とわかる。轍は話し上手じゃないからすぐ無言になるが、今の無言は疲労困憊している無言だ。手際よく姿勢よく動くのが通常だとすると、小さな仕草が緩慢で瞬きが遅い今は何も言わないが疲弊している。

 繁閑はあれど日々果の売上は全体的に伸びている。それは、製造自体が増えているということで、轍の仕事量に直結した問題だった。

「大丈夫か、轍? ハードだったろ」

 伏せた瞼を見上げると、轍は小さく首を振る。

「それはお互い様だ」

「それもそうだ」

 オレもこの半年ほどで一番疲れた日だった。予測していなかったから、余計にだ。

 それでも、寿司の合間にスマホでエゴサーチをしてしまう。これだけ大変だったのだから褒められていたい。轍のフルーツサンドが美味かったという文字が見たい。正直、それだけでよかった。

 同じようにしていた濱が、相好を崩してオレに画面を見せる。

「これ城さん写ってる」

「どれ?」

 投稿された画像は日々果の店内だった。手前にフルーツサンドが置かれ、奥に映るカウンターでオレが笑んで接客をしている。

『麟くんの好きなフルーツサンド屋さん♡ 店員さんまでイケメン♡』

 そうだろう、そうだろう。

 嬉しさを隠せず、口元がにんまりするのがわかった。

 しかし、それと同時に不安がわき上がる。

 問題は日々果店内が――オレが撮られたということだ。イートインスペースでフルーツサンドだけ撮るのとは違う。

「商品以外の写真は適宜注意していった方がいいだろうな」

 万が一、何かあってからでは困る。世間がどう思うかではなく、轍へのケアだ。相変わらず店の表には宅配業者としてしか出てこないし、電話やメールの取材ですらNGだが、わずかに轍の心境は変化しているように思った。

 最終的に顔を出してほしい、とまでオレは思っていない。それは轍が決めることだ。けれど、轍が轍のまま、自分がつくったフルーツサンドを売れたらいいと思う。自分の存在を店の奥に消すのではなく。

「助かる」

「今日、厨房から一歩も出ませんでしたもんね」

 相変わらずの引きこもりっぷりを茅野ちゃんが笑い、人数分頼んでいたトロ尽くしが到着したことで今日の話題は一度終わりを迎える。

 柔らかい脂が口の中で溶ける感覚に酔いしれつつ、オレは轍をちらりと見上げる。

 ビールの合間に煎茶を飲む轍は、これからについてオレと同じ焦燥感を抱いているようで、どこか安心した。

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