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   国吉轍・1


 その日の朝はいつもの朝で、休日につくり置きしたサラダと温め直した昨夜の中華スープと、レンジでチンした白米を食べていた。

 毎日同じ時間につけているテレビでは、慧一いわく「サイドの髪が気になる」お天気お姉さんが今日は夏日だと知らせている。暑かったゴールデンウィークから客足は伸びるばかりで、本格的にフルーツサンドの季節になったのだと実感する。

 いつもの朝と違うことは一つで、瞼が重い慧一がスマホを食事中手放さないことだ。お互い食事作法にうるさいわけではないが、テレビ以外のながら食べをすることはあまりよく思っていなかった。

「轍」

 箸の進まない慧一が焦った声をあげる。

 なんだ。スマホが壊れたのか。それとも実家で何か起こったのか。今日届くパンのトラックが渋滞に巻き込まれているのか。

 様々な想定をするが、慧一から飛び出した言葉はどれとも違った。

「通知が収まらない」

 ほら、と慧一は俺にスマホの画面を見せる。SNSの通知画面が一面に映し出され、俺が確認している数秒の間にも『15件の新規通知があります』と表示された。

 俺はSNSに詳しくないが、慧一や濱くんを中心にフルーツサンド屋『日々果』はアカウントを運営していた。いつが休業日か、新しい季節のサンドはどんな種類か、いつ発売するか。コメントやいいねがつくと、慧一は嬉しそうに反響を俺に報告してくれた。俺は自分が納得してつくったフルーツサンドを美味しいと食べてくれればそれでいいが、マーケティングリサーチは大事だと慧一を通して実感している。今は新しいバイトや店舗の拡大に向けて安定した利益が必要だ。

 そう考えている間に『99件の新規通知があります』と通知の数はどんどん膨れ上がっていく。

「尋常じゃないな」

 慧一はスマホを自分の前へ引き戻すと、画面をスクロールする。

「いや、マジで怖いわ。乗っ取られてないよな、これ」

 原因を探り始めた慧一はもう箸を置き、食事どころではない。やつれている、というと大げさだが、早春から慧一の頬は少し骨ばり、柔らかかった目の下は平べったく陰が落ちていた。本人が健康状態や外見を気にするので休息はとっていたが、それでも追いついていないらしい。

 夏に向けて本格的に忙しくなる前に、まとまった休業日をとろうとは話していた。誰も俺のフルーツサンドづくりを完全に肩代わりできないように、慧一の接客と経営を誰も完全に受け持つことはできない。ならば、その間の売上を捨ててでも休まないといずれどちらかが倒れるだろうことは明白だった。

「慧一」

 俺が窘めると、慧一は「ああ」と生返事をして中華スープの入った椀に口をつけた。視線は依然としてスマホのままだ。

「あ」

 俺が朝食を食べ終わる頃、慧一は叫ぶように呟いた。

 視線がようやく俺を向く。

 俺は慧一のスマホを向かいから覗き込んだ。


鷲谷麟(わしやりん)?」

 バイトの濱くんは、俺たちが訊いた名前に首を傾げる。

「ああ、今年の特撮で(メイン)やってる人ですよ」

 着替え終わった茅野さんが説明した。

『日々果』に到着すると、慧一はパソコンで鷲谷麟のアカウント画面を開き、濱くんたちに見せた。

 表示されたのは、まだ幼さの残る青年がフルーツサンドを笑顔で頬張る写真だった。メッセージの中には日々果のアカウントまでご丁寧に載せている。その呟きは一万以上のいいねとリツイートを獲得していた。

 一番上にある日々果の通知には、ずっと赤いマークがついたままだ。

「ああ、こいつか」

 濱くんも顔を見ればわかるらしく、納得したように手を打つ。

 朝と深夜にしかテレビをつけないからか、俺も慧一も鷲谷麟を知らなかった。

「高校生の頃からアーティスト活動をしてて、昔から結構話題でしたよ。CMや映画にも出てて、十代はみんな知ってます」

 チョコのCMとか、男性整髪料のCMとか、と茅野さんは次々とよく知る商品名をあげていく。

 鷲谷麟と認識していないだけで、俺たちもどこかで彼を見ていたのかもしれない。

 慧一は画面の中であどけなく笑う鷲谷に舌打ちをした。

「いつ来たんだよ、全っ然憶えてねえんだけど」

「芸能人の変装スキルすごいっすね」

 接客をしている慧一たちは、気づかなかったことが悔しいみたいだ。

 オンとオフで表情や仕草――ひいては姿が変わることは、以前知り合ったピアニストの少年から学んでいた。それでも、見破れなかったことに慧一は歯ぎしりをする。

 もう開店の準備を本格的に進めなくてはならない。通知を知らせる赤いランプがまた瞬く。腹の奥がざわざわと波立った。

「鷲谷はどれを食べてた?」

 俺がパソコンの画面に寄ると、慧一は画像を大きく映し出してくれた。

 少し小さめで丸みのある瞳を細めて、鷲谷はフルーツサンドを口元に構えている。

 複数枚投稿された写真を全て確認して、判別できるサンドの種類を調べた。

「フルーツサンドとチョコだな、これ」

 慧一は画面を見つめながら、前髪をいじる。

「増やすか。これ絶対来るだろ。特に顔アップのフルーツサンドの方」

「わかった」

 俺が頷くと、慧一はさらに写真から予想を立てる。

「濱、茅野ちゃん。紙袋は四つ以上で統一な。欲しいって言われても配んないこと」

 なんのことかと画像を見ると、引きの一枚に日々果のロゴが入った白い紙袋が写っていた。なるほど。憧れのタレントと同じものを欲しくなる可能性は高い。

「電話で鷲谷関係の問合せ来たら『存じません』で通していいから」

「実際そうですからね」

「轍」

 呼ばれて、俺は慧一の瞳を見下ろす。

 見上げてくる目は、いつもの勝気で自信のみなぎる目ではなかった。そう装おうとしているが、奥の光が揺れている。

 慧一はいつも俺の手を引いて前を歩く。高校生の頃からそうだ。頼んだことの上を飄々と越えて、俺が求めていたことに近づけてくれる。こうしよう、ああしよう、俺が考えつかない提案をして、どうしたらもっとよくなるか一緒に考えてくれる。日々果を始めようと誘ったのも、慧一からだった。

 図体に反して恥や怖気を多く抱えている俺とは違い、慧一は自分自身を信じて道を拓いていく実直さと器用さを兼ね備えていた。素直な言葉を口にして、主張も反省もできる奴だった。

 慧一の瞳の奥にある緊張を、俺は知っていたい。一緒に持って、支えたい。

 一番近くにいる人間として。

「よろしく」

 肩を小突かれたので、俺は慧一の頭をわしっと撫でた。

 髪をスタイリングしているから触られるのが好きではないと言うが、撫でられるのは嫌いじゃない。

「ああ」

 慧一がくしゃっと笑うと、目の下の陰か少し濃くなって見えた。

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