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5. 模試終了後


 高校生活最後の春が終わり、季節は夏に移り変わろうとしているようだった。


 僕は特別な感慨もなくそれを受け流して生活している。バスケ部を辞める前の僕にとってはインターハイ予選に向けたテンションの高い練習に取り組んでいたであろう季節だが、今の僕にとっては少し気温が高くなってきた程度の違いしか感じられない。


 時折バスケ部の連中とすれ違う。険悪なわけではないので挨拶はするが、ぎこちなくなるとわかっている会話をする必要はお互いにない。唯一直人とは少し話したりもするけれど、やはりバスケ部の話はしないし、僕たちにとってバスケ部の話をしない会話というのは不自然なものにならざるを得ない。


 それらを寂しく感じないと言ったら嘘になるが、水が低いところへ流れるのを止められないように、僕にはどうしようもないことだった。


 塾が休みの日以外は僕は必ず黒川井手塾に行き、授業を受けたり自習をしたり、先生に質問をしたりした。どちらかというと黒川先生はその科目の理解を深めて学力を向上させるような授業を、井手先生は今ある学力をより効率的に試験の点に結びつけるような授業を得意としているようだった。


 どちらも大事で面白いと感じられるが、僕の性格上、より魅力的に感じるのは後者だった。残念ながらと付けても良いかもしれない。学問のようなものとして考えた場合、より高尚で、そうあるべきなのはおそらく黒川先生の方なのだ。


 僕は勉強が苦でないが、その分野の理解を深めるよりも、出題者との駆け引きを制する方がどうやら面白いらしい。これも自分ではどうにもならないところである。藤間さんとは正反対だ。


 藤間さんと仲良くなるのにそれほど時間はかからなかった。


 概ね彼女の資質によるところだろう。藤間さんは好奇心の塊といった感じで、とても上手とは思えない僕の話を積極的に聞いてくれる。藤間さんの話も面白かった。もっとも、内容によらず、話をする藤間さんの様子を眺めるだけでも僕にとっては素晴らしい時間であったのだが。


 おそらく知り合いというより友達と言った方がふさわしい程度には親密になれたと思う。


 藤間さんは黒川先生が塾を新しく開いたときから習っているメンバーのひとりで、正確に言うと、黒川先生がある塾から独立して黒川井手塾を設立したときに引き抜いてきた生徒のひとりであるらしい。そのため黒川先生にとても信頼を置いていて、黒川先生からも信頼を置かれている。実際彼女の授業態度は素晴らしく、さすが医学部志望といったところである。


 僕の方も、藤間さんというモチベーションを得たこともあり、学力がメキメキとついてきていた。いや、この表現は正確でない。正確には、試験で点を取るコツをつかんできていた。それに気づいたのは俗に言うセンターマーク模試が行われたからだった。


 模試終了後、当然話題は自己採点の結果だった。


「終わった?」自己採点を終えた藤間さんが訊いてくる。

「一応終わった」と僕は答えた。「ひょっとしたら、今回の国語なら藤間さんに勝てるかもしれない」

「本当に? 狩井、国語嫌いなんじゃなかったの?」

「苦手だったんだけど、井手先生の教え方が合ってるのかな、センターでは点が取れる感じがする」

「何点?」

「182」


 センター試験の国語は200点満点だ。藤間さんは嬉しそうに驚いた。


「ひゃくはちじゅうに!? すごいじゃない!」

「すごいだろ? どう、勝ってるんじゃない?」

「負けたわ。あたしは175」


 悔しいなあ、と藤間さんは唇を尖らせた。正直今回の僕の点数は半ばまぐれも含まれていて、次回の模試や本番で同じものは期待しない方が良いだろう。しかしひとつの自信にはなる。


「英語はたぶん負けないけどね」


 藤間さんはいくぶん挑発的な口調でそう言った。僕も英語は得意科目だ。おそらく藤間さんはそれがわかって言っている。少なくとも9割は取れているはずで、僕も200点満点で184点取れている。国語と違って安定して高得点が狙える科目であり、僕のもっとも高得点を取れた科目はこの英語だ。正直良い勝負なんじゃないかと思っている。


「僕もそんなに悪くはないよ」

「あらそう? 賭けてもいいわよ」

「何を?」

「そうねえ。それじゃあ何か自分のもってる秘密をひとつ教えるというのはどう?」

「僕に秘密なんかないよ。ジュースとかにしない?」

「人はだれでも秘密をもっているものよ。狩井がないと思うなら、それは秘密にしていることに気づいてないんじゃない?」

「そうかなあ。よくわかんないけど」

「じゃあ、あたしが勝ったら、あたしの質問に何でも答えるってのはどう?」

「別にいいよ」と僕は言った。


 僕は何を訊かれても構わなかったし、こんな賭けがなくても藤間さんに訊かれることなら何でも答えるのにやぶさかでなかった。それでもこんな条件をつけて勝負に挑んでくるということは、何かきっかけがないと訊きにくいようなことを訊くか、もしくは自分に何か秘密があり、それを打ち明けるためのきっかけを求めているかなのかもしれない。


 いずれにせよ、その内容は何だろう。ひょっとして藤間さんから憎からず思われているのではないかという淡い良い期待と、もしかしたら藤間さんに彼氏でもできて、これからは友達から知り合い程度の距離感に離れて欲しいとでも言われるのではないかという冷え冷えとする悪い恐怖の狭間で僕は藤間さんと点数を言い合った。


「僕の英語は184点だ」

「あら、国語よりいいじゃない」

「実はそうなんだ。国語の方が勝ち目がありそうだと思ったんだけど、不意打ちみたいになっちゃったかな」

「そうね。てっきり一番高い点数で戦ったのかと思ってた」

「藤間さんの点数は?」

「あたし? あたしは198点よ」

「なんだそれ! 勝てるわけない!」

「あたしは勝てる賭けしかしないのよ」


 藤間さんはさらりとそう言った。


 何を訊かれることだろう。僕が身構えていると、藤間さんが質問をするより先に井手先生が教室に入ってきた。


「皆今日はおつかれさん。自己採点が済んだら、どうしてもって質問がなければ早めに帰れよ」

「なんでですか?」生徒のひとりが質問した。

「模試の後って疲れてるだろ? そんな状態で質の良い勉強はできない、疲労困憊してないならもう模試の復習の必要がないくらいの点数は取れてる筈だ、じゃないならもっと点を取るため頑張れよ、的なところが表向きの理由だな」

「おもてむき?」

「ぶっちゃけた話をすると、ここはおれと黒川先生のふたりでやってる塾だから、模試後の雑務をするためにお前たちから解放されたいというのが本音だな」

「それはぶっちゃけましたねえ」

「おれは正直に生きるんだ。ほら、さっさと帰れ帰れ」


 見も蓋もないといえばそうだけれど、とても説得力のある話だった。僕と藤間さんは揃って荷物をまとめ、塾から早々に立ち去った。


 天気は晴れだ。夕暮れ時に近づいており、夕日が藤間さんの横顔を照らす。藤間さんの輪郭は光に縁取られていて、歩くたびにその髪が小さく揺れる。おそらく小1時間程度なら楽に眺めていられるだろう光景だ。


 質問をされそびれたなと思っていると、藤間さんに呼びかけられた。


「質問、まだしてないんだけど」

「そうだね。どこか行く?」

「いやここでいいよ。その方が都合がいい」


 僕の心拍数が跳ね上がる。こんな他人に見られても良いところでできる話で、かつどこか他所で話すより都合が良い話、しかも質問する権利を確実に勝てる賭けで勝ち取っての話だなんて、まったく良い予感がしない。


「じゃあどうぞ」


 何とか僕はそう言った。藤間さんは少し話しづらそうに言葉を探し、やがて意を決したのか僕をまっすぐに見つめなおした。


「いつも、塾が終わった帰りにどこか行ってるの?」

「はあ?」


 僕は素っ頓狂な声を出した。



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