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22. 確信


 直前と言って良いだろう。年明けに行われた元旦模試なるイベントを終え、僕たちにはセンター試験本番だけが残っていた。


 ちなみに元旦模試の結果は散々だった。僕は900点満点で768点、これが本番であれば、医学部に願書を出すのをかなり躊躇う数字である。そんな結果を得た時は相当まいったが、予備校が主催するこの直前の模試はあえて高難度に作られており、現役生の自信を砕いて浪人生に自信をつけさせるのが目的の一環としてある、というもっともらしい噂を聞いて、僕は心を慰めた。


「あたしは9割取ったけどね」


 900点満点で812点獲得した愛さんは、ソファに並んで座った僕にピラピラと結果の紙を見せびらかした。サイドテーブルに模試の問題、解答解説、成績表のようなものを広げている。僕は背もたれに体重を預けて愛さんを睨んだ。


「そんなことをされると、問題が悪いんだと責任転換ができなくなるんだけど」

「”知は力なり”。暴力に屈服させられる気分はどう?」

「押し倒してやろうかと思うよ」


 壊滅的だった国語の解答解説を流し読む。これまで僕が利用してきたテクニックを逆手に取ったような設問で、2択まで絞り込んだ選択肢をことごとく外したのだ。


 さらに屈辱的だったのは英語で、なんと文章題で2問も間違えた。そのうち1問は会話の内容を把握し要旨としてふさわしいものを選ぶような内容の問題だったのだが、キーワード的に提示された単語を利用した選択肢が正解だったのだ。通常、内容がわからなくても目についた単語を利用しているという理由で選ぶ者を振り落すため、そういった選択肢は正答とならないのが一般的なセンター試験の傾向である。


「確かにこの4択はどれもだめだと思ったんだ。でもこれ、こいつを正解にする?」

「センターの傾向とは違うかもしれないけど、そういう付け焼刃の知識野郎を懲らしめるために、そろそろ裏をかいてくる可能性もあるんじゃない? 先入観に負けるな、って言いたいのかも」

「好意的だなあ。僕には意地の悪いやつが問題を作ったとしか思えない」

「それでも点を取る人は取るわけだから、言い訳にはできないよ」

「取る人に言われると言い返しようがないね」


 僕は愛さんの家であることをいいことに、言い返す代わりに彼女をソファに押し倒した。頭を押さえつけてキスをする。痛くない程度に筋力を使って愛さんの体を抱きしめながら、改めて元旦模試の見直しをしようと決意した。


 意地の悪い印象を受けるこんな問題に価値はないと切り捨てるのは簡単だけれど、確かに僕の受験テクニックは付け焼刃なところがある。これらの設問のどこに惑わされ、センターの過去問や追試の問題で得点ノルマを達成できるようになっている僕を失敗させたのか、そのあたりを把握することは有用なように思われた。


 露出している愛さんの肩のあたりを強く噛む。内出血したり痕になったりはしないが、一時的に歯形が残る程度の強さだ。「いてて」と愛さんが僕の眉間を押すようにして拒否するまで噛み続け、口を離した僕は愛さんの体に自分の痕跡が残っていることに満足した。


 歯形に付着した唾液を拭い、僕は愛さんに軽くキスして立ち上がる。大きくひとつ息を吐く。


「復習しよう」と僕は言った。

「いい心がけだね」と愛さんは言った。


-----


 相変わらずバスケにも時間を注ぐことをやめなかった。特にクリスマスの夜利き目についての気づきを得てからは、自由時間中僕はより良いシュートフォームの探求に明け暮れていた。


 しかし、必ずしも理論的に正しいフォームを考えようとしていたわけではない。人によって体の構造は細部が異なっているわけで、良いシュートの条件のようなものは一貫しているかもしれないが、それを満たすためのフォームは十人十色である方が自然だからだ。それは世界中から才能を集めたNBA選手たちの中でも名シューターと言われる者たちのシュートフォームが様々であることからも見て取れる。


 僕が心がけたシュートフォームの条件はふたつ。よりボールが安定して飛び、投げやすいフォームになることだ。つまり僕の体により合ったフォームを探そうと考えていた。


 バスケをはじめた頃、指導者によって僕のフォームは矯正された。それは彼にとっての正しいフォームで、あるいは僕にもっともふさわしいものではないのかもしれない。”理論上”正しいフォームというやつだ。もちろん理論は大切で、我流で投げ込むのが良いとは思っていない。しかし、これまで積み上げてきた基礎を踏まえた上で、僕にとってより良いフォームを探すことはとても有意義に思われた。


 たとえば足の置き方ひとつをとってもより自然なものが見つかった。


 教科書的に教えられる内容はこうだ。ゴールに向かって正対し、足を横に軽く開いたスタンスを取る。両足を結んだ直線の垂直二等分線上にリムが来るよう立つわけだ。そしてそこからまっすぐにボールを放り、空中の挙動が安定するようバックスピンをかけられたボールは弧を描いてゴールしていくことになる。


 シュートする腕は肘を閉め、まっすぐボールに力を伝える。これをきちんと実践できればボールが左右にブレることは理論上なくなるというわけだ。飛距離面の不安定さは微調節が容易であるため、僕たち初心者は左右にブレないボールを打つべくシュートフォームを反復練習して体に形を覚えさせる。


 しかしこの理論には問題点がある。ボールを放つ腕は肩から生えているのだ。右利きの選手は右手でボールを放り左手でそれを補助するけだが、それらは必ず頭上あたりで行われる。左右の肩から生えて腕に中央で共同作業させるのに、理想論ではそれをまっすぐ上で行わなければならないのである。


 これは人体の構造に矛盾している。肘を閉めてまっすぐボールを投げるには、腰を捻って体幹、肘、手、そしてゴールを直線上に配置する必要がある。腰を捻って打つシュートが果たして本当に理想的だろうか?


 その歪みを調整するため、僕のフォームは打ち込みの中で自然と右足がやや前に来るようになっていた。両足を結んだ直線の垂直二等分線はゴールより左を向いている。


 なぜそうなったのか? その方が楽にボールを放れ、挙動が安定するからだ。僕の体にはこの投げ方の方が合っているのかもしれない。しかし頭には依然として教えられた"正しい"フォームが残っており、それは必ず影響を及ぼすことだろう。


 僕はまず教えられたフォームからあえて逸脱し、ほとんど半身と言えるほどの角度をつけてシューティングを行ってみた。流石に違和感がすさまじかったが、打ちづらいとは感じなかった。しかし愛さんに協力してもらえる日にコート中を走りながらパスを受け、キャッチ&シュートで放るという動作を取り入れた場合、スタンスが極端だとシュートフォームをセットするのに時間が必要となることが判明した。これはよくない。


「打つのに時間がかかっても、成功率が高くなるならペイされるんじゃないの?」


 一見良く思われたフォームに納得しない僕に愛さんがそう訊いた。僕はシューティングを続けながら答える。「練習ではそうかもしれない。でも実戦ではディフェンスがいるんだ」


 特に僕は背が低い。シュートのリリースポイントも当然低くなるため、直人のような高身長のプレイヤーと比較してブロックされる危険性が高いのだ。それを回避するには敵の妨害を受ける前にボールを放る必要がある。


「ひとつの動作を増やすことで格段に成功率が上がったとしても、そのせいでブロックを受けやすくなったら意味がない。試合で点を取れるかどうかが何より重要で、数字上の成功率にあまり意味はないんだ」

「そのへんは統計を取って数値計算しないと本当のところはわからなそうだけどね」

「それは確かにそうだね。でもシュートを打って失敗するのと、ブロックショットを受けるのとではそもそも少し意味が違うんだ。普通攻撃側の選手はシュートがブロックされることを想定して動かないからカウンター気味にその後の攻撃を受けることになるし、単純にブロックは盛り上がるから相手に勢いをつけさせることになる」

「流れってやつを失うわけね」

「そうだね。それは何より恐ろしい」


 僕はそう言いボールを投げた。やはりスタンスを半身に近づけた方が投げやすい。特に左目が利き目と知った後ではそれが顕著だ。しかしそれが正しいと疑っていなかった以前のフォームに比べ、投げ込みが済んでいないことも手伝ってか、新たなフォームはやはりどこかしっくりとこない。


「ボールを放るタイミングって決まってるの?」


 ボールを置いて自分の体と相談するように空のシューティングをやりだした僕に愛さんはそう訊いた。僕は何が訊きたいのかわからず訊き返す。


「どういうこと?」

「リリースタイミングっていうの? 祐輔は飛んでジャンプの最高点でボールを放っているように見えるけど、さっきの説明だと敵に邪魔されないように、早く投げたほうが良さそうなことを言ってたじゃん。それなら、何ならもっと早く放ったほうが良さそうに思えるんだけど」


 この愛さんの疑問を否定することは簡単だった。ジャンプの最高点でボールを放つのは安定性をもたらすためで、上昇中でも下降中でもない最高点でリリースすることで飛ぶ動作の影響を最小限にするためだ。さらにリリースも高くなるためブロックショットを受けづらくなる。


 しかし確かに考えてみると、僕のサイズでリリースポイントの高さを重要視するのは最適ではないかもしれない。飛ぶ動作の影響を最小限にするためだと考えていた自分のそれまでの理解を全否定するようだが、下半身で得たエネルギーをボールに伝えるためには運動エネルギーがすべて位置エネルギーに変換される最高点よりも、むしろ上昇中の方が効率的であるように思われる。さらにその場合はリリースが早くなる。


「今のはとてもいい質問かもしれない。ジャンプの影響を排除したいのならはじめから飛ばずにシュートした方がいい筈だ。だからフリースローで飛ぶやつはいない。下半身でシュートを打つなら、それを早く効率的に伝えられる方がどう考えても適切だ」

「よくわかんないけど、あたしの気になったことが役に立ったなら嬉しいよ」

「ちょっと試してみよう」と僕は言った。


 試しに僕はジャンプすると同時にボールを投げてみた。あまりに極端な試みかもしれないけれど、どうせ実験するなら両極端を攻めるべきだ。


 結果はとても投げづらかった。放る前に一度額の前にボールをセットするわけだが、ジャンプと同時に投げるためにはこの動作を前もって行わなければならない。それは全身の流れとして不自然なものとなる。


 まあいい、どうせこのタイミングがベストだとは思っていない。しかし同時にわずかな予感を得ていた。不適切な方法で投げたにしてはボールが安定してよく飛んだのだ。


 わずかにリリースの具合を変化させながら、僕は愛さんにもらったボールをひたすら投げる。ボールはリムに収まったり当たって跳ね返ったり、あるいはかすりもせずに壁に当たって跳ね返ったりする。それを拾って僕に投げてくれる愛さんは大忙しだ。


 やがてその時が訪れた。僕は錠前破りをしたことがないけれど、フィクションでのイメージはもっている。錠前に針金を差込み、シリンダーが回る形を模索するのだ。トライアンドエラーを繰り返し、やがてその時が訪れる。すべての条件が満たされ、鍵はカチリと何ともいえない手ごたえと共に解錠される。おそらく腕利きの錠前破りはこの時の僕と同じ快感を得ている筈だ。


 本能でわかった。これが僕のシュートフォームだ。はじめてこのフォームを作って投げたとき、僕の背筋に形容できない確信のようなものが電流のように駆け巡った。脊髄を貫く快感。ボールの行方を確かめるまでもなくボールはリムに吸い込まれる。


「これだ」と僕は呟いた。


 この呟きは愛さんに届かなかったことだろう。それまでと変わらず愛さんはネットを通過したボールを拾い、スリーポイントライン上に立つ僕にパスをする。僕はそのパスをキャッチ&シュートすることなくしっかり掴んだ。心臓が高鳴る。


「ちょっと試してみたいから、ここと、あそこと、あそこらへんに走りこんだ僕にパスくれない?」


 僕は左右のコーナーとトップの3ヶ所を指示し、順番に様々なオフザボールの動きと共にパスを受けた。キャッチ&シュートでボールを放る。ボールを投げれば投げただけ、僕はより確信を深めていった。



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