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16. スリーオンスリー


 行くべき場所と時間の指示に従った僕たちの前には段ボール箱が開かれていた。


「本当は新入生用なんだけど、ま、いいだろ」


 大原さんがそう言って中を見せると、そこにはバッシュをはじめとしたバスケ用品がざくざくと入っている。


「凄い。何ですかこれ」

「うちの部の伝統で、引退するとき使ってたものや持ってた道具を寄付していくんだ。もちろん強制じゃないから特別思い入れがあるやつや高価なものは置いて行かないけど、一般的に大学生は金がなくて比較的社会人は金がある筈だから、良い習慣だと思ってる」

「じゃあこれって――」

「一足ずつ、使えるやつがあったら持ってっていいぜ。うちの大学が本命じゃないなら帰るときに返してくれればいい」

「全員ここに通いますよ」

「いい答えだ。でも女の子サイズはちょっとないな」

「あたしは見学するから気にしないでください」

「悪いね」と大原さんは言った。


 保存状態はピンキリで、ほとんど使われた形跡のないものから使い込まれてもう捨てた方が良いんじゃないかというものまで揃っていた。僕はサイズと主にソールの状態を確認する。直人も、何故か愛さんもウキウキで発掘作業をしていた。


「愛さんのはないって言われたろ」

「だってこんなにたくさんのバスケ用品見たことないんだもん。面白い。うわこれ臭い!」


 黒いリストバンドを手に取った愛さんは顔をしかめた。大原さんはそれを見て笑った。


「血と汗と涙が詰まってるからな、スリーブ系は大抵臭いと思っておいた方がいい。サポーターは部で取っとくけど、他は大体燃えるゴミになる」

「そうなんですね」愛さんはリストバンドを段ボールにぺいっと入れた。そこで何かを発見したらしい。「ねえねえ、これ凄くない?」


 愛さんは一足のシューズの裏を見せてきた。稲妻のようにジグザグにラインが走っており、左右にソールが分かれているように見える。


 僕はそれを手に取り観察した。完全に分割されているわけではないかもしれないが、ラインに沿ってある程度の柔軟性がゴム底に用意されているらしい。汚れも少なく使い込まれてはいないように見える。


「それはある先輩が引退間際に買ってた結構新しいデザインのやつだ。本人は寄付するつもりで買ったんじゃなかったみたいだったが、飲み会のノリで提供させた筈だ。何なら俺が欲しいくらい良いやつだ」

「履いてみてもいいですか?」

「もちろん」と大原さんは言った。


 僕はシューズを履いてみた。運命を感じるほどにピッタリだった。許可をもらって体育館の中を歩いてみる。足を床にこすり付けるとキュキュッとかわいらしい鳴き声をあげた。


「良ければこれをいただきます」

「どうぞ」と大原さんが頷いた。愛さんはとても得意げにニコニコしていた。


 直人も一足のシューズをもらい、段ボールが脇によけられた。体育館でバスケができるだけでなくバッシュまでもらえた僕は動きたくてウズウズしている。


「今日この時間は俺が生協の仕事で休みに来ないといけなかったから、ついでに体育館も取っただけなんだ。だからそんなに人も来ないし、練習っぽい練習をするかゲームをするかも決まってない」

「僕は練習っぽい練習がしたいですね」

「俺は気楽なゲームがいいな」と直人が言った。「お前と違ってこの間引退したばかりで、苛酷な練習が懐かしくはないんだ」

「なるほどね。とりあえず今は誰も来てないことだし、祐輔はラダー使って基礎でもしてろよ。君は俺と1on1しよう」


 ある程度の実力を把握したいのか、大原さんはそう提案してきた。断る理由もないので僕たちは了承した。もらったシューズを履いて準備運動で体をほぐすと、僕はラダーを受け取りコートの外まで退いた。


「それなあに?」


 靴を脱いで僕の方に付いてきたきた愛さんがそう訊いた。もっともな質問だ。


「ラダーって呼ばれる器具で、ステップワークの練習に使うんだ。ボールハンドルもするからボールをふたつもらって来よう」

「それならあたしが行ってくるよ」


 愛さんはそう言い靴下姿で用具倉庫へ駆けていった。僕は見るともなしにそれを見ながらラダーを床に設置した。この極薄で幅の狭い梯子のようなゴム製のレーンが僕のステップワークの課題となる。


「どうやって使うの?」

「こうやって、各マスに前後左右出たり入ったりを繰り返しながら、リズムよく向こうまで辿りつくんだ」


 僕はベーシックなメニューを1往復やってみせた。シューズのゴム底が体育館の床との摩擦で音をたてる。履き心地はとても良い。


 ジグザグにソールが分かれているからだろうか、横方向への踏ん張りが効きやすい気がした。これはクロスオーバーなどの横方向へゆさぶりをかけるムーブに有用そうで、僕は実戦が待ち遠しくなる。


「凄い。あたしもできるかな?」

「靴下でやるのはお勧めしないな。滑りやすいし、頑張ったら破けちゃうかもよ」

「裸足なら?」

「皮膚がズル剥けになってもいいならできるかも」

「痛い! やめとくよ」

「それがいいよ」と僕は言った。


 しばらくステップワークを磨いた僕は、愛さんが持ってきてくれたボールを使い、下半身はラダーを使った4回周期のステップ、上半身はボールのつき方によって変化をつけた3回周期となるような異なる動きを取り入れた練習をした。


 これは見た目よりずっと難しい。リズムが異なるため連動して自動化された動作とならず、頭を使いながら上半身と下半身を使い分けることになるからだ。


「ジャグリングを見てるみたい」僕が失敗してボールがこぼれるたび素早く拾ってくれる愛さんが言った。

「もうちょっと上手じゃないと、人前ではできないな」


 正直いっぱいいっぱいだった。愛さんに見られるのだからもう少し余裕をもって格好つけられるメニューにしても良かったのだが、見栄を張ったというよりはバスケットボール能力向上の願望が強すぎたと言うべきだろう。


 大原さんから声をかけられるまで僕は集中してラダーメニューをこなすことになった。息が上がるほど消耗してはいないが体は汗に包まれている。


「3人来たぜ。良かったら彼女に得点係を頼んで3on3でもしようじゃないか」

「やります!」愛さんが手を挙げる。

「いいですよ」と僕は言った。


 挨拶がてらに僕たちが紹介される。


「このコたちはオープンキャンパスに来てくれた来年の新入生見込みだ。名前!」

「狩井祐輔です!」

「生石直人です!」

「藤間愛です!」

「ゆーすけ、なおと、あいちゃんと呼ぼう」と大原さんが言った。「得点係は愛ちゃん。チームはとりあえず俺とお客さん2人対お前らでやろうか」

「10点先取でいいですか?」先輩のひとりが訊く。大原さんが頷いた。


-----


「よろしく」


 試合開始のパスをくれながら先輩のひとりに声をかけられた。ド派手な金髪の長髪に少々気後れしていたが、あるいはいい人なのかもしれない。パスを受け、「よろしくお願いします」とお辞儀しようとしていると、その男は素早く距離を縮めてきていた。


「ディフェンスディフェンス!」

「おらおら取れるぞ!」


 不意打ちに近い形で声量を伴うプレッシャーを受けた僕はたじたじになってしまった。ボールを失いそうになる。体を使って丸まるようにして何とかボールを保持するが、周りの様子を見る余裕はなくパスの出しようもなくなっていた。


「ほら、こっちだ」


 大原さんの声がしたのでろくに見もせずそちらにボールを投げだすと、大原さんがフォローに来ていた。「まったくもう。少し落ち着け」


 ダムンダムンとゆっくりボールをつきながら大原さんが何歩か歩く。僕はその数秒間で平常心を取り戻した。同時に強烈な怒りが湧いてくる。金髪の長髪野郎め、お前をこれからキンチョーと呼ぶ。僕は心の中でそう誓い、キンチョーの顔を睨みつけると、彼はニヤリと笑ってきた。


「取れると思ったんだけどな」


 黙れ、と言う代わりに僕はオフボールの動きをはじめた。コーナーに向かって走っていく。直人についている先輩にスクリーンをかける位置に立つと、スクリーンを実際にかけはせず、そのままゴールに向かって切れ込んだ。


 キンチョーの反応が一瞬遅れる。抜け目なく大原さんがくれたボールを受けると、僕はそのままリバースレイアップの形でボールを放った。


「おらあ!」


 リムに向けた視界の端でキンチョーが飛び上がったのが見えた。僕は彼がブロックに飛んでも届かない位置にボールを放ったつもりだったのだが、キンチョーの脚力は僕の予想を上回っているらしい。僕の放ったボールは最高到達点に達する前に叩き落され、コートに激しく跳ね上がった。


「どうだおら!」キンチョーが吠える。

「高校生をブロックして吠えるなよ」大原さんがそれを宥めた。「しかもお前、簡単に裏を取られたくせに」

「うるせえ!」とキンチョーは再び吠えた。


 ラインを割ったボールはスローインではなく再びトップの位置から再開となった。今度は大原さんがボールを保持する。僕たち3人のうちでもっとも長身な直人がセンター役をやってくれるようで、ゴール付近に位置取っていた。


 僕の頭にはいくつかの行動オプションが浮かんでいた。そのうちいくつか試してみたいものはあるけれど、大原さんが突破を狙いそうな気配をみせていたので、コーナーに待機で様子を見てみることにした。


 フロントチェンジで大原さんが何度かボールを左右に遊ばせる。ドライブを狙わないのか駆け引きをしているのか、1秒か2秒の間が空いた。


 直人がするすると移動しスクリーンを用意した。上手い。待っていたかのように大原さんはそれを利用し、あわやムービングスクリーンといった絶妙さで直人の脇を潜り抜けるような進路をとった。


 大原さんのマークマンはそれを追尾し、直人のマークマンはスイッチすると思ったのか大原さんの突破をケアした。必然的に直人がフリーとなる。それを察知した直人はポップし、スリーポイントラインの外まで広がった。


 キックアウトのボールが大原さんから直人へ渡る。完全にフリーだ。小さく舌打ちのような音を残してキンチョーが直人へのカバーに走る。


 速い。ひょっとしたら間に合うかもしれないと思わせる歩幅で直人に近づく。しかし直人はシュートを打つような素振りを見せた後、素早く僕にパスを出した。僕は何もせずコーナーでフリーになったわけである。


 この1本の成否で僕に対するある程度のランク付けがされることだろう。そんな特別なショットを、しかしながら僕はいつも通りの流れで放つことができた。指先まで意識の届いた理想的な回転がボールに伝わる。


 僕の手を離れたボールは高く美しいループを描き、ネット以外リムのどこにも触れずにゴールした。



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