42話
(注)この物語には流血、いじめ、殺人等の残酷な描写が含まれます。苦手な方はブラウザバックをお願いします。また犯罪行為を助長する意図はございませんのでご理解いただきますようお願い申しあげます。又、この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
保健室に行く途中だった。ひそひそという話が聞こえる。詳しい話は遠くては聞こえなかった。周りも騒がしいし、千里も特別耳がいいわけではない。それでも、たったひとつの単語が脳裏に引っかかて取れない。もやもやとしながら保健室の扉を開ける。
「あれ、伊織?」
「……千里」
保健室に入ると少し顔色の良くない伊織がそこにはいた。少し疲れの色が見えていた。当たり前だろう。彼女は悪意にきっと慣れていない。千里は別にそうでもない。幼馴染が過保護で、いつも千里を優先して、他の女の子には興味を示さなかった。だからこそ嫉妬されて嫌がらせは数え切れに程受けてきたし、他にもいろいろな嫌がらせを受けていた。
男の子にだって嫌がらせを受けたことある。もちろん腹いせや、ただの八つ当たり、好きな子には、というのもあるだろう。それだって千里からしたら煩わしいものでしかなかった。
「体調悪いん?」
「……まぁ、そんなとこ」
千里の問いに対し、伊織は少し歯切れの悪い顔をしながら答える。
「僕、雨は嫌いなんだよね。じめじめしてるし……。後、普通に体調も悪くなっちゃうしね」
困ったように、少し悲しげにそう告げる彼女の顔はなんだかとても儚い。掘っておいたら消えてしまいそうで、不安に駆られる。
自分にはない、女の子らしい魅力だ。男の子の守りたい、支えてあげたいと思わせるようなほどよく出る加護欲。千里にはそんな魅力はない。むしろ、守られるのは苦手だし、支えられるのはもっと苦手だった。寧ろ好意自体が苦手だったりもする。
「あー……。確かに今の時期にそれは辛いわ。あー……伊織帰らね? お前次の授業は?」
「えっ。……片桐先生……。大丈夫かな、怒られない……?」
「あー、あいつね。そしたら俺に拉致されていけませんでした、でいいんじゃね?あいつは、伊織には甘いし、許してくれるよ」
だといいけど、なんて言いながら少し不安げにしつつも、先ほどよりも顔色は青白く確実に悪くなっている。このまま悪意に触れさせるのは、なんだか少し不安だった。連日の噂に重ねて先日よくない計画も耳にしてしまった。これ以上、悪意に触れてほしくなかった。家に、帰ってほしかった。倒れてからじゃ、いなくなってしまってからじゃ遅いのだから。
「じゃあここで待ってろよ、伊織。荷物持ってきてやるから」
「……ありがとう」
伊織は小さな声でそう告げる。千里はへらりと笑いながら「気にすんな」と告げ、保健室を後にする。相変わらず雨はしとしとと降っていて、早く止んでほしい、なんて思う。まず職員室まで行き、片桐を呼び出す。
「……おい、地雷。お前が俺を呼び出すなんて珍しいなぁ……? 何をやらかした?」
「あ、片桐。仕事中だった? わりぃね、ちょっと伊織が体調悪そうだったから家まで送って帰るな。あぁ、そうだ……、俺が前を呼び出したら何かやらかしたの前提にするのやめておいた方がいいぜ」
「橘が? ……まあ今の時期なら仕方がねえか……。……お前はちゃんと戻って来いよ?」
千里が片桐を呼び出すと珍しくイラついている片桐をからかうように口を開く。伊織の名目を出せば一瞬眉がピクリと動く。やはり、片桐は伊織に甘い。思わず口元が緩む。
「片桐ぃ、お前は本当に伊織に甘いな~。俺? 戻るわけね―じゃん、方角は反対だけど、俺んち伊織の近所なんだぜ? ここまで戻るのがめんどくせえよ」
からからと笑いながらそう告げると、片桐は眉を顰める。きっとそろそろ出席しないと点数やらねえぞ、と言いたいのだろう。
「心配されなくても、出された課題は全部やるよ。それにちょっと調べたいこともあんだよ。後で家に課題送っといてくれりゃあ次学校に来た時に持ってきてやらあよ」
「お前の場合は本当にどれだけ大量に出してもきちんと終わらせて持ってきやがるから文句言えねえんだよなあ……」
「……何をんな当たり前の事言ってんだ……?」
ため息交じりに、片桐は頭を抱える。千里はその言葉に眉をひそめた。確かに自分は時折授業をサボるし、どちらかといえば不真面目だし、如一と一緒になって教師陣をからかって遊ぶ事もある。しかし、それとこれはまた別問題なのだ。流石に出された課題をやらないほど、馬鹿でもない。
千里の本気で訳が分からない、という態度に片桐は眉間にしわが寄る。普段から深いしわが刻まれているおでこだが、そのしわがさらに深くなる。普段の態度から言っても、意外だったのだろう。事実かもしれないが、いくらなんでもその反応は失礼なんじゃねえか、とも思う。
「はぁ……まあとりあえず分かった分かった。橘は早退でいいんだな」
「頼んだぜ、片桐。じゃあ俺はサボるんで」
そう言いながら職員室に背を向ける。後ろから片桐のあきれたような怒っているような声が聞こえるが、それを無視して教室へと歩を進める。分かっている、自分がだいぶ面倒な性格なのは自覚しているだけに、八つ当たりのようにぶつけてしまいそうになる。まだまだ子どもだな、そう思いながら廊下を歩いていると、丁度よく一人の男の背中を捉える。なんてタイミングのいい男なのだろう、口元が弧を描いたような気がする。少し無防備なその男の背中を叩きながら声をかける。
「翔太、悪ぃんだけど伊織の荷物全部纏めて持ってきてくれねえ?
「……んだよ、千里か……。伊織の? 別にいいけど、なんかあった?」
「……まあ、あったと言えば、あった。あいつ顔色悪ぃし、なんか心配だから帰らせようと思って。俺もついでに帰るわ。伊織の為に授業のノート、頼んだぜ」
「保健室に持って行っとくわ」
大げさなため息とともに髪を軽く掻き上げながら教室に入っていく。その背中を見守る。荷物を纏めている時に時に見えた横顔が少し疲れた顔をしていた。彼も少し巻き込んでしまったいるのだ。ほぼほぼ事実である噂だが、それでも心地は悪いのだろう。……まぁ、彼の場合は少し自業自得な所もあるが。それでも無駄に騒がれるのは疲れるのだろう。普段騒がしい奴が静かなのは中々新鮮でもある。その様子を横目で流しながら自分の教室に入り、荷物をまとめる。
「……ん? 鍵が、ない?」
カバンをあさっていると、キーケースから鍵が一本消えていた。それも家の鍵だ。さすがに困るなぁ、なんて思いながら胸に引っかかる。キーケースに入れているし、どこかに落とすなら、キーケースごとだ。首をひねるも、あとで特注の鍵を作らせないと、なんて考えながら荷物を持ち上げると、スマホのロックを外す。いくつか通知がはいいていたが、適当に確認をとる。たまりにたまった通知を消すと、ちょうどいいタイミングで寝ている男から連絡が入る。ポン、という音と共に文句が飛んでくる。
『今起きた。お前起こせよ』
『おはよ。片桐には伊織から伝わってるから少し休め。後、わりいんだけど家着いたらインターホン鳴らすから鍵開けてくんね? 鍵落としたみたい』
『分かった』
最後の了承の返事をもらってからスマホにロックをかけ、荷物をもって保健室へと歩みを進める。
保健室に入ると伊織と幼馴染の翔太、蒼の三人が談笑していた。千里は黙ってそれを見守っていようかと思ったのだが、蒼は、千里がそうすることを、知っているからこそ声をかける。ひとりに、空気になろうとすることを許さなかった。
「お帰り、千里ちゃん」
「……おう、ただいま。翔太、荷物ありがとうな」
「貸しだからな!」
「あーはいはい」
翔太は千里の言葉に半分噛みつくように貸しだということを告げる。それを若干流しつつ、時計を確認する。自分と伊織は家に帰るが、翔太と蒼は上に帰らせるわけにはいかない。特に翔太はそうだ。こいつは伊織よりも成績が悪いこともある。本当は悪意になんて慣れてほしくない。悪意になれてしまうと、感情も、痛みも何も感じなくなってしまうから。そんな思いをするのは自分だけでよかった。……巻き込むのはごめんだった。それでも教室に戻らせるために二人に声をかける。
「おら、翔太も蒼もそろそろ教室もどれよ。……居心地悪いのは分かるけど……。そろそろ授業だろ。次は片桐だし、少しは静かなんじゃねえの」
「あぁ、本当だ。じゃあ伊織ちゃん、お大事にね」
「ありがとう、蒼ちゃん」
蒼は穏やかな笑みを浮かべながら手を振って翔太を引きずりながら教室へと戻っていく。翔太はその扱いに不満があるのか、何やら蒼に文句を言っているようだが、ずるずると引きずられる。その光景を呆然と眺めていたが、千里が声をかけると、首をかしげる。
「……とりあえず、一回楔に連絡入れるか、あいつ今起きてるし、突然伊織が来たらびっくりするだろうからな。それするのもありだけど、うるさそうだし」
「そうなの? じゃあ一回楔に電話しよっか」
千里の言葉に一度首を傾げた伊織だったがにへら、と笑いながらスマホを取り出す。しかし、千里はその手を一度柔く、制する。
「なあ、伊織。楔にいたずらしねえ?」
千里は最初、スピーカーにしないで楔に通話をかける。彼は異様にもう一つの性格を知られる事を嫌っている。
うじうじと、「この俺は嫌われちゃうから」、「可愛くないから」だの言っていた。女々しいな、と思いつつも結局はこうして協力してしまうのだから、きっとこれは惚れた弱みなのだろう。数コールののちに呼び出し音が途切れ、口を開く前に楔のこちらを咎める言葉が飛んでくる。楔が出たことが分かると、千里は伊織の方を見ながらにやにやと、意地の悪そうな顔をしながら、口元に指を添える。
『おい、地雷! おっ前、なんで起こさなかったんだよ、お前のせいで伊織ちゃんに会えなかっただろ?!』
「そこ? まぁ、少し落ち着きなって。あんま声出すと喉潰すぞ。……あぁ、一応熱測っとけよ」
『なんでお前の言うこと……』
そこまで楔が言ったところで千里は、スピーカに切り替えると、途中で口を開き、楔の言葉を遮る
「ほら、伊織もしゃべっていいぜ」
「あ、楔? 体調平気?」
『ふえぇっ?! あ、い、伊織ちゃん? う、うん大丈夫だよぉ』
電話口から聞こえてくるのは、動揺しきった楔の声。普段から少し緩い声だが、今日はいつもより緩い声だった。さっきまだ緩みつつもとげのあった声とはまた違って、千里の顔がほんの少しだけ曇る。
「楔、熱はない?」
『あ、千里ちゃん、体温計……』
「枕元」
「えへへ、ありがとぉ。……えとねぇ、38.6! え?」
楔が測り終えると、体温をこちらに伝えてくるが、驚きの声を上げる。自分の熱の高さに驚いているようだった。熱が高いし、この状態で伊織だけに任せて家に帰らせるのも不安だ。少しだけ考えると、前、伊織の家に泊まったことあるし、伊織も家に泊めてもいいかな、なんて思って口を開く。
「まぁ……、おとなしく寝てろよ、今から伊織とそっち行くから」
「……へ?」
うるさくなるのは分かりきっていたので、彼の返事を聞く間もなく切ると、伊織に頭を下げる。
「ごめん、楔思ったよりも熱あるみたいだから、今日うちに泊まっていかね……? 熱のある男抱えて帰るのも大変だろ? その飯も家で用意するし……。如一に言えば車くらい出してくれそうだけど、今あいつんち頼れなくて」
「……まぁ、楔も熱がある中歩くのもつらいだろうしね」
別にいいよ、なんて微笑みながら頷く。雨はまだ降り続いている。




