38話
(注)この物語には多少の流血、いじめ、殺人等の残酷な描写が含まれます。苦手な方はブラウザバックをお願いします。また犯罪行為を助長する意図はございませんのでご理解いただきますようお願い申しあげます。又、この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
「珍しいですね、地雷君が本当の体調不良で保健室に来る日が訪れるなんて」
「え……?嫌だなぁ、飛山先生。お俺は今日もフケに来たんです。体調悪くなるようなやつじゃないっすよ。知ってるでしょ?」
しばらくトイレで手を洗ってからフラフラとした足取りで保健室に向かい、体調が悪くないように見えるようにしながら保健室に入る。中には保健医である飛山がおり、微笑みながら声をかけてきた。正直いうと、千里は飛山に苦手意識を持っていた。理由としては全部見透かされているような、心を覗かれているような感覚が嫌なのだ。いまだってここにきたときには何も言っていない。なのに、体調悪いことを一瞬で見抜いたのだ。入ってきた瞬間、開口一番にそう言われたのだ。その時の恐怖感はとてつもないものだった。
「そうだったんですね、普段からあなたはあまり顔色は良くありませんが、今日は一段と顔色が悪いのでそうなのかと思いましたが……。まぁ、気にせず奥のベッドなら空いてますので、ご自由にどうぞ」
「あざまーす。じゃ、おやすみ、飛山」
いつも通り何もなかったのを装いながら笑う。その笑顔はいつもよりもぎこちなかったように思えた。奥のベッドまで行き、カーテンを閉めて、靴も履いたまま斜めになってベッドにダイブする。硬い。保健室のベッドは硬いな、なんて千里は思いながらころりと転がると天井を仰ぐ。感情なんて、とうの昔に忘れたと思っていた。し、あってもどこか遠くにそれを感じていた。この間、ほんの少し近いところにきたような気もするが、でも、余計に心がもやもやとする羽目になった。これがきっと、悔しいや、悲しい、辛い。そんな感情なんだと思う。
「……寝よ」
寝ようと思って体を起こし、かかとを履き潰している上履きを脱いで布団に包まって目を瞑る。体がガタガタと震えるのも無視して無理やり寝ようとする。理由はわかっている。元から持っている“怖い”という感情のせいだ、と。
やはりあんな夢を見た後だからだろうか。あまり眠れず、授業の終わるチャイムの音で目を開くと気だるげに体を起こし、カーテンを開く。そこにいたのは先ほどまでいたはずの飛山ではなく、千里の担任である遊原だった。彼がこちらに振り返る前に気だるげな顔を引っ込めると、いつも通りの胡散臭い笑顔を顔に貼り付けると、声をかける。
「あれれー、遊原センセだ〜。さっきまでいた飛山センセは〜?」
「ん……?あぁ。起きたのか地雷。飛山先生なら“何か地雷君が悩みを抱えているようなので、私よりは信用してもらえているだろう遊原君に話を聞いてもらいたいんですよ。じゃあ、後は任せますよ”とか言って出て行ったが……」
「へぇ、そっすか。遊原先生も暇人なんですね、本当に担任持ってるんですか?まぁ、そもそも飛山先生のその話なら勘違いっすよ。いたって俺は元気ですし、悩みを持つようなやつじゃないっすよ。俺を気にかけるくらいなら他の奴に目を向けてみればどうですか?あっ、なんなら学校中の窓ガラス割ってから帰ろうか?」
遊原の言葉を聞いて一瞬は寝れてたんだな、なんて思いながら千里はへらへらと笑いながら口を開く。全部嘘だ。目を閉じながらへらりとしているので、彼の表情はうかがえない。しかし何故か鋭い視線を感じて、へらへらしたまま目をそっと開けると、真剣な瞳でじっと見られていたことに気がつき、何も言えなくなるし、表情も固まった。その後、目を逸らすと、何かを誤魔化すように口を開いた。
「本当になんでもないんです。ただちょっと夢見が悪くて……それだけなんです。だから悩みなんてなんもないです。だから俺のことはほって置いて下さい」
拒絶するような瞳で遊原のことを見つめる。刺すような瞳。その瞳は汚い大人をたくさん見てきた、誰にも心なんて許していない、そんな鋭さを持ち合わせていた。遊原は高校生がしていい瞳じゃない。そう思った。焦り混じりに声をかけようとすれば鋭かった瞳は無くなり目を細めて笑う。
「……っ」
「ね、俺は大丈夫でしょ?俺なんかよりも伊織の方が、メンタル弱そうですよ。ちゃんと見てて下さいね」
これ以上踏み込むな。そんな有無を言わせないい瞳で見つめる。その瞳を見ていると何も言えなくなり、目を見開いて息を詰まらせていると、千里は近くの椅子に座りながら保健室利用者カードに慣れた手つきで書き込む。沈黙の時間がしばし流れる。その沈黙を破ったのは保健室のドアが開く音だった。そちらに目を向ければ、楔が立っていた。その顔は少しだけ心配そうにしていて、千里としては演技だとしたらさすが楔だな、なんて思う。千里は先ほどまでの雰囲気を消すと楔のところまで駆け寄ると、手首を掴むと遊原の方に振り返り口を開いた。
「んじゃ、俺お迎えが来たんで帰りますね、バイバイ先生」
「千里ちゃん、本当に大丈夫〜?」
「おう、へーきへーき。さっきは見た夢無が悪くて顔色悪かったんだ。ごめんな、変なこと言って。とりあえず帰ろ」
「んん……、そういう意味じゃないんだけど……まぁいいや、じゃあいこぉ。先生さようならぁ」
帰ろう、と言いながら楔の手を引く。その行動に目を見開いて驚くも大丈夫なのか、と問われ、いつも通りにバカ明るい声で言う。しかし、楔としては本当に聞きたいことはそうじゃなかった。それに少し夢見が悪かった程度であそこまで取り乱す理由がわからない。しかしここでこれ以上聞いても答えてはくれないような気がして遊原に挨拶をすると、千里の隣を歩き始める。千里は楔がちゃんとついてきていることを確認するとすぐに手を離すとさっさと歩き始めた。少し楔から距離を取ったところで先ほどの会話を思い出す。
ゆっくりとのんびりとしたあの楔の表の話し方。千里はあの話し方を思い出すと、苦笑がこぼれた。少し冷たいあの話し方をしっているのは女子の中じゃ、自分だけなのだ。少しだけ、嬉しく思った。
保健室、昇降口と校門を離れると人通りが少ない道に出る。ここまでくれば話してくれるだろう、と思いながら楔は前を歩く千里に声をかけた。
「なぁ、地雷。お前ほんとに平気かよ。あんなに顔が真っ青になるなんて尋常じゃねえと思うけど?」
「んーなにがー?へーきだって」
「……平気ならいいけど」
「うん、俺は平気だよ。楔まで俺に余計な詮索しちゃう?」
「伊織ちゃんだけで充分」
「それでいいんだよ」
楔の問いに対して返ってきたのは今まで見たこともないような冷たい、拒絶の瞳だった。楔はこいつ、人を一人くらいやったことあるんじゃないか、なんて思った。そんな瞳を見るや否や、平気ならいい、と告げる。その後すぐに先ほどの冷たい瞳は消えて、いつも通りの瞳に雰囲気が戻ってくる。その後に少しからかうように口を開けばムッとしたように伊織の名前を出す。
千里はそのことに安堵しつつも複雑な気分になる自分に面倒だな、なんて思いながら溜息を吐いた。
そこからある程度無言で歩く時間があったがすぐに自分の家が見える。楔の方へ振り返ると自分の家を指差しながら声をかけた。
「あ、俺ん家あれね、今鍵開けるからちょい待ってね」
そう言いながらカバンの中に入っている鍵を開けると、楔を家の中に通す。楔はほんの少し緊張していた。なぜなら伊織の家だって中に入ったことはろくにない。家の外を見ることは良くあるが、家の中はまだないのだ。女子の家に入るのは、初めてなのだ。確かに相手は全く気にしていない。そこなのだ。千里の家を見ながら“伊織ちゃんにしか興味がないとは言え俺も男なだけどな”なんて思いながらまじまじと見つめる。どのくらいそうしていただろうか、階段から顔をのぞかせながら呆れた顔をしていた。
「……何やってんだよ、楔。早く入れよ、鍵しめらんないから」
「あ……お邪魔します」
「おおぅ、まあなんだ。ちょっと準備して来るから。飯、食ってけ。とりあえずそこの突き当たりがリビングだから好きにしてて」
そう言いながら奥まで続いている廊下を指差しながら待ってろ、と告げる。それを伝えると同時に二階への階段を登る。その様子を横目で見ながら、廊下を進む。
確かに伊織の家もそこそこ大きかったが千里の家もそこそこ大きい。そんな感想がふっと湧き出る。これでまったく塵ひとつ見当たらないのだからこいつの親は暇なのか、なんて思った。
千里の親はとっくの昔に死んでいることなんて知らなかったから。




