37話
(注)この物語には多少の流血、いじめ、殺人等の残酷な描写が含まれます。苦手な方はブラウザバックをお願いします。また犯罪行為を助長する意図はございませんのでご理解いただきますようお願い申しあげます。又、この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
千里と別れた後、楔はまっすぐ教室に向かっていた。伊織ちゃんならそこに居る、そう信じて。教室に着くと、自分のクラスなのに恐る恐る覗くと、下手に話しかけられないように翔太が何かオーラを発しながら伊織と談笑していた。そのことを確認してから二人のもとに駆け寄る。
翔太ならわかってくれる、そう信じながら伊織に声をかけた。
「い、伊織ちゃん!」
「あ、楔?どうしたの、そんなに慌てて。僕に何か用だった?……と言うか、楔、どこ行ってたの?僕、楔いなくて寂しかったんだよ」
伊織に声をかけると、ふわりと笑いながら楔の名前を呼ぶ。翔太は何かを察したのか直ぐに話を切り上げて、少し離れた所で見守りはじめる。まさか告白までついてくるつもりなのか、とも一瞬考えたが、翔太はそんなことはしない、と言う信用をおいて、伊織に用件があるのか、と問われこくりと頷いた。その後に続いた寂しかったという言葉に楔の心はドクン、と胸が高鳴った。期待だってした。普段から楔は伊織に「好き」だの「愛している」だの言っているがそれは彼女が冗談として受け取って「僕も好きー」と返してくれるのが嬉しくて、それが友愛的な意味だと知っていたが、それでもよかった。だから言えるのであって、本気だと言うことを告げて、告白するのは初めてだ。
「う、うんっ。でも、あのここじゃちょっと恥ずかしい、から……ひ、人気のないところに行きたいんだけど、だ、だめ……かな?」
「だめじゃないよー。いいよ、人気のないところなら屋上、か校舎裏かな?どこにする?」
「えっと、屋上にはさっき千里ちゃん居たから校舎裏がいいかなぁっておもってたんだけど」
「あ、そうなんだ。じゃあ、校舎裏にしよっか。楔、行こ」
意識して告白するのなんて初めてで、すでにこの時点で声も上ずっている気がするし、うまく話せている自信もない。けれど伊織の言葉でほんの少しだけ呼吸が楽になる。しばらく歩いて行けば人気が少ない校舎裏まで来た。ここまでくる間に何度逃げようかと思ったがそんなことをすれば千里にはしばらくからかって遊ばれるだろうし、翔太には自分だって何度も逃げてて、この間、ようやく告白をできたばかりだと言うのに鼻で笑ってくるだろう。それならいっそのこと逃げないで想いを告げて彼女を自分のものにしようと考えていた。
そんなことを考えていたせいか、伊織が立ち止まり声をかけてきたのに反応が一歩、遅れる。それでもちゃんと伝えたかった楔はまっすぐ伊織のことを見つめた後に口を開く。
「楔、ここで大丈夫?」
「う、うん。あ、あのね、伊織ちゃん!」
「うん、どうしたの楔」
「あ、あのね、ぼ、僕ね、伊織ちゃんのこと好き、だよ!」
言えた。目は見れなかったし、すごくたどたどしかったしちゃんと言えた。想いは伝えられた。伊織はその言葉を聞いて、一度キョトンとしながら首を傾げると、プッと吹き出して笑う。
「うん、知ってるよ。僕も楔のこと好き」
違う、と思った。自分の抱えている好きと彼女の思っている好きは。そう思って顔を上げて首をふるふると振りながら言葉を紡ぐ。この言葉を言えば、どんなに鈍感な奴だって、分かるはずだから。そう思いながら、言葉を言いながら次の言葉を考える。さっきの告白よりも明確に、自分の気持ちをストレートにぶつけるわけだから心臓がばくばくと言いながら早鐘を打つ。さっきよりも言葉がうまく出てこなくて、顔から火が出そうなくらい恥ずかしい、なんて思いながらいおりの顔を真っ直ぐと見据えながら言葉を続ける。
「あ、あのね、伊織ちゃんの思っている好きと、僕が抱えている好きはきっと別の好きで……僕の好き、は伊織ちゃんと結婚したいなぁって言う好き、だから」
一度ここで言葉を楔は区切ると深呼吸を1回、二回としてから背筋を伸ばす。そして頭を下げながら自分の聞き手を差し出し、震える声で
「僕、伊織ちゃんを絶対に幸せにするから、結婚を前提に僕と付き合ってくれませんか……?」
「え……あっ、そ、そう言うことか……」
最後まで楔の言葉を黙って聴いていた伊織は何かに気がついたように目を見開いた後に頬を薄く朱色に染めながら少しだけ焦りながらワタワタとし始める。そんな様子を見ながら“やっぱり伊織ちゃんは可愛いなぁ”とか考えながらそんな伊織を見守る。そのアワアワしていた時間はほんの数秒だった。伊織は申し訳なさそうな顔をしながら口を開く。
「えっと、まず最初に言うね。僕、まだそう言う気持ちってよくわからないから……楔の気持ちには答えられない、かな」
振られた。そのことはすぐにストンと頭の中に入ってきた。何も答えない楔に伊織は少し慌てたようにフォローを入れるように再び口を開く。
「あ、でもね、楔のことは本当に好きだよ。それだけは本当。でも多分僕のこの好きはきっと楔とは同じじゃないと思うから……。だから楔と同じ好きが分かるまで、楔には待ってて欲しいんだ。……だめ、かな?」
「だめ、じゃない」
伊織の言葉に楔は目を見開く。待ってて欲しい。その言葉が嬉しくて、伊織に駆け寄りぎゅっと抱きしめる。だめじゃない、なんて言いながら。だからきっとこれから流れる涙は悲しいものじゃない。きっと嬉しいものに変わる。そう思いながら情けない顔を見られたくなくていつも以上に甘えるように抱きしめる
「伊織ちゃん、好き、大好き」
「知ってるよー」
伊織はくすくすと笑いながら彼の背中を優しく撫でる。すごく短い時間だったと思う。昼休みを終えるチャイムが学園内に響く。楔がそっと離れ、いつも通りの笑顔を浮かべながら伊織に教室に行くように促し、自分は後で必ず教室に行くことを伝える。心配そうにしている伊織の背中が見えなくなると屋上へと続く階段に向かって歩き始めた。
屋上に着くと同時に授業開始のチャイムが響いた。楔が辺りを見渡していると千里の姿が見当たらない。教室に戻ったのだろうか、なんて思いながら屋上の出入り口の近くに腰を下ろすのと同時だった。その瞬間だった。
「ごめんな……さい、ゆる、して」
「ひっ……!」
あまりにもタイミングが良すぎて思わず叫び声をあげそうになるが、ギリギリのところで抑える。ここで大声を出してしまったらここでサボっていることがバレてしまう。口を押さえながら声のした方を振り返ると見覚えのあるポニーテルが目に入る。ちょうど近くにハシゴがあったのもあり、出入り口の屋根に登れば悪夢でも見ているのだろうか、酷くうなされている千里の姿が目に入る。近くまで行けば、冷や汗まで書いていることがわかり、思いきリ額に向かってチョップて叩き起こす。
「うわああ!?はっ……はっ……」
「お、起きたか。なんか呑気に寝てるかと思いきやうなされてっから起こしたんだけど、大丈夫?」
「あ……くさび……、そっか、ゆめ……そか、夢か……。そうだよな、そうじゃなかったら、おかしいもんな」
チョップをするのと同時だった千里は飛び起きる楔の不満げな声にもしきりに首元を気にしながら楔と目も合わせないようにして口を開く。嫌な夢を見たなぁ、なんて密かに思う。あんな縁起でもない夢、見たくなかった。あの時の夢なんて見たくなかった、と。無意識で首元をガリガリと掻く。もう、あんな思いはしたくない、大丈夫、と言い聞かせながら首元を触り続ける。
楔はと言うと見て欲しくないものだと何と無く察して視界に入らないように目線を逸らす。少しの間、二人には長い沈黙の時間が流れる。その沈黙を破ったのはまぎれもない呼吸の整ったいつもより声の低い千里の声だった。
「あ、そうだ。楔、どうだった」
「……振られた」
千里の問いかけに対して、楔はほんの少し気まずそうに顔をも合わせずに一言だけ発すると、今まで耐えていたものが溢れ始める。少しずつ溢れ始めた涙で視界も滲み始め、前がちゃんと見えなくなる。
「まだ……、わかんないって。俺のことは好きだけど、伊織ちゃんが俺の求めている好きじゃないって……」
両目から溢れるものを拭うことも忘れ、話を続ける。滲んでいる視界ではよくわからないが四つん這いになった千里が少し近づいてくる気配がして、困ったような声で不器用な慰めの言葉を言いながら頭をぐしゃりとかき回す。
「あー……、わかったわかった。とりあえず今は泣くなよ……。どうせお前のことだから伊織には後で教室に戻るって言ったんだろ。教室に戻れなくなるぞ。とりあえず今日、話聞いてやるから、泣き止め。……あぁ、でも手間取らせるようで悪りぃけど、放課後、帰る前でいいから保健室まで迎えに来てくんねぇ?俺、次の授業サボりたいし。だから寝てくんね」
千里にいきなり頭を撫でられた楔は文句を言おうと不機嫌そうな顔を隠すことなく顔を上げる。しかし、文句を言おうとしていた彼の口は開くことはなかった。なぜなら少し困ったような顔をした彼女の顔は真っ青な顔で今にも倒れそうなくらい冷や汗を流していたからだ。しばらく何も言えなかった楔だが、少し呆れたような顔をしながら口を開く。
「……お前、それ大丈夫か?なんなら保健室まで送るけど?」
「やめて!」
「……は?」
しかし、千里から帰ってきた返事は思ってもいなかった言葉だった。普段ならケラケラと笑いながら「いらねぇよ」と言いながら去っていくと言うのに。ここまであからさまな拒絶の言葉は。しかし当の本人もここまで拒絶するつもりはなかったのかハッとして口を押さえながら座ったまま後ずさりをする。そのまま目を逸らすと、謝罪の言葉を告げる。長い横髪の隙間から見えた瞳にはほんの少しの困惑の色が垣間見えた。
「あ……違う、違うんだよ……。ごめん、楔。でも、さあんま俺に優しくしないで」
期待なんか、させないでと、口の中だけで言う。期待なんかしたく無かった。でも、自分のことも信用できなかった。自分がまた人のことを愛そうとしている自分がいることに。まだ、楔のことを好きな自分に。人を好きになったり愛したらダメなことも、そのせいで人が不幸せになることも知っていたのに。そんな自分が大嫌いで最低だな、、なんて思いながら楔のそばから離れる。
分かっている。
ただ、自分が勝手に期待して、裏切られることが怖くて裏切られることが怖くて仕方がなかった。臆病になっていただけなのも分かっている。
「俺はさ、本当に大丈夫だから。一人で保健室に行けるよ、たださぼりたいだけなんだから。……じゃ、また放課後ね」
うまくなんて笑えている自信はなかった。もとより笑顔になるのは苦手なのに、上手く笑えるわけながいいのだ。っけれど、楔の返事を聞くことなく覚束ない足取りのまま階段を降りる。本来ならば今すぐにでもトイレに駆け込みたかった。夢の内容を早く忘れたかった。広がる赤い色にむせかえるような鉄錆の匂い、ぬるりとした感覚が今もまだ体に刻み込まれている。この夢を見るといつも息が苦しくなるのだ。誰かに首を絞められているような感覚が身体中をめぐり、クラクラとする。
その頃屋上に一人取り残された楔は明らかに平気そうでは無い様子で返事を聞くことなく出て行った千里の様子に首をかしげながら、なぜ、千里があんなことを口走ったのかわからなかった。不意に空を見上げると、そこにはいまの楔の気持ちには似つかない、青空が広がっていた。
屋上からある程度離れたところで一度千里は立ち止まる。1番手近な壁に寄りかかると、そのまま頭を抱えながらズルズルと座り込み、大きく深呼吸をした。誰にも心配をかけたくはなかったのだ。それならばまずはこの顔色をなんとか強いなければなら会い、そう思いながら呼吸を落ち着けさせる。
しばらくすると、だいぶ気分も呼吸も落ち着いてくる。そのことがわかると、近くのトイレにふらふらとしながら入ると、自分の顔色の確認するため鏡を覗き込む。いつもよりもまだ青い顔をした自分お顔がうつった。
「……まだ青いかもだけど、まぁ……貧血って言えばいっか。一応戸籍上の性別は女だし……」
そう、自問自答をすると自分の手をみつめる。幻覚だって分かっている。それでもさっき見た夢の感覚が段々リアリティーが増しているような気がして、吐き気を催す。何も出ないのは分かり切ってるので、その吐き気は亜留斗からもらった吐き気止めを飲んで誤魔化し、未だに感覚の残ってる手を丁寧に洗ってこれ以上は何もできない。そう思った千里はトイレから出て、保健室までの道を歩くのだった。




