終末のミドリ
その朝、俺は世紀の大発見をした。
それに気づいた俺は、すぐに家を飛び出して、友人のカワタに会いに行った。奴は案の定寝ていたから、肩をぐらぐら揺さぶった。
「おい、おいっ。聞いてくれよカワタ、なあ、大変なんだよ」
「……ヒノか。なんだよ出会い頭に、うざったいな」
「俺は世紀の大発見をしてしまった」
「なんじゃそりゃ。一体何があった?」
「これを聞いたら誰でも飛び上がるぜ、おい」
「いいから言えよ。聞いてやらねえぞ」
「ああ言うさ。もったいつけてるわけじゃないんだ。でも、これってお前が思ってるよりとんでもないことなんだ。だから先に約束してくれよ、ほかの誰にもことは言わないでくれ」
「分かった分かった。お前って、つくづく変わったやつだよな。それでなんだ、何があったんだ?」
「見てくれよ、これ!」
俺はカワタに右の手の甲を見せた。それを見た奴の目が大きく開く。
「こりゃあ……木の芽じゃねえかよ」
「そう、芽だよ。俺に芽が生えてきたんだ」
「そんな馬鹿な話があるか」
「そうだ、馬鹿話もいいところだ。そいつが俺たちの目の前にある」
「だってお前、この世界のどこから新たな命が生まれるってんだよ。このご時世、植物どころか、まともな水もねえのに」
「だから俺が苗床になったんだろ、腐っても人間だ、多少の水分と栄養はあるんだろうさ」
「馬鹿、俺たちの身体はただ腐ってんじゃねえ、猛毒で溶かされてんだ。こんなのに根を張ったら一瞬で枯れちまう」
「でも現にこいつは生きてるぞ、見ろよこの瑞々しい緑。こんな色を見たのはいつぶりだ」
「まあそうなんだよなあ、一体何がどうなってるのやら。学者に見てもらったらどうだよ」
「ほぉら、お前ならそう言うと思ったよ、だから先に釘を刺しておいたんだ。俺はこいつを学者に引き渡すなんて、絶対に嫌だね」
「どうしてだよ、考えようによっちゃ、こいつが世界の救世主になるかもしれねえのに」
「無理だね。もうこの世界には、白骨死体と腐乱死体と動く腐乱死体しか残ってないんだぞ、こいつは何を救えばいいって言うんだよ?」
「確かにそうか。意外とお前も考えてんだな」
「俺は楽観的なだけで、思考はお前より幾分残ってると思うぜ」
「それでお前は、どうしたいんだよ」
「とにかく何でもいいから、こいつを生かしてやりたいんだ」
「何のために?」
「何のためにだ? お前の思考もすっかり腐っちまったな。命を救いたいと思うには理由が必要なのかよ」
「はいはい、俺が悪かったよ」
「俺は学者みたいに人類だの世界だの、壮大なことを夢見るつもりはない。ただ、俺の手の甲に根を張ってくれたこいつを、生かしてやりたいだけなんだ。俺ってば意外とリアリストだろ?」
「ニヒリストの間違いじゃないのかね」
「今じゃ虚無も現実も似たようなもんだよ」
「かもな」
「だから、折り入って相談なんだけど、学者が来ないような場所ってないかなあ。奴らにこいつの幸せを邪魔されたくないんだ」
「奴ら、どこへでも行くからなあ。10割安全な場所なんて海の中くらいじゃないか?」
「海の中じゃこいつまで死んじゃうだろ。こいつが立派に育てる環境で頼むぜ。地下もなしだ、こいつがどこまで成長するか分からないからな」
「難しいこと言うよなあ。じゃあ、お前の家の屋上とかどうだ」
「うーん。悪くないけど、目立つだろ。もしも大きく育ったら、学者に見つかっちまう」
「そこまで成長したらもう十分じゃないの。学者に譲ってやれよ」
「馬鹿野郎、ちゃんと天寿を全うしてほしいだろ。こんな美しい命が、俺らみたいな死体の為に使われるなんて、そんなのおかしいだろうが。葉一枚持っていかせるもんかよ」
「随分と惚れ込んだもんだな」
「おうとも」
「そこまで堅い意志なら、俺の別荘の屋上を貸してやってもいいぞ」
「お前の家? 同じようなもんだろ?」
「忘れたか、俺の別荘って、あそこの高層ビルだぞ。地上からじゃ屋上なんて誰にも確認できない。周りの橋やビルは軒並み倒壊してるしな」
「なるほど」
「それにあのビルは階段がボロボロだからな。屋上まで辿り着くのも一苦労、ましてや大樹を切り取って持って帰るなんてできやしない」
「うん、うん」
「お前は、どうせ屋上まで行ったら、もう降りてこないつもりなんだろ?」
「もちろん」
「じゃ、そこでいいな。行こうぜ」
「ありがとう。お前はやっぱり最高の親友だ」
「やめろ気持ち悪い」
「よかったなあ、ミドリ。これでお前も安心して大きくなれるぞ」
「は? ミドリ?」
「こいつの名前だよ」
「……安直だなあ、お前」
「ほっとけ」
かくして俺は、カワタの別荘へ行くことになった。
「こっちだ」
「おー、自動ドアとか久しぶりに見た。まだ動いてんの?」
「動いてるぞ、一応」
「マジかよ! 動かしてくる!」
「あ、ちょっと待て」
カワタが止めたが、俺は構わず自動ドアの前に立った。ウィ~ギギギィン、みたいな怪しげな音を立てながら、それでも自動ドアは自動で開いた。
「お~~~~~!!」
俺は文明の遺物を久しぶりに目の当たりにして感動し、そのまま中へ入ろうとした。
「ぐえ」
しかし俺の勇み足は阻まれた。自動ドアが自動で閉まったのだ。挟まった右足がぐにゃりと変形してしまう。これはもう、元の形に戻らないかもしれない。
「だから待てって言ったろ。一応動くには動くけど、さすがにぶっ壊れてるみたいで危なっかしい」
「じゃあもうちょっと強めに止めてくれよ。まあ、足なんてもうじき使わなくなるしいいけど――」
その瞬間、空から意識の吹っ飛びそうな轟音が鳴り響いた。黒板の引っかき音を爆弾に詰めて破裂させたような音。
奴の鳴き声だ。
「……久しぶりに聞いたなあ」
「邪神様もお前のドジを笑ってるんだな」
「んなわけあるかい」
そう言いつつも、空に張りついた数百の瞳は、心なしか俺を見ている気がした。
まさか遥か上空から俺が見えてるとは思えないけど、人間の常識で計り知れるような存在じゃないのも確かだ。案外、本当に俺のことを笑っているのかもしれない。
「まあ、そうだとしたら、数日間涙は降らないな」
「だといいな」
あの涙が、世界を腐らせた。空を覆いつくす大量の巨大な瞳が、みんな悲しそうに歪んで泣き出す光景が好きだって言う人類はまずいない。もう新しく腐るようなものは残ってないとはいえ、降らないに越したことはない。
それに、俺に根を張っているとはいえ、あの涙がミドリに触れたら何が起こるか分からない。極力避けてやらなきゃ。
「うおーっ、すげえ」
ビルの屋上から見える景色はなかなか爽快だった。カワタの言う通り周りの高い建造物はほとんど崩れているので、地平線が見える。これで日が差していればもっと美しい風景だったんだろうけど、残念ながらそれは空を覆う邪神が遮っている。
無残な屋上庭園の残骸があるのが少し不吉ではあるけど、それは見なかったことにしておこう。
「じゃ、俺は戻るから」
「戻って何するんだよ」
「別に何もしないけど、ここは危ないからな。長居したくない」
「冷たいヤツだ」
「ま、たまには様子を見に来てやるから。元気でな」
「ちぇ」
俺とミドリの暮らしが始まった。
「ミドリは綺麗な緑色だなあ。いつか、花や実もつけるのかな」
「手足はもう腐ってるとはいえ、じっと動かないでいるってのは辛いな。植物ってすごいよな、生きてるのにじっと動かないでいるんだから」
「早くミドリが成長したところを見たいなあ。何かを待ってる時間って、こんなに長いんだな。忘れてたよ」
ミドリは喋らないけど、俺はミドリに向かって語り続けた。愛情をちゃんと伝えて育てると、植物も綺麗に成長しやすいとどこかで聞いたことがあるし。そうでなくても、どうせ俺にやることはなかったから。
「お? 最初より、少し大きくなってるか? そうだ、成長記録をつけよう! えーと、なんか壁……そこの給水塔でいいか」
「で、まあこの辺の石でガリガリっと……うぇ、親指が変な方向に曲がった」
「あっ! これ、俺がミドリを持ち上げられなくなったら書き込めないじゃん!」
ミドリは、水も日光もなしにすくすくと成長した。それに、たまに降ってくる邪神の涙にも動じない。やっぱり、この子は普通の植物よりもずっとたくましい。
気づけばミドリは、あっという間に俺の顔ほどの大きさに育っていた。根っこは俺の手で複雑に絡み合い、窮屈そうに腕の方へ伸びてきている。
「ここまで育てば一安心だな。お前が枯れたりしなくて、本当に良かった」
「ミドリってもしかしてさ……いや、なんでもないよ」
「そろそろ俺の腕じゃ支えきれなくなってきたなあ。どこに腰を据えるか決めないと」
「ミドリはどこがいい? さすがにコンクリートの上よりは土の上のほうがいいよな。変な成分が入ってそうだけど、この庭園の土を使わせてもらうか……給水塔の脇辺りなら外から見えづらいか?」
俺は庭園の土を掘り、そこに手を埋めて固めた。なんだか妙な気分だ。自分で自分を埋葬したような。でも案外間違っていない気もしてくる。
「これでよし。思う存分根っこを伸ばして、思う存分大きくなってな」
そこへ、ちょうどカワタがやってきた。
「お、もうそんなに大きくなったのか。死んでると時間の感覚が分からなくて困るな」
「そうだな。どんどん成長していって、嬉しいような寂しいような」
「何を親みたいなことを」
「いずれは俺の背よりも大きくなるのかな」
「そりゃそうだろうな、順当に行けば」
「だよなあ~。うぇへへへへ」
「うざ」
カワタの反応は相変わらず淡白だが、長らく返事のない会話しかしていなかったので、妙に新鮮味があって嬉しかった。
「あーあ、手ごと埋めちまって。もう逃げたくても逃げられねえぞ」
「どこに逃げる必要があるんだ?」
「まあ、お前がいいなら止めないけどさ。でも、ある程度成長したところで手から根っこを離して、土に移してやるだけでもよかったんじゃないか?」
「何言ってんだ、これからもミドリが育つにはまだ栄養が必要なんだ。俺がこの子の養分になってやらないでどうする」
「うん、まあ、いいんだけどさ。お前があえてやってんなら」
それからカワタは俺と二言三言交わすと、下へ帰っていった。そしてまた、俺とミドリだけになる。
「久しぶりにカワタと喋ったなあ。ミドリはカワタのこと覚えてるか? まだ小さかったし、さすがに覚えてないか。この場所を紹介してくれた奴だよ」
「奴がいなかったら、ミドリは怖い奴らに見つかって、捕まっていたかもしれない。あいつへの感謝の気持ちは、俺もお前も忘れちゃいけないな。偏屈な奴だけどさ」
「それにしても、カワタ、なんか変な感じだったよな。そんな心配しなくたって、俺はミドリが生きていてくれるだけで幸せ――」
「…………」
「ミドリは幸せか?」
「どうして今まで、こんな根本的なことを考えないでいたんだろう」
「生きていたって、幸せじゃなきゃ意味がない」
「長い間死んでて忘れていたけどさ、俺、生きていて楽しいだなんて、あまり思ったことなかったよ」
「そうだ。生きるのって、本当は辛いんだ」
「俺は俺の幸せをお前に押しつけていただけなのかな」
「お前も本当は、すぐさま枯れてしまった方がよかったのかな」
「お前は、生きたくて俺の手の甲に根を張ったわけじゃなかったのか? お前は何かの間違いでここまで生き残ってしまったのか?」
「何かの間違いで死に残ってしまった俺みたいに」
「…………ごめんな」
「でもな、ミドリ。俺もお前も、そうだ。残ってしまったからには、やっぱり残っていなきゃダメなんだよ。何かのために残らなきゃだめだ。自分が終わってしまうとしたら、何かのために終わらなきゃだめだ」
「それがこの世界にいるってことなんだよ、ミドリ」
「世界のために何かしなきゃみたいな、そんな大仰なことを言ってるわけじゃないよ」
「俺が死に残っていたことでミドリに出会えたのと同じだ。そういうのを、ミドリ自身のために、ミドリにも見つけてほしいんだ。……言い訳っぽいけどさ」
「とにかく、生きよう。この世界に残ろう。世界が終わってしまっても、俺たちが終わったわけじゃない」
「………………」
ミドリが俺の背の倍くらいの大きさにまで育つと、俺は身動きが取れなくなった。ミドリは、給水塔の梯子やパイプと絡み合いながら背を伸ばし、根は俺の肩や胸を伝いながら四方へと広がっていった。
俺が動けない代わりに、時折来るカワタに成長記録をつけてもらうことにした。しかし、この調子だとどこにも記録がつけられなくなる日も近いかもしれない。
「悪いなあ、ありがとう」
「別に印つけるだけだろ。わざわざ礼言われるほどのもんじゃない」
「いやいや、それでもさ。こうやって定期的に来てくれるだけでありがたい。ミドリがいるとはいえ、やっぱり言葉を返してくれる相手がいないのは寂しくてな」
「どうせ、やることもないから」
給水塔から降りてきたカワタは、俺を見下ろした。
「随分と変わり果てた姿になったなあ」
「なんだよ」
「なんでもねえ。もう覚悟決めたんだもんな、お前」
「そうだぞ。お前も早いとこ、自分の終点を決めた方がいい」
「結婚が決まった瞬間に既婚者ぶる嫌な男みたいなこと言いやがって」
「言い得て妙だな」
「……まあ、分かってるよ。意識だけ残ってたってしょうがない。俺も何かしら、探さなきゃな」
カワタは気にした様子で帰っていった。彼なりに気にしていたのかもしれない。悪いこと言ったかな、と思った。
ある日、カワタが慌てた様子で屋上の扉を開けた。
「ふぅ」
そしてミドリに寄りかかって一息ついた。
「おい、ミドリは休憩所じゃねえぞ」
「ああ、悪い悪い」
「どうしたんだよ」
「それが聞いてくれよ」
カワタは俺の方を向いて、珍しく笑った。
「このビルに学者が入ろうとしてた」
「えっ、大丈夫なのか!?」
「まあ、聞け。そんで、俺は『ここは俺の別荘だ』と言って追い払おうとした。それでも奴らは、無理やり入ろうとしてきた」
「うん」
「だから、奴らの頭カチ割ってきてやった」
「……えっ」
「なんだよ」
「殺しちまったのか」
「死んでるんだから殺すもクソもあるか」
「いや……でもなあ」
「俺たち腐った死体なんかより、こいつの命の方が大事って言ったのはお前だろ」
「それは、そうだけど。でもどうしてお前、そこまでしたんだ?」
「……なんだろうな。お前の覚悟に免じて?」
「なんだそりゃ」
その日のカワタは、人を何人か壊した割に終始機嫌がよかった。
ミドリは、ついに給水塔を追い越した。この子の枝葉を遮るものはもはや無く、縦横無尽に空へ伸びる。正確に言えばその先にあるのは空ではなく邪神の瞳だけど。
俺はというと、もはや根っこというか、幹の中に背中が埋まりつつあった。その影響なのか、たまに意識が途切れることがある。どれくらいの間途切れているのか、正確には分からないが、どうやらかなりまばらなようだ。一枚の葉がミドリから落ちたと思ったら俺の足に乗っていたという時もあれば、その葉が一瞬で枯れてしまう時もあった。
そのときの感じは、ちょうど眠っているときに似ていた。事実、何度かカワタに「起こされた」。
「もうそろそろ俺、終わっちまうのかなあ」
「なのかもなあ」
他愛もなく、カワタと話す。
「ミドリはどこまで伸びるんだろう」
「もう随分と伸びたけどな。一般的な樹木なら、これくらいで打ち止めじゃないか?」
「いや、まだ伸びるよ、きっと。なんとなくだけど」
「なんだそりゃ」
「俺はもう、半分くらいミドリだからな。分かるんだ」
「はあ、そんなもんかね。植物の養分になって植物の気持ちが分かるんなら、生物学者は苦労しなかっただろうな」
「腐ったまま意識を残せる方法がなかったんだから仕方ない」
「そりゃあな」
そのとき、空からぼつぼつと音がした。
「雨?」
「いや、涙だな。見てみ。今日の邪神様はまた一段と悲しそうだぞ」
「そうかあ。じゃ、長引くなあ」
瞬く間に涙は激しくなった。カワタがうんざりしたみたいに長い息をつく。
「まったく、何が悲しいのかねえ」
「寂しいんじゃないの」
「神様のくせに?」
「そりゃ俺たちが勝手に邪神呼ばわりしてるだけだろ」
「ああ、そうだったっけな」
「……にしても、寂しいとしたら、あいつはどうして空を覆って俺たちを見てるだけなんだかね」
「……あれ? ヒノ?」
「あ、これまた途切れてるな。おい。話の途中だぞ、起きろよ」
「……だめ こり 」
「次来 時まで は起きて といいんだ な」
「おい、ヒノ!」
「えっ!?」
大きな声で揺さぶられ、俺は起きた。
「やっと起きたか。もしかしてあれからずっと途切れてたのか?」
「えーっと、そうかもしれん。どれくらいぶりに来た?」
「二年ぶりくらい? 分からん、そんなに時間とか気にしてないから」
「ミドリどう?」
「お前の言う通り、また大きくなってる。立派な大木だなこりゃ。根っこが窮屈そうだ」
「そっか。困ったな。いや、ミドリが育つのは嬉しいんだけど」
「他のとこの土、ここに寄せ集めとこうか?」
「えっ、いいのか」
「ああ。そこにスコップもあるし、そんな手間にはならないだろ。それでもこいつには少し足りないかもしれないけど」
「……なんか、お前に世話になってばっかりだなあ。もうお礼もできない身体になっちまったけど、本当に感謝してるよ」
「そういうのはいいって。やることないだけだから」
カワタは俺のお礼を受け流すと、スコップを手に取り作業を始めた。ゆっくりとした動きではあるけど、重労働には変わりない。あれでは身体の損傷も少なくないだろう。
身体が傷ついて動けなくなるのを恐れるあまり、四六時中ベッドの上で寝ていた奴が、どういう心変わりをしたというのか。
その疑問は、またしても意識の奥へ沈んでいった。
「おいっ起きろ」
気色悪い感触で、目が覚めた。
見ると、俺の右足にスコップがザックリと刺さっていた。
「ああっ、お前よくも」
「お前が起きないからだろ」
「学者をカチ割ってから行動が過激になってないか。何かに目覚めちまったのかお前」
「かもしれん。とりあえずこの足も土に埋めておく」
「お、ありがとう。じゃなくて」
カワタは構わず俺の足をミドリの根元に植えると、そのまま俺の横に腰を下ろした。
「だから、ミドリに寄っかかるなっての」
「疲れたんだよ、いいだろこれくらい」
「死体のくせに疲れたもクソもあるか」
「気分的に疲れた」
「なんだそりゃ」
「ミドリのために働いたんだから、これくらいのことは許してくれよ」
「……確かにそれもそうだな。よし、許す」
「どうも」
カワタはこれ見よがしに腰を深くミドリに預けた。
「はあ、もう動きたくねえな」
「動かなきゃ、ミドリの養分になれるぞ」
「それもいいかもしれん」
「……本気で言ってるのか? お前が?」
「だから、言ってるだろ。疲れたんだよ」
カワタはいい加減な調子で言い捨てた。
「いや、それにしたって――」
納得できずに言い返そうとしたところ、下の方から崖崩れのような激しい音が響いた。
「なんだ?」
「ありゃたぶん、階段が崩れた音だな。そろそろ怪しいと思ってたんだ」
「え」
「これで俺も、もう逃げられない。ミドリの養分になる以外、何もない。覚悟決めなきゃな」
「どうしてだよ」
「自分の胸に聞いてみろ」
「はあ?」
意味が分からない。なんでカワタの覚悟の理由を俺の胸に聞かなきゃならんのか。
しかし、奴はそれ以上何も答えなかった。
じきに俺も、眠くなった。
気づけばミドリの枝葉は、もはや屋上全体を覆っていた。その根はビルを鷲掴むようにして側壁を伝っている。一方で俺の胸は、既に半分ほど白骨化していた。きっと顔も酷いことになっているんだろう。それでも、不思議と気分は穏やかだ。
「たぶん、これで終わりなんだよ」
おそらく、俺の口から言葉が出る。
「何が」
これはきっとカワタの言葉だ。
「ミドリは大人になった。俺の役割は終わったんだ。もうすぐ俺自身も終わってしまうんだと思う」
「そうか」
「お前はどうする」
「どうもしない。ここでゆっくりとミドリの養分になるよ」
「そうか」
「どんな気分だ」
「悪くない」
「そうか。安心した。やっぱり終わるのは、死ぬより悲しくないんだな」
「それもあるし、そもそも俺はミドリになれるから」
「なるほどな」
もはや俺は、俺なのか分からない。きっと俺じゃない。こんなこと、もし俺がまだ生きていたなら、気が狂っていたんだろう。でも俺はとっくに死んでいる。死んだ身体が生きる身体に取り込まれるのは自然なことだし、そしたら魂が魂と同化するのはもっと自然なことのように思えた。
ただ、俺は俺の部分に、わずかに何かやり残したことがある気がした。俺はそれを探した。ミドリを伝って、空から下の世界を覗いて。けど、見つからない。上を見上げれば邪神が笑っている。
長い時間をかけてようやく見つけた。それはちょうど俺の隣にあった。
「カワタ」
「なんだよ」
「一緒にいてくれて、ありがとう」
「…………」
「お前、それが最期の言葉とか言うんじゃねえよな」
「似合ってねえし、薄ら寒いし、もうちょっと何かあるだろ」
「おい、ヒノ」
「…………」
「…………はあ」
「残っちまったなあ」
「なあ、ミドリ」
「ミドリと俺と、ふたつだけになっちまったな」
「間にあいつがいないと、なんか気まずいよな」
「お前は何したいとかあるの? あるわけないか」
「……あいつ、こうやってずっとお前に話してたのか?」
「それ、優しいとか几帳面だとかより、むしろ病んでるよな」
「つまり俺も人のこと言えないんだけど」
「お前が意思疎通できたらいいんだけどね」
「ん?」
「おい、どうした?」
「ヒノ、おい、ミドリの様子が」
「なんだ?」
「あれは……花? いや違う、」
「え?」
「…………は」
「ははは」
「ははっ、おい、ヒノ。ミドリが何の木だったか、見えてるか?」
「いやいい、見えてねえ方がいいよ。知らない方が幸せってことも、世の中にはあるもんだ」
「どうやら俺たちはまんまと嵌められたらしい」
「自分で自分の世界にトドメを刺しちまったようだ」
「でも、お前だったら、ミドリが何であったとしても素直に成長を喜べるのかなあ」
「……というか、お前さ」
「本当はミドリの正体、気づいてたか?」
「だって、そうだよお前、半分ミドリになってたんだろ、それに」
「……じゃあ、どうして」
「…………」
「ああ、そうか」
「はは、俺、どうも、ダメだな、ほんとに」
「俺、まだこの世界は終わってないって思ってたんだな」
「お前はそこんとこ、ちゃんと分かってた」
「世界よりも人類よりも、こいつだけを愛していた」
「そんな奴に、嵌められたも裏切られたもないよな」
「……はあ。またどっと疲れた」
「俺もしばらく眺めておくよ。ミドリと世界がどうなるのか」
「こうやって見ると、案外いい景色だな。高熱で倒れた時の夢みたいだ」
「ミドリの下にいる俺とお前だけが見れる景色だな」
「なんたって、俺たちからすればこれは、ミドリの門出だ」
「そう思うと、……変だな。なんだか、神秘的な光景に見えてきた」
「世界が終わっていく光景を美しいと思うなんて、おかしい話だ」
「でもさ、どうにもダメだ」
「息なんてしてないのに息苦しい。涙なんて出ないのに泣きそうになる」
「こんな気持ちはいつぶりだ?」
「夏祭りの最後に打ち上がる、大きな花火を見てるみたいな」
「何かが終わってしまうことと、何かが終わることと、そこから何かが始まることと」
「それが一気に押し寄せて、一杯一杯になる」
「……なんか、柄にもなく恥ずかしいこと言っちまった。忘れてくれ」
「見てみろよ」
「邪神が笑ってる。すげえ嬉しそうに笑ってる」
「じゃあ、俺も祝福してやるか。邪神とミドリに彩られた、この世界の未来を」
「……Freude, schöner Götterfunken Tochter aus Elysium」
「合唱部だったからな。なんとなく覚えてる」
「たぶん、世界最後の歌だからな。お前もよく聴いとけ」
「Wir betreten feuertrunken Himmlische, dein Heiligt m」
「Deine Zauber bind n w eder……Was die M de stren get ilt」
「Alle Me sch n w r en Brü r Wo dei san er F ü l ei