case6 性別という概念を作った事
「オカルト探偵部に行くの? 鈴野」
「ああ。……朝はまともに話を出来なかったんだ」
放課後、自分の席に座ったままの翠と話す。
俺は既に立ち上がり、鞄を持って教室を出る準備は整っていた。
「鷺森さんと僕の友達の様子、確認してきてね」
翠がくわっと乗り出してくる。いくら何でも翠が心配しているような事実はないと思うが……まあ念のためだし、翠の頼みなら断る理由もあるまい。
「任せとけ。……じゃあな」
翠はこの後この教室でミーティングがあるらしい。自分の机に上半身をだらしなくして寝る翠の愛らしい姿を横目に教室を後にした。
……あれでエース級の実力らしいから人間というのはわからない。
授業が終了して間もない今の時間は朝とは違い、校舎内に人も多い。文化部の部員は勿論、委員会に所属している者などで廊下は騒がしさを極めていた。それぞれがそれぞれの教室に向かうまでこの喧騒は収まるところを知らないだろう。
しかし、それも校舎二階までの事。三階までくれば人の気配もまるでない、静かな廊下が広がっている。
校舎三階には特殊教室や空き教室しかないため、頻繁に出入りする人間もいない。文化部の部室は大方別校舎だし、主要教室は二階までに配置されている。
まあつまり、ここだけは朝と同じ静寂の中にいるのだ。
窓の外から運動部のかけ声が聞こえてこそするものの、廊下には自分の足音しか響かない。……嫌な緊張感が、思考を阻害するように脳に込み上げてくる。対して暑くもないのに汗が噴き出す感覚は嫌悪感を増長させるが、一向に気分が晴れることはない。
そうこうしているうちにオカルト探偵部の部室前に辿り着いていた。
ゴクリと唾を飲み込むと、少し自分の手が震えている事に気づく。
「……落ち着け。朝だって開けられたじゃないか」
奮い立たせるように頬をパンパン、と叩く。……よし。
俺は覚悟を決め、スライド式のドアをガラガラっと開いた。
「……あら、早いのね」
それはこっちのセリフだ。授業が終了してから15分と経っていないにも関わらず、教室の中では鷺森 亜遊が椅子に座って読書中だった。翠と話したのもたったの数秒だし、そう考えると鷺森 亜遊は授業が終了して何もせずにまっすぐこの教室に来た事になる。
「お互い様だろ。……さては友達いないな?」
「そんな事はないわ。私にだって授業の変更を教えてくれたり、先生からの伝言を伝えてくれる友達はいるもの」
それは業務連絡というんだ。
俺は手近な椅子を引っ張って、ゆっくり腰を下ろす。
「待ちなさい。誰が座っていいと言ったの?」
「企業の面接かよ。朝といい客に厳しすぎだろ」
「話を聞かせてもらう側の発言とは思えないわね。……ゴミ虫は礼儀もなっていないのかしら」
うわ、すげー腹立つ。正論なところが特に腹立つ。さらに軽くドヤ顔なのが5割増しで腹が立つ。人をイラつかせる検定1級とか取れそうだ。
「まあいいわ。……本題に入りましょう」
そう言って鷺森 亜遊は手頃な湯飲みに急須から緑茶を注ぎ、こちらへと差し出す。
……その行動から感じ取れるのは純粋な善意。下心の無い、綺麗な気持ちだった。
やっぱり鷺森 亜遊からは恋愛の気を感じない。……緑茶の注がれた器を取る手が震え、緊張が体に走る。
得体の知れないというのはこういう人間の事をいうのだろうか。何を考えているのかわからない、他の人間に通ずる常識が通用しない。というのはひどく恐怖心を与える行為なんだと深く実感する。プレッシャーが厳格な教師と同じレベルだ。
悪い事などしていないのに、反省したくなる。……こんな雰囲気を出せれば、女性も寄ってこなくなるのだろうか。しかし、同時にこうはなりたくないと心の底から思ってしまう。
軽く頭を下げ、湯呑みを引き寄せると、ゆっくりと息を吐いて前を向いた。
「……俺の周りの異常な出来事、だったか?」
「よく覚えているわね」
そりゃ気になりっぱなしだったからな。
「神木君、最近あなたは女性から異常に好意を向けられるようになった。しかもそれに対して酷い嫌悪感を抱いている。……間違いないかしら」
鷺森の口調は、調査済みの事実を淡々と確認するようなものだった。どうやってそれを調べたのかはわからないが、確かな自信に裏付けられた言葉だった。
「異常な好意っていうのは間違いじゃない。ただ……それに対して嫌悪感を持ってるっていうのは、別に異常なんかじゃない。何故なら、その2つは時期が違う」
「時期……?」
鷺森 亜遊が小首を傾げる。
「ああ。異常な好意を感じ始めたのは今年の4月が始まってからだが、嫌悪感は今年の2月からだ。正確な日にちも言えるし、それは原因もわかっている。……だから嫌悪感の方は問題じゃない」
問題なのは異常な好意の方だ。と確信を持っていた。
「そう。……なら、神木君のその体質に、異常な好意という現象が起きているのはただの不幸ってことかしら?」
よくもまあ正直に言えるものだ。確かにその2つは嫌がらせとしての噛み合いが良すぎる。誰かが狙って黒魔術でもかけているのではないか。……まあそんな訳ないだろうが。
しかし超常的な力でも無いと、この異常な好意には説明がつけられないのも事実だった。
「ああ、そうだよ。……それで? なんでそういう事が起きてる事が起きてるか教えてくれるんだろ?」
軽く怒気をはらんだ言葉を聞いた途端、鷺森 亜遊の雰囲気がガラッと変わる。これまでの不敵な印象を消し、伝わってくるのは重苦しい重圧。
「……【覚悟】して聞いて欲しいの。神木君、貴方には」
「呪いがかかっているわ」
呪い。
西洋で言えば黒魔術。東洋で言えば丑の刻参りなどが有名だろう。白装束に藁人形や釘、金槌を持った姿は恐怖の対象として恐れられている。
とはいえ、実際に関わることなどまず無い。深夜の神社など行かないし、実際に行ってもそんなベタな見た目の人間はいないだろう。
古来より、人を呪わば穴二つとはよく言ったものだ。相手を呪いたいのなら、自分も不幸になる覚悟が必要である……という意味だが、最近では自分と相手を地獄に流すような都市伝説も存在するみたいだ。
……ともあれ、人に呪われるような覚えなど無い。そういう風に行動してきた。
「本気で言っているのか」
「ええ。……薄々わかっているでしょう? この現象自体現実的な物ではない。科学的には説明出来ないということが」
「……それは、そうだが。証拠はあるのか?」
鷺森 亜遊は緑茶をひと啜りして、ふぅーと息を吐く。
「これから出すの。……今から話す事をよく聞いて」
「まずこの呪いは、人が人にかける呪いではない。【世界】が【個人】にかける呪いなの。呪いにかかる人物の共通点はわかっていないけれど、非現実的な事が長期間継続して起こるのは確か。……恐らく、神木君にかかっている呪いは【異性への魅力の異常な増加】。これを解決するためには、まず神木君が呪いについて知ることが必要なの」
……胡散臭さがさらに増している。なんだ世界って。
疑いの感情が限界を超えそうだ。……嘘は言っていないようだが、まるっきり信じろというにも無理がある。と、思っていたのだが。
突如、目の前に手紙が出現する。
教室の天井に光と共に現れた白い封筒が、ゆっくりと曲線を描いて自分の膝に舞い降りる。
「出たわね。それが」
「解呪の鍵よ」