case2 高嶺花の 正体見たり ラフレシア
キーンコーンとチャイムが鳴り、午後の授業が終了する。各々が部活や帰宅へと足を運び始め、活気があった教室からも段々と人が減っていく。
しかし俺は、夕日の差す窓際の席に座って俯き、未だに不快感にうなされる。
昼休み後半。女子生徒共の所為で気分が悪くなり、トイレで顔でも洗おうとしたはいいものの、蛇口から流れ出る水流を見た瞬間吐き気がこみ上げた。
ていうかぶっちゃけ吐いた。それはもう盛大に便器に嘔吐した。吐いてる途中にあの謎の達成感のある顔が思い浮かんで更に嘔吐した。
せっかくの妹の弁当が全ておじゃんになってしまった事含め、昼休み自分のところに来た女子生徒を激しく恨む。
2度と顔を見せるな……と言いたいところだが、表面上はやんわり断らなければならないのが更に辛い。記憶を消去する能力でもあれが話は別だが、そんな空想上の事を考えても現実が変わる事は無い。
初めてじゃ無いにせよ、一向に慣れなどしない。まるで死刑執行を待っている受刑者のようだ
「鈴野! 行って来なよ。もう放課後だよ?」
隣の席で帰る準備を済ませた翠が、またも変わらぬ笑顔で話しかけてきた。
悪気は無いとわかっている。だからこそ辛いものがある。純真無垢な笑顔を向けてくる翠は、恐らく女性に向ける自分の態度をこれっぽっちほども知らないのだ。
翠自体に嘘を吐いていない。というのが唯一の救いであった。これが翠を騙して優越感を得ているなんて事だったら、罪悪感で押しつぶされて捻り回されて三回回ってバターになっていた事だろう。
「どうしたの? 気分でも悪いの?」
それはもう最高潮に気分が悪いですはい。なんなら家に帰って今すぐシャワーを浴びたいところです。しかし翠に弱気なところを見せるわけにもいかなかった。
「……い、いや大丈夫。俺はあの人の所に行くから、先に帰っててくれ」
きっとまた冷や汗が流れてるんだろう。辛うじて作った笑いも、翠の目には不自然に映っているのかもしれない。それでも翠は、顔色一つ変える事はなかった。
「うん。じゃあまた明日ね鈴野」
「また明日なー……」
そう言って翠を送り出す。……よおし、と自分を勇気付けるように腕を振り、女子生徒に指定された場所に向かうため、俺は教室を後にする
正気の抜けたような動きで鞄を掴み、ゆっくりと鈴野は教室から出て行く。
重い足取りを気力だけで動かして進む。そうして靴を履き替え、ようやく呼び出された場所……体育館の前にたどり着く。
そこには、スロープの鉄の手すりに腰掛ける1人の女子生徒が待っていた。
わかってはいたが、改めて気分が沈む。……あまりの苦痛に目をつむって下を向いていると、どうやら向こうがこちらに気づいたようだった。
「あ、神木くん」
名前を呼ぶな話しかけるな気安く近寄るな。声も雰囲気も何もかも俺の嫌いな恋愛の気を纏っている。もはや顔を見たら気を失ってしまうかもしれない。
しかし、だ。ここで負ければ平穏な学園生活はあっという間に離れていってしまう。俺はあくまでも普通で居たいんだ。恋愛の事しか頭に無い発情した雌猿なんかとは無縁の平和な生活が送りたいんだ。
男子校に行けばよかったと後悔した事もあった。でも今現在、高等学校というのは俺が知る限り全て共学になっている。男子がどうの女子がどうのという性差別的概念を取り払ってしまったせいで、男子校女子校というのは負の遺産として世間から認知されている。
そのくせ電車からは専用車両を無くさないのだから、政府というのは頭の硬いやつしかいないのかもしれない。くたばれ国会議員。
そんなわけで苦しんだままではいられない。早くこの時間を終わらせたかった。その思いだけが、事態を前に進める事を選択していた。
「……何か用かな?」
顔を上げて言葉に出来たのはたったそれだけだった。予想以上に女子生徒から発せられる恋愛の気が大きかったのだ。予想の遥か上を超えた恋愛の気は、俺の体に多大な負荷を及ぼす。
……もう帰りたい。やるならいっそスパッとやってくれと願う。回りくどい言葉なんて使わないで欲しかった。
「あの……好きです! 私と付き合ってください!」
その瞬間、俺の体には電流が走るようにして衝撃が駆け抜ける。
身を貫くようにして感じる寒気。全身に立つ鳥肌。今にも飛びそうな意識を抑え、静かに息を切らせながらゆっくり口を開く。
「ごめん。僕は家族の事で大変なんだ。君の気持ちは嬉しいけど、お断りさせて貰うよ」
吐き気がした。こんな気遣いに溢れたセリフを女子生徒に口にしていると思うと、理性が吹っ飛びそうだった。
気持ちが嬉しい? なめくさりおってこのアマ。相手の気持ちを察する事も出来ずにただ自分の気持ちを押し付けようなんて図々しいにもほどがある。もう一回小学生から思春期やり直してこいメスガキ。
気分が悪い。ああ気分が悪い。このストレスを俺はどう発散させればいいのかと、苦悩の渦に閉じ込められるようだった。
「……じゃあせめてお友達、話し相手になってくれないかな」
なるかボケ。こちとら貴様と話したくもなければ顔を見たくも無い。声を聞いたり、なんなら雰囲気を見るだけで気分が悪くなるんじゃ。食い下がんないでとっとと退がれ。
「さっきも言ったけど僕は忙しい。……君の気持ちには答えられないよ。じゃあね」
そう言って無理やりにでもこの場を去る。そうしなければそろそろ意識が危うかった。
告白をしている女子生徒というのは一番発する恋愛の気が大きい。それこそ一緒の空間にいるだけで精神が削られていく位だ。
とてもじゃないが長時間話してはいられない。短時間ではっきり、かつやんわりと断って帰るのが一番だ。……自分で言うのもなんだが、この数週間で断るスキルはかなり上達した。
最初の方こそ相手の押しが強くて困っていたものだが、ポイントを押さえるようになってからは割とスムーズに事が進む。
しっかりと付き合いたく無い関わりたく無いという気持ちを伝える事、自分は忙しいと言って立ち去る事。この2つをこなせていれば、大方振り切れることが多い。
今も、忙しいという言葉がだいぶ刺さったのか女子生徒は追いかける様子を見せない。念のため確認をすると、既に裏門の方から帰って行くところだった。きっと悲しい顔をしているのだろうが、鈴野の知ったことでは無い。
失恋の悲しみより意識が飛びそうになっている俺の方が多分気分が悪い。……顔を洗いに行こう。水道は体育館の傍に併設されているから、すぐにたどり着ける。
数歩で水道のある場所に移動し、蛇口を捻って水道水で顔を洗う。
周りに誰の気配も無いことを確認すると、
「クソが! ああクソ! あんなゴミクズみたいな感情のせいで、あんなゴミクズみたいな生物のせいで! どうして俺が苦しまなきゃならないんだ! なんで俺に近づいてくるんだよ雌猪が! 一生自分の頭の中で花畑オ○ニーしてろや腐れ饅頭!」
と、自分の全てを放出するように叫んだ。勿論流れ出る水を口に含みながら。
さすがにそのまま叫んだのでは教師に聞かれてしまうのかもしれないから、水を流して抑えた……水に流したい事だけに。
ちょっとスッキリした。これで明日からもストレスを抱える事なく平和な学校生活を送れそうだ。
「……学年一のモテ男、通称【ハイパーフラグブレイカー】神木 鈴野は、実は女性嫌いで恋愛嫌いの暴言吐きのゴミ人間でした……と、こんなところかしら?」
非常に死にたかった。何が平和な学校生活だ。