5.極光のハーレティクス
「もうなくなっちゃった…ふふ、甘かったぁ」
「世の中には凄いものもあるものじゃのう」
まぁこの世界の物じゃないから世の中といっていいのかは微妙なのだが。
「それより指と口元べとべとだぞ。そっちで洗ってこい」
「「はーい」」
二人は仲良く川の方へ向かい、そこで軽くチョコで汚れたところを洗う。
俺はそんな二人を眺めながらエルに話しかける。
「かつて人類を滅ぼしかけた恐ろしい場所だっていうから…
どんな奴らが住んでるのかと思ったら」
『どうもシュン様がご存じの異世界とは何か形相が異なっているようですね』
「考えられるのは三通りか…」
『シュン様のお考えをお聞かせください』
エルは会話相手として実に優秀である。
聞けば大体答えてくれる。話せばちょうどいいタイミングで相槌を打つ。
こいつが一緒に居続ける限り愉快で退屈知らずの日々を過ごせるだろう。
なんとハイスペックなスマホであろうか。
「まず一つはあいつらも実はとんでもない怪物で俺をだましているだけ」
『疑似餌のようなものでしょうか。
しかし、シュン様を殺害するおつもりなら既に襲ってきているのでは?』
「うむ。それに俺は単純にあいつらを疑う気が起きない」
イズモが顔を洗ってやろうと言いつつレリィの顔に水をぶっかける。
負けじとレリィもイズモにかけ返し、そのまま水遊びが始まる。
お互いびしょ濡れになり、服も水浸しで体に張り付いている。
「もう一つはこれが一番有力なんだが。
異世界の住民には二種類いて、大昔に攻撃してきた怪物たちと
目の前ではしゃいでいる子たちは全く異なる生物」
『なるほど。確かにそれですと現状を全て説明できますね』
「あぁ、それに確認をとる手段も簡単だ」
すっごく危なくて何でもかんでも壊しそうな恐ろしい化け物知ってる?
とかそんな感じで直接聞いてみればいい。
水の掛け合いに満足したのか。お互い笑いながら川の浅いところで座り込む。
この風景を見ているとまるで自分が保護者になったかのような錯覚に陥る。
「最後は…まぁ、ないとは思うが…」
自分の突飛な発想に自信が持てず少しばかり言葉を濁す。
しかしエルはきっと真面目に聞いてくれるだろうと思い直し、続ける。
「異世界の侵攻が終わった100年の間に、進化したとか?」
『進化、ですか』
「いくらなんでも短期間すぎるか…」
『いいえ。ここはシュン様の故郷とは何かと異なりますから。
高速で進化する存在がいても不思議ではありません』
フォローしてくれてはいるがやはりこれはないな。
しかし、エルの高速という単語で思いついたことがある。
「時間の流れが違う、とか?
こっちの1年が向こうの1秒とか、そんな感じなら100年の間に相当な時間が…」
『宇宙膨張による絶対位置移動と内在ダークマターの観測から、
異世界とシュン様のいらした世界との時間的な差異は限りなく0に近いと思われます』
真っ向から否定されてしまった。
相変わらず何を言っているのかわからないが、きっと言っていることは正しいのだろう。
となるとやはり二つ目の説が本命か、びしょ濡れのまま戻ってくる二人に聞いてみよう。
「ちょっと聞きたいことが…」
腰を上げて、二人に近寄
≪ぱきっ≫
空間が、割れた。
川にまだ足をつけているイズモとレリィ。
川岸から森の境界で木陰の中にいる俺。
それらの中間に、あまりに不自然なヒビが入っている。
目の中に落書きをされたかのような不自然さに俺は瞬きをするが、
その違和感の塊は消える事がない。
「シュン! 逃げるのじゃ!!」
『シュン様! 逃げてください!!』
既にレリィはイズモの肩を掴んで高く飛び上がっていた。
俺は二人に言われてやっとその場から森の中へと避難する。
「なんだよ…、あれ!」
≪ぱき。ぱきり。ぱきり≫
ヒビは次々大きくなりついには空間が剥がれ落ちて真っ黒な空洞に…
いや、風穴の開いた空間の中に何かがいる。
≪びぃ、びぃ≫
鳴き声一つで心臓を直接撫でられたような怖気を感じる。
それは俺の知識のどこにも類似する存在がなかった。
無機物とも有機物ともわからない、鈍い光沢のある白い曲線を描く体躯。
胴体らしい正八面体を砕いたような部位から管とも鎖とも異なる紐状のパーツが伸び、
三角形を重ねたような四本の脚部と円に輪を装飾したような頭部に繋がる。
胴体の上下には骨か翼のなりそこないとしか形容できない何かが刺さる。
そこまでこの白い怪物を観察して、突然。
俺はこいつに見られていると感じた。
≪びぃ、びぃ≫
『シュン様、伏せて!!』
その言葉を聞いたと認識するより早く俺は倒れるように身を下げた。
これが脊髄反射というものだろうか?
―ツィィィィィ…―
聞こえた音は小さく、それでいて気味が悪いほどに頭に響く。
こいつが頭部の輪から何かを射出したと気づくのは少し遅れてからだった。
「うそだろ…!」
周囲の木々がついさっきまで俺の心臓があった高さに斬り揃えられている。
俺は転がるようにそのばから移動し、倒木による圧死を回避する。
≪び、び、び≫
怪物はゆっくりとこちらに進む。
四本ある足は地面に触れておらず、浮いている。
地面スレスレを這うように飛んでいるとでもいえばよいだろうか。
「このままではシュンが殺されてしまう! 下ろすのじゃレリィ!」
「ダメだよ! だってあいつは…!」
「一食、否、二食の恩を忘れ見捨てたとなれば!
ワーフォックスとリガ家末代までの恥じゃ!!」
「あっ! イズモ!」
イズモはレリィの脚を振りほどきそのまま落下する。
くるりんと回り態勢を立て直す頃には、その周囲には紅蓮の炎が現れていた。
「赤火流・七の形! 林裂爆炎弾!!」
ズオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォ!!
大きく技名を叫ぶと同時に、周囲の炎が大きな弾丸となって白い怪物に襲いかかる。
俺は怪物の頭部がぐりんと回転し、イズモの方を向くのを見た。
≪びぃ≫
ズガ、バス! バァァァァァァァァァァン!!
多数の火炎弾が爆発し、怪物を煙が包む。
その威力はかなりのものであり、こちらもふきとばされそうになる。
「やったか!」
川岸に着地したイズモが命中を確信しながらフラグを立てる。
いや、フラグなどは関係ないのかもしれない。
イズモからは煙で見えないだろうが、こちら側は全てを見ていたのだ。
≪びぃ…≫
煙が晴れた先でイズモが見たのは、謎の幾何学模様を盾にした無傷の白い怪物だった。
イズモは舌打ちを一回。すぐさま次の攻撃に移る。
「赤火流・三の形! 岩貫…」
手から何かを放出する技だろうか、イズモは右手に力を込める。
しかし、相手の方が早い。
≪びぃ≫
幾何学模様がそのまま直進しイズモに襲い掛かる。
攻撃の準備をしていたイズモは反応が遅れ、その幾何学模様を避けきれず接触してしまう。
その瞬間、爆発が起きる。
ドゴオオオオォォォォォォォォン!!
「「イズモ!!」」
俺とレリィの声が重なる。
イズモは煤だらけになりながら森に吹き飛ばされる。
「くそぉ! よくもイズモを!」
レリィが怪物に向かい急降下する。その速度は鳥の比ではない。
あまりの速さに俺はレリィを捉える事ができなかった。
しかし、
≪びぃ、び…≫
先ほどとは異なる幾何学模様が少し離れたところに現れる。
さっきから感じっぱなしの嫌な予感がひと際強くなる。
「レリィ、よけろ!!」
しかし遅い。
バチイイイイイイイイイイイ!!
電撃を与えるような音と何かが激突した音が織り交ざり響く。
目にもとまらぬ速さで襲い掛かったレリィは幾何学模様により
ハエ叩きのように叩き落され、
そのまま川に突っ込み水しぶきをあげた。
何故だ。
ついさっきまでチョコレートを美味しそうに食べて、水遊びしてたじゃないか。
なんでこうなってしまった。
白い恐怖がこちらを向く。
俺は今更になってここが恐ろしく、残酷で、凄惨な、異世界である事を思い出した。
そうだ。こういう目に遭うのが異世界なのだ。
こんな事があって当然なのだ。
しかし…
「なんでイズモとレリィまで…!」
俺はこの異世界に対してそこが許せなかった。
違う世界から来た俺が異世界でひどい目にあうのは当然だろう。
少なくとも俺は異世界とはそういうものだと認識していた。
しかし元より異世界にいた彼女たちが辛い思いをするのは許せない。
彼女たちにとってはここはただの自分たちが住まう世界のはずだ。
そこに何の違いがあるのかと言えば説明できないが…
今俺が恐怖よりも強く怒りを抱いている事だけは確かだった。
『シュン様、シュン様がよければですが…』
ない頭を絞り出して目の前のクソ野郎をぶっ倒す方法を考えていた。
謎の幾何学模様による防御と攻撃。俺に放った輪の射出。
どう考えてもただの学生でしかない…いや、元学生の俺には無理な相手だ。
しかし諦めはしない。この胸の熱がそれを認めない。
何か、何かあるはずだ…何か……
そして、その何かはとても身近にあった。
『あいつぶっ倒しませんか?』
エルの声が、いつもより少し怒っている気がした。