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ボクは男で、女のボクは?

作者: えるみん

及川結月(おいかわゆづき)、神である俺様と結婚せよ!」

 豪奢な、それでいてどこかくすんでいるゴールドとホワイトに彩られた宮殿で、玉座にふんぞり返った銀髪の長髪男はボクにそうのたまった。

(変な夢だなぁ。それもこれも昨日あんなことがあったからだ!)

 目の前でボクのどこに惚れたの結婚したらどこに住むだのといったことをしゃべり続けるその長髪の男を放っておいて、ボクは昨日のことを思い出していた。……夢の中で思い出すなんて、本当に変な夢だな。


「及川ッさん! あなたは俺の、マイッハートを揺さぶって離さないッ魔性の、魔女でッッ」

 ボクは顔が引き攣って、背中には嫌な汗までかいているのを自覚しながらも、努めて笑顔を崩さなかった。センパイから高校の体育館裏に呼び出された時には、もっと荒々しい、そう、血で血を洗うような出来事が起こるものだと思っていたのに。

「ええと、センパイ。難しい言葉を使わなくて結構ですから、言いたいことをそのまま言ってください。どんな言葉でも結果は同じですから……」

 そう言うと、センパイは目を見開いたまま歯をむき出しにした。笑ったんだろう、とボクは解釈しておく。筋肉質なセンパイの体でその表情をすると、本当にゴリラのようだ。

「及川。お前の艷やかな黒髪に、白い肌に、柔らかそうな唇に、かわいらしい顔に、華奢なその身体に! ……俺は恋をしてしまったんだ。愛してる。結婚しよ――」

「誰がするかこの馬鹿!!」

 最後の言葉を聞き終えるより早く、気付いたらボクは叫んでいた。だいたい付き合う云々すら飛ばして結婚しようってなんだよ。

「そもそもボクは、オ・ト・コ・だ! 誰が付き合うか、誰がお前となんか結婚するか!」

 ボクの絶叫に、センパイは先ほどと同じように笑う。

「大丈夫だ、及川。俺は包容力が高い。そして愛に! 性別なんて関係ない!!」

 背筋が凍るのを感じて、いますぐここから逃げ出したくなったけどギリギリのところで踏みとどまった。

「関係あるから! しかもボクの方には愛なんて一ミクロンもないから!」

「愛は、これから芽生えさせればいい……」

 あの笑顔でジリジリと近付いてくるセンパイ。ボクは内心、襲ってきてほしいと切に願っていた。なぜなら――。

「今ここで愛を育もう!」

 両手を広げて飛びかかってきたセンパイの顎に力を込めて拳を突き入れる。筋肉質の巨体は上に伸びあがったあとに、地面に倒れ伏した。

「センパイから先に襲ってきましたから、これは正当防衛ということで。それじゃあセンパイ、今後は変な気を起こさないでくださいね」

 横たわったままの巨体をそれでも警戒しながら、ボクは早々に走り去った。襲ってきてくれて良かった。ボクは走るのが遅いから、ただ逃げただけじゃすぐに追いつかれてしまう。幸いにして腕には自信があるから、襲われれば倒せばいい。だけど、

「どうしてボクに告白してくるのは男子しかいないんだ……」

 呟いた言葉は初夏の乾いた校庭に吸い込まれていった。


 教室に戻ったボクを二人の男女が出迎えてくれた。

「よぉ、結月、無事に戻ってきたか。ま、お前は腕っ節だけは強いし大丈夫だと思ってたけどよ」

 そう言って肩に腕を置いてくるのは獅倉隆(ししくらたかし)。ボクが小さい頃からずっとつるんできた、いわゆる幼なじみだ。高校が一緒になったのも偶然だし、同じクラスになったのも偶然だ。ガタイのいい体つきと太い眉毛が特徴だけど、眉毛のことをとても気にしている。だからそのことに触れた人には隆とボクが相手になってきた。もちろん最近はほとんど無くなったけれど。

「二人で心配してたんだよ、及川くん。……だめだよ? ケンカなんて」

 人差し指を立てて、今にも「めっ」なんて言いそうなこの女の子は笹見(ささみ)美海(みみ)さん。ストレートのロングヘアとカチューシャが特徴の笹見さんは、密かに男子たちに「みみみ嬢」と呼ばれて憧れの的になっている。ボクは「みみみ嬢」と呼んだことはないけれど、本音を言えば、ボクだって笹見さんに憧れている男子の一人だ。

「ケンカじゃなかったよ、笹見さん。だから安心してよ」

 胸の高鳴りを抑えながらボクは言葉を紡いだ。笹見さんは、それならいいんだけど、とその長い髪を揺らした。

「あ、そうだ! 今日は授業早く終わったし、みんなでクレープ食べに行こうよ! おいしいお店知ってるよ」

 突然笹見さんが提案してくるのを二つ返事で頷く。けれど隆は

「わりぃ笹見、俺はやめとくわ。二人で俺の分まで味わってきてくれや」

 そう言うと再びボクの肩に腕を回し、今度は笹見さんから見えないように後ろを向かせた。小声で、

「つーわけなんで、みみみ嬢と二人っきりだ。感謝しろよ? 好きなんだろ、みみみ嬢のこと」

「そ、そんなんじゃないよ」

 言いながら、頬が熱くなるのを感じていた。

「お前は昔からわかりやすい奴だな……。ま、がんばれよ」

 ボクから離れるとそのまま教室を出て行く。

「じゃあな笹見。コイツのことよろしく頼むわ」

 という言葉だけを残して。

「そ、それじゃ行こうか」

「うん……」

 緊張したボクの声に、笹見さんはどこかぎこちなく笑った。


 笹見さんに案内してもらったその店は、確かにおいしいクレープを出してくれた。それをテーブルにつきながら二人で食べる。……これって、まさしくデートじゃないか!

「ねえ、及川くん。ちょっと聞きたいんだけど、いい?」

 ボクはまた二つ返事で了承する。

「獅倉くんは、どんな食べ物が好きなのかな」

「隆? あいつは蕎麦とか好きだよ。でもなんで?」

 ここで隆が話題に挙がったことに嫌な予感めいたものを少し感じながら、話を続ける。

「実はね、獅倉くんを誘っても全然来てくれなくて。だから獅倉くんの好きな食べ物だったら来てくれるかなぁって」

 その言葉を聞いて、ボクの嫌な予感は的中したのだと悟った。笹見さんは、隆のことが好きなんだ。

「でも、なんでボクに聞いてきたの?」

 できれば聞きたくなかった、と思いながら訊ねると、

「だって及川くん、獅倉くんと仲いいし。それに、女友達みたいで気軽だからかな」

「女……!」

 意気消沈したボクはクレープの味なんて分からないまま食べ、笹見さんと何を話したか分からないままに別れ、寮に戻った。同じ部屋で暮らす張本人の隆には目もくれず、Tシャツとパンツだけになってベッドに潜り込み、そのまま眠りについたんだった……。


 思い返すと散々な一日だったなぁ。それにこんな変な夢まで見るし。玉座に座る銀の長髪を持った男はまだべらべらと一人で話し続けてるし。

「む。俺様の話をちゃんと聞いているのか?」

「聞いてないよ、そんな薄ら寒い言葉なんか」

「そうか、ならばもう一度だけ言おう」

 男が右腕を伸ばし手を上に開く。まるでボクがその掌の上に乗っているかのような錯覚を覚えてぞっとした。

「神である俺様、ベネリオはお前が欲しい。結婚しろ」

「結婚なんてするもんか、ボクはオトコだぞ! 誰が男でしかも神だなんて言ってる奴なんかと――」

 そうか、とベネリオと名乗った男は呟いた。それだけでボクの啖呵は遮られてしまう。

「ならば仕方ない、ここは互いに譲歩しよう。私は神界を離れ人間界に赴く。お前は男を辞め女になれ」

 ボクが食ってかかるより早く、ベネリオの右手が閉じられる。


 その瞬間、ボクは目を覚ました。外はすでに明るく、どうやら朝のようだ。

「はあ。なんて夢だ……」

 夢の記憶を追い出すように伸びをする。なんだかTシャツがキツいな。成長したのかな? ガチャリ。唐突に部屋のドアが開けられ、隆が入ってきた。昨日の笹見さんの様子。笹見さんは本当に隆のことが好きなんだろうか……。ボクはつい隆を見てしまう。

「おう、おはようさん。今日は珍しく目覚めがいいじゃねぇか……、へ?」

 ボクを見るなり呆けた隆の太い眉毛がピクピクと動くのを無視しながら、

「おはよう。どうした、すごくアホっぽい顔つきになってるぞ?」

「いや、あの……、結月、お前それどうした」

 隆の固そうな指が指し示す先、ボクの胸を見ると……え?

「ふ、膨らんで……これは……、おっぱい?」

 恐る恐る触れてみると、あ、柔らかくて、少し気持ちいい。じゃなくて! これは、本当に、女性の――!

「お前、実は女だった……わけねぇし。えっとその、股間は?」

 その言葉にハッとしてパンツの上から手を当ててみる。

「――!! 無い……!」

「あ、あぁ。とりあえず、これ着ろ、目にわりぃ」

 隆はそう言って自分のYシャツを脱いでよこした。とりあえず身体を隠したボクに、質問を投げかける。

「なんだっていきなり女になっちまったんだ。何か心当たりとかねぇのか?」

「え、えぇと……」

 考えようにも喪失感が先立って考えがまとまらない! ああどうしよう、女の子になっちゃうなんて!

 沈黙が支配した部屋に、ボクの目覚まし時計が時間を知らせる。

「そうだった、とりあえず学校に行かなくちゃ」

「はあ!? 結月お前、こんな状況で学校になんか行くのかよ。女になったなんてバレたら男どもが群がってくるぞ!」

 そうに言っている隆も、Yシャツから覗くボクの身体をできるだけ見ないように努めているのが分かる。

「こんな状況だからこそ、いつも通りにしてないと気が変になりそうなんだ。なあ、いいだろう……?」

 ベッドに座って泣きそうになりながらも、背の高い隆を見上げる。なぜか何かに怯んだ様子で隆は、

「わかった、わかったからこっち見んな! まあ胸が膨らんでるって言ってもそんなにデカくないから誤魔化せるだろ。さっさと着替え済ませろよ。俺は外で待ってるからよ」

 足早に部屋の外に出て行こうとするもそれを呼び止めた。

「胸が小さいって言っても隆が一目で気付くくらいはあるから、何か対策しないと。……そこの救急箱取ってもらえる?」

 ボクには考えがあった。これならしばらくは誰にも気付かれずに男として過ごせるだろう。


 高校の教室で席に座ったボクは、いつもより視線を強く感じていた。……たぶん隠し事があるせいで敏感になっているんだろう。気にしすぎ、気のせいだ。

「なあ、今日の及川、やけに女っぽくないか?」

「なんだ、お前もそう思ってたのか。なんかいつも以上にかわいい気がするよな」

 気のせい! 気のせいだからこっち見るな! 部屋の救急キットに入っていた包帯で胸を縛ったから胸はいつもとほとんど変わりないはずなのに。早く今日を乗り切りたい。なのに聞き慣れたチャイムの音さえ、いつもよりゆっくりと鳴っている。

「ほらオマエラー、席につけー」

 扉をガラピシャンと乱暴に扱って入ってきた芳子(よしこ)先生は、やはり乱暴に教卓に出席簿を叩きつけた。そのいつもと同じ光景は、ちっともいつも通りじゃないボクを安心させてくれる。

「突然なんだけどさー、今日から転校生がオマエラの仲間入りだよ。ほら入っといでー」

 安心。それはいともたやすく崩れるものだと、そのとき思い知らされた。開け放たれた扉から入ってきたのは、長身の――、

「俺様の名はベネリオだ。……こういう時、なんと言えばよいのだったかな、そう、『俺様に良きに計らえ』」

 長身の、長い銀髪の“青年”。明らかに高校生ではない男が、転校生としてやってきたのだ。朝から色々あって忘れていたけど、見た目も名前も、まさに夢に出てきた男だ!

「ベネリオ様は神様の世界、神界から来たそうだー。日本の習慣に慣れてない部分もあるだろうから、オマエラがサポートしてやれー」

 芳子先生の言葉に、なんの疑いもなく教室中が一斉に拍手する。おかしい。さっき芳子先生はなんて言った。ベネリオ様? 聞き間違えか?

「ベネリオ様の席は……参ったなー、今朝急に決まったから席がないな」

 やっぱり聞き間違えじゃない!

「『及川結月に持ってこさせろ』 俺様もそれについてゆく」

「そうだな。及川、上の階にある社会科準備室から机と椅子持ってきてー」

 ……アイツの席なんて持ってきたくないけど、一緒に来るなら話を聞くチャンスか。

 ボクは無言で席を立ち、教室を後にした。後ろからベネリオが付いてくることをチラリと確認しながら。


「芳子先生に、いや、教室のみんなに何をしたんだ」

 階段の下で振り返り、ベネリオを睨みつけながら問いただす。

「そんなに怖い顔をするものではない。ただ俺様の居心地がよいように神力を使っただけではないか」

「しんりき……?」

 口の端を釣り上げながら答えられたけど、なんのことだか分からない。

「神のみが持つ強制力のことだ。命令に従わせることも、身体を変化させることすら自由自在。これこそまさに神の力そのもの! なんてすばらしい――」

「身体を、変化させる……!」

 つまりはボクが女になったのもコイツの仕業で間違いないってことか! しかも教室中がコイツに従ってしまう状態だなんて……。

「命令されてる間、ボクたちに意識はあるのか……?」

 呟いたボクの言葉を、ベネリオは聞き逃してはくれなかった。

「む、知りたいのなら神力をかけてやろう。『俺様に抱きつけ』」

 ああ、そうだった。ベネリオに抱きつかなくちゃいけなかったんだ。

 ボクは極当たり前にベネリオに抱きついた。

「クックク。柔らかい肌だな。それでいて弾力がある。……さて、そろそろ解いてやるか」

 ベネリオが指を鳴らすと、ボクは正気に戻る。すぐにベネリオを突き飛ばして密着していた身体を引き離す。

「命令されると、それをするのが当然っていう思考に変わっちゃうのか……!」

 ボクは歯噛みした。こんなの、抵抗の余地がないじゃないか!

「そう怖い顔をするな。結婚相手たるお前にはかけんさ。事実生徒たちに神力を使った時にもお前は除外しておいただろう」

 階段をあがりながら、ベネリオが笑う。反射的に「誰がお前なんかと――」なんて言ってしまいそうになるけれど、結婚しろなんて神力をかけられたら堪らないから無言を貫いた。

「さて。早々に席を作ってもらわねばな。さ、ゆくぞ」

 階段の踊り場でこちらに手を差し出したベネリオの姿は、明かり取りからの逆光で、どこか神秘的に見えた。それだけなのに、ボクの神経を逆なでしているようで。……そう思ってしまう自分に、また歯噛みするのだった。


 教室まで机と椅子を運んでくると、ボクはいつになく疲れていた。……きっとベネリオとの一件があったせいだ。

「お、サンキュー及川。じゃあ、そうだな、せっかくだし及川の席の隣に置いておいてくれー」

 芳子先生に、ベネリオが教室に入るなり『及川結月の隣の席にしろ』と神力をかけたせいで、ボクの隣はベネリオの席になってしまった。机と椅子を置いてから周りを見渡しても、みんな疑問なんて抱いていなくて……、ん? 隆が、朝見たようなポカーンとした顔でこっちを見てるぞ! まさか神力にかかってないのか!?

「それでは俺様は帰って休むことにする。さすがに学校関係者全員に力を使うのは骨が折れたのでな。そういうわけなので『帰らせろ』」

 無茶苦茶な……。

「それじゃあ朝のホームルームはこれで終わりー。それじゃオマエラ“全員”寄り道せずに帰るようにー。オツカレ!」

「おっと、全員が対象だと思われてしまったか。……まあいい。それではな、及川結月」

 教室から芳子先生とベネリオが出て行くと、ぞろぞろとみんなが帰っていく。ボクは脇目もふらずに呆然としている隆の元へと駆け寄る。

「お、おお結月! 一体どうなってやがんだ、こりゃ」

「それはこっちの台詞だよ! ……色々聞きたいこともあるけど、とにかく寮へ戻ろう。他の先生が来たら大変だからね」

 ……待てよ? もし、神力の効果が届かなかった人がいるなら、笹見さんも神力にかかってないかもしれない!

「笹見さん!」

 近くの席で帰り支度をしている笹見さんに呼びかける。

「……ベネリオのこと、なんて呼ぶの?」

 ボクはすがるような気持ちで訊ねた。

「ベネリオ様は、ベネリオ様だよ。及川くんも“様”をつけないと怒られちゃうよ」

 決定的だった。間違いなく神力にかかっている。深い悲しみと、ベネリオに対する怒りが込み上げてくる。

「待ってて、笹見さん。絶対に、元に戻してあげるから……!」

 疑問符を浮かべる笹見さんと隆を尻目に、自分の荷物を取ってくると、

「帰ろう、隆。先生が来る前に」

 ボクたちは一変してしまった学校を抜けて、寮へと帰宅していった。


「それであのベネリオって奴は、なにもんなんだ?」

 寮のボクたちの部屋で、ベネリオが教室にやってきてからの一部始終を話して聞かせると、隆の疑問はそこに行き着いた。窓を開けて空気を入れ替えると意外にも涼しい風が吹き込んできて、息が詰まりそうだったボクは窓の近くで外を見ながら一呼吸つく。初夏らしい、緑の匂いが鼻孔をくすぐる。

「ベネリオが、仮にボクの夢に出てきた男と同一人物だったとしたら……神だって、名乗ってた」

「あの傍若無人な奴が神ねぇ。道理で人生は理不尽なわけだぜ!」

 隆は軽く笑い飛ばした。その豪胆さはボクも見習いたいところだと、素直に思える。

「結月よぉ」

 その隆が突然真面目な声を出したものだから、驚いて振り返った。

「そんなに深刻に事を構えるなって。そりゃあ確かに一大事だけどよ、神力だったか? それにかかってない俺らが気を落としてたんじゃ、解決出来るモンも出来なくなっちまうぜ」

「そう、それだよ!」

 床にあぐらをかいて座る隆の前に両膝をつき、顔をぺたぺたと触ってみる。

「うわ、馬鹿やめろ!」

 振り払われるのをそのままに、ボクは質問を重ねる。

「どうして隆は神力にかからなかったんだ? あの不思議に響く声で教室中に、良きに計らえ、だったっけ、そんな神力が使われたのに!」

「えぇっと、そりゃいつの話だ? 朝のホームルームなら寝てたから聞いてねぇぞ」

「寝てたって……え、それだけ? 他になんか特別なことしてなかったのか?」

 ボクは肩透かしをされたような気分に若干なりながらも追及していく。

「他か。ハマショウを聴いてたぜ、スマホで」

 ハマショウ、浜田昭平。名前だけ知ってるけど、昔の有名な男性歌手だったはず。隆は渋い趣味してるなぁ。

「スマホでってことはイヤホン着けてたのか」

 ああ、と言って取り出してきたのはカナル型と呼ばれる耳に入れて遮音性を高めるタイプのイヤホンだった。

「ちょっと着けてみてもいい?」

「構いやしねぇよ」

 着けると、自分の息遣いが大きく聞こえる。耳を塞いでいるときのような感じだ。隆がスマホを弄ると、ハスキーな男の歌声が軽快なジャズに乗せて聞こえてくる。……意外と悪くないかもしれない。

「        」

 隆の口が動いているのが見えるけど、何を言ってるのか全く聞き取れない。イヤホンを外して、

「今なんて言ったの?」

「いい声してるだろって言ったんだ。……イヤホン着けてると周りの音とか聞こえないよな」

……それってもしかしたら!

「神力の言葉が聞こえなければ、命令を実行しようがない。ということは、聞こえない状態にしておけば神力をかけられることはないってことじゃないか?」

 ボクの言葉に、隆は渋い顔をした。

「いやお前、そんな簡単なことで防げるモンなのかよ。もっとこう、ハマショウの熱い魂が守ってくれたとか――」

「……うん、まあそれでもいいや。とにかく神力を防ぐためにはイヤホンで音楽を聞いていればいいんだと思う。隆がこうして普通でいることがなによりの証拠だよ」

「そんなもんかねぇ……。なんつーか、ロマンがねぇのな」

「ロマンも大事だけど、今は実際にかからない方が重要ってことだよ」

 隆に笑いかけると、ため息をひとつ吐かれた。

「オーケーわかった、俺の負けだ。じゃあこれから学校にいる間はハマショウ聴いてろってこったな。――あとはどうやってベネリオを追い返すか、だが……それには考えがあるぜ」

 その案を聞いたボクは不安で仕方なくなった。

「大丈夫だって! やってみりゃ大したことじゃねぇよ!」

 心配すんなって、とボクの胸に拳をドンとぶつける。直後に隆は赤くなって腕を引っ込めた。

「そ、そうだったな。お前、女になってたんだったな」

 なんとなく釣られて赤くなりかけたけど、相手はあの隆なんだぞと頭を振る。……なんだか余計に不安になってきた。気まずくなった空気をどうにかしようと思っていると、くぅぅ、と小さくお腹が鳴る。時計を見ると十一時半を差していた。

「朝から色々あってご飯まだだったから、お腹すいたね。食堂の冷蔵庫を漁って何か作ってくるよ」

「そうだな、ああ、それがいい」

 まだ顔の赤い隆を残してボクは部屋を出ていった。


 その日の深夜。ボクは危機に直面している。それは、隆のこの一言から端を発していた。

「なあ結月。お前、風呂どうすんだ?」

「どうするって、入るに決まってるだろ。今日も暑かったし」

 ボクは隆が言っている言葉の意味を理解していなかった。

「いや、そうじゃなくてよ……。どうやって入るのかって聞いてんだよ」

 ――!

「女の身体で裸になって男湯に入れんのかよ。見られたら一気に噂が広まるぜ。及川結月は女でしたってな」

「それだけは絶対に嫌だ! そんなことになったら……!」

 笹見さんと恋人になることなんてできなくなるし、更には周りの男子たちがどう動いてくるか分かったもんじゃない!

「分かったら、しばらくは風呂に入るんじゃねぇぞ。いいな?」

 ボクは涙目になりながらも頷いた……。

 はずだった。でもボクはどうしても我慢できなくて、深夜にシャワーを浴びに来たのだ。それなのに……!

「及川! キミも、深夜にシャワーを浴びる派だったんだね。二人で愛の花を咲かせようじゃないか……!」

 それなのに、よりによってシャワーを浴びてるところに、よりによってセンパイが来るだなんて!

「とはいえ、この前は俺も先走りすぎた。この通り、反省しているんだ」

 そう言って頭を下げるセンパイ。これならおかしなことにはならない……かな?

「じゃ、じゃあとりあえず距離を取って、お互い何事も無くシャワーを浴びて部屋に戻りましょうか」

「そうだな。それじゃあな、及川」

 やけにあっさりとセンパイは引き下がってくれた。……良かった、本当に反省してくれたみたいだ。センパイはひとつ間をとって――それでも近い気がするけど――座って、なぜかシャンプーやリンスが置いてある棚のあたりを弄っている。身体を洗った後で良かった。この距離だとタオルを外したらすぐに気づかれちゃいそうだ。ボクは慎重に頭を洗い始める。……片手だと難しいな。

「洗いにくそうだな、及川。どれ、俺が洗ってやろうじゃないか」

 そう言ってセンパイが近づいてくる気配。

「け、結構です! それ以上近付くとまた殴りますよ!?」

「殴られても構わないさ。大丈夫、問題になんてならないさ」

 近くに来られるだけでこっちにとっては大問題なんですけど!

 ボクは左手でタオルを押さえたまま、立ち上がりながら右手をセンパイの顎に突き入れた――のに、

「どうした及川、昨日に比べてやけに力が篭ってないじゃないか。……ははーん、さては本心では嫌がってないんだな、このツンデレさんめ」

 当のセンパイはびくともしない。本気で打ち込んだはずなのに、なんで!?

「及川の身体は曲線が多くて、本当に女の子みたいだな。……それじゃあ早速頭を洗おうか――」

 まさか身体が女の子になってるから、筋力もそれ相応になってる? ということは、この筋肉ダルマからはどうやっても逃げられない……?

 ボクは従う他ないことを悟り、絶対にタオルだけは、という心持ちで椅子に座り直した。

「及川の髪は柔らかくて、触っていて気持ちいいな」

シャンプーを頭で泡だてながらセンパイが口走っていく。

「背中もすべすべで、女の子よりも魅力的じゃないか」

 センパイの手が背中を滑るのを鳥肌を立てながら我慢する。シャンプーを洗い流して、リンスをセンパイが手に取るのと同時に、その手はあろうことかタオルに伸びてきた。その手を払い退けながら抗議する。

「センパイ! 髪を洗うんじゃなかったんですか!?」

 気付けばセンパイの息が荒くなっている。ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイ! 誰か、助け――!

「おいそこの貴様、俺様の及川結月に何をしている!」

 浴場に響いた声はベネリオのものだった。……なんでこんな時間に、こんな場所に?

「ベネリオ様か。何をって及川のナニをナニしようと……」

 寒気が止まらない! センパイは何を考えてるんだ!

「そうか。ならばもう二度とそのような気が起きないようにしてやろう。……『及川結月への興味を失くせ!』」

 センパイは、すっと手を引いて

「じゃあな及川」

 とだけ言って浴場を出て行った。……内心、ホッとしたのと同時に、少し可哀想に思える。

「ありがとう、ベネリオ。――とりあえず出て行ってもらえるかな」

「まったく、無防備なことだ。俺様が来なければどうなっていたことか」

「……どうしてこんなところに、こんな時間に来たんだ?」

 警戒しながらボクは問いただす。

「なんということはない。お前の部屋にプレゼントを置きに来たのだがいないのでな。探しに来ただけのこと」

「プレゼント?」

 怪しさが漂うフレーズだ、とボクは思ってしまう。だってこんな夜中に部屋に忍び込んでプレゼントを置いていくなんて。

「本来ならサプライズにしたかったのだが、致し方ない。……ではな。外で待っているぞ」

 ベネリオはあっさりと出て行った。一瞬呆気にとられたけど、ボクは急いで頭を洗いなおし、身体を拭いた。カラカラン。二つ隣の席から突然何かが落ちたのを視界の端で捉えた。

「これは、スマホ?」

 拾い上げて画面を見ると、動画を録画中だった。……さっきセンパイが座ってた席から、現在進行形で録画しているスマホが出てきた。

「まさか」

 録画を止めて、動画を再生してみる。脱衣所に置いてあるボクの服が映って、後ろ向きに浴場の中へ。聞き覚えのある言葉の後に、片手で頭を洗うボクを写すようにセットされた。その後もしっかりと記録されているようで――!

「気付けてよかった……! 本当によかった!」

 消してしまおうと指を動かすも、隆から提案された作戦を思い出す。


「ベネリオに神力をかける!?」

「ああそうだ。奴の神力を録音してそいつを聞かせる。それできっとかかるに違いねぇ!」

 ボクはその穴がありすぎる作戦を、とりあえず明日から準備する……はずだった。


 ボクの手元には、『及川結月への興味を失くせ』という神力を録音したスマホがある。そして外には、何も知らずに待っているベネリオがいる……。ボクは一呼吸してから、小さく頷いた。


 脱衣所には、中耳炎の人が風呂に入れるように使い捨ての耳栓がある。服を着た後にそれを引っ張りだして装着した。自分の呼吸が、より一層大きく聞こえてくる。スマホの動画をベネリオが神力を使う直前くらいにセットして、ボクは脱衣所を後にした。

「        」

 ベネリオが何か言っている。

「ちょっとこれ聞いてみてくれないかな」

 それを強引にスマホに注意を惹かせる。……再生。ベネリオの口は、何も動かない。それとなく耳栓を外す。

「――つまりお前は、俺様に神力をかけたかったのだな」

 聞いたことのないような声音で、どこか寂しげなその声音で、ベネリオは呟いた。

「そうか。俺様はフラれたのか。……ならば、敗者は去るのみだ」

 その声があまりにも寂しそうだったからだろう。ボクは訊ねていた。

「どうしてボクになんか惚れたんだ? 人なんていっぱいいるのに、どうして」

「お前には話して――、ああ、聞いてなかったものな。俺様はお前の、周囲と楽しく生活する日常に憧れたのだ。でもお前は、自分の容姿を気に入らず、奥手だった。……見ていて歯痒かったのだ。お前のことを羨ましがる人間もいるだろうに、それに気付かないお前が。どうにかして気付かせてやりたいと考えるうちに、いつの間にか恋煩いとなっていた……」

 ベネリオは薄く笑い、ボクの頬に手を添えた。

「お前は可愛い。男が可愛くて何が悪い? もっと自分に自信を持つことだ、及川結月」

 ボクは、ベネリオの涙を、初めて見た。驚いて瞬きすると、もうベネリオは居なかった。さっきまで存在感を主張していた胸も、今はもうない。


 翌日、学校中で昨日の異常事態が話題となった。みんながみんな、昨日のことを不思議がっている。事情を知っているボクと隆も、絶対に口にしないと堅く約束していた。

「ねえ」

 と笹見さんが小声で話しかけてくる。

「及川くんがどうにかしたんだよね? 私言われたもん。絶対に元に戻してあげるからって」

 ボクはそれに答える代わりに、笹見さんを誘う。

「笹見さん。放課後に体育館の裏に来てもらえるかな? 伝えたいことがあるんだ」

 きょとんとする彼女から離れて、待ってるから、とだけ呟く。突然後ろから肩に腕を回され振り向かされる。隆だ。

「おいまさか、みみみ嬢に告白するつもりか? ……がんばれよ、結月! 応援してるからなッ」

 ドン、と空いている手で胸を打たれる。その後の仕草に安心感を覚えながら、ボクは確かに頷いた。


 ベネリオ。ボクは絶対に笹見さん、みみみ嬢を落としてみせるからな。ボクに自信を持たせたことを後悔させてやるから、その玉座からしっかり見ていろ! ああ、もちろん加勢なんていらないから、そのつもりでね。また機会があれば、夢の中で会おう。それじゃ、また!


読んでいただきありがとうございます。

この作品は練習作で、まだまだ拙い部分が多々あります。

その中で読んでいただいた方々に手厚い感謝を!


感想や「ここ、こうした方がいいんじゃない?」などがありましたら、ぜひコメントをお願いします。

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