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Flower Child  作者: 藤崎 京
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9. - ナイン -

 新月の夜はすぐに訪れた。

 あんなことをしてしまってジォは来ないかもしれない、そんな思いもあったが彼は約束通り僕の室までやって来た。

 身体を起こすのも、歩くのも、彼に支えられながら静かに室を抜ける。新月の夜に自室から出て歩き回る酔狂なヤツは居ないから、巣窟の入口まで誰にも逢わずに辿り着けた。

 背後には橙色の明かり、今日は殊更に強く焚かれた暖かい光。

 僕は目の前の漆黒を見据える。

「爺さんの所へ行こう」

 不安そうに僕を支えるジォの手から離れて一歩を踏み出す。

 微かに花の香がした。

 懐かしい外の香だ。



 僕の悪い脚でも子供の頃はこれほど遠く感じたことはなかった。ふらつく身体と思考を奪う頭痛、そして月明かりのない闇夜がまた、セヴェンリイ爺とベレ婆の住む古代樹を遠ざけていた。

 かさついた落ち葉を踏み締めるたびに静寂を破る。少し動くだけで息が乱れる僕には呼吸音を抑えることはできない。前へ数歩進んでは脚を止め、僕ら二人以外の立てる物音がないか注意深く耳を澄ませる。

 頭上で裏返った甲高い声がした。見上げても深い闇があるだけで姿形は見えなかったが、僕らにはすぐにその正体が分かった。

「こんな闇夜に何の用だい、淫魔の坊主ども!」

 妙に芝居がかった調子にジォが固唾を飲む。

 ただの散歩だと返すとおそらく木の枝に腰掛けて見下ろす相手がその酔狂さを大げさに笑った。酔狂なのはお互い様だ。

「悪魔ってのは囁くものだろう?」

 警戒したままのジォに「どうやら悪いヤツじゃなさそうだ」と小声で告げる。悪くない悪魔というのもおかしな表現だが。

 ジォは戸惑ったように頭上を見上げた。この場を早く去りたいのは変わらないらしい。

「囁くのは契約の時だけさ」

 不意に周囲の木々がざわめいた。

「――オマエの大切なものと引き換えに、望みを叶えてやろう」

 先程まで遥か上の方からしていた筈の声が、急に耳元で低く鼓膜を震わせ、僕は思わず耳を押さえて振り返った。動きはジォの方が早かった。こんな時だというのに、僕の前に立ちはだかる彼の背丈が僅かに僕よりも高くなっていることに初めて気が付いた。

 悪魔の笑い声は再び頭上からこだました。

「なら僕の命と引き換えに、僕の大切な人たちの幸せを叶えてくれ」

「もうすぐ尽きる命と引き換えにするにゃァ、少々望みが大きすぎやしねえか、坊主! そこの小僧の命と引き換えにオマエの女と子供の幸せを叶えてやろうか。それとも、オマエの女と子供の命を引き換えに、そこの小僧の未来を保証してやろうか。さァどっちか選べ!」

「なら交渉決裂だ、契約しない」

 ジォの背後から暗闇の木々を見渡して叫ぶ。

 悪魔の機嫌を損ねやしないかと身構えたが、木の葉を揺らす風が吹いただけで特に恐ろしい事は何も起こらなかった。

 早く行こうとばかりにせっつくジォに促され、僕は再び古代樹へ向かう。

 今更ながらに背筋を冷や汗が伝うのが分かった。何度か振り返りながらジォの後に続いた。

 悪魔の囁きに魅入られて契約するとどうなるのだろうか、そんな疑問が後ろ髪を引かせた。

「良いことを教えてやろう、坊主。花になりたきゃ花を喰え」

 後ろを振り返る何度目かで、再度悪魔の声が遥か遠くから聞こえた。

 遠すぎて囁きかどうかも分からないその言葉が、いつまでも耳の奥に残った。

 果たしてそれは甘い誘惑なのだろうか?



 新月の夜中に訊ねてきた僕らを、セヴェンリィ爺は快く迎えてくれた。

 ベレ婆はとうに寝床で休んでいると聞いて、僕は渋る爺を洞穴の入り口近くへと逆に誘い出した。洞穴の地面にまで隆起した古代樹の根に、僕らはそれぞれ腰を下ろした。灯りのない此処では、外も中も似たようなものだと僕は思った。

「やっと儂らと暮らす決心がついたか」

 爺が声に嬉しさを滲ませて、自らの膝を何度か打つのが闇に馴れた視界の中で朧げに見えた。

「僕は答えを見つけましたよ、爺様。僕らの種族は雄同士で補給し合える。僕らは雄同士で性交できるし、そのことによって養分を得る事ができる。……今まで誰も気付かなかったのが不思議なぐらいだ」

「雄は雄に欲情せんからのぅ……」

 爺はそれだけ言うと深い溜息を吐いて黙り込んだ。

 普通に考えて雄は雄に欲情しない。僕がジォを抱いたのだって別に欲情したからではない。サリィが僕に女たちの仕事について少しだけ語ったあの日から、僕はずっとその可能性について考えていた。それを試しただけのことだ。

 爺は雄同士で補給し合えることを知っていたようだった。もしかしたら僕と一緒に暮らしたがったのは、僕に餌集めをさせることが目的だったのかもしれない。ベレ婆の権威があの巣窟で落ちているのを感じて。

「儂らがまだ子供だった頃は、雄同士で賄い合うのなんぞ当たり前の事じゃった。するとどういうことが起こるか分かるか?」

 爺の影がゆっくりとこちらを向いた。あの窪んだ鋭い双眼が僕らを射て光るような錯覚を覚えて僕とジォは自然と身を寄せ合った。

 何も答えない僕らを一通り観察したような重い沈黙の後、セヴェンリィ爺は漸く口を開いた。

 それは想像もつかない世界の話だった。



 男同士で賄い合えるということは、女は子を孕む以外に用を為さないという意味だ。

 その昔、男たちは女を道具のように扱っていた。

 世界は今とはまるで逆だったのだ。

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