大先生
「大先生。待たせたね。紙とばかり話していないで、たまには人間とも話したらどうだ」
「用件は何でしょう」
「冗談だよ。君には、こういう機微がわからないか」
「研究しかできない人間だ、と言いたいんですよね」
「……何だ、わかっているじゃないか」
「はい」
「だったら、なぜいつも黙っている」
「その話に、返すことがないので」
「悔しくないのか」
「今、別のことを考えていました」
「そうやって逃げる。人に馬鹿にされているんだぞ」
「知っています」
「知っていて、平気なのか」
「嬉しくはありません。でも、あの式の続きを考えるほうが楽しいんです」
「まったく。そういうところだよ。昨日の会議でも、場の空気が読めていなかったな」
「新型推進炉の件ですか」
「所長の案にも、副所長の案にも反対した。全員が呆れていたぞ」
「どちらも、同じ冷却系を使っていましたから」
「その説明は聞いた。今は、君の態度の話をしている」
「設計の審査だと聞いて出席しました」
「それだけの場じゃないことくらい、わかるだろう」
「所長を続投させるか、副所長を推すか。出席者の顔ぶれから、そういう話になるだろうとは思っていました」
「わかっていて、あんな発言をしたのか」
「どちらが所長になっても、炉は冷えませんから」
「君は極端なんだよ。まず賛成して、細かい問題はあとで調整すればいい」
「調整できる範囲を超えています。この赤い線を見てください」
「その前に、少しは自分の身の振り方を考えたらどうだ。今回も昇格は見送りだぞ」
「そうですか」
「同期の私とは、給料もずいぶん違う。君の航法は全移民船に採用されたのにな。暮らしに余裕が欲しくないのか」
「欲しいですよ」
「だったら、私のやり方を見習いたまえ」
「誰の発言には賛成して、誰の失敗は大きく見せるか、ということですか」
「言い方があるだろう」
「理解はしています。ただ、興味が持てないんです」
「要するに、できないんだな」
「そういうことにしてもらってもかまいません。冷却系の話をしていいですか」
「よくない。これは君のために言っているんだぞ」
「では、あの呼び方はやめてもらえますか」
「大先生のことか。親しみを込めているんだよ」
「さっき、馬鹿にしているとおっしゃいました」
「細かい言葉尻を捉えるな。だから君とは話しにくいんだ」
「……用件は、それだけでしょうか」
「反省の色がないな。私だって首席で出ている。研究しかできない君より、物事が広く見えているつもりだ」
「それなら、この図を一緒に見てもらえませんか」
「また研究か」
「さっきまで、二つの問題が一つに繋がりかけていたんです。出力を上げずに、推力だけを増やせるかもしれない」
「その案で所長を黙らせる気か」
「いいえ」
「では、副所長への売り込みか」
「誰が採用してもいいんです。うまくいけば、航行時間が短くなる」
「綺麗事だな。自分だけ正しい側に立って、周りを見下している」
「今、炉の話をしています」
「君が本当に考えていることを指摘しているんだよ」
「私が何を言っても、誰を負かしたいかという話になるんですね」
「人間はそういうものだ」
「そうでない時間も、ありますよ」
「君だけ特別だと言いたいのか」
「……いえ。もういいです」
「都合が悪くなると、それだ。反論できないんだろう」
「この話を続けても、同じところに戻ると思ったんです」
「そうやって会話を拒むから、孤立するんだ」
「冷却系の話は、何度もお願いしています」
「誰も君の独演会を聞きたいわけじゃない」
「一緒に間違いを探してもらいたいんです」
「ようやく認めたな。自分の計算が間違っている可能性を」
「もちろんあります。だから、どこかおかしいと思ったら、そこを教えてください」
「まず、所長の案が間違っているという前提がおかしい」
「その前提では計算していません。結果が、あの案の想定と違ったんです」
「結果が違うなら、君の計算を見直すべきだろう」
「見直しました。実測とも合います。昨日、お渡しした記録を」
「私はあの説明には納得していない」
「どの部分でしょう」
「ほら、また私を試す。相手を不快にさせずに話せないのか」
「納得できない箇所がわかれば、確かめられると思っただけです」
「私が理解できていないと言うのか」
「理解できないことは、私にもあります」
「一緒にするな」
「……では、記録を返してもらえますか」
「待ちたまえ。まだ評価面談が終わっていない」
「評価面談だったんですか」
「日頃の言動は、すべて評価の対象だよ。君は協調性がない。人の意見を聞かず、自分の世界に閉じこもる」
「意見は聞きます。計算が違っていれば直します。ただ、誰が言ったかだけで、結果を変えることはできません」
「また理屈か。少しは素直になれ」
「……紙を、取ってもいいですか」
「私の話を聞いているのか」
「聞いています。そのうえで、あの式の続きを」
「あとにしなさい。まず、きちんとこちらを向いて」
「……はい」
「今年の所見は、指導内容を理解できず、対話が成立しない。異論はあるか」
「理解は、しています」
「その態度でか。反省が見られない、とも加えておこう」
「……もう、研究室に戻ってもいいですか」
「逃げるのか、大先生」
「もう一度、最初から考え直さないと」
「ようやく自分の間違いに気づいたか」
「式の続きが、わからなくなってしまったので」




