薄まる伸び縮み
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ねーねー、こーちゃん、しつもん!
どうして学校だと、「整列」をするの? ほら、体育館とかに集まったときなんかさ、並んだらすぐ座らされるっしょ?
先生たちはちょこちょこ、クラスごとに縦とか横とか気にして、時間かけるけどさ。けっきょく、座っちゃうなら立って並ぶ意味が薄いと思うんだよね。正直、無駄に思えるんだけど、なんでやるんだろ?
――ん? 形を整えることで、集団としての意識や話を聞く空間である自覚を促して、これからの動きに役立てるためじゃないか?
ははあ、気持ちを切り替えなさい! の延長線上てわけね。
形から入る、てどうにも無駄に思われがちだけど、はたから見たらまあ「サマ」にはなる。ぱっと見できっちりしている感が出るし。
そう考えると、あいさつをはじめとした数々の礼儀の存在も、まあ理解できるかな。効率だけを見るなら、これらをやらないほうが生産性は上がりそうだ。
でも、あいにく人はテレパシーを使えない。気持ちは行動によってしか示せない。やるかやらないかによって印象がだいぶ違う。いや~、ちょっと息苦しさを感じちゃうかも。
形骸化、ていうの? 深い意味を考えずとも形だけは残っている。それ、意識しなくとも身体が勝手に繰り返す状態に持っていく、形稽古の側面も実はあったりするのかもね。
ちょっと前にお父さんから聞いた習慣の話なんだけど、こーちゃんが好きそうな話かなあ。耳に入れてみない?
お父さんが小さいころ、起きる前に「伸び縮み運動」をするようにいわれていたんだって。
伸び縮み運動は、その名の通りに布団の中で伸びをしたり、縮こまったりする動きのことだ。目が覚めたら、急に起き上がるんじゃなくて、この運動をしてからにしろと耳にタコができるくらいに注意されたとか。
伸びはそのまま、ぐうっと手足を敷布団に沿って伸ばし、大の字になればオッケー。縮みは逆に手足を丸めて、布団の中へすっかり潜り込んでしまうくらいに小さく縮めていく。それを数回繰り返すんだ。
なぜやるのか、とお父さんはおじいちゃんたちに尋ねてみたけれど、はっきりしない。
ただ15歳になるまでの間は、しっかりと続けるようにとくぎを刺されたそうな。
小さいうちであれば、何度もいわれれば素直に従うのもおかしくないと思う。でも小学校を卒業するころになると、自分の思うように行動したいと考えはじめるお年頃。
あるとき、ひょいとサボったのをきっかけに、お父さんはこの伸び縮み運動をやらなくなってしまったらしい。もちろん、おじいちゃんたちには内緒でね。
たとえ短い時間でも、自分にとっての自由時間が伸びることほど、うれしくないことはあるだろうか。
怠慢時間はどんどん積み重なっていくものの、そうして連続半年間のさぼりが成立した朝のこと。
お父さんは目が覚めると、ぱっぱと着替えようとしたみたい。
この日は休みかつ、欲しいおもちゃの発売日。夜を徹して店の前に並ぶことなど、許されない子供の身としては、早起きこそが最高の策。楽しみだと思えば、身体も勝手に起きようとしてくれるもの。
いつものように伸び縮みをしないまま、ぱっと布団を跳ね飛ばしたお父さんだけど。
すっと、胸が冷えたとお父さんは語る。
風が肌をなでていったというより、肌に氷の管が張り付いていて、そこへ水を流し込まれたように思えたみたい。神経が飛び上がって、悲鳴をあげるかとも。
いったいなにが? と思う間に胸の冷えはどんどんと増していく。寝間着をはだけて指で触れると、胸の感覚がしない。
すっかり冷たくなったそれは、触れるものも、触れられるものも、そこへ存在していないかのよう。いったん離した指さえも、その神経がマヒしてしまい、どこへ触ってみても固まってしまっていたとか。
なおも上半身を起こして、状態を確かめようとするお父さん。そのお父さんの目の前で、胸が一気に「ひび割れた」。
まるで強くぶっ叩かれたガラスのように思えるほど、微細な放射状に肌へ走る。そこからは赤く血がにじんできて、お父さんも直感的に「やばい」と感じるほどだったとか。
謝罪の意を示すように、お父さんがすがったのは伸び縮み運動だった。
180日ごぶさたしていた、伸びをお父さんは行う。ゆっくりとした伸びは、胸の冷えをじょじょにやわらげてくれたものの、ひびが入った身はそのままでいてくれない。
ぶちぶちと音を立てて、ひびの入ったあちらこちらに、より赤いものがあふれてきてしまう。布団を汚してたまるかと、手近なティッシュをとって拭っていくお父さんだけど、そうしていたら冷えはまたひどくなる。当然、ひびわれも。
縮むことなど、考えられなかった。伸びては拭うのいたちごっこは延々と続き、やがて起こしにきたおじいちゃんたちの知るところとなる。もちろん、おもちゃを買いになど行けなかった。
おじいちゃんたちも、このようなことが起こるとははじめて知ったとのこと。
はるか昔に同じような目に遭った人とその対策が確立されて、形だけになるほど長いときが流れたのだろう、と語られたみたい。
お父さんは、その注意を新たにうながす立ち位置になったわけだけど、これもまた長いときの間に薄まっていくのかな。伸び縮みをしなくても、そのようにならない人たちが増えていくことで。




