第4話「壊れた体」
エルダースに戻って三日目には、離れの診察が元の日課に戻っていた。
マリアが朝の薬草選別を終え、私が患者を迎える。午前に二人、午後に一人が目安だ。城への往診で空いた六日分の予約が積み上がっていたので、最初の一週間はそれを消化した。風邪、腹痛、老人の膝の痛みと続いた。ルーカス様の治療と比べれば単純な症例だったが、単純だからといって丁寧さを省く理由はない。
「ゲルト・シュルツ殿のことは聞いたか」とヨーゼフ村長が、週に一度の顔出しのとき言った。
「いいえ」
「五年前、村の製粉所の建て替えで足場から落ちた。背骨を痛めて、それ以来ずっと腰が曲がったままだ。本人は医者に診せることを嫌がっているんだが……今度こそ来てみないかと、息子が説得を試みているところで」
「どの程度の曲がりですか」
「真っ直ぐ立てない。杖なしでは歩けない。重いものは持てない。職人として六十三まで働いた男が、今は家の中を這うようにして生活している。光治癒魔法は三度試した。王都から来た術師にも診てもらった。痛みは少しましになったが、姿勢は戻らなかった」
私は少し考えた。
「診てみます。来られるなら、来てもらってください」
ゲルト・シュルツは三日後に来た。
息子に付き添われてきた。息子は三十代前半で、父親より頭一つ背が高い。目に、長い苦労の色があった。
ゲルト本人は想像していたよりも小柄に見えた。もともとは大柄だったのだろうが、長年曲がった姿勢で歩いてきたために、体全体が縮んでしまっているようだった。杖を突き、ゆっくり入ってきた。顔には年齢の線が深く刻まれていて、唇が固く結ばれていた。
「先生とやらに頭を下げに来たわけじゃない。息子がしつこいから来ただけだ」
第一声がそれだった。
私は立ち上がりも笑いもせず、作業台から彼を見た。
「分かりました。それでも、せっかく来たので、見せていただけますか」
「見ても無駄だ。王都の術師も匙を投げた」
「王都の術師が何をしたか教えていただけると、私も同じことを繰り返さずに済みます」
ゲルトが片目を細めた。
「光治癒魔法で、三回。最初の二回は痛みが一時的に引いた。三回目は変化なし。それだけだ」
「背骨を直接治そうとしたのか、それとも痛みを抑えたのか、分かりますか」
「知らん。光がどかんと出て、終わった」
私はうなずいた。
「では、一度だけ見せてください。何もしなくて構いません。見るだけです」
ゲルトは短い沈黙のあと、杖をついて診察台に近づいた。
精霊視を起動した。
体の中を流れる生命の筋が見えた。
健全な体は全身に均一な流れを持つ。しかしゲルトの体には、腰椎の周辺に大きな「詰まり」があった。橙色の澱んだ塊が三箇所、脊椎の両側に張り付いている。これが瘢痕組織だ。五年前の損傷が治癒する過程で、本来は柔軟であるべき組織が固まり、正常な位置を歪めながら定着してしまっている。
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第三腰椎と第四腰椎の間に、微細なずれがあった。急性期に光治癒魔法で修復された部分は一見きれいに見えるが、修復の角度が数度ずれている。それが五年間積み重なって、体全体の歪みになっている。骨が「間違った位置で正しく」固まっている状態だ。
光治癒魔法はそこで詰まる。破損を治すことはできるが、「正しい位置で固まる」ことを選択する力がない。すでに固まってしまった骨に対しては、ただの痛み止めにしかならない。
私は手を離した。
「分かりましたか」と息子が聞いた。声に緊張がある。
「分かりました」
「何が問題ですか」
私はゲルトに向けて言った。
「背骨が五年前の怪我が治る過程で、少しずれた角度で固まっています。骨が固まる前に正しい位置に戻せばよかったのですが、当時それができなかった。今は固まった骨の周りに硬い組織が張り付いていて、それが神経を圧迫しながら姿勢全体を引っ張っています」
ゲルトが黙って聞いていた。
「光治癒魔法が効かなかったのは、すでに固まっている状態に対して直接作用しようとしたからです。今必要なのは、固まった組織を少しずつ柔らかくし、体の自然な流れを取り戻すことです。骨を完全に元通りにすることは今の時点では難しいですが、姿勢を改善して、痛みを大幅に減らすことはできます」
「完全には治らない、ということか」
率直な問いだった。怒りではなく、確認だった。
「五年前の状態には戻せません。ただ——杖なしで歩ける、重い荷物を少し持てる、真っ直ぐ立てる、そこまでは戻せる可能性があります。一ヶ月から二ヶ月かかります」
ゲルトが長い沈黙の後、言った。
「信じるわけじゃない。ただ、王都の術師はそんな説明はしなかった」
「何を言いましたか」
「「治ります」か「難しいです」のどちらかだけだ。なぜ難しいかは教えてくれなかった」
治療は週三回から始めた。
最初のセッションは一時間半かかった。マリアに補助として入ってもらい、途中で薬草を煎じてもらいながら、私は施術を続けた。
古代治癒術の手技では、精霊視で詰まりの位置と方向を確認しながら、手のひらの圧と微細な振動で硬直した組織に働きかける。これは魔力の使用ではない。体の本来の弾性と流れを助けるための物理的な介入だ。瘢痕組織は最初は石のように硬く感じられる。繰り返すことで、少しずつ柔らかさが戻ってくる。
施術の後、薬草煎薬を飲んでもらった。組み合わせは炎症を抑えながら組織の再生を促すものを選んだ。ルーカス様の薬とは成分が重なる部分もあるが、目的が違う。こちらは血行を改善して、固まった組織に栄養を届けることが主眼だ。
「帰りは来た時より楽だったか」と次の日ヨーゼフが聞いてきた。
「息子が言うには、少し楽だったようです。痛みが引いたわけじゃないが、歩きやすかったと」
「そうか」と村長は言った。「ゲルトが「少し楽だった」と言ったのは、五年ぶりだ」
二週間が過ぎた。
ゲルトの施術は計六回になっていた。
変化は数字に出た。来院当初、彼が立った時の前傾角度は約三十度だった。施術を重ねるごとに、その角度が縮まった。十二度、八度、五度。
六回目の施術が終わった時、ゲルトは立ち上がって自分で背筋を伸ばした。完全ではない。まだ軽い前傾がある。だが杖を使わず、一人で部屋の中を歩いた。
マリアが声を出しそうになって、口に手を当てた。
ゲルトは何も言わなかった。ただ、窓の外を見ていた。
息子が「お父さん」と言った。
ゲルトは振り返らなかった。しばらくの間、窓の外を見続けた。
私は記録を書きながら、それを見ていた。
その翌週から、問い合わせが増えた。
ゲルトの息子が話した相手が隣村の知り合いで、その知り合いが別の患者を連れてきた。「五年間曲がったままだった男が歩けるようになった」という話は、ヨーゼフが言うよりも早く山を越えた。
予約が三日先まで埋まるようになった。
「先生」と、ある朝ヨーゼフが診療所に立ち寄った時に言った。
「この集落には、二十五年以上診療を続けている薬師がいる。あの方の患者が、こちらに流れているという話が、少しずつ出始めた」
「そうですか」
「責めるような話ではない。事実を伝えるために言っている。誠実な人だ。患者を奪い合うようなことはしない人柄だが——人柄と、患者の流れは別だ」
私は黙ってうなずいた。
「私は集落の村長として、両方の医者を立てる責任がある。お耳に入れておきたかった」
ヨーゼフはそれ以上は長居せずに帰っていった。
マリアが薬草の選別を再開していた。手元の動きは変わっていない。ただ、選別を続けるその指先に、少しの硬さがあった。
私は窓の外を見つめながら、しばらく考えていた。
「先生、今日の午後に新しい患者が一人」とマリアが朝の作業中に言った。
「どんな人」
「隣の集落から来た女性で、十二年前に出産後から腰が悪いとのことです。光治癒魔法を試したが、産後のせいだから仕方ないと言われた、と」
十二年。
産後の骨盤の不整合が長期化したケースだとすれば、ゲルトと似た構造かもしれない。ただし産後の場合は骨盤靱帯の弛緩が関与することもある。診てみなければわからない。
「午後に来てもらって」
「はい」
マリアが手元に戻った。薬草の選別の動きが、最初の頃よりずっと速くなっていた。間違いも減っている。
「マリア、今日の午後の診察、後ろで見ていなさい」
「はい」
「産後腰痛と外傷後腰痛では、精霊視で何が違って見えるか、自分の目で確認しなさい。後で報告してもらいます」
マリアが少し背筋を伸ばした。
「分かりました」
窓の外から、秋が深まった空気が入ってきた。山の色が赤くなっている。ゲルトの報告では、昨日から薬草畑の整地が始まったそうだ。
エルダースが、少しずつ動いている。




