第6話「疫病の前触れ」
ヨーゼフ村長が、いつもより早い時間に診療所に来た。
顔色が悪かった。
「アイリス先生」
「どうしました」
「王都から、文が来た」
ヨーゼフが封蝋のついた巻紙を差し出した。封蝋には王家の紋章が押されていた。私は受け取って、軽い重さを手の中で確かめた。
「辺境伯様宛だが、写しを村長会で共有するよう指示があった。中身は——」
ヨーゼフが言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「王都で、原因不明の熱病が広がっているそうだ。三週間で死者が二十一人。光治癒魔法も古い処方も効かない。神殿の新聖女様が対応に当たっておられるが、収束の見通しが立たないと」
私は巻紙を受け取って、すぐには開かなかった。
「文の最後に、こうある」
ヨーゼフが少し声を低めた。
「『辺境を含む全土の薬師・治癒師に、知見の提供を要請する』」
全土の。
神殿が、辺境の薬師にまで要請を出している。
それはつまり、新聖女エリーゼ・フォン・ハーゼンブルクが——光魔法の輝かしい後継者と謳われた女が——既に手詰まりだということだった。
私は巻紙を机の上に置いた。封はまだ切らなかった。
「ヨーゼフさん」
「はい」
「私は、辺境の治癒師です。王都に行く義務はありません」
「分かっています。先生にどうしろと迫りに来たわけではない。ただ、知らせておかねばと」
「ありがとうございます」
ヨーゼフが帰った後、私はしばらく巻紙を見ていた。封を切るかどうかを、決めかねていた。
マリアが奥から顔を出した。
「先生、午前の患者さんが」
「うん。すぐ行く」
私は巻紙を引き出しの一番下に入れて、診察室に向かった。
目の前の患者が、まずだった。
王都のことは、その後で考える。
その日の午前は、いつも通り進んだ。
最初の患者は、エーリヒ・ラング——ブレナーから引き継いだ慢性膝痛の農夫だ。二回目の施術だった。一回目の後、痛みが「鈍くなった」と本人が言っていた。今日は腸脛靱帯の緊張を、より深い層まで解いた。マリアが熱した亜麻布を持ってきて、施術後の関節を温めた。
次は風邪の女性。三十代後半、二日前から発熱と頭痛。診察すると、熱は三十八度二分、咽頭の発赤あり、頸部リンパ節の腫れ軽度、咳は乾いた小咳。経過は典型的な季節性の感冒で、特異な所見はなかった。
マリアに薬草の処方を書かせた。生姜、葛根、柴胡。煎じ方の指導と、二日後の再診を伝えた。
「マリア、書けたら確認させて」
マリアが処方箋を差し出した。柴胡の量が一勺多い。
「これは、なぜこの量に」
「咳が乾いているので、少し多めに」
「考え方は合っている。ただ、本人の体力が普通だから、標準量で始めて、二日後の様子を見てから増やしましょう」
「はい」
マリアが書き直した。動きにためらいが減っていた。最初の頃は、間違いを指摘されると顔を伏せていた。今は素直に直して、次に進む。それだけで施術の速度が変わる。
午前の三人目は、足首の捻挫の青年。前夜、薪割りの帰りに段差で踏み外したという。腫れと内出血があったが、骨に異常はなさそうだった。冷却、圧迫、安静を指示し、再診は三日後とした。
午前が終わって、私は記録を書きながら、引き出しの一番下の巻紙のことを考えていた。
昼食を取った後、もう一度引き出しを開けた。
巻紙の封を切った。
文面は、思ったよりも簡潔だった。王都で発症が確認された熱病の症状が箇条書きで書かれていた。
> 一、突発的な高熱(三十九度以上)
> 二、強い頭痛と項部の硬直
> 三、皮膚に紫斑の出現(発症後四〜七日)
> 四、意識混濁、痙攣を伴う場合あり
> 五、光治癒魔法による解熱は一時的、効果は半日以内
> 六、古典的解熱薬(柳皮、白柳)に反応せず
> 七、発症から死亡まで、早い場合は五日
私は文を二度読んだ。
三度目を読みながら、項部硬直、紫斑、五日進行という三点に印を入れた。
心当たりがあった。
古い書物——神殿の地下書庫で十年前に読んだ、二百年前の流行性疾患の記録。当時の名は「黒沈熱」。症状の進行が、ほぼ一致していた。
光治癒魔法が効かない、というのも一致していた。あの病気の原因は、当時の記録では「外来の毒気」とされていたが、私の解釈ではおそらく細菌性のもので、光魔法の浄化作用では到達できない深部組織の感染を起こす。
もし同じ病気なら、当時の対処法は記録に残っている。
ただし、その対処法は一つだけだった。発症初期の三日以内に、特定の薬草の組み合わせで体内の毒素分解を促す。それを過ぎると、対処は不可能。
私は文を畳んで、また引き出しに戻した。
知っているからといって、それを王都に届ける義務はない。私を追い出した者たちの便宜のために、私の知識を差し出す理由はない。
私はそう思おうとした。
うまく思えなかった。
夕方、ブレナーが診療所に来た。
今日は施術の見学日ではなかった。彼は手帳ではなく、別の小さな書物を持っていた。色の褪せた表紙の薬草の図録だった。
「先生」
「ブレナーさん。どうしました」
「先週、ベルナー集落で熱を出した子供がいたんだが、聞いていますか」
私の動きが止まった。
「いいえ」
「八歳の男の子だ。三日前に高熱で動けなくなった。隣集落だから、私のところに連絡が来た。診に行ったが——」
ブレナーが少しの間、言葉を探した。
「光治癒魔法は効かなかった。柳皮の煎薬も。今朝、項の後ろが固くて頭を動かせなくなっていると、母親から伝言が来た」
項部硬直。
「いま、その子は」
「家にいる。母親が付きっきりだ」
「紫斑は」
ブレナーが目を細めた。
「先生は、何を聞いているのですか」
「皮膚に紫色の斑が出ていないか、ということです」
「……まだだ。今朝の時点では」
私は立ち上がった。
「ブレナーさん。明日の朝一番で、その子を診せてください。あるいは私が往診します」
「往診の方が良いでしょう。動かさない方が」
「分かりました。明日の夜明けに出発します」
ブレナーが少し、間を置いた。
「先生。何か知っているのですか」
私はうなずいた。
「神殿の古い書物に、似た症状の記録があります。二百年前の病気です。もし同じものなら、対処法は限られています。発症から三日以内に手を打たないと」
「三日」
「今朝で三日目だとすると、明日の朝が最後の機会です」
ブレナーが、籠を持つ手に少し力を込めた。
「分かりました。明日朝、私も同行します」
「助かります」
ブレナーが帰った後、私はマリアを呼んだ。
「マリア。明日の朝、ベルナー集落へ往診に行きます。同行してもらいたい」
「はい。準備するものは」
私は紙にいくつか書き出した。柳皮、葛根、柴胡——これは予備。本命は、神殿の書物にあった三種の組み合わせだった。一つは黄連。一つは大黄。最後の一つは、辺境では珍しい山栗の樹皮の内側を煎じたもの。
「黄連と大黄は、ブレナーさんの店で買えるはず。山栗の樹皮は、私が裏山で採ってきます」
「山栗の樹皮、ですか」
「外側ではなく、内側の白い層。乾燥させて煎じます。当時の記録ではこれが要だった」
マリアがうなずいた。質問をしなかった。
書き終えてから、もう一つ、紙の端に小さく書き足した。神殿の書物では煎じる時間は二半刻とあったが、その時間が正しいかどうか、私には確信がなかった。十年前に読んだ記憶の中で、その数字だけが、なぜか他の処方とそぐわなかった。
夜、私は山に入って、月明かりで山栗の樹皮を採った。三本の木から、必要最小限の量だけ削いだ。木が傷まないように。
帰り道、引き出しの中の王都からの文のことを、もう一度考えた。
王都に届けるかどうかは、明日の往診の結果次第だった。
もし同じ病気だと確認できたら——それは、王都で死んでいる二十一人と同じ病気が、辺境にも来ているということだった。
季節と気候を考えると、おそらく交易路に沿って広がってきている。次は隣の集落、その次はエルダース。
私はもう、辺境の治癒師として、自分のところの患者だけを診ていれば済む立場ではないかもしれなかった。
山道の途中で、私は一度立ち止まった。
遠く、王都の方角の空が、少し赤く見えた。月のせいか、それとも別の光のせいか、判別できなかった。




