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第四章 一ノ谷来栖は誠実そうに見えて勝手な男を変えてみる 3

「ふう……。落ちなければいい、なんてのは、つまり見え透いたフリだというわけだな。まったく、浅はかな世の中だ」


「フッたのも落ちたのも先輩ですが……まあ、そうですね」


「くっそ、ウイッグまでびしょ濡れじゃないか。とらないけど」


「とらないんですか」


「地毛は、今日の服に似合わない髪型なんでな」


 ゴール近くの休憩小屋で、ヒーターに当てて服を乾かしながら、来栖は貸してもらったドライヤーを髪に当てていた。

 レギンスまで短時間で完全に乾かすのは無理そうだったので、服を優先し、レギンスは穿かずにバッグに入れて帰ることにする。


 水上コースの犠牲者は毎日それなりにいるようで、ここはそんな人たちのために用意された小屋ではあったが、今は来栖と吾妻の二人だけだった。

 さっきまではスカートを脱ぎ、これも貸してもらったタオルを腰に巻いていた来栖だが、その間ずっと吾妻が目を背けているので、こいつおれのことをどう感じてるんだろう、と思い少しからかっていた。


「なあ、こっち見りゃいいじゃん」


「で、でも先輩今、そんな格好ですし」


 来栖がすでにスカートを穿いていることには、気づいていないらしい。


「いいだろ、男なんだから別に。君、体育の着替えの時に周りの男子にそうしてるわけ? してないだろ?」


 後ろを向いて座ってまま、吾妻がすねたように言う。


「しませんよ、そんなの。だって周りは……ただの男子ですから」


「ならおれだってただの男で、男の肌、男の足なんだから。変に意識されたほうが、やりづらいだろ。君、男の裸に興奮するタイプか?」


「いえ、そんなことはないですけど」


「ならおれだって気にしない。それに、興味ないか? レギンスなしのおれの素足がどんなふうで、どんな下着穿いてるのかとか。あるよな? 好きとか嫌い以前に、おれのそういうプライベートな」


「か、からかわないでください! 僕だって、自分が先輩に対してどういうふうに、……自分でどう受け止めてるのか、混乱してるところだってあるんです」


 勝手に好きだと言ってきておきながら、来栖がどんなパンツを穿いているのか、女装しているならブラジャーは着けているのかなどを異常に気にして覗き見する男たちに比べれば、吾妻はずいぶんまともなようには思えた。

 まあ、西口さんにあんなに好かれてるわけだから、いいところはあるんだろうな。来栖は――さすがに――少し反省する。


「悪かったよ。ほら、スカート穿いたからこっち向きな」


 そう言われると、素直に振り向く吾妻。

 しかし。


「あはは、上は裸でしたー」


 来栖は上半身にはなにも着ていなかった。


「せんぱあああい!」


「ははは、悪い悪い。でも、これではっきりするだろ。どうだ。おれの裸を見て、どきどきするか? つまり、性欲的な意味では?」


「いえ……びっくりはしましたけど、そういうのは……」


「そうか。なら少なくとも、おれは君にとって、そういう対象ではないわけだ。男が好きってわけじゃないんだろ? 西口さんともつき合ってきたわけだし、恋愛対象は女子なんだな?」


 来栖にそう言われてうなずくのに抵抗があるようではあったが、吾妻はこくりと頭を縦に揺らした。


「なら君は、女性が好きで、たまたま女性のような恰好をしていたおれを見て、ほかのどの女性よりも好みのタイプどころかタイプとかどうでもいいほどブチ抜くくらい美しいおれを、好きだと思ってしまったわけだ」


「そう言われると身も蓋もないですけど……そうですね。本当に、見た目だけで好きになってしまったので」


「西口さんは?」


「え?」


 うつむき気味になっていた吾妻が顔を上げる。

 来栖と目が合った。

 しかし、今度はのぼせる様子がない。


「西口さんとは、どこがよくてつき合ってたんだ?」


「それは……。僕は昔から要領が悪くて、よくクラスでもからかわれていたんです。みんな、たぶんそんなに深く考えてのことではなくて、ただ僕のリアクションが面白いから、遊びの延長みたいな感覚で」


「さっきは本当に申し訳ありませんでした」


 腰を四十五度に折る来栖。


「あ、頭上げてください。いえ、ああいう邪気のないものじゃなくて……結構、悪意的というか、傷ついてしまうような言い方をされることが、小六くらいからだんだん増えていったんですよね。そんな時、佐奈がいつも助けてくれたんです。力が強くて体が大きい男子にも、そんなことはやめろと一喝したりして」


「ふうん? それで、君から告白を?」


「いえ、佐奈から。自分で言うのはなんですが……意地悪してくる相手にも懸命に向き合って、折れない僕の様子を見ているうちにだんだん、気に入ってくれたらしいです」


「そう言われると、確かに精神的なタフさは魅力かもなあ」


 さすがに寒くなってきたので、上を着ながら来栖が言う。


「佐奈ってきっぱりしてる性格ですけど、それがむかつくっていう人も男女それぞれにいるんですよね。それで嫌がらせされて、つらい思いをしていたのもあったようです」


「ははあ。似たような境遇で、心が折れないどころか正面から相手する君の姿が、格好よく映ったわけだ。で、君も、そういう彼女に心を開いていったと」


「最初は、冗談じゃないかと思いましたけどね。どうして僕なんかをって……うわ!?」


 いきなり、小屋のドアが開いた。

 そこには、三人ほどの、高校生と思しき男子が立っている。

 全員胸まで水に濡れているので、水上コースで落下したらしい。


 服装は黒い革のジャンパーや黒いシャツ、黒いジーンズと黒尽くしだったが、髪の毛は全員揃えたように金髪にして逆立てている。

 顔は三人とも全然似ていないが、そうでなければ三つ子だと思ったかもしれない。

 そのうちの一人が口を開いた。


「うお、あれー? この寒いのに水に落ちて最悪だと思ってたら、めっちゃかわいい子いるじゃん。君らきょうだい? なあボク、お姉ちゃんちょっと借りてもいいかあ?」


 そして、三人とも似たような、にやにやと見苦しい笑顔になる。

 来栖はかろうじて舌打ちをこらえた。


 自分に好意を持っているかわいい年下の少年と、それなりに楽しく恋バナを語らっているところを邪魔しやがって。あー、服着といてよかった。

 こんな連中骨抜きにしてやるのはわけないが、そのためには無駄なヘイトは稼がないようにしないとな。

 とっておきの笑顔を放つために、いったん髪の陰に表情を隠した、その時。


「ふざけるな。この方は、あなたがたに貸し借りできるような人じゃない」


 そう言った吾妻が、来栖と三人の間に割り込み、仁王立ちしていた。


「お、おい!? 無茶はよせよ」


「大丈夫です。先輩は、そこにいてください。戦いは男の仕事ですよ」


「いやだからおれも男――って、前!」


 三人のうち先頭にいた一人が、「おいおいおい、はいはいィ~!」と謎の感動詞を唱えながら小屋に入り込んでくる。

 振り向きざま、吾妻はその男の右横に滑り込むと、襟を取り足をかけて、大外刈りの要領で床に転がした。


「うえっ!?」


 続けざまに、今度は小屋の入り口のすぐ外に立っていた一人を背負い投げで地面に落とす。

 大外刈りではさしたるダメージがなかったらしい最初の一人が再び飛びかかっていったが、吾妻は突き出された男の腕を取って一本背負いで土の上に叩きつけた。

 この時投げられた男は両かかとを地面で強く打ったようで、足を押さえてうめいている。


「三人とも動けなくしたほうがいいですか?」


 吾妻がそう凄むと、残った一人は二人を引きずって這う這うの体で逃げていった。


「もう大丈夫です、一ノ谷先輩」


「お……おう。今のなに? 柔道? 君、強いんだな」


「ボクシングや空手でもよかったんですが、なにかあった時、自分と周りの人の安全を守れる技術を身につけておきたいなって思ったんです。試合以外で使ったのは、今が初めてですけど」


「立派な心がけじゃないか。おれ少し空手やってたけど、そんなこと考えたこともなかったな」


 すると、吾妻は苦笑した。


「そんな。こんなの、自信のなさの表れですよ。一ノ谷先輩はとても堂々として、自信にあふれているじゃないですか。僕には、そのほうが立派です」


 そうか? と来栖は首をかしげる。


「今の、見た目には圧勝だったけど、場合によっては君がピンチに陥ったかもしれないよな。相手だってなにかの有段者かもしれないんだし。それでもすぐに戦う覚悟が決まるのって、見上げたもんだと思うが」


「それは、先輩がそうしてでも守るだけ価値のある人だからですよ。僕だって、博愛主義者じゃありません。見下げ果てた人を守るために同じことができるかと言われれば、怪しいです」


 きまり悪げに、吾妻が頬をかく。


「……そうか。そこまで言ってくれる君には、気を持たせるようなことはできないな。吾妻くん、おれは君とつき合うことはできない。告白は、断らせてくれ」


「……はい。たぶん、そうなんだろうなって思ってました。今日一緒に過ごしてくださったのは、そのためのワンクッションですよね」


 今度は来栖が苦笑した。


「さすがに、そこまで決めつけてたわけじゃないよ。こうして過ごすことで特別な関係に進む誰かがいるかもしれないって、一パーセントくらいは思ってる」


「九十九パーセント側に行ってしまって、残念です」


「そう。君には悪いが、おれと君とは、まだその程度の関係だ。……でも君には、そんな数字には当てはめられない相手がいるんじゃないのか」


 吾妻が息をのむ。


「……佐奈のことですね」


「そうだ。……日が傾く前に、行こうか」


 二人は歩き出した。

 少し風がある。まだ太陽の位置は高いが、西日の時間になれば一気に体感温度は低下するだろう。


「おれを守ってくれたのは、おれにそれだけの価値があるからだと言ったな。いくら気が強くても、格闘技も身に着けていない小学生の女の子が、体格に勝る男子に食ってかかるというのは、君という人間に相当の価値を見出しているんだろうな」


「だから……それを恩に感じて、交際を続けろというんですか」


 さすがに、吾妻の目に、反抗の光がともった。


「違うよ。ただ、そんな相手を、少なくともないがしろにすべきじゃないっておれは思うというだけだ。人の気持ちを傷つけたら、表面上はどうあれ、なかなかその痛みはいえるものじゃない。特に、裏切りととられるようなやつはね」


「……先輩も、そういう思いをしたことが?」


「さて、どうだったかな。……いや、おれじゃないな。おれはそんな目には遭っていない」


 水上コースの出口をくぐる。パーク自体の出口も、すぐそこだった。


「言われたことは分かります、でも……すぐにその通りには、呑み込めません。僕は、あなたが好きなんですよ?」


「失礼を承知で言わせてもらうよ。確かにおれは、君の心を惹いたかもしれない。かつてない強度と感覚で、君の意識を虜にしたかもな。でも、それは恋愛感情とは限らない」


 出口ゲートのすぐ前で、吾妻が立ち止まった。

 来栖を見上げる。上目遣いに、睨んでいた。


「そのくらいのこと、僕だって考えました! 特に、あなたが男性だと知ってからは……それなのに、先輩が僕にそんなことを言うなんて」


「これはあくまでおれの見立てだが、それでも極力客観的な見地からの意見を言おう。君がおれに心惹かれたのは、見た目だけだよな。その通り、それがすべてだ。サモトラケのニケとか、フェルメールの真珠の耳飾りの少女を見て、どうしようもなく心を掴まれるのと同じだ」


「なっ……そ……!?」


「妻や恋人がいて、ルーブルやら国立西洋美術館の展示物に夢中になるのが、浮気か? 心変わりか? 絵や彫刻には心はない、おれも同じだ。見た目全振りの、見た目だけの評価がすべての、美術品のような人間なんだ。それを評価されるのはうれしいさ。だが美術品側に言わせてもらえば、いくら好きだと言われても、それを恋とは呼ばない」


 吾妻が、少し目を細める。

 険しい顔で厳しく言い募る来栖の体は、その迫力を体現するように、やや光り始めていた。

 たじろぐ吾妻は、それでも反論する。


「で、でもっ……そんなこと言ったら、世の中のひとめぼれはみんなそうなっちゃうじゃないですか!? ひとめぼれでなくても、見た目が素敵だなと思って始まる恋は、どれも濃いじゃないんですか!?」


 来栖は、軽く頭を抱えた。


「吾妻くん……君な……そこから説明がいるのか……? いや、今は冷静ではないだろうから、仕方ないか……」


「なんだと言うんです!?」


「今は、おれの話をしているんだ! ほかのひとめぼれやら見た目きっかけの恋っていうのは、その人たちにおいてのことだろう!? 当然あるよ、マッチングアプリだろうが学校の同級生だろうが、多くの恋が外見から始まるだろう! それからいろんな相性や、気立てなんかが知れて行って、どんどん恋は深まっていく。だが、お れ は 違うんだよ!


 一度腰を落として重心を安定させようとした吾妻だったが、それでも、光量を増す来栖に気圧され、後ずさりしてしまう。


「いいか。おれは見た目だけが他を圧して魅力的でも、それだけ(・・・・)なんだ。それに始まり、それに終わってしまう。モナ・リザに心酔した人間がそれを強奪して自分のものにしようと企てた時、モナ・リザの人格なんか気にするか!? しないよな! 君が、おれの人格なんかどうでも構わないからつき合いたいと言ったようにだ……!」


 いつしか、吾妻の後ずさりはその歩数を増やしていき、気がつけば吾妻の体は出口ゲートを超えていた。来栖はその場から一歩も動いていないというのに。


「おれと君は、違う人間だ。だからおれの今の話で全部説明できたとは思わないし、理解してくれなくても構わない。ただ、……」


「いえ……分かりました。少なくとも、自分のすべきことは。考えなしに行動すべきじゃなかった。人の気持ちを、汲みもしないで……」


で、西口さんはあれからずっとおれたちをつけていたわけか」


「つけたたなんて。大変だったんですよ、二人の死角をキープしながら会話が拾える位置にい続けるの」


「めちゃくちゃ接近してるじゃねえか。気づかなかったなあ……。とりあえず、吾妻くんなりに考え直すみたいだから、うまくいけば戻ってくるだろうよ。そうじゃなかったら、知らんけど」


 そう言われて、食ってかかってくるかと思ったが。


「いいんです。充分です。あとは、あたしたちだけの問題なので」


「ん。そうだな。……なんだよあやめ、おれのことじっと見て。なにか言いたいことあるのか?」


 あやめは、もじもじと来栖を見上げている。


「言いたいこと、というか……」


「なんだよ。はっきり言いなよ」


「で、では……。クルスって、あんなふうに思ってるんですか?」


「なにが?」


「自分のことを……サモトラケのニケとか、フェルメールとか……」


 どうやら佐奈だけでなく、あやめもほとんどのボーイズトークを拾っていたらしい。


「えっ!? い、いやそれば、その言葉の綾というか物の例えみたいなもので」


 佐奈が横から首を突き出してくる。


「あとモナ・リザって言ってました。自分のこと、大真面目にモナ・リザって言う人います? モナ・リザですよ?」


「やっ……やめろおお!」


「クルス……大きく出るなあって……私……」


 来栖が頭を抱えてしゃがみ込む。


「やめてくれえ! 許してくれっ! 出来心だったんだ!」


「あと一ノ谷先輩、出口のとこで光ってましたよね。ここにきて吾妻くんを篭絡しにかかったのかって、びっくりしちゃいましたね」


「篭絡って言うなっ!」


 だが、佐奈はジト目になってうめいた。


「篭絡じゃないですか。いいですよねー、真珠の耳飾りの少女は、男の子を手玉にとれて」


「やめろって言ってんだろ! 篭絡してるんじゃないッ、知らないやつらが勝手におれのことを好きになるんだ!」


 来栖にすれば、正直な気持ちをこの上なく正確に言葉にしたのだが。

 女子二人は、なぜか、ずざっと後ずさった。


「な……なんだよ?」


「聞きました? 壇ノ浦先輩……」


「き、聞きました……凄まじいセリフです……少なくとも私は生涯、口にすることはなさそうな……」


 そして、二人は声を揃える。


「知らないやつらが、勝手におれのことを好きになる」


 もう許してください、と来栖はこの日二回目の最敬礼を敢行した。


 そうしてようやく佐奈が帰り、来栖とあやめの二人になった。

 家が近いわけではないので、そのまま別れてもよかったのだが、来栖がやけに後ろ髪を引かれてしまった。


「あやめ、時間があれば、少し寄り道につき合わないか?」


「えっ……は、はい、喜んで」


 若干返事が戸惑い気味だったのは、気になりつつも。


「よかった、じゃあ行こう……って、あれ?」


 よく見ると、あやめは笑顔だが、微妙に動きがぎこちない。


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