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第三章 一ノ谷来栖は暴力的な男を変えてみる 3

「おいササラ、どこ行くんだよ! おい!」


 その声を背中で受けると同時に、来栖は佐竹へ向き直った。

 ワイシャツ姿になった佐竹が、「ま、お前から片づけんのが先か」と首を左右に揺らしている。


 その佐竹に、来栖が言い放った。

 地声ではなく、訓練して身に着けた、中世的な丸みのある声で。


「裕也くん、こんなところでやめようよ」


「あ、あんだコラ、どこから声出してやが、……裕也くん?」


「お店の前だと迷惑だしさ、おれ、裕也くんとはもっと別の話がしたいな」


 あからさまにへつらうような態度では、行き詰まることが分かっていた。

 来栖は、男に媚びるようではなく、しかしそこかしこに甘さを湛える絶妙な角度をつけた、異性からの誘惑というよりは友愛を伝えてくるポーズで、佐竹に歩み寄った。

 来栖の骨格で、ことに全身をさらした上では、いくらポーズを工夫しても完全に女性と見まがうばかりの見た目にはなりにくい。しかし、女性らしさをまといながらも男性――同性の気安さを前面に押し出した動作は、唯一無二の存在感を持って佐竹を圧倒した。


 このオーラを出せるまで、姿見の前でさんざん練習したのは誰にも内緒である。

もっともその時は、美の追求の一環でやってみたのであって、こんな使い方をするとは思ってもいなかったが。


「べ、別って、なんの」


 佐竹の強張った肩から、毒気が勢いよく抜けていくのが分かる。

 そして残るのは、別のものだ。


 ――許せよ、小仏さん。


「おれ、佐竹くんと、今日だけ一緒に、どこかに寄って帰りたいな。だめかなあ、友達デート」


 そこで、笑顔とともに光を放つ。

 物理的には存在しない、不可視のはずの光が、しかしその場に居合わせた全員に確かに見えた。


「でっ……デー、お、お前、いきなりばかなこと言ってんじゃねえよ! ま、まあ、話くらい聞いてやんないこともねえけど」


 やっぱりだ。この男、前からおれを知ってるようだったが、それだけじゃなく――ちょっと気がある。来栖はそう確信した。ほかの女に目移りはしなくなったはずなだが、おれは男だしな。


「ありがとう! じゃ、上着着ようね。そうだな、駅前のモールにでも行かないか。お茶でもおごるよ。おっと、夕飯前だからまずいかな」


「はあ? そんなん余裕だわ」


「さすが、それでこそ男さ! それじゃ行こう」


 来栖は、佐竹の右腕の裾をつまむと、ショッピングモールへと歩き出した。

 なすすべなく着いていく佐竹。

 残されたササラが、ぽつりとつぶやいた。


「……あたし……一ノ谷くんに、彼氏取られた……?」



 ショッピングモールの中は、それなりに混雑していた。週末になると人を避けて歩かなくてはならないくらいに混むのだが、平日の夕方ならそこまでではない。

 駅の向かいに建てられた六階建てのビルで、食品に服、日用品からブランドもの、もちろんレストランやカフェに至るまで、大抵のものがここで揃う。

先日の追いかけっこがあったために少しあたりを警戒しつつ、来栖が佐竹を伴って最初に向かった先は、コスメショップだった。


「え、まじで化粧品なんか見るのかよ……」


「もちろん。佐竹くんは、メイクしないのか?」


「するわけねえだろ、男が」


「そうか? 佐竹くんは化粧映えすると思うけどなあ」


 なわけねえだろ、とまんざらでもなさそうに横を向く佐竹を連れて、来栖は売り場をめぐっていく。


「よお、なに買うか決めてんのか?」


「んー、リップかな。ちょっと色強めのやつ。あと乳液」


「……ここ、違うんじゃねえのか。なんだよ、コンシーラーって。化粧水って、乳液と違うのか?」


 商品を見ていた来栖が、ぱっと体を起こした。

 正面から佐竹の顔を見据え、にこっと笑う。ついでに光っておく。


「お……おう。なんだよ?」


 眩しそうに目を細める佐竹の、胸襟を開かせたところで。


「違うに決まってるだろ!?」


 一気に怒り顔へ。声自体は大きくないが、裂帛の気合が伝わる声音。あくまで、例の丸みのある声を使うのがポイントだ。

 狙い通り、佐竹は心の防御力がゼロに等しい状態で、来栖の叱責を受けた。

 普通ならば反撃に出るであろうところで、一瞬で完全に来栖の勢いに飲まれてしまっている。


「スキンケアもベースメイクもポイントメイクも、使う道具も違えば当然その道具の役割も全然違う! そんなことも分からないのか!」


「い、いきなりそんなこと言われて分かるわけねえだろ! んなに切れるとこじゃねえだろ?」


「信じられないな、なんて無神経さだ。……まあいいだろう、リップを見よう」


 そして、二人は売り場を移動した。

 来栖が、普段使っているものよりも赤色の強い一本のテスターを手に取る。


「よし、これ試させてもらうか」


「ああ、試供品ってやつか」


 来栖が、佐竹の顔を覗き込む。


「ああ。つけてくれ」


 にっこりと笑顔。同時に、光をさんさんと放つ。


「…………は?」


 再び、相好を崩し、あっさりと防御力ゼロになる佐竹。


「は? じゃない。つけてくれ、おれに」


「おれが?」


「君が」


 来栖が、テスターを佐竹に渡した。

 佐竹は震える手でそれを受け取ると、「つ、つけるって……」とつぶやく。


「どうした? 早く塗ってくれ」


 微笑む来栖の唇が、柔らかく三日月型を描いている。


「お……おう。分かってるよ、塗る。塗る、だけだもんな」


 二人の目と目が合った。

 来栖の目力による引力に、佐竹がなすすべもなく引き込まれていく。

 そして、テスターの先が来栖の唇のほんの数センチ先まで近づいた時。


 ぱしいっ! と音がして、佐竹の手から、テスターがひったくられた。


「うお!? な、なんだ!?」


「なんだじゃない! いきなり唇に塗るやつがあるか! 手の甲に塗るんだよ!」


 来栖が、テスターの先をびしりと佐竹に突きつけてから、左手の甲に赤色を塗る。


「だ、だからそんなの分かんねえって! 化粧なんかしたことねえんだからよ!」


「下調べしておけばいいじゃないか!」


「いきなりここ来ようぜって言われて、そんなすぐ調べられるわけねえだろ!? それにここ来たいって言ったのお前なんだから、おれが知らなくても別に悪かねえだろうが!」


「ふん、まったく気分を害してくれる! もうコスメはいい、さっき紅茶しか飲んでいないから小腹がすいたな。なにか甘いものでも食べに行こう。食べられるか?」


「た、食べられるけどよ。なあ、お前って普段そんな感じなの?」


「なんのことだか分からんね! さあ、さっさと行くぞ」


 有無を言わさずに、来栖は、最上階にある甘味処に佐竹を連れ込んだ。ここもそこそこ混んでいたが、二人席が一つ空いていたのでそこへ入る。

 そしてメニューを開いた来栖が、すぐに写真を指差した。


「では、おれはこの、いちごクリームあんみつあんずみかんパインのせ、それと紅茶にしよう」


「あー……んじゃおれ、チョコアイス。コーラで」


 店員さんが注文を控えて、厨房へ向かった。


 ここで、すかさず笑顔。プラス光。懲りずに崩れる佐竹の相好。

 それを確認してから、がん、と音を立てて来栖が立ち上がった。


「男のくせにチョコレートとは、軟弱が過ぎるな!」


「嘘だろ!? て、ていうか座れよ! 人が見てんだろ!」


「見ていたらなんだ!? そんなことより、おれの怒りのほうが正当かつ重要だよ! こんなに果物をのせたら、いちごクリームあんみつじゃなくなってしまう! あと紅茶さっきも飲んだし!」


「自分で頼んだもんは自分のせいじゃねえか!? 自業自得だろ! むちゃくちゃ過ぎんだよ! いいから座れって!」


 確かに、周囲からの視線は、来栖も感じてはいた。

 だがその視線というのは、ほとんどが「やたらきれいな女装した男の子が、怒った顔も麗しく、絵になる姿で凛々しい。素敵」というものだったので、放っておいてもよさそうだった。


「もういい。おれは帰る。じゃあな、佐竹くん」


「うっわ、『もういい』と『帰る』は女の吐く中で最低のセリフだわ……」


「あいにく女じゃないんでな。それに、君のとって最低かどうかはどうでもいい」


「……おい。もう、帰んのは止めねえよ。でも言いたいことだけは言わせてもらうわ」


 それまでどこか遠慮があった佐竹の態度が、明らかに変わった。

 聞きましょう、と来栖は立ったまま佐竹を見下ろす。


「お前さ、人間って理性の生きもんだろ? お前があんまり切れまくるからおれがおとなしくしてたけどよ、おれまでぶち切れて騒ぎになっても構わないのかよ? 一緒に来てるもんにそれくらいの気い遣えや」


「ほお。理性。一緒にいる者への気遣い」


「そうだ。どんだけ自己肯定感高いのか知らねえけどよ、それに甘えて人を雑に扱っちゃだめだと思わねえの? いきなり無茶言い出しておれの対応が気に食わなかったら切れるとか、自業自得のことでおれに切れたりとかよ。はっきり言って、すげえ気分悪いぜ。おれがおまえに一目置いてたの分かっててやってんなら、人の好意を利用しててゲスいしよ」


「ほほお。いきなりの無茶ぶりや、自業自得なことに切れるのは、気分が悪いと。人の好意を利用するのは、ゲスなわけだ」


 佐竹が、舌打ちして顔をしかめる。


「なんだお前、いちいちリピートすんじゃねえよ。今のおれの話、どっか間違ってるか……。はっ!?」


 佐竹は突然、自分の手を見下ろしながらわなわなと震え出した。

 手を見ているというよりは、なにかを考え込んでいるポーズなのだろう。それを見た来栖が席に座りなおすと、そこへ店員がトレーを持ってやってきた。

 トレーには、果物を満載したクリームあんみつと紅茶、チョコレートアイス、それにコーラが乗っている。


「お待たせいたしました」


「ありがとうございます、いただきます!」


 来栖は笑顔でそれらを受け取ると(ついでに少し光ってしまった気がする)、自分の分と佐竹の分を分けてそれぞれテーブルの上に配置した。


「おれは……おれは……今まで……あの時も……あの時も?」


 そうつぶやきながらまだ震えている佐竹をよそに、来栖はあんみつにスプーンを入れて、こしあんとパインを口に運んだ。

 それから熱い紅茶を飲むと、あんみつの味わいと紅茶の香りが互いに互いを高め合い、最高の食味体験が訪れる。


「どうでもいいけど佐竹くん、アイスが溶けるぞ。コーラも炭酸抜けるし」


 それでもアイスに目もくれない佐竹を見つつ、来栖は、さてこれで少しはましになるかな、と胸中で独りごちた。

 ようやく佐竹が顔を上げたので、来栖はすでに半分ほど食べ進めていたあんみつをたぐる手を止め、訊いてみる。


「なにか、思うところはあったか?」


「さっきお前とここに来てから今までずっと、お前のツラに免じて言うこと聞いてやってきたけどよ。おれの腹の底じゃ、むかつきが収まらずにぐらぐら煮立ってるのよ。マグマのようにな」


「マグマ……あれって煮立ってるのか?」


 来栖はいちごとバニラアイスを同時に口に入れた。乳製品といちごの相性というのは空前のものがあるな、と思う。


「うるせえ。お前もう、おれの中の好感度ゼロだからな。……で、お前、ササラとどんな関係なんだよ?」


「もう少し早くその質問が出ないものかと思ってたよ。ただの知り合いだ。まともに話すのも今日が初めてで、君に勘ぐられるようなことはなにもない」


「そうかよ。……じゃああんま知らねえかもだけど、ササラは腹に溜め込まずになんでも言うやつでな」


「いや、その辺はすでにだいぶ理解している。それに、……そういう人でも、できる我慢はしてしまうものだろう。慣れていないと、なおさらつらいだろうな」


「そ、そうか。そうかな……」


 佐竹はようやくスプーンを取り、表面が溶けてしまっているチョコレートアイスをすくう。

 ぎりぎり、食べごろには間に合っていた。

 来栖は、これで様子を見てみるかな、と紅茶に添えられていたティポットから二杯目をカップに注いだ。


 人間は理性の生き物、か。

 少なくともほんの一片くらいはそいつが残っていたようで、よかったな。

 紅茶の水色は、いくらか最初の一杯よりも明るく感じられた。



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