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第三章 一ノ谷来栖は暴力的な男を変えてみる 2

 佐竹が犬歯をむき出しにした。


「ああ!? なんでおれが、勝手にしゃしゃり出てきたやつなんかに!」


「その、出てきた女を殴ったんだ。腕力に自信があるからこそ、思うところはあるだろ?」


 さすがに佐竹にも罪悪感があったようで、ぐう、と低くうめいた。

 今だ、と来栖は察知した。今初めて、わずかに、佐竹の心のガードが緩んでいる。


 来栖は口角を上げ、にっこりと微笑んで小首をかしげた。

 上目遣いになって、声にも心もち丸みを持たせる。


「なあ、いいだろ? おれのことは許さなくてもいいよ、だが彼女にしたことはそれとは別なはずだ。単純な、ごく単純な話なんだ。傷つけるつもりじゃなかった、それも女の子に、その勇壮な拳が当たってしまったんだ。おれは、そのことだけを言ってるんだよ」


「くっ……うぐ、ゆ、勇壮って、だからほとんど止めてたし……まあ、なんだ……その」


 たたらを踏む佐竹の横で、ササラが手を顔の前にかざしながら、目を丸くしていた。


「え、なに……なんか光ってるんだけど……」


 佐竹は悔しそうに口の中でもごもご言っていたが、ついに答えた。


「わ、分かったよ。悪かった。男女にボディ入れられたのは許さんけど、女のほうはな。……おい、ササラ行くぞ」


 佐竹はササラの手を引いて、そそくさと去っていった。

 周りにいた生徒たちは、口々になにかはやし立てていたが、来栖はそれに構わずにあやめとともに駅へ向かう。


「とんだアクシデントだったなあ。あやめ、肩平気か? 本当、ごめん」


「もう、なんでクルスがあやまるんですか。向こうも私に気づいて寸止めみたいになってましたから、全然大したことないです。クルスこそ、おでこ、ちゃんと冷やしてくださいね。病院とか、行ったほうがいいのかな……」


「いや、おれもそこまでクリーンヒットしてないから平気だ」


 実際、額はすりむいてもいない。


「でも、意外でした。ああいう時、顔を的にかけさせるようなことするなんて。もっと自分の体を大事にしないとだめですよ」


「そっくりそのままお返しするが。それにあの場合、キッチリ言い返してやらないほうが美しくないだろう」


 改札の前まで来て、あやめがつぶやいた。


「いろいろ基準があるんですね……」


「いや、実のところ『その時の気分による』くらいの意味しかないけども」


 あはは、とあやめが笑う。


「でも、そういう判断基準に、クルスの考え方が出てるんだなって思うと、いろんな一面が見られてうれしいです。……あ、うれしいと言えば」


「うん?」


「私、男の子に守られたのなんて、初めてでした。危ないところではあったし、クルスには悪いのかもって思うんですけど、……うれしかったです、なんだか」


「全然悪くないよ。そうだ、おれも、女の子に守られたのなんて初めてだ。うれしい、というのとは少し違うけど……あやめのそういうところ、好きだよ」


 来栖はその言葉を口にするのに、なんの意識もなかった。

 だから、自分がなにを言ったのか気づいてもいない。


「へっ!? す、好っ!?」


 なぜかあやめがかばんを握りしめたので、中身が重いのかななどと思いつつ、来栖は首をかしげながら言った。


「でも、もうだめだぞ。か弱い身で、あんなこと。世の中、道理や良識が通じないやつなんていくらでもいるんだから」


「は、はい。……ふふ、なんだか私、女の子みたいですねえ」


 来栖が、今度は逆方向に首をかしげる。あやめは、どう見ても女の子だが。なにが原因なのか、今はちょうど赤面しているので、なおさらにかわいらしい。


 かわいい。まずいな、なんだこれは。どんどんかわいいぞ。


 それから、それぞれのホームへ上がっていく。

 階段を上がる直前に見たあやめの笑顔が、屈託がなくて、印象に残った。


 ホームに出ると、正面に、あやめもちょうど上がってきていた、

 小さく手を振り合う。

 それからあやめが、なにかもじもじと体を揺らし始めた。

 どうかしたんだろうかと、来栖があやめのほうのホームへ向かおうとした時、あやめが両手をメガホンの形にして、叫んだ。


「繰り返しになりますが! 本当に今日は、ありがとうございました! うれしかったです!」


「あ? あ、ああ! おれも――」


 あやめ側のホームに、電車が滑り込んでくる。

 おそらく聞こえないだろうが、来栖も、乗り込んだ電車のドアの窓からこっちを見ている、まだ赤面しているあやめに叫んだ。


「――おれも、あやめと帰るの楽しいよ! ありがとうな! またな!」



 そんな妙なことがあった翌日。

 来栖の目の前で、ピンクのメッシュが入った金髪が揺れている。


「一ノ谷くんさ、あたしに力を貸して欲しいの。話せば長いことなんだけどさ」


「……まあ、おれにできる範囲のことでならやぶさかではない……が、もう予鈴鳴っただろ」


 昨日の『妙なこと』の一因となった女子が、来栖の目の前に、腰を九十度近く曲げて立っている。

 椅子に座っている来栖の顔を覗き込むような格好だ。

1-A教室のクラスメイトが、何事かと来栖のほうを見やっていた。


「平気平気、あたしのクラスすぐ横だから。あたし登校するの予鈴とほぼ同時だから、今逃すと次の休み時間になっちゃうでしょ」


「だからそれでいいんじゃないのか」


「だめだよ、人は捕まえられる時に捕まえないと。でも、とりあえずオーケーもらえてよかった。じゃ、次の休み時間ね」


 ササラが腰を伸ばし、くるりと背を向けた。


「ややこしそうなことなら、もう少しまとまった時間に話したほうがいいんじゃ」


「だーいじょうぶ、五分も十回集めれば五十分になるでしょ」


 来栖が、一日に授業も休み時間もそんなにないが、という前にササラは去っていった。

 ほぼ同時に担任が教室に入ってきたが、教室の中は、低いざわめきが鳴りやまない。


「ギャルだ……」「ピンク髪のギャル……」「スカート短っ……」


 力を貸す、か。

 いきなり言われても、来栖にはなんの見当もつきそうにない。

 ……いや。


「十中八九、あの男がらみのことだろうな……」


 その見当は大当たりだった。



 結局、その日の昼休みを含めたすべての休憩時間を費やして、ササラが相談してきたことというのは、果たして佐竹裕也のことだった。


 いわく、


「とにかくさあ、すぐ切れるわけ! こーんなどうでもよさそうなことで、即切れのまじ切れ! あ、予鈴鳴ったわ。じゃあねー」


 いわく、


「こないだなんてさ、週末に泊りがけで旅行行こうぜっていうから、そんなに急には無理って言っただけでブッチブチでさあ! ありえんくない!? あ、予鈴だ。じゃあ昼休みにね!」


 いわく、


「わー一ノ谷くんのお弁当、おにぎりでっか! 豪快ー! あそうそうそんで、自分でセットしたアラームの音がうるせえって切れんの! 信じらんなくない!?」


 この調子であっという間に放課後になり、断片的にまくしたてられながらも、なんとか来栖がとらえた文脈としては。


「つまり、小仏さんは、あの佐竹の切れやすさをおれになんとかして欲しいわけだ」


「そうそう! さっすが一ノ谷くん、話分かるー!」


 1-A教室は、部活なり帰宅なりで、残っている生徒はほんの数人だった。声量の大きいササラの声に、何度かちらちらと視線が送られてきているのを感じる。


「分からいでか。しかしなんとかって言ったって、他人の人格なんて変えようがないぞ」


「そうなんだけどさー。でもほら、昨日、一ノ谷くんが最後に裕也を丸め込んで言うこと聞かせたじゃん?」


「丸め込んだわけじゃないが、まあそうだな」


「あたしあんなの初めて見たもん! 裕也が切れてる最中に自分から謝るなんてさあ。だから一ノ谷くんなら、あいつのことちょこっとだけでも変えられるんじゃないかと思うんだよね」


 まあ、おれの光が少しでも通じる相手であれば、糸口くらいはあるか。

 すっかり当たり前に、自分の放つ謎の光を受け入れてしまいつつ、来栖は胸算用する。


「この間と同じやり方が通じればいいんだけどな。なあ小仏さん、君的には、おれと佐竹が二人で出かけても平気か? 一応、女の格好してるわけだけども」


「え、いいよ全然」


「ところで、あいつの人となりについて、『切れやすい』以外にも聞いておきたいんだが。その前に、君、あいつのどこが好きなんだ?」


 んんー……とササラが口をとがらせて考え込む。


「なかなか出て来ないもんか、こういうのは」


「あ、そんなことないよ。むしろ結構あるんだけど、どれとどれにしようかなーみたいな。ちょっと長くなっても大丈夫?」


 来栖としては、それはいいのだが、あまり二人で教室に残っていて、佐竹にそのシーンを見られでもしたら面倒かなとは思う。


「小仏さん、佐竹と一緒に帰ったりしないのか?」


「昨日けんかした時、今日一日話しかけないでって言ってあるから平気」


「昨日、手をつないで一緒に帰ってたじゃないか?」


「だから、昨日はいいの。今日はだめ」


 思い出し怒りみたいなものか、と来栖は勝手に納得する。

 しかしそれだとなおさら、二人でいるところを佐竹には見られたくない。


 がたん、と来栖は席を立つ。


「紅茶でも飲みに行くか。……駅から少し離れたところへ」


 そうして二人でやってきたのは、アフタヌーンティで有名な、小ぢんまりしながらも趣味の良さで人気のあるティールームだった。


「一ノ谷くんて……こういうところ、誰と来るわけ?」


 白を基調に、淡いブルーとさらに淡いピンクで彩られた店内は、さながら天使の部屋のようだった。

 西日がレースのカーテンで弱められ、優しい木漏れ日のように差し込んでいる。

 二人の席は窓際だった。外には雑踏が行き交っている。


「たいてい一人かな」


「ここ、一人で来るのきつくない? あー、でも一ノ谷くんならいいのかな、そんな感じで」


「どんな感じに見えてるか知らんが、一人だからこそ気楽なもんだよ。じゃ、教えてくれ。佐竹の好きなところと、人となり」


 来栖が頼んだアールグレイと、ササラの分のミルクティが運ばれてくるまで、ササラは期間準のようにしゃべり続けた。


「だからあ、普段は女なんて興味ないですーって顔して、一学期のころからチラッチラチラッチラ女子見てんのがばればれだったわけ。それが、あたしとつき合い出してからはぴたっとなくなって。これ逆に一途だと思わない? 男って道行く女をめっちゃ目で追うじゃん? それがなくなったんだからいいじゃんって思ってさー」


「逆かなあ。まあでも、改善といえば改善か」


 来栖には、少なくともこれまで自覚はなかったが、女性を無遠慮に目で追わないように気をつけようとは思った。


「それにー、あたしの誕生日の夜にあいつ原チャリであたしを町はずれの丘まで連れてってさあ、金ないから夜景見せてやるって言ってー、でも町が近過ぎるもんだからパチンコとかスーパーの看板モロ見えで、別に全然ロマンチックじゃないけど気持ちがうれしいっていうかさー」


 句点をほぼ挟まずに話を続けられる才能には舌を巻きながら、来栖はティカップとソーサーを持ち上げて言う。


「ひとまず、君があの男を本当に好きなのは分かった。それに、彼には美点もいくつかあることも」


 紅茶の温度は飲みごろになっていた。この店のベルガモットの鮮やかな香りは、ともすれば病みつきになりそうだ。


「あー、伝わった? だから好きなとこはいっぱいあるし、無理に性格変えろってつもりはないんだけど、やっぱあんなにすぐ切れてたら自分も相手も損するじゃん?」


 さすがにのどが渇いたのか、ササラもミルクティを一口飲む。使っている葉はアッサムのはずだ。今度自分も頼んでみよう、と来栖は胸中でひそかに決めた。


「その思いやりはもっともだ。昨日は印象の悪い男だと思ったが、大切に思われているもんだな」


「そりゃねー。てか昨日はほんとごめんね、あの子大丈夫だったかなあ」


「ああ、当たる直前でだいぶ拳が減速していたらしい。本人としては大した衝撃ではなかったと言っ……」


 そう言いながらカップとソーサーをテーブルに置いたところで、来栖の言葉が止まった。


「ん? なに、どうかし……」


 ササラがカップから顔を上げ、来栖の視線につられて、窓のほうを向く。

 二人は、窓の外の光景に釘づけになった。

 そこには、佐竹裕也が肩をいからせて立っていた。


 佐竹の口がぱくぱくと動く。声は窓に阻まれて伝わっては来なかったが、


「おお、『てめえササラとなにしてやがる』って言ってるな。凄いぞ、唇の動きだけでちゃんと読み取れる」


「ほんとだ。裕也ってめっちゃくっきり口動くんだよねー」


 平然と会話を続ける二人に、さらに佐竹のボルテージは上がっていく。

 だが、佐竹の赤みが差した顔は、どうも怒りだけによるものではないように、来栖には見えた。


(……昨日も思ったけど。こいつ、もしかして……)


 来栖は、伝票をとって席を立つ。


「出るか、小仏さん。この男、窓を割りかねないな」


 二人がティルームを出ると、佐竹が待ってましたとばかりに眼前に立ちはだかった。


「来栖お前、俺の女とどういうつもりだ? ササラもだ、おれはだめでこいつと会うのはいいのかよ?」


「だってー」


 ササラをかばうように来栖が立っているのがさらに気に入らないらしく、佐竹は今にも飛びかかって来そうに見える。


「あんまり熱くなるな。小仏さんは、お前のためにおれと相談しに来たんだ」


「ああ!? わけ分かんねえよ。ちょうどいいや、昨日の決着つけようぜ。ここでやるか?」


 佐竹が制服の上着を脱ぐしぐさを見せた。その顔はさらに赤くなっている。

 いくら短気だといっても、来栖の前では特に行動が極端になるようだった。

 来栖は、ふう、と息をついた。

 そして、くるりとササラのほうへ振り返る。


「小仏さん、先に行っておく。おれは今から、この佐竹の気を迷わせる(・・・・・・)。どうか、気を悪くしないでくれ」


「へ? あ、うん? どゆこと?」


「それと、どこかへ身を隠してくれ。そのほうがスムーズにいく」


「んん?」


 頭に疑問符を浮かべながらも、言われたとおりにササラがその場を離れる。


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