第9話 まさかのCloacina
3連休の1日目。
わたしはまだパジャマのまま、机の上にノートと世界史の本とスマホを広げて、ひとり黙々と調べ物をしていた。
外は曇り空。窓を開けると、少し湿った秋の風が吹き込んでくる。
でも、そんなことはお構いなし。朝から何時間も、肛門と宇宙の関係について資料を漁っている。
「ふっふっふ……ついに辿りついたわ。人類の肛門観を変える鍵を握るのは、やはりローマ神話にいたのよ!」
昨日、美咲とクロキーナについて話をしたけど、あの後なんだか物足りなくて閉館ギリギリで図書館まで走り、数冊の本を借りてきた。
そして今朝、わたしはその中の一つ、世界史辞典を用いてクロキーナをそして肛門をさらに深掘りしていく。
下水道を司る女神――クロキーナ!
まさに“出口の守り神”!
宇宙と肛門をつなぐ究極のキーワードだ!
「人類は太古の昔から、肛門を宇宙のゲートだと感じ取っていたのね……!」
わたしは興奮のあまり、使い古しのノートの表紙に太いマジックでこう書き殴った。
『肛門宇宙論ノート 第2冊』
― クロキーナと文明の夜明け ―
そして、ページの冒頭にはこれだ。
> 【覚え書き】
> クロキーナ=ローマの下水道の守護神。
> つまり古代ローマ人は、汚物の流れ出る“出口”を神聖視した!
> 肛門=出口=世界の境界。
> 宇宙は境界から始まる。
書きながら、わたしはひとりでうんうんとうなずいた。
歴史も神話も、結局は人類が世界をどう感じたかの物語だ。
ならば、肛門を通して世界を見直すのは、まったく正しいアプローチだと思う。
……ところが。
「ふむ、念のため綴りも確認しておこう」
念には念を、とスマホで検索してみる。
“クロキーナ ローマ神話”と打ち込む。
すると検索結果の上に、見慣れない名前が出てきた。
――Cloacina
「えっ?」
目をこすってもう一度見る。
やっぱり“クロアキナ”と書いてある。
「……アレ? クロキーナじゃないの?」
慌てて図書館から借りてきた分厚い世界史事典をめくる。
ローマ神話の項にはこうある。
Cloacina――
Cloaca Maxima=ローマ最古の下水道の名に由来する女神。
サビーニ人とローマ人の和解を象徴する。
「クロ……アキナ……?」
わたしは目を点にした。
昨夜からずっと、クロキーナ様クロキーナ様とありがたがっていたのに、名前からして違うじゃないか!
「がーーーん!」
頭を抱えて机に突っ伏す。
昨日の夜に書き連ねたノートには、【クロキーナ教 聖肛門信仰】などと勇ましいタイトルが並んでいる。
全部書き直さなきゃいけない。
「やだもう……わたしってば思い込み激しすぎじゃない?」
でもページをめくるうちに、ふと笑いがこみあげてきた。
クロキーナでもクロアキナでも、結局“Cloaca”はラテン語で下水や排出口を意味する。
下水の守り神という点は同じだ。
「ふふっ……名前が違ってても、根っこは“出口”を神聖視する心なんだな」
わたしはペンを取り、ノートの一行目を書き直した。
> 正:クロアキナ(Cloacina)
> 誤:クロキーナ
> ※ラテン語Cloaca=下水・総排出口
> 肛門=個人のCloacaであり、生命と世界の境界
「クロアキナ様、ごめんなさい。勝手に名前を変えてしまって……」
窓の外を見上げると、さっきまで垂れ込めていた雲がわずかに切れ、光が差し込んできた。
まるで女神様が「気づけてよかったな」と微笑んでくれているように見えた。
そう思うと、また妄想がむくむくと湧き上がってくる。
「考えてみれば、人はなぜ排泄を“汚いもの”としつつも、どこか畏れを抱くんだろう……。
出口は境界。境界にはいつだって神が宿る。
海と陸の境目に海神がいて、森の境界に妖精がいて……ならば、人体の境界である肛門にも女神がいて当然じゃない!」
そう呟くうちに、筆が止まらなくなった。
妄想のスイッチが完全に入ってしまったのだ。
> 肛門はただの器官ではない。
> 食物が世界の外から入り、不要なものが外へ戻るゲート。
> ゲートは境界であり、境界には常に物語が生まれる。
> ならば、人類の神話はすべてゲートから始まったのではないか?
気がつけば、夕方になっていた。
机の上はさらにメモで散らかり、マグカップのコーヒーはすっかり冷めている。
でもわたしは頬をわずかに紅潮させながら、ページをめくり続けた。
「こうして人類は、文明の進歩とともに下水を整備し、やがてトイレの神様へと信仰が変わっていった……。
つまりクロアキナ様は、トイレの神様のご先祖さまみたいな存在なのかも……!」
ひとりごとの声がいつの間にか高揚している。
窓の外はすっかり夜になり、部屋の明かりがノートの紙を黄色く照らしていた。
「宇宙は膨張し続けているけれど、人間の体の中にも小さな宇宙がある。
出入口を通してつながっているなら……わたしたちは、どこから来てどこへ行くのか。
出口を考えることは、宇宙を考えることと同じじゃないかしら!」
そんな哲学じみた言葉をノートに書き殴り、わたしは深呼吸をひとつ。
「ふぅ……やっぱり3連休って最高ね。
明日もまだ休みだから、今日は夜更かししちゃおうかな♪」
ベッドに転がって天井を見つめると、不思議と星空が広がっていくように感じられた。
クロアキナ女神が天のどこかから微笑んでいる気がして、わたしは少しだけまぶたを閉じた。
――肛門は世界の総排出口にして宇宙の入り口。
そんな奇妙なフレーズが、子守歌みたいに頭の奥で反響しながら、夜がゆっくり更けていった。




