第1話 禁断の学術書
放課後の駅前は、制服姿の学生と、買い物袋を抱えた主婦たちでごった返していた。
その人混みの中を、あかりは一人で歩いていた。
(……今日こそ、買う……!)
カバンの肩紐を握りしめる手に、じんわり汗がにじむ。
目的地は決まっている。駅前ロータリーの向こうにある大型書店。
先日、光と一緒に来たとき見つけた、あの一冊を買うために。
(別に……別に変な本じゃない。うん。普通の本。学術書。研究のため……!)
心の中で必死に自分を説得する。
けれど、胸の鼓動は不自然に速い。
まるでこれから悪いことをしようとしているみたいだ。
自動ドアが開くと、冷たい空気とともにインクと紙の匂いが押し寄せる。
あかりは一瞬立ち止まり、深呼吸してから店内へと踏み込んだ。
(落ち着け……落ち着け私……!)
周囲を気にするように視線を動かしながら、足を学術書コーナーへ向ける。
文芸書、ライトノベル、漫画、新書……
どれも心をくすぐるが、今日は立ち止まらない。
(寄り道したら絶対買えなくなる……!)
そしてたどり着く、専門書コーナーの一番奥。
人影はない。
あかりはそっとしゃがみこみ、下段の棚を見つめた。
『肛門の歴史──人類と排泄の文明誌』
見つけた瞬間、心臓がドクンと跳ねた。
白い背表紙、太い明朝体の「肛門」の文字。
なんてストレートなタイトルなんだろう。
(これだ……これしかない……!)
指先でそっと引き抜く。
ページをめくれば、古代エジプトの座り式便器、ローマ時代の公衆トイレ、上下水道の発展史……
図解も豊富で、資料としても完璧だ。
(うわ……めっちゃ面白い……!)
そのとき脳裏によぎる、ひとつの重大な問題。
(……これ、レジに出すのか……!?)
ぱたりと本を閉じ、周りを見渡す。
幸い、まだ誰もいない。
(いやいや、別に……普通だよね? 健康や歴史の本を買うだけだし……)
しかし脳内に、妄想の店員が現れる。
『お客様……肛門の歴史……? えっと……趣味ですか?』
(ひぃぃぃぃぃ! 聞かないで! 趣味じゃないから!)
慌てて別の本も引き抜く。
『人類とトイレの5000年史』
『ウンログで読み解く排泄学』
『健康を支える消化器官の秘密』
(……どれも面白そうだけど……決定打がない!)
そして結局、また最初の一冊に戻る。
(やっぱりこれだ……! これしかない……!)
本を抱えて立ち上がる。
レジに向かうまでの道がやけに長い。
足音が響くたび、心臓が跳ねる。
(落ち着け……普通の顔……普通の歩き方……!)
そして、ついにレジに到着。
店員は無表情でバーコードを読み取る。
「◯◯円になります」
(あれ……普通?)
お札を渡し、お釣りとレシートを受け取る。
たった数秒のやりとりなのに、永遠に感じるほど長かった。
(終わった……いや、何が!?)
本をカバンに押し込み、あかりは店を飛び出した。
頬が熱い。
絶対、顔が真っ赤だ。
(絶対変な子だと思われた……!)
夕方の風が冷たい。
だけど、カバンの中の一冊はあたたかい。
(でも……買えた……!)
胸の奥で、得体の知れない喜びがじんわりと広がる。
ドキドキはまだ止まらない。
でも、それはさっきまでの不安や恥ずかしさじゃなく、期待の鼓動だった。
(今夜から読むぞ……! 人類と肛門の歴史を……!
これで私の肛門宇宙論は、次のステージに進める……!)
あかりは夕焼けの街を駆け抜けた。
カバンの中で、本が揺れる。
その重みが、未来への羅針盤のように感じられた。
過去作はこちら!
『真理と青春の肛門宇宙論』
星野あかりが宇宙と肛門の謎に初めて挑んだ青春妄想記録。
宇宙 × 肛門 × 青春の奇想天外な世界がここから始まる!
https://ncode.syosetu.com/n0656kz/