5作目:紫陽花
長く続いた雨の季節がやうやく終わりを告げ、空は抜けるやうな藍色を取り戻してゐた。アスフアルトの道は白く乾き、路傍からは陽炎が立ち昇つてゐる。夏の本番を告げる熱気を孕んだ風が、街路樹の葉を乾いた音を立てて揺らす。私は大通りに面した珈琲店の窓際の席で、一人、友人を待つてゐた。
店内には、私の好まぬ軽快な西洋音楽が、まるで存在せぬかのやうに静かに流れてゐる。ガラス窓の向かうには、絶え間なく人が行き交ふ。一部の人々は、その手にある小さな硝子の板に魂を吸ひ取られたかのやうに目を落とし、何かに憑かれたやうに指を滑らせてゐる。あれが、世に云ふ「スマホ」とか言ふ、現代の利器か。
私も人並みにそれを懐にしてはゐるが、どうにも馴染めない。無数の情報が、人々の喧騒が、私といふ存在を常に揺さぶり、侵食してくるやうで、時折、堪らないほどの疲労と嫌悪を覚えるのだ。
其の硝子の板を覗き込む時、私は、自分が底の知れぬ深淵を覗き込んでゐるやうな心持ちになる。そして同時に、深淵もまた、私を覗き返してゐるのだ。
早く友人は来ないものか。約束の時刻は疾うに過ぎてゐる。私の内には、苛立ちにも似た焦燥と、それから微かな期待とが入り混じり、まるで珈琲の表面に浮ぶ泡のやうに、感情がぷつぷつと弾けては消えてゆくのであつた。
私は、この得体の知れぬ巨大な時代の流れの中で、たった一人、岸に取り残されたやうな、言い知れぬ孤独を感じてゐた。
やがて、店の扉が開き、見慣れた姿が私の視界に入つた。彼は悪びれもせぬ顔で私に片手を上げると、慣れた足取りで此処へやつて来る。その手にもやはり、例の硝子板が握られてゐた。彼は席に着くや否や、それを卓の上に置き、私の顔を見るよりも先に、その画面を指でなぞつてゐる。私は、その仕草の一つ一つに、私と彼の間に隔つ、決して乗り越えられないやうな大きな壁を感じ取つた。
彼は、時代の波を巧みに乗りこなす泳ぎ手であり、私は、波に足を取られまいと必死に足掻く溺れ人に過ぎぬ。彼は彼で、私のこの時代錯誤な感傷を、内心では憐れんでゐるのかも知れない。さう思ふと、私の心は一層、頑なな殻の中に閉じ篭つて行くのであつた。
暫く、私達の間には気まずい沈黙が流れた。店の者が運んできた水を、意味もなく口に含む。西洋音楽と、遠くで響く食器の音だけが、其処にゐた。
ふと、私は窓の外に目をやつた。珈琲店の小さな庭の隅に、ひつそりと紫陽花が咲いてゐるのが見えた。梅雨の名残の花は、強い日差しを避けるやうに葉陰に寄り添つてゐる。盛りを過ぎた青紫の花弁は少し色褪せ、強い陽に僅かに萎れてゐるやうにも見えたが、その静かな佇まいは、私の火照つた心に不思議な安らぎを与へてくれた。
時代がどれほど目まぐるしく移ろはうと、季節の終はりを告げる花は、斯くも静かに、然し確かに其処に在る。私は、硝子板の向かうの喧騒から逃れるやうに、その一点をぢつと見つめてゐた。
ふと、友人が音を吸い込んで吐き出すやうな溜息をした。この店の喧騒とは不釣り合いでゐる。はつとして彼の顔を見ると、彼は私と同じやうに、窓の外の紫陽花に視線を注いでゐた。その手は、卓上の硝子板から離れてゐる。いつも快活な彼の横顔に、今まで見たことのないやうな、深い陰りが落ちてゐるのを、私は見逃さなかつた。
其の瞬間、私と彼とを隔つ分厚い壁に、小さな亀裂が入つたやうな気がした。彼もまた、この時代の奔流の中で、見えぬ重荷を背負ひ、時には疲れ、立ち止まりたいと願ふ一人の人間に過ぎなかつたのだ。
友人と別れ、私は夕暮れの道を一人歩いてゐた。陽が落ちても尚、アスフアルトに残る熱気がむつと立ち上つてくるが、不思議と、来た時ほどの不快さは感じなかつた。西の空が、燃えるやうな茜色に染まつてゐる。遮る雲一つない、鮮やかな夕焼けであつた。私の心も、今はあの夕焼けのやうだ、と思つた。完全な快晴ではない。未だ、心の大部分は燻る熱気のやうに晴れぬままである。
変わりゆく時代への不安も、手のひらの硝子板が醸す疲労も、消えて無くなつた訳ではない。だが、それで良いのだ。斯うして時折、誰かの心の澱に触れ、紫陽花の過ぎゆくものに慰められ、夕焼けのやうな確かな美しさを見出すことが出来るのなら。私は私の歩幅で、この息苦しくも愛おしい時代を、生きてゆけば良いのだ。
道の傍らには、先程見たのと同じやうな紫陽花が、街灯の光を浴びて、昼間の熱を冷ますやうに静かに咲いてゐた。私は其の花に、友へのそれのやうに小さく会釈をし、少しだけ軽くなつた心で、我が家への道を急いだ。夏は、これから始まるのである。