8 ルーフィスの再従妹(はとこ)
ハウルベック侯爵家は、他の侯爵家とは全く違い、王族とも深く親交がある貴族。
血を辿れば王家の血筋という理由だけではなく、王家に対し多くの功績を残しているからだ。
本来なら、フィーナなどお近付き出来ない御方である。
しかし、ルーフィスは高位身分でありながら、話しやすく気さくな紳士な方だった。
それは、ルーフィスがフィーナに少なからず好意を持っているから、余計にそう見えるだけなのだが、フィーナは気付いていない。
知る者は知るが、ルーフィスは身分や外見だけで擦り寄る者達とは、かなりの距離を取って接している。
それはあからさまではなく、やんわりと言葉や態度にのせているだけなので、避けられていると気付かず近寄る者は多い。
まぁ、気付いたところで、お構いなしの者もいるが。
そんなルーフィスの友人達は、ルーフィスが自ら傍に置く者がいれば、その者に信頼を寄せていた。
逆にルーフィスが距離を取る者には、友人達も何かあるなと警戒し距離を取る。
それくらいにルーフィスは、友人達に信頼されている証拠でもあった。
はたして、今のフィーナとルーフィスの距離感を見たら、その友人達はどういう態度を取るのだろうか?
厳かな扉を開けて中に入れば、そこはまるで小さな王宮かの様だった。
しかし、煌びやかな中に落ち着いた色合いがあり、王宮より侯爵家の方がフィーナの好みに合った。
床に敷かれた絨毯は、軽く足が沈むくらいに毛足が立っているが、落ち着いた雰囲気がうちとどこか似ていて安心すらする。
やたら高そうな調度品が飾ってあるものの、誇示し過ぎない程度で下品な感じは一切ない。
思わずほぉとため息が漏れそうだった。
「おか……えりなさいませ? そちらの方は?」
執事や侍女達がルーフィスを一斉に出迎えたが、半歩後ろにいるフィーナを見て、目を見張ると思わずといった形で釘付けだった。
ルーフィスが出掛けると行って、まさか女性を連れて帰って来るとは訊いておらず、驚いていたのだ。
「お初にお目に掛かります。フィーナ=セネットと申します」
ルーフィスが紹介する前に、フィーナは軽くスカートをつまみ挨拶をすれば、侍女達が頭を下げつつさらにざわついた。
女性と距離を置くルーフィスが、自ら連れて来た令嬢というだけでも騒然とするのに、フィーナのふわりとした雰囲気が新鮮で、皆を驚かせていたのだ。
身分を嵩に着て、ルーフィスの元へ強引に来る令嬢は山程いる。
しかもそのほとんどが、高飛車なツンと澄ました令嬢で、侍女に挨拶どころか上からの態度。侯爵家の侍女でさえ、まるで自分の下僕のように扱おうとする者すらいるのだ。
だが、フィーナはこちらが頭を下げる前に、自ら名乗ったではないか。それだけで、皆のフィーナへの印象はすでに大きく加点が付いた。
「ルー兄様! おかえりな……え、やだ何この人?」
エントランスにある中央階段を駆け降りて来た美少女は、一目散にルーフィスに抱き着くと、隣にいたフィーナを見て渋面した。
とうとう邸にまで押し掛けて来たの? と。
「サリー、不躾な態度はやめなさい。この人は、この間のハンカチーフのキミだよ」
サリーという美少女に苦笑いしつつ、ルーフィスはフィーナを紹介した。
ハンカチーフのとルーフィスが説明するのだから、この美少女はコサージュにハマっているという、ルーフィスの再従妹だろう。
「あぁ、あの!! リリークの刺繍はスゴく可愛かったわ!!」
「ありがとうございます」
ルーフィスが再従妹が喜んでいたと言っていたなと、フィーナは思い出す。
あの言葉は、社交辞令混じりに感じていたが、サリーのこの様子を見ればそうではないと分かる。
フィーナはサリーの屈託ない笑顔に、自然と頬を緩めた。
「アレね、友人達にもスゴい評判良かったのよ! だから、私も上手くなりたくて今練習しているの」
刺繍を刺したのが、目の前にいるフィーナだと知り、サリーも表情をガラリと変えた。
あのハンカチーフに施された刺繍のデザインが友人達には好評で、サリーはまるで自分の事の様に誇らしかったのだ。
その刺繍を刺した本人が今、目の前にいる。サリーは自分の作品を見て欲しいと、フィーナの腕を軽く掴み、グイグイと部屋へと誘う。
それにはルーフィスが、軽く眉間に皺を寄せた。
「サリー? 彼女は私のお客さんなんだけど?」
「うん、だから何?」
サリーはキョトンとしていた。
フィーナがルーフィスの客であろうが、まったく関係ないのだろう。だから何なのだと、ルーフィスを見ていた。
「……」
さも当然の様に言われたルーフィスは、思わず言葉に詰まる。
ごめんなさいと、フィーナを返してくれると思っていたのに、まさかのキョトン顔。
「さぁ、行きましょう」
「あ、では失礼します。ハウルベック卿」
「え?」
サリーに強くは言えず、ルーフィスがどうしたものかと悩んでいれば、行動力のあるサリーはあっという間にフィーナを連れて行ってしまった。
女性に放っておかれた事のないルーフィスは、唖然である。
自分の客であるハズのフィーナでさえ、会釈してサリーに付いて行くではないか。
大抵の人の場合、ここはサリーなんかよりルーフィスを優先する。
だが、フィーナはハウルベック邸には来たのだが、ルーフィスに逢いに来た訳ではない。
なので、これはこれでとばかりに付いて行く。そんなフィーナの事情などまったく知らないルーフィスは、首をコテンと横に倒した。
「玉砕ですね。ルーフィス様」
「では、私はフラれたと?」
そう言って、自分の上着を受け取っていた侍女頭ハンナを、ルーフィスはチラッと見た。
「見事なまでに」
フィーナの本音などハンナは知らない。
しかし、今、ルーフィスを放って行ったのは確かだ。なら、フラれたで表現としても間違いではないだろう。
「そうか、私はフラれてしまったのか」
とルーフィスは楽しそうに笑うから、侍女達は目をパチクリとさせていた。
外見と柔らかい物腰のおかげで、やたらとモテるルーフィスは、女性とは一定の距離を置いている。
邸に招いただけで驚愕ものなのに、その女性は再従妹を選び相手にされていない。しかも、怒るどころかそれが愉快だと笑っているのだ。
こんな事は初めてで、侍女達もどう反応していいのか分からなかった。
さらに気になるのが、あのフィーナという女性とルーフィスの不思議な関係。
今までの女性と違って、フィーナには節度がありルーフィスとは適度な距離がある。
ルーフィスが彼女に、好感を持っているのは間違いないなさそうだが、フィーナは違うのだろうか?
フィーナの言動は今までの女性と違い過ぎて、侍女達は思わず唸ってしまう。
ここまでルーフィスに擦り寄らない女性は、初めてかもしれなかった。
そんなフィーナは、初見から侍女達に一目置かれ始めているとも知らず、サリーに連れられるまま階段を登る。
そこへ、ルーフィスが自分に用事があったのでは? と付いて行けば、気配に気付いたサリーが何しに来たの? とあからさまな視線を向けるから、ルーフィスは苦笑いである。
「今日は何故ここに?」
誰もが訊くだろう質問を、後ろにいたルーフィスがした。
門まで来てサプライズも何もないのだが、何とかなるかなと思っていたフィーナはチラッと振り返る。
ここで隠せば、ただただ不審がられるだけだ。
今さら嘘を吐いても仕方がないので、フレーバーティーのお礼に、またハンカチーフをと考えている事。
そのモチーフに紋章を選んだ事を話せば、何故か隣にいたサリーの瞳がキラキラとしていた。
「私はイニシャル入りがイイわ!!」
「サリー、キミは関係がないだろう?」
自分へのお礼なのに、何故かサリーが出しゃばって来た事に、ルーフィスは呆れた様な視線と、ため息が漏れた。
「ルー兄様はモテるんだから、他の女性から貰えばいいじゃない!!」
「サリー」
そういう話ではないし、一体それは何の意味があるのだ。
ルーフィスの口からは軽く咎める声と、フィーナに対して済まなそうな視線を向けた。
「あら、まぁ、刺繍の上手なお相手が?」
「いないのは知っているだろう?」
茶化すつもりはなかったけれど、フィーナがつい頷く形でルーフィスに訊ねれば、ルーフィスは困った様子で肩を落としていた。
厳密に言えば、刺繍が上手い令嬢を知らない訳じゃないし、ルーフィスが欲しいと言えばすぐにでも寄越すだろう。
だが、ルーフィスは刺繍入りのハンカチーフが欲しいのではなく、フィーナが自分の為に何かしてくれた物が欲しいのである。
困った様に笑うルーフィスに、フィーナも小さく笑ってしまった。
「好みのモチーフはありますか?」
女性を寄せ付けない様にしているルーフィスが、わざわざ勘違いさせる様な事をする訳がない。
フィーナはそれ以上、その話は持ち出さず、改めてルーフィスにリクエストはあるかと訊いた。
自分が考えるのも楽しいが、持ち主が気に入るモチーフやデザインがあるなら、それに越した事はない。
「私はリリークの花と、イニシャル!!」
ルーフィスに訊いているのに、サリーはお構いなしである。
サリーにあげるとも言っていないのに、ルーフィスを推し退けて、自分の意見を主張する。
そんなサリーが何だか可愛くて、フィーナは笑みが溢れた。
サリーの部屋に着き、促されるままソファに座ると、持参していた小さなスケッチブックと鉛筆を構えた。
「花の色にリクエストはありますか?」
「ピンクと黄色!」
フィーナはサリーの意見を取り入れつつ、さらさらとデザインしていく。
色の指定もしっかりメモれば、サリーはそのデザインに満足したのか頷き、次にルーフィスの好みを訊く。
紋章入りでなくとも、草花でもいいという事だった。
全体的に何か施すのではなく、さりげない物が良いとフィーナは判断し、軽く提案すればルーフィスも頷いた。
後は生地や糸をどんな物にするかだが、それは家に帰らないと分からないので、出来てからのお楽しみである。
紋章の入った本を一冊借り、ある程度のデザインも決まれば、もうフィーナの用事はなくなった。
このまま理由もなく長居するのは申し訳ないと、帰ろうとしたのだが、サリーに刺繍の指南役を請われ教える事に。
サリーの実力を知るため、過去の作品を拝見すれば、特段下手ではないが、上手くもない。集中力がないのか飽きっぽいのか、すぐ目が荒くなるようだった。
「何か上手くいかないのよね」
「花の中心はサテンステッチで、花びらはーー」
サリーも誰かに、刺繍を施してあげたい人が出来るかもしれない。
フィーナはなるべく分かりやすい説明を心掛け、丁寧に教える様にした。難しくなれば刺し目も汚くなり、嫌になってしまう可能性もあるからだ。
「上手ですよ。サリー様」
時々褒める事も忘れない。
自分もそうやって褒められると嬉しかった。サリーもその時のフィーナと同じなのか、褒められて嬉しそうな笑みを浮かべていた。
ルーフィスはそんな二人を見ながら、持って来た本を開く。
ルーフィスはもはや蚊帳の外ではあるが、それはそれでいいかと楽しんでいたのだ。
一人掛けのソファにルーフィスはゆったり座り、フィーナとサリーは二人掛けのソファに並び刺繍という花を咲かせていた。
その仲睦まじい姿は、まるで姉妹の様に見える。
刺繍の合間に談笑したり、テーブルに用意された紅茶やお菓子を堪能している二人に、ルーフィスがたまに加わる。
このまったりとした時間が、フィーナはなんだか心地よかった。
それはルーフィスも同じであった。
自分に好意を持ってくれる女性は多い。その気持ちはありがたいが、好意が押し付けがましくて、ウンザリしていた。
だが、フィーナの気持ちのベクトルは、自分だけに向いていない上に、サリーがいても決して邪険にしない。
その適度な距離感と、ゆったりとした雰囲気。そして、この日向の様な空気はとても心地よかった。
ルーフィスが本に夢中になろうとも、たとえ相手をしなくとも、フィーナはまったく気にしないし怒らない。
ましてや、自分をアピールしようと躍起になる事もなく、自分本位に一方的な話もしてこない。
ルーフィスがそんな女性に出会ったのは、初めてと言ってもいい。それだけでルーフィスは、何故か心が満たされる気がしたのだった。