7 あなたの事を考える時間も……愛おしい
その件の馬鹿……じゃない可愛い可愛い息子の嫁にと、フィーナにもあの後打診が来たと父から訊いた時には、唖然としてしまった。
当然、父は丁重に断りを入れたらしいが、厚顔無恥とはこの事である。
あの夜会で一目で気に入り、なんて事がつらつらと手紙に書いてあった様だが、コーナー男爵の息子どころか、男爵自身とも挨拶程度しかしていない。
何が一目なんだか、色々と問い正したいところである。
「ハウルベック侯爵家の紋章って、どんな感じだったかしら?」
それはそれとして、ルーフィスに貰ったフレーバーティーは、ほのかに甘い花の匂いがして、とても美味しかった。
そのお礼に、ハンカチーフに刺す刺繍の図案を考えていたのだが、漠然とした感じでしか紋章が思い出せない。
見れば分かるが、描けと言われても描けないのだ。
ならばと、父の書物から借りた本の1つに、ハウルベック侯爵の紋章は載ってはいたが色まで付いておらず、どこかイメージもインスピレーションも湧かない。描いては消し描いては消しと、貴重な紙は黒くなるしボロボロだ。
こうなったら気分転換である。
「ちょっと街に出て来ます」
行き詰まったフィーナは母にそう言って、従者を二人連れ街に……
ではなく、王都の中心部にあるハウルベック侯爵家の前に来た。
侯爵の名に恥じない歴史ある建物が、フィーナより遥か先にドンと厳かに建っている。
先触れもなければ、約束もない。しかし、入る気で来た訳ではないので問題はなく、観光客みたいなノリで、離れたところでただ見るだけだ。
さすがにここから邸の紋章など見られる訳がないが、門扉は見られる。
下位貴族にはあまり見かけない紋章が、高位貴族ともなれば門扉にもしっかりと施されてあるのだ。
しかし、当たり前な事で門扉は鉄なので、書物同様に色はない。だが、その重さと歴史を肌で感じ、インスピレーションが湧くと思ったのだ。
「お嬢様。極端です」
そう言ったのは、フィーナの隣にいる従者の一人のハードである。
事情は今さっき訊いたばかりだが、やる事が極端で行動力があり過ぎて、感服していいのか呆れるべきなのか分からない。
「邸まで縫ったらやり過ぎよね?」
そんな従者などお構いなしに、フィーナはイメージを提案する。
「どんだけ自分家が好きなんだって、話になりますね」
紋章入りのハンカチーフは、自分の爵位や権威を誇示するために持つ者が多い。
だが、邸まではやり過ぎどころか、自分家大好き自慢が激しいと、もう一人の従者モンクが言った。
「ハウルベック侯爵家の紋章って、図案集じゃ細かく触れてないんだけど、両脇のあの辺りがちょっと、リリークの花や葉に似ているのよね」
この国の紋章は、領土特有の花や葉、畜産をモチーフに用いるデザインが多い。由来や歴史は様々あり、その家に代々伝わるくらいで、他家はあまり知らない。
フィーナもハウルベック侯爵家の紋章の由来や歴史など、細かく知らないが、幸運の花リリークがモチーフになっている様な気がした。
「お前達、さっきからそこで何を?」
門扉の目の前でないとはいえ、見える範囲内で邸や門をジロジロ見ていれば、侯爵家の警備兵に怪しまれるのは当然であった。
従者であるバードとモンクがフィーナを守る様に気を張れば、途端に緊迫した空気に変わった。
ただでさえ、ルーフィスをひと目でもと訪ねて来る令嬢が多い中、フィーナの似たような行動である。馬車で近くまで乗り付けているし、紋章を見ればフィーナがそれなりの者だと分かる。しかし、先触れもなく訪ねて来た上、遠巻きでチョロチョロしていれば、立派な不審者だ。
「大変失礼致しました。私の名は"フィーナ=セネット"、ルーフィス卿にお返しするハンカチーフのデザインを確認したく、ここまで参りました」
ちょっとした睨み合いが警備兵と従者で起きている中、フィーナは実にマイペースに軽くスカートを持ち上げ、挨拶をする。
「ハンカチーフのデザイン?」
警備兵達は、思わず眉根を寄せた。
世間知らずのルーフィスのファンが来る事もあるから、フィーナもそんな類いか何かだと思って声を掛けたのだが、想定外の返答だった。
フィーナはルーフィス本人には伝えないで欲しいと、一応前置きしてから、警備兵達に事の経緯を話す。
フレーバーティーのお礼に、ハンカチーフを選んだ事。
そのモチーフに紋章を選んだものの、細かなデザインが分からない事。
ルーフィス自身が持つかもしれない物に、イイ加減なデザインは刺繍出来ない。そう話せば、警備兵達は総合的に考え納得した。
フィーナの乗り付けた馬車の紋章が、しっかりとセネット伯爵家の物であると分かったのもあるのだろう。
「紋章のこの花や葉はリリークなのかしら?」
「我々は一介の警備兵なので、そこまでは存じません」
「紋章の色は紺か朱かと言われたら、どちらが?」
「私個人で申し上げるのであれば、紺や朱ではなく金糸があの方には似合うかと」
「私もそう思いますが、それだと煌びやか過ぎて、お持ちにならない可能性がありません?」
フィーナが身分と事情を話せば、警備兵達と打ち解けるのは早く、デザインの話に花が咲く。
警備兵とて、職種がなければただの男。
フィーナは、貴族令嬢が持つツンとした高飛車な雰囲気がないだけでなく、見目の愛らしさと気さくさについ心が躍る。
「そこで何をしているのだね?」
話に花が咲き過ぎて、周りが見えていなかった警備兵達は、近付いていた気配に気付くのが遅かった。
門扉兵はすでに頭を下げているのに、話し込んでいた警備兵は完全に出遅れだ。
「ごきげんよう。ルーフィス卿」
邸からではなく外から、しかも馬車ではなく徒歩で従者を連れ現れたルーフィスに、フィーナは一瞬心臓が飛び跳ねた。
だが、すぐさま半歩下がって、スカートの裾を軽く持ち上げ挨拶をする。
「フィーナ嬢?」
平民にしては豪奢な馬車が停車していたが、ここからは紋章は見えず、ましてやそれがセネット伯爵家の物とは思わなかったのだ。
「ちょっと近くまで来たので……」
挨拶に……と言いかけ、それはどう考えても無理があるなと、フィーナは明後日の方向に視線が向いた。
貴族は平民のご近所付き合いとは違う。
近くに寄ったから、気軽に挨拶に来れる訳もないし、まだそこまでの関係でもない。言い訳がおざなりで、フィーナは恥ずかしくて顔を合わせられない。
「では、挨拶だけでなくお茶でもどうですか? 太陽のキミ」
ルーフィスはフィーナの不審な挙動に怒る事もなく、ただクスクスと笑いながら、まるでダンスにでも誘う様に右手を差し出した。
「それ、先日のコーナー男爵におっしゃってはダメですよ?」
と手をのせたフィーナ。
息子がやらかしたという件の男爵は、大分頭頂部が寂しい。
ルーフィスは一瞬、その頭頂部がハゲ……寂しいコーナー男爵を思い出したのか、小さく吹き出していた。
「太陽……か。確かに彼にはもの凄い嫌味だね」
反射するくらいに頭は光っていたなと、ルーフィスは思う。
「その太陽にも、今は大分翳りが見えているけれど」
「みたいですね。雲を取り払ってくれる令嬢を、随分と探しておられるみたいですわよ?」
もちろんフィーナに取り払う事は出来ないので、丁重にお断りしているが。
男爵という爵位は平民にはそれなりに魅力だ。
その内、貴族以外の金持ちに婚約の打診を、持ち掛けるのでは? と両親と話したところだ。
「自身で払う気がないのがいただけないね」
他人の金でどうにかする事だけに執着し、自分で立て直す気概はない。そんな男には関わりたくないと、あれから一切取り合わない様にしている。
先日の夜会を開いたお金も、出所がどうも怪しいとルーフィスは調べていた。
「楽な方へと流れた時点で、終わりだと思いますわ」
自分でどうにかする事を放棄し、他人に押し付け様と考えている。
そうなれば、再建は難しいだろう。
「ようこそ、我が家へ」
そんな話をしている間にも、ハウルベック侯爵家の邸の前に来ていた。
ルーフィスはまるで執事みたいに戯けた様子で、フィーナを中へと促すのであった。




