6 隣にいるだけで心地良い存在
あんな目に遭おうが、夜会に出る日々は続く。
もちろんパートナー探しではなく、友人との会話や情報交換。夜会に出ない事による、自分への一方的な噂話を避けるためだ。
夜会に出席すれば、結婚結婚と煩い母を少しは抑えられるのも、理由の1つではあるけど……。
ちなみに、今回はコーナー男爵家に流れる噂の真偽を確かめる為。
経営難で、男爵家が傾いているのでは? という話を小耳に挟んだからだ。セネット家と近い領地が傾けば、それに合わせての対処や準備が必要となる。セネット伯爵家も他人事ではないだろうと、フィーナは様子を探りに来たのである。
しかし、夜会に出ている皆の話は適当過ぎた。
他人の不幸は蜜の味とばかりに、面白可笑しく話しているだけで、真偽の程は分からない。
一旦休憩とばかりに、フィーナは今日も今日とて壁の花。
いや、壁にすらいないのだから、テラスの花か。
「こんばんは。月夜のキミ」
一人で夜空の星を楽しんでいたら、美声がフィーナの耳に響いた。
先日のハウルベック侯爵の息子ルーフィスである。
相変わらずの麗しさで、恋というものを封印したハズなのに、フィーナの心がゆっくりと解ける様な気がした。
「こんばんは。夜空を彩る星すら霞む、麗しのルーフィス卿」
月夜のなんて言うものだから、フィーナも少しだけ真似てカーテシーをして返してみた。
怒るかなとチラッと見れば、一瞬驚いてみせたものの笑っていた。
「麗しはないかな」と。
一応周りを確認する素振りを見せ、ルーフィスはお伺いを立てる。
「よければ、隣にお邪魔しても?」
「曇り空の様なテラスーー」
でよければ? と思わずフィーナの口から漏れたのは、ただの陰口だった。
それは、この夜会を開いた主催者に申し訳ない。
配慮のない言葉に、ルーフィスに嫌われてしまったかなと、チラッと見れば、ルーフィスはクスクスと笑っていた。
「確かに薄汚れているね。しかも、蔦がかなり伸びているし苔まで。コーナー男爵家の資金繰りが悪いという噂は、本当みたいだな」
フィーナの言葉を配慮してか、ルーフィスも遠慮なく言う。
この夜会も資金集めの一環ではないか? という話が一部からは出ていたらしい。
「それなら、この夜会の費用も運用に回した方がという気がしますね」
夜会を開くにはとにかくお金がかかる。その資金がどこから出たのか気になるが……今は目の前にあるテラスに目がいった。
会場は煌びやかなのに、一歩奥に入ったテラスの桟は薄汚れているし、足場の一部は苔が生えている。オマケに下から伸びた蔦が絡んでいる場所すらあった。
人を呼べば、それだけの目がある。目が多くあれば、粗が目立つ。粗が目立てば噂になる。その噂には大抵の場合、鰭が付く。
もはや、悪循環ではなかろうか。
「まったくだと思うけど、その才がない。この夜会も資金集めというより、ただの見栄の為だろうね」
「恥を忍んで、誰かにご教示を願ったりは?」
「プライドが邪魔をするんじゃないかな」
始めから教えを乞えるなら、こんな風にはならない。
だが、爵位の返上や売却までになる可能性すらあるのだから、一時の恥など飲み込めばいいとフィーナは思う。
揶揄する者達もいるだろうが、もの凄く潤って見返せばいいだけだ。
むしろ、生活水準が下がったり、平民になる方が馬鹿にされるのではないだろうか。
「キミだったら?」
どうする? とルーフィスがチラッとフィーナを見た。
「そうですね。専門家の意見を訊いたり、他家に教えを? そもそもこの夜会が資金集めだとして、しっかりしたプレゼンがなかったら、誰も貸さないと思いますけど」
いくら潤沢な資産があっても、貸すのは別。回収出来ないなら、貸す意味がない。そもそも無担保で貸す訳はないし、ましてやタダで渡したりしないだろう。
コレが投資だとしても、自領に利益がない話なら普通は貸さない。
「そうなんだよね。私も先程話をさせてもらったけど……」
ねぇ? と語尾を濁した。
どうやらルーフィスの心を、動かす話ではなかった様だ。
「コーナー家って、以前はかなり羽振りがいいって訊いていましたけど、この数年で何があったでしょうか?」
数年前にとある店でドレスを仕立てた時、金に糸目をつけぬくらいに使っていると、偶然耳にした事があった。
それが、たった数年で資金難になるなんてと、フィーナは思う。
「可愛い息子が、やらかしたらしいよ」
「春先の婚約解消と関係が?」
遅くに産まれた息子が1人いて、バカ可愛がりしていると両親から訊いた事がある。
何でも、砂糖菓子に蜂蜜やシロップをタップリかけても、またまだ足りないくらいに、もの凄く甘やかして育てているそうだ。
その大事な1人息子が、最近婚約を解消したらしく、男爵家は落ち着かないとか。しかし、適当な噂を流すのもまた貴族である。
面白おかしければ、他家などどうなっても構わないという者も多く、煙のないところに火を立てる者もいる。
「キミも中々耳聡いね。なんでも、何人もの女性を囲っていたのがバレて、相手から破談されたって話」
「その慰謝料が高いとか?」
元婚約者にはもちろん、囲っていた女性の身分によっては、その人達からも慰謝料を請求される可能性がある。
そのせいで、家や資産を手離す者もいるし、最悪爵位返上すらあるのだ。
「まぁ、当然それもあるだろうけど……どうやら、彼女達に注ぎ込んだ額がまぁまぁの金額らしい」
侯爵家のルーフィスがまぁまぁと言うのだから、かなりの額ではと想像する。
身の丈以上に注ぎ込んだのだろう。
「いっそのこと貢いだ物を回収してみては?」
「囲っていた女性達から?」
婚約者がいるのに近付いたのであれば、その浮気相手にも非がある。
渋るかもしれないが、そこは交渉次第だ。
「まぁ、無理だろうねぇ。そちら側もお金は必要だろうし……何より、貰った物は……」
「返しませんよね」
自分がその立場だとしても、返さないだろう。
何せ慰謝料を払うのは、元婚約者だけではない。浮気相手の方にも請求は来るのだろうから。
フィーナの言う通りコーナー男爵の息子は、女性側にあげた高価な装飾品などを、返せと請求したらしい。だが、言われて素直に返す訳もなく、かなり揉めているとの事。
だが、揉めれば揉めるだけ世間に広まり、コーナー男爵と取り引きしていた者達が、一斉に手を引き始めた……という事だった。
「そこまで知っていらっしゃるなら、何故夜会に来たんですか?」
侯爵家の人間がこの夜会に来ても、旨みがまったくないだろう。
フィーナとて、コーナー男爵家が傾いているらしいと聞き、本当なのか単なる噂なのか確かめに来ただけだった。
フィーナの疑問にルーフィスは、悪戯っ子みたいな笑顔でウインクした。
侯爵家には侯爵家の考えがあるみたいである。
「今夜は晴れて、星が綺麗ですよね」
ならばと、フィーナは話題を変えた。
気にならないと言ったら嘘になるが、話せない事を無理に訊くのは良くない。興味本位だけで訊くのは、嫌われるだけである。
「キミがいる所ならどこも……と言いたいところだけど、テラスがコレでは台無しだ」
手摺りに手を置いて星空を寛ぎたいが、テラスの手摺りは大分薄汚れている。
これでは手や服が汚れそうだと、ルーフィスはフィーナの前の手摺りにハンカチーフを敷いてくれた。
「ありがとうございます」
とフィーナも自分のハンカチーフを、ルーフィスの前の手摺りに敷く。
何気ないこの小さなやり取りが、何だか温かく嬉しい。
フィーナとルーフィスは自然と目が合い、どちらかともなくクスリと笑えば、そこには温かい空気感が生まれた。
どちらかともなく、自然と空を見上げ、満天の星を楽しむ。
空を見ても二人は何も言葉を交わさない。だが、この星空とルーフィスが側にいる豊かな空気感が伝わって、フィーナはそれだけで幸せな時間だった。
それはルーフィスも同じだった。
夜会に出れば、女性が自分に集まる。それは、悪くない事だが、あからさま過ぎて辟易していた。
しかし、フィーナは違う。好意のある態度は家族のそれと変わらず、逆に自分は嫌われていないのだとホッとする。
この近過ぎず離れ過ぎずの、このちょうどいい距離感。そして何より、自分を主張するだけの一方的な言葉がない。
それが、ルーフィスには心地よかった。
「リリークの花、あまりにも綺麗だったので、押し花にして大切にしてます」
しばらく、ゆったりとした時間を堪能していたフィーナ。
だが、思い出した様に花と手紙のお礼を言えば、ルーフィスは柔らかく笑った。
「それは良かった。そうそう、アレを乾燥させてから、紅茶に入れると、香り豊かなフレーバーティーになるんだけど」
「知りませんでした」
試した? と訊くルーフィスに、あの花にそんな楽しみ方があるのかと、フィーナは目を丸くさせた。
素直に驚くフィーナに、ルーフィスはさらに柔らかい笑みを溢した。
「なら、今度はあの花を使ったフレーバーティーを贈ろう」
「まぁ! では、お返しを考えなくては」
すぐ貰う気でいるのは、図々しいかもしれないが、つい嬉しくて本音がスルリと口から出ていた。
本当ならここは一度、そこまでして頂くにはと断る方がいい。しかし、ルーフィスの笑顔を見たら、断る方が不誠実だろう。
だが、侯爵家に恥じないお返しは、悩みどころだ。
今からフィーナはどうしようと、頭を巡らせる。
「なら、今度は私のために刺繍を」
ルーフィスがそう提案するものだから、フィーナは大きく頷いた。
得意分野でお返しが出来るなんて、願ったり叶ったりである。
コーナー男爵の事などすっかり忘れて、二人は楽しい時間を過ごしたのであった。