31 キミは可愛い私の天使
「今宵のキミはスイートピーの様に可憐だね」
「そうおっしゃる貴方は、まるでクールな蜂の様」
「こんばんは、フィーナ」
「こんばんは、ルーフィス様」
まるで先程の事はなかった様に、ルーフィスとフィーナの会話はいつも通りだ。
しかし、この楽しいやり取りも今夜で終わり。
フィーナはそう思いながら、ルーフィスの隣を歩く。
突っかかってきた令嬢達が退出した後、フィーナとルーフィスは気分転換に、中庭をのんびりと散策していた。
ルーフィスが来るとは思わなかったフィーナは、思わぬ再会に喜びで胸がいっぱいだ。
ルーフィスが出る夜会は、公に名前が上がっている場合もあれば、主催者側のサプライズゲストとして呼ばれている場合があった。
今回はサプライズだったのだろう。
フィーナも最後に会えれば嬉しいなと、軽い気持ちで選んだ夜会だったので、これも奇跡かもしれないと喜びを噛み締めていた。
「そのリボン、使ってくださっているんですね」
後ろ髪を一束だけ、長く伸ばして遊ばせている髪に、ルーフィスはフィーナが刺繍を施したリボンを、クルクルと巻いて結んでいる。
普段使いにと施した刺繍入りリボンを、まさか夜会で使ってくれるとは思わなかった。
「あまりにも綺麗だったからね。ちょっと見せびらかしたかったんだ」
と悪戯っぽく笑うルーフィスが、何だか可愛らしい。
夜会に着けてくれるなら、もう少し派手な感じが良かったかなと、風に靡くルーフィスの髪とリボンを見る。
「キミも髪飾りを使ってくれているんだね」
頬にかかる髪を優しく退けてくれながら、優しく微笑むルーフィス。
このお守りがあれば、この先フィーナは強く生きていける気がした。
「私も、見せびらかしたかったんですよ?」
同じく悪戯っぽく笑い返したフィーナ。
「ルーフィスに戴きました」だなんて、わざわざ口にするつもりはなかった。
しかし、コレをヒッソリ着けているだけでも、知らずにどこかちょっと優越感があったのかもしれない。
「困ったな。そんな事を言われたら、また何かあげたくなってしまうな」
とフィーナの肩に、自分のジャケットをふわりと掛けるルーフィス。
「ダメですよ? 戴くのはお気持ちだけで充分ですからね?」
その気持ちですら、本来なら烏滸がましいのだ。
これ以上に物や気持ちを向けられたら、ルーフィスの蕩ける様な甘い毒に、フィーナは完全に染まってしまう。
そうなれば、もう一生抜け出せなくなるに違いない。
「贈り物を断られたのは初めてだ」
断られた事すらルーフィスは楽しい様だった。
ルーフィスに物を送られて喜ぶ者はいても、突っ撥ねる者はいない。
欲しがる者達ばかりを見て来たルーフィスにとって、何も欲しがらないフィーナは新鮮で、逆に何かしてあげたくなるから不思議だ。
さわさわと柔らかい風と、優雅に流れる噴水を前に、2人は自然と歩みを止めた。
「今更ながらだけど、私が側にいると……キミに余計な害虫が寄るだけで、益虫は寄らなくなるのではないかな?」
その噴水を見ながら、ルーフィスがポツリと口にした。
ルーフィスとの事でフィーナを羨む令嬢(害虫)が寄るだけだなと、ルーフィスは今日改めて感じたのだ。
しかし、フィーナは気になどしていない。
フィーナがマックとの婚約を白紙にしたのは、もうだいぶ前の事。大人になってからではない為、その婚約など一部の者達が揶揄する程度の小話だ。
そこを弁えている者達は、フィーナは身分や外見は勿論、性格や資質からも結婚の打診を考えていた程だ。
だが、身分が高いルーフィスが身近にいる事を知ると、すぐに身を引いていた。ルーフィスがいるなら、打診をするのすら難しいからだ。
ちなみにフィーナの両親も、その勘違いの中に含まれていた。
さすがに、夜会で噂されれば、夜会好きの母の耳には入って来る。母に入れば当然父も知る事となるのだ。
相手が侯爵家の息子だから、こちらから打診しないだけで、身分が釣り合っていれば、既に話を持ち掛けていただろう。
そのルーフィスのおかげで、フィーナは勝手に婚約者を決められないで済んでいるのだ。
両親も相手の身分が侯爵と高いため、少しばかり恐縮してはいるものの、やっと結婚する気になってくれたかと、ホッとしている様子が見えている。
ルーフィスの両親も方々から噂を聴き、ようやく息子が身を固める気になってくれたかと、胸を撫で下ろしていると聞いたのは後の話だ。
「虫除けになって頂き、大変感謝すれども迷惑とは思っておりません」
「しかし、男の私とは違って、キミはそろそろ相手を見つけないと困る立場だろう?」
フィーナが気にした様子もなく言ったので、ルーフィスはため息を吐き肩を落とした。
男なら晩婚でも大して言われないが、女は別だ。
子が産めなくなると疎遠にされるし、歳を食えば女と言うだけで難ありとされる。嫌な世の中であるが、それが現実だった。
「弟が伯爵を継いでくれるみたいですので、私は修道院で働ければ良いかなと」
愛を期待していた訳ではないが、2人からあんなにハッキリ拒絶されると、新しい人と上手くいける自信がない。
もう傷つくのは怖いし、平穏にひっそりと暮らしたいのが本音だ。
「キミはまだ可憐な花なのに、枯れ過ぎだよ」
苦笑いしたルーフィスが、コツンとフィーナの頭を諭す様に叩いた。
「そういうルーフィス様はどうなんですか? 長子なのでしょう?」
叩かれた頭が、なんだかこそばゆい気がして、思わずプイッとそっぽを向く。
その言動すら子供っぽいなと自嘲したフィーナは、人の心配より自分では? と返してしまう。
「まぁ、私にも弟がいるし……問題はないかな」
「弟……その方に譲るくらいに……」
元妻が忘れられない? と言葉を飲み込み俯いた。
そこは、完全なるプライバシーだ。知り合い程度のフィーナが、ズケズケと踏み入ってはならない気がした。
「愛してはなかったよ」
フィーナの飲み込んだ言葉に、感情のない返事が返ってきた。
「え?」
「そこに愛などなかった」
「…………」
彼の口から、今初めて妻の話を聞いた。
フィーナとは違い、ルーフィスは身分が高い。小さな夜会で何となく噂を聞く事はあっても、周りは察して絶対に訊かないし言わない。
だから、どこからか訊いた噂を、フィーナは鵜呑みにしていた。
ルーフィスは、亡くなった妻がもの凄く好きで忘れられないから、もう誰とも結婚しないのだ。
そう言われていたので、ずっとそう思っていたし周りもそう信じていた。
だがそれは、自分を含めた部外者の勝手な想像であり、事実ではなかったのである。
「政略から始まった結婚。とはいえ、私なりに彼女を幸せにはするつもりだった……けど、彼女にはまったく伝わらなかった」
「奥様は?」
"愛して"幸せにとは言わなかった。
ルーフィスに愛はなかったのかもしれない。しかし、妻の方はルーフィス様をと、フィーナが思わず訊けば、ルーフィスは微苦笑していた。
「彼女は本気だった」
「……」
「だけど彼女の本気に、私は返せなかった」
「……」
「私はこの通り表情が乏しいからね。彼女の理想とする生活にはならなかったのだろう。だから、彼女は表情豊かな男と出て行ってしまった」
「え? 亡くなったのでは?」
それが社交界では有名な話だ。
だからこそ、ルーフィスは後妻を迎えないのだと。
「それだと、体が悪いだろう?」
だから、死んだ事にした……と自分の失恋話すら揶揄する様にして、ルーフィスは小さく笑っていた。
侯爵家の奥方が、男を作り屋敷から出て行ったともなれば、皆が歓喜する醜聞である。
ルーフィスには大した傷にならないが、男と逃げた彼女の家はタダでは済まないだろう。
それを懸念したルーフィスが、揉み消したのだと言っていた。
「ルーフィス様はそれでよろしいのですか?」
それでは、歩み寄ろうとしていたルーフィスが可哀想な気がした。
それなのに、ルーフィスは彼女や家に罰も与えないどころか、身勝手に出て行った彼女やその家族のために、なかった事にしたのだ。
フィーナにも似た様な事をされた時、深い憤りは感じたし悲しかった。終わった事だが、あの時の事をすべてをなかった事には出来ないし、両家の対処には今も何となくモヤモヤしている。
それすら、笑い事として話せるルーフィスの海より深い懐に、フィーナは敬意さえ抱いた。
「キミは彼女がいなくなって、ホッとした私を……軽蔑するかい?」
愛していない妻の愛は、ルーフィスにとって重荷でしかなかったのだ。
だから、男を作っていなくなったと知った時、沸いた感情は……怒りや悲しさではなく、"ああやっとこれで解放される"との気持ちが強かった。
安否くらいは調べたが、決して連れ戻す事はなかったし、ましてやその行為を咎めるつもりもない。
むしろ、"解放してくれてありがとう"と感謝すらしている。
「奥様を全く愛していなかったと聞いて、少し喜ぶ私を軽蔑しますか?」
愛していたのなら、絶対に勝てない。
ましてや、彼の心を持ったまま亡くなってしまったのなら、一生彼の心は彼女のものだ。
そう考えてしまうくらいに、フィーナはルーフィスを愛しているのだと、今、口にしながら気付き驚いていた。
高位貴族だというのにルーフィスは気さくで、一緒にいると心が春の陽気の様に、穏やかで優しく温かい。
何気ない彼とのやり取りは、凍結していたフィーナの心をゆっくりゆっくりと、溶かしていたのだ。
それに気付いた今、恋より深い愛を知る程に、ルーフィスの甘い毒に侵されていた。
「キミが"少し"と言った言葉に、あぁなんだ少しだけなのかと、落胆している私を、慰めてくれるかな?」
ルーフィスは蕩ける様な笑顔をフィーナに向けた。
その笑顔を見られただけで、フィーナの気持ちは幸せである。
「そんな言葉を聞いて喜ぶくらいには、私はルーフィス様が気になっているのかもしれません」
フィーナはこの夜会を最後だと決めていた。
だからこそ、玉砕覚悟で人生最後の告白を、ルーフィスに捧げる。
「私もキミが……気になっているのかもしれない」
不器用なルーフィスが、極上の笑顔でそれに応えた。
「私の可愛い天使。その疑問が確信に変わるか、私と試してみてくれないか?」
ルーフィスはそう言って、フィーナを引き寄せると、額に優しいキスを落とした。
ルーフィスからふわりと香る匂いもあって、フィーナの頭はふわふわとする。
「疑問のまま終わるかもしれませんけど、いいのかしら? 私の甘く優しい悪魔さま」
フィーナも背伸びをして、ルーフィスの頬にキスを返した。
たとえこのまま、ルーフィスに捨てられる事になってもいい。そう思えるくらいに、フィーナは彼を愛していたのだ。
「たとえ答えなど見つからなくても、私はキミが側にいてくれれば、それだけでいい」
ルーフィスは仕返しとばかりに、フィーナをさらに引き寄せ、頬にキスを返す。
「私も貴方が側にいるだけで充分ですわ」
フィーナはチラッと見てから、笑ってルーフィスの顎にキスをした。
今の2人の間には、誰も邪魔する者はいない。
見つめ合う2人の前に、風すらも避けているかの様だった。
「私に愛される覚悟はあるのかな? 愛しい私の天使」
とルーフィスがフィーナの顔に、自分の顔を近付けた。
「私に愛を返される覚悟はおありですか? 愛する太陽の君」
望むところだと、フィーナはルーフィスの鼻にコツンと、自分の鼻をぶつけた。
2人の距離はもうないに等しい。
揶揄する者も、邪魔する者も、身分や年齢さえも、今の2人には何の障害にもならないのである。
ルーフィスの唇が、フィーナの唇に重なる瞬間ーー
「愛してる」
とフィーナの耳に蕩ける様な声が聞こえた。
それは、二度もフラれたフィーナには、もう聴けないだろうと思っていた言葉。
「私も」
と言うフィーナの言葉もルーフィスに言わせてもらえず、自然と頬を伝う涙すら、ルーフィスの蕩ける様なキスで掠め取られてしまうのだった。
そんなフィーナに出来る事はただ一つ。
ルーフィスが与えてくれる極上の愛を、ただひたすらに受け止める事……それだけである。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
╰(*´︶`*)╯♡
これにて【婚約前 編】は完結です。( ´ ▽ ` )
また、そのうち【婚約者 編】を執筆出来たらなと
考えております……が作者がポンコツなので、予定は未定です。
更新があったら、あ、書き始めたなコイツと笑ってやって下さい。
では、また会う日まで! (o^^o)シ




